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synonym

作者: 猫神 遊

それっぽい単語を知ったので初投稿です。

 幼い頃、私の名前はアリスだった。


 忙しくしていたのであろう父の声を聞くことなく、母に「アリス」呼ばれ続けた私は、自分を「アリス」だと思っていた。思い込んでいた。


 しかしそれは、保育園に上がると同時に否定される。


「アヤメちゃーん? 木山(キヤマ)彩芽ちゃん?」


 明らかに私に話しかけているであろう保育士のお姉さんは、私の知らない名前で私を呼んだのだ。


 それから私は、家ではアリス。外では木山彩芽という名前になった。

 そういうものだと思えば、特に苦労はしなかった。


 小学校に上がる頃には、友達からあだ名を付けられた。


「あやめちゃんなら……アヤちゃんだね!」


 そんな台詞を皮切りに、友人からはアヤちゃんと呼ばれるようになった。


 家ではアリス、親しくない人や先生からは木山さん、友人からはアヤちゃんと呼ばれる日々は、小学四年に上がるときまで続いた。


 そこで、二つのことが起きる。


 一つ目は、同じクラスに佐々木亜矢ちゃん——本物の「アヤちゃん」が現れたこと。私は友人から「アメちゃん」と呼ばれるようになった。

 そして二つ目は、両親が離婚したこと。私を引き取った母方の旧姓をとって金谷(カナヤ)彩芽となった。


 この頃にはもう、自分への呼びかけに疎くなっていたように思う。唯一すぐに反応できたのは、母から呼ばれる「アリス」という名前だけであった。


 そして中学に上がる直前、私はアリスでもなくなった。母の再婚をきっかけに、岡田(オカダ)彩芽となった私を、母はアリスとは呼んでくれなかった。


 ここまでくると、もう呼びかけられているという認識すら困難になっていた。必然、会話が淡白になり、「アメちゃん」と私を呼んでいた友人とも疎遠になった。そのまま呼びかけられる回数そのものが減少し、さらに自認ができなくなるという悪循環。


 このとき確かに、私は世界から弾かれていた。

 誰からも相手にされていないという疎外感は、被害妄想と言うには私の心を縛り過ぎていたように思う。


 そんな疎外感は、高校に入るまで続いた。

 逆に言えば、高校に入って起きた——起こしたと言うべきだが——とある事件によって、私は以前ほどの疎外感を覚えなくなっていた。


「楠第二中学から来ました。……ことりあそび? 彩芽です」

「あの、小鳥遊(タカナシ)じゃ……」

「…………そうだったかもしれません。タカナシです。よろしくお願いします」


 入学後のクラスでの自己紹介。私は自分の名前を間違えたのだ。

 自分の名前から興味を失って久しく、書類に書くことはあっても呼ばれることは無かったため、仕方無い部分もあるかもしれないが、今考えても恥ずべき話である。


 ただ、その事件以降、私の苗字はよく覚えられたようで、朝には必ず隣の席の黒木くんから挨拶を貰うようになっていた。

 怪我の功名と言っても良いかもしれない。

 

「おはよう、小鳥遊さん」

「…………ああ、黒木くん。おはよう」


 すぐに慣れることは無かったが、それでも私は「小鳥遊」という名前で、世界への参入を許されたような気分であった。


「小鳥遊さんって、好きな人とかいるの?」

「……いえ、特にはおりませんが」


 小鳥遊になってからは、そんな友人らしい話をする友人もできた。


「じゃあ好みのタイプは?」

「名前を呼んでくれる人、でしょうか?」

「ハードル低いね!? まさかのチョロイン属性持ちか……!」

「茅ヶ崎さんのことも好きですよ。呼びかけてくれますし」

「苗字でええんかい! でもアタシも小鳥遊さん好き〜!」


 そんな会話が聞こえていたのだろうか。

 翌日の放課後、私は机に入っていた謎の手紙に呼び出され——


「彩芽さん! 一生名前を呼ばせてください!」


 そんな奇妙な告白を受けていた。高木くんから。

 

 『呼び出す必要はあったのか』とか、『告白と言うよりプロポーズなのでは?』とか、色々と言いたいことは浮かんだが、真っ先に思ったのは『彩芽って誰?』であった。

 それが態度に出たのだろう。私は言葉を返すよりも早く、首を傾げていた。


「あ、今のはちょっと格好付けてしまっただけで、その、一生名前を呼ぶって言うのはつまり——」


 高木くんは告白したことが伝わらなかったのだと思ったのだろう。比喩表現による告白であったことをしどろもどろに解説を始めた。

 しかし、今の私が「小鳥遊」であるせいで、それら全てが違う誰かに向けた言葉のように聞こえてしまう。


「あの、高木くん」

「は、はい!?」

「少し、お話ししてもいいでしょうか」


 だから私は、彼に少しだけ、自分のことを語ることにした。


「今の私の名前は『小鳥遊』です。

 『彩芽』ではありません。


 私は、自分に一つしか名前を付けられない病気なんです」


 恐らく、高木くんには伝わらないだろう。自分を表す識別子が、大量のシノニムに埋もれる感覚は。

 それでも、何も伝えず彼の想いに返事をするのは憚られた。故に私は、言葉を尽くす。


「少し前までは『大宮』だったと思います。

 中学に上がる前の名前は『岡田』、『金谷』、『アメちゃん』、『アヤちゃん』、『木山』……そして『アリス』でした。

 色々な名前が私には付けられて、私はそれを受け止めきれずに一度壊れました。

 だから、『彩芽』さんに向けた高木くんの告白が、私にはどうしても他人事のように思えてなりません。

 私は私を、『彩芽』さんとは認識していないんです」


 私は続ける。


「それに、この先また名前が変わることもあるかと思います。

 一生とは言っていただけましたが、もし結婚したら? 『小鳥遊』でなくなる私を、なんと呼んでくれるんですか?

 ごめんなさい。わからないですよね。面倒臭いですよね。でも、私は私を、そう何個も持てないんです」


 ごめんなさい。

 その一言に要約しなかったのは、理解してもらえるかもしれないという淡い期待があったからだろうか。

 或いは、わかってほしいという願望の顕れだったのだろうか。


 ただ、全てを伝えた上で、散々言い訳をした上で、このときの私は高木くんを振った——つもりであった。


「ごめん。小鳥遊さんの言ってること、正直全然わかんなかった。

 ——けど、小鳥遊さんが『小鳥遊』って呼んで欲しいなら、俺はそう呼ぶよ。

 付き合ってもらえなくっても、いつか名前が変わるようなことがあっても、小鳥遊さんが呼んで欲しいと思う名前で、俺は小鳥遊さんを呼ぶよ」


 それはきっと、高木くんにとっては告白の続きだったのだろう。

 それでも、私にとっては救いの言葉足り得たわけで——


「……りす」

「え?」

「『アリス』と、呼んでください……」

「かしこまりました。アリス」


 その日、私の名前はアリスになった。

シノニム(synonym)

 同義語、同意語、類義語。

 転じて、一つの実体に複数の名称を持たせること。別名。

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