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獄中歌

作者: R.nova

ある真夜中の事でございます。先世で邪智暴虐たる罪を犯した獄人が、苦の吹きすさぶ無間地獄(むげんじごく)の中でもがき続けていたのであります。



この獄人は、生前、政治犯罪に及んだ者で、未来永劫社会的弱者の地位から脱するべく、反逆騒動を起こした者でございまして、獄人の生前に住んでいました国の最高権力者の脳天を貫き、理想の(まつりごと)を具現化することを試みたのでございます。


獄人は、力がすべてという世界の道理に、初めて抗おうとしたのでございます。



激烈な騒動の後、混沌の中であります故、知らず知らずのうちに、左胸に衝撃を感じたと思ったら、突然にしてこの地獄へたどり着いたのであります。



理想というものは、風のような寸暇の夢であったのでございます。




世界というのは本当に無慈悲なものでございまして、自分が死んだ後にも、偏った思想というものは残り続けるものなのでございます。

鬼の姿をした地獄の役人共は皆口を揃えてその罪を「邪智暴虐」と罵り、閻魔大王殿ですら、その権力者の思想が脳内に染み付いているのであります。


正しさというのは、本当に世界がただ一つ持っているものなのか、或いは世界の各々が皆共同幻想を描いているだけなのか、何も知らされず、何もわからないまま、「無間地獄」という刑を言い渡される場面に立ち会った瞬間、獄人は自分が存在する空間のすべてを恨んだのであります。



手足が麻痺するような絶望の後、頬の涙も渇かぬままに、獄人は無間地獄の中へ転落していったのでございます。






獄人の目には、何も映ってございませんでした。

ただ映るのは、真っ暗闇の中で悲鳴を上げる、自分の身体の「痛み」なのであります。


その痛みに耐え忍び、死にたくても再びは死ねず、無条件で苦しみを味わい続ける有様でございます。


自分が人間的だと思って起こした行いが、ただ漆黒の闇の中で痛みを味わい続けるという畜生のような行いの義務を導くという皮肉な道理に、苦諦すら感じていたのであります。




その時でございます。無間地獄の中で、絶えず続く真っ暗闇の景色と自分の頭の中が、或る時を境に同化してきたのであります。


目の前に虚無空間から激しい火花が炸裂し、繰り返し渦巻いていく螺旋、それらが感情に沿って生まれては消え、生まれては消え、その連鎖はまるでいつの日かに見上げた空の先の宇宙でありました。


しかし、何を思ったのか、獄人はそれに対してある一つの感情が芽生えたのであります。





「あぁ、美しい。」





理不尽な道理にこれでもかと晒された獄人には、虚無に映し出された自分の思想の無常なる変遷が、まるで透き通った衣のように、大変親しく感じたのであります。


その親しみの安堵感からか、同時に脳内に轟く流麗な響き。獄人は、赤黒く染まった唇を動かさずにはいられませんでした。





        

「いしばしる頬の垂水(たるみ)も渇かずに絶えず変わりぬ無の美しき」






おお!神よ!

なんと獄人は、その枯れきった喉で歌を詠み上げたではありませんか!


苦しみが永遠と続く、八方塞がりな無間地獄の中で、獄人は人間的な芸術性を見出したのであります!




干からびた喉を使い果たした獄人は、自分の頭の中がすっかり白くなっていくのを感じながら、摩擦のなく永久に回る独楽(こま)のように、くるくると終わりのない無間地獄へ落ちていったのでございます。





百の目を使ってすべての罪人の様子を監視していた閻魔大王はそのようなことに目もくれず、小休を取りにその監視の場を去ろうとしたのであります。


しかし、彼の心の中では、急激に膨張した良心の呵責が、猛獣の如く暴れ、電磁波の如く脳天を刺激したのであります。

一時は獄人の唐突な歌に対して微小な驚きを見せた後、ただ一つの思想に依存していた自分の判断は本当に正しかったのか、という疑念が、毛虫の如く脳内を這いずり回り、それが抑圧という突然の心情変化によって猛獣にまで急成長したのであります。


気にせぬと疑念の留まりを試みる閻魔大王は、しかし、抑圧し続けた心に、反動的に身体を動かされたのであります。



閻魔大王は、気づいたら鬼たちに獄人を無間地獄から引き上げさせていたのでございます。



虚無と苦しみの空間の中から引き上げられた獄人に近寄ると、獄人の身体は少しも動かず、目つきは狂ったように笑っていて、しかし落ち着いていたのでございます。


それがまじまじと認識されたかと思いきや、たちまちその身体は灰燼に帰してしまったのでございます。



粉々になったその身体は、二度と再生することはありませんでした。




閻魔大王は、唇を噛みしめ、振るいを起こし、自分の自己矛盾的行いに倒錯したまま、一人の鬼に獄人の灰の処理を指示した後、再び自分の永続的な使命と同化した巨大な椅子へ戻って行ったのであります。


その背中は厳か且つ巨大でありながら、どこか小さく見えてございました。




鬼は、閻魔大王の指示のもと、獄之山(ごくのやま)へその灰を運んでおりました。

獄之山には、地獄で罪償いを終え、魂の消え去った罪人の肉体を灰として積み上げ、その山がいつか極楽浄土まで届いて罪人が成仏することを願う、といった習いがあるのでございます。


掬えども指と指の間を通り抜けてゆく獄人の灰を山の頂上に(まさ)に積み上げようとしたとき、あることに鬼は気づいたのでございました。






その頂上は、現世のあなたの踏む地べたまで来ているということでございました。

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