8.哲学ゾンビ
「アリス? それ、何?」
「ふふふー。これ、新聞!」
『新聞』とは、様々なジャンルの情報をぎゅっと詰め込んだ、紙媒体の情報ツールである。
ここグランドールでは、3つの新聞社が発行しているようだ。
「へぇ……?
ついにアリスも、錬金術の本以外を読むようになったんだね。
でも、急に何で?」
「ほらー。
この前さ、ディデールさんがえっちな薬を悪用して、問題を起こしてくれたでしょ?
だから一応、そういう情報にも目を光らせておきたいなー……って」
「なるほど、それは良い考えだね。
この前の金貨チョコも、どうせ悪用されるだろうし」
「いやー。さすがにあれは、誰も騙せないでしょ。
金の取引って、普通は判別するための魔導具を使うから」
金というのは金属の中でも高額で、市場での流通量も多い。
そのため、金を判別するための魔導具はかなり普及しているのだ。
この魔導具の仕組みは単純で、内部に収められた金と、調べる対象の金属の波長を調べるだけ。
得られた2つの波長を測定して、全く同一なら金、違うなら金ではない……と判別される。
シンプルが故に、それなりに安価。
だからそこら辺のお店にも、結構普通に置かれていたりするのだ。
「……あのお客さん、何も考えてなさそうだったしね。
ほどほどなくらいで済んでいると良いかな」
「そうだねぇ……。
……あ、そうそう。その金貨チョコ、まだ余ってるけど食べる?」
「にゃ、あれはいらない……。
食べると、お腹が重くなるから。一体、何が入ってるの?」
「えへへ、企業秘密♪」
「……それなら、なおさらいらない。
ああ、そうだ。僕以外の猫に、食べさせちゃダメだからね?」
「ん、そうだね。それじゃ私が全部食べちゃおっかな」
誰かにあげる伝手も無いし、食べてもらって体調を悪くさせたら申し訳ない。
ここは大人しく、私が消費することにしておこう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
開店してからしばらく経つと、外の方でガタガタと物音がした。
ミミ君もいつも通り反応してくれたので、私はお客さんを迎える準備を始める。
5分ほどが経ったころ、扉がゆっくりと開かれた。
姿を現したのは、びしっとした制服に身を包んだ……護衛騎士、みたいな男性。
そしてその後ろには、ドレスを着た、若くて美しい女性が控えている。
……うわぁ、貴族の人だー。
「いらっしゃいませ、『錬金工房アリス』にようこそ!」
私はいつも通りの挨拶をしたが、いつもよりも緊張をしてしまった。
貴族と話すのは今回が初めてだから、それは無理もないことだろう。
男性が扉を閉めたところで、女性が私に話し掛けてきた。
「初めまして。
今日は相談があって来たのだけど、良いかしら」
「はい、もちろんです!
狭いところですが、こちらにどうぞ。
えぇっと、お連れの方は――」
「クライドは外で待っていてくれる?」
「かしこまりました」
女性の言葉に、男性はあっさりと出ていってしまった。
多分、扉の外で護衛をするんだろうけど……。
私はその様子を見てから、お茶の準備をして、粗相が無いようにお茶を出した。
「……あの。
お口に合わなければ、そのままで構いませんので……」
貴族というものが、日頃どんなものを飲んでいるかなんて分からない。
うちのお店で出すようなお茶は、きっと縁が無いことだろう。
「いえ、頂くわ。
……ところで、このお店はあなたが一人で?」
「はい!
黒猫のミミ君と一緒にやってます!」
「ふふふ、可愛いお店なのね。
――あら? このお茶……?」
女性はお茶を一口飲むと、カップを置いて、そのまま右手で机の上を軽く叩き始めた。
右手の人差し指と中指で、不規則に――
……あ、あれ?
何だか怒らせちゃった……?
私がそう思っていると、ミミ君が私の膝からぴょんっと下りて、お店の片隅まで行ってしまった。
女性は少し驚きながら、ミミ君のことを目で追い掛ける。
――……ん?
あれ? もしかして……?
「にゃぁ、にゃぁ」
ミミ君が隅の方で、くるくるまわりながら鳴き始めた。
「あの、すいません。
ちょっとお見せしたいものがあって」
「うん? 何かしら?」
突然の私の提案に、女性は興味を示した。
椅子から立ち上がって、少し急いで棚のところまで行く。
そして、以前作った謎のオブジェを両手で持ち上げる。
「これです、これ!
見ててくださいねっ」
私はミミ君のところまで歩いていき、ミミ君がちらっと見た先に謎のオブジェを向ける。
そしてそのまま、勢いよくオブジェのお腹を――……さするッ!!
「――……むにゃぁ」
突然、野太い男性の声がした。
それと同時に黒装束に身を包んだ男性が現れ、そのまま地面に崩れ落ちた。
……わー。これ、透明化の魔法……ってやつ?
初めて見たけど、眠ると本当に解除されるんだなぁ……。
私は、床に寝そべる黒装束の男性を避けて、改めて席に着いた。
一連の流れを見た女性は、顔をぱぁっと明るくさせて、私の手を両手で掴んでくる。
「すごい……凄いわ、あなた!
やっと、気付いてくれる人を見つけた……!」
「いえ、まさか古代暗号をお使いになるとは思いませんでした」
『古代暗号』とは、先ほど女性が机を叩いていたアレのこと。
叩く間隔によって、簡単なメッセージが送れる……という、古代文化に詳しい人が使える小技なのだ。
……正直、最初は全然気付けなかった。
ミミ君のいつもと違う行動で、私はどうにか気付けたけど……。
そして、女性が伝えてきたメッセージというのは――
『ミ・ラ・レ・テ・ル』
……という内容だった。
この流れであれば、『見ている人』は女性に対して好意的な存在ではない。
従って、私は以前作った謎のオブジェで眠らせてしまうことにしたのだ。
実際、この黒装束の男性は、私のお店にこっそり入って来たんだからね。
完全に不審者だから、こちらには眠らせてしまう大義も名分も絶対的にあるのだ。
「……外に出るときは、いつも監視が付けられていたの。
あなたが寝かせてくれたのよね? どれくらい寝ているのかしら」
「起こさなければ、1時間は余裕で寝てると思います。
もし心配なら、睡眠薬でも打っておきますか?」
「そうね、念のためお願い」
……あ、打つんだ。かしこまりー。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ぐぅ……。ぐぅ……」
黒装束の男性の寝息が聞こえる。
うるさいけど、お店の奥に入れるのも嫌だし……ここはひとまず、我慢することにしよう。
「お待たせしました。
それでは、今回のご用をお聞かせ頂けますか?」
……ようやく本題である。
長かった……。
「改めまして。
私はエルドネル伯爵家のキャスリーン。
これまでずっと、知識に明るい錬金術師を探していたの」
そう言うと、キャスリーンさんは寂しそうに笑った。
「さっきみたいな感じで、他の工房をまわっていらしたんですか?」
「ええ。家の者に、どうしても知られたくなかったから……」
「監視をされるくらいですもんね……。
それで、今回は何をお求めでしょう。もちろん、秘密は厳守しますので!」
当然のことながら、人の秘密を誰かに話すなんて、私はそんな愚かな真似は絶対にしない。
私を頼ってくれたお客さんを裏切ることは出来ないし、何より幸せになってもらえない。
『錬金術は、みんなの幸せの為にある』
私のモットーのひとつであり、根柢の価値観。
錬金術を悪用する人はさすがに対象外だけど、それ以外の人は、きっちりこれに含ませて頂くのだ。
そんな私を前に、キャスリーンさんはしばらく言い難そうにしていた。
そして、ようやく出てきた言葉は――
「……私を、殺す薬が欲しいの」
「え」
私は絶句してしまった。
一瞬、意味が理解できなかった。
そしてそのまま、キャスリーンさんは言葉を続けた。
「……ずっと昔、錬金術の書物で読んだことがあるの。
『自分の意識だけを殺す』……そんな薬の話。あなたは、その薬のことを知っている……?」
……私はミミ君の頭を撫でた。
ミミ君は身体から力を抜いて、だんまりを決め込んでいる――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……アリス、大丈夫?」
「いやぁ……。
……うん、大丈夫……」
お店を閉めたあと、私は力を落としていた。
キャスリーンさんのお話を、もっと深いところまで聞いてしまって――
……『自分の意識だけを殺す』という薬は、私も大昔の本で読んだことがある。
いわゆる『哲学ゾンビ』というやつで、作り方も確か書いてあったと思う。
『哲学ゾンビ』は、理解するのが少しややこしい。
ごく簡単に言えば、『意識を無くした人間』のことだ。
しかし、気絶をしていたり眠っていたりするわけではない。
周りから見れば、普通に活動しているのに、本人の意識は消滅している状態。
自分が自分であるという意識。
何かをやっているときに、何かをやっていると認識する意識。
……そういった『意識』というのは、本来、本人でしか分かり得ない。
何せ、他人の意識を、他の誰かが認識することなんて出来ないのだから……。
――今回の依頼は、『意識だけを殺す薬』。
つまり、『哲学ゾンビになる薬』……。
仮にこれを作ることが出来て、効果があったとしても、効いたかなんて誰にも分からない。
周りからしてみれば、自分が認識できない他人の意識が消えたことなんて、分かるはずもない。
本人からしてみれば、『意識が消えた』ことを判断をする『意識』自体が消えているのだから、分かるはずもない。
……もちろん、薬を作った人間にだって、効果があったかなんて、分かるはずもない。
「それで、どうするの?
一旦考えさせてもらうことにしたけど」
……正直、断りたかった。
しかし単純に断ったら、キャスリーンさんは絶対に幸せになれない……。
「うぅ、もうちょっと考えてみる……。
そんな薬に頼らなくても、絶対に良い方法があると思うから――」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――……夜が怖い。
母が死に、継母がやってきた日から、私の人生は狂ってしまった。
『父に色目を使う』という信じられない噂を流され、私は屋敷の中で孤立した。
私に好意的な使用人もいなくなり、全てが継母の息の掛かった人間になってしまった。
唯一頼りになるかもしれない父は、継母の言うがままになっていて、私と会ってくれることさえ無くなってしまった。
……深夜。
無駄に広い部屋で震えていると、いつも通り、部屋の扉がゆっくりと開かれた。
「キャスリーン?
きちんと部屋にいますね?」
……継母の声だ。
当然のように、愛用の馬鞭も持ってきている。
――ヒュッ!
パシィンッ!
鞭が空を切り、私の肌に強く当てられる。
継母は無言のまま、それを何度も何度も繰り返す。
ドレスで隠れる場所は痣になり、最近ではその範囲も徐々に広がってきた。
侍女たちは私の身体を見るけれど、全員が全員、継母の息が掛かっている。
高い給金が支払われているため、彼女たちからこの件が暴露されることは、まずあり得ない。
私は私で、誰かに助けを求めることすら諦めていた――
……でも、つらい。
私は消えて無くなりたかった。
しかし単純に死んでしまえば……貴族としての責任から、逃げることになってしまう。
私を可愛がってくれたお爺様の顔に、泥を塗ってしまうことになる……。
……だから私は、『私を殺す薬』が欲しかった。
この痛みから逃げられて、他の誰にも迷惑を掛けない薬が……。
私は痛みで呼吸が荒れる中、枕の下に隠していた薬を手に取った。
あの錬金術師には、このことを全て話してしまった。
……正直、家門の恥だ。
でも、あの子には包み隠さずに話せる何かがあった。
私をまっすぐな目で見て、心から心配してくれた。
……そんな彼女が、作ってくれた薬。
私は栓を開けて、継母の隙を突いて、煽るように一気に飲んでいった。
ああ、これで楽になれる――
――……ブチブチブチィッ!!!!
「……は?」
私は自分の身体に、強烈な違和感を覚えた。
それに続くように、継母の、呆けたような声が聞こえてくる。
身体がどんどん重くなる……。
しかし、どんどん力が漲ってくる……ッ!!
私は部屋の中の、姿見の鏡に目を移してみた。
月明かりに照らされた鏡は、うっすらと大きな何かを映している。
これは――……、私?
驚いて自分の手を見る。腕を見る。
すると信じられないことに、大男のそれのような筋肉が溢れていた。
細かった足も、首も、ウェストも、どれも大男のように、筋肉が大きく隆起している。
「キャ、キャスリーン……?」
継母の震える声が聞こえる。
彼女は尻餅をつき、私を地面からずっと見上げている。
窓から射す月明かりが、私の影を継母に向かって落としている。
継母の、何と小さなことか。
継母の、何と矮小なことか。
……私は急に、全てがくだらなく思えてきた。
私は継母の首を掴み、思い切り壁に投げつけた。
――ドスンッ
宙を舞った継母は壁に当たり、鈍い音を出して気絶した。
……凄い。
このはち切れんばかりの肉体。
圧倒的な安心感。安定感。
そういえば、どこかで聞いたことがある。
『筋肉は、全てを解決する』……と。
あの子はこの薬のことを、『問題をきっと解決してくれる薬』だと言っていた。
突然の効果に驚いてしまったが、この薬は確かに、私に『根拠のある自信』というものを教えてくれた。
……これは、死んでいる場合ではない。
私にはまだまだ、出来ることなんてたくさんある。
そう……。
この境遇だって、絶対に逆転させることが出来る――