3.えっちー!
錬金工房アリスでは、お客さんのいない間にお茶を楽しむことがある。
……お客さんなんていつもいないじゃん、というツッコミはスルーするとして。
そんなときのお茶請けは、大体は私が買ってくるお菓子なんだけど、今日は違う。
何と何と、この街でも有名なお店の、とってもとっても高級なお菓子なのだ……ッ!!
「ミミ君、ミミ君。
すっごく美味しいね♪」
「にゃんにゃん!」
チョコとクッキーの詰め合わせ……というベタな組み合わせだけど、そこらのものとは格が違う。
高級なだけではなく、皇家が来賓対応の際にも使っているお菓子なのだとか。
……その凄さは、普段はクールなミミ君が完全に猫語になってしまうほどだった。
「はぁ……。し・あ・わ・せ……」
「にゃ~……。
……それにしても、あのおじさん、上手くいったみたいで良かったね」
『あのおじさん』というのは、先日布団を買いにきたお客さんのことだ。
その後、睡眠をしっかり取れたらしく、10億ルーファの取引も上手くいったとのこと。
そしてそのお礼として、お客さんのお屋敷の使用人が、お菓子を持って来てくれた……というわけだ。
「残念なことと言えば、返品があったことかな」
私はクッキーをかじりながら、机の上の不思議なオブジェに目をやった。
両手で抱えるほどの大きさの、流線形が悩ましい不思議なオブジェ。
「まぁ、それは売り物としてはどうかと思うけど……」
「え? これが一番の自信作だったのにっ!?」
ちなみに今回、快適な睡眠をお届けするものとして、私が売ろうとしたのは以下の通りだ。
ひとつめが、お布団セット。
掛け布団と、ベッドマットと、枕の3点セットになっていて、優しい眠り心地を提供する。
これは衝撃の緩衝材として使うものを、良い感じでごにょごにょして作った逸品だ。
ふたつめが、『思い出の精油』という良い香りの液体。
昔の懐かしい記憶を引き出して、そのままリラックスしてもらう……という代物だ。
今回の件では、これがめちゃくちゃにハマったらしい。
そしてこの後に控えていたみっつめが、今、目の前にある謎のオブジェ。
これを抱きながらお腹の部分をさすると、特殊な音波が出て、当たった人を睡眠に引き込むのだ。
それでもダメならよっつめの、超強力な睡眠薬。
市販のものや普通の錬金術師では作れないくらいの強力なやつ!
ただ少なからず体調に反動がくるから、個人的にはお勧めしないかな。
――という感じだったんだけど、今回使わなかった後半の2つが返品……、という形になってしまった。
「全部売れたら500万ルーファだったのに、残念だったね。
結局、売り上げはいくらになったの?」
「……50万ルーファ」
「え? たったの?」
ミミ君の指摘はごもっともだ。
全部売れたら500万ルーファのところ、4つのうちの2つが売れて、それでたったの50万ルーファ……なのだから。
「睡眠薬が10万ルーファで……。
こっちのオブジェが、440万ルーファ……」
「え? この置物、そんなに高かったの……?」
ミミ君は、呆れた声を出してきた。
それを見て、私は悲しくなってしまう。
「いやいや、これは見た目に反して凄いものなんだよ!
私の持てる、最高の技術を注ぎ込んだんだから!!」
「えー……?」
「信じてないな!?」
私は謎のオブジェをミミ君に向けて、そのお腹をさすった。
「いやいや、そんなので眠るわけが……Zzz」
……勝った!!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――……うん、凄いことは分かったよ」
10分後、私に無理やり起こされたミミ君は、少し悔しそうにそう言った。
一方の私は、にっこにこのご機嫌である。
「まぁ売れなかったのは痛いけど、棚に飾っておけば、いつか誰かが買ってくれるかもしれないし。
しばらくお店に置いとこ~♪」
「でもそれ、440万ルーファで売ろうとしたんだよね?
作るのに結構お金が掛かったんじゃないの?」
「それを言っちゃぁダメですよ!」
「……まぁ、手持ちの素材から作ったんだろうけどさ。
貴重な素材を、無駄に使っちゃわないようにね」
「うぅ、痛いところを……。
でも最近、お客さんが2人も来たからね! これからはこの調子で、ガンガン稼いでいくよ!!」
「2人来たのは確かだけどさ、両方とも赤字じゃん……」
……ミミ君の冷静なツッコミが痛い。
実際どちらの取引も、売り上げの金額より素材の金額が大きかったのだ。
「まぁまぁ、取るべきところから取っていこ!
うん、それが良い、それが良い!!」
「はぁ……。
――あれ、お客さんかな?」
ミミ君が見つめる先、お店の扉で気配がした。
しばらくすると、扉が静かに開いていく。
「あの、こちら……錬金術のお店ですか?」
扉からは、青年と中年の間……30歳前後の男性が顔を覗かせた。
「はい、錬金工房アリスにようこそ!
さぁさぁ、お入りください!」
私は速攻でお茶菓子を隠し、その男性をテーブルに招いた。
男性はきょろきょろと不安そうに辺りを見まわしていたが、私の言うままに席に着く。
「えぇっと……作ってもらいたいものがありまして」
「錬金術で作れるものなら、何でも作りますよ!!」
……先日は布団なんてものも作ったからね。
ここはもう、何が来ても驚かないよ!!
「あのー……。ところで、あなたが店長さん?」
男性は言葉を選びながら、そう聞いてきた。
「はい、私一人でやってます!」
……世間的に見れば、私はまだまだ小娘だ。
だからそこを指して、不安になるお客さんもいるだろう。
今回はそのパターンかな……?
「んん~……。
あの、若いお嬢さんに言うのもアレなんですが……。
その、センシティブなご相談でして……」
「センシティブ?」
……『扱いが難しい』、みたいな意味だっけ?
まぁ人の悩みなんて大体そんなものだから、私は気にしないけど。
「あー、うー、えー……。
つまり、夜のお話でして……」
「夜のお話……?」
……また、寝るときの話?
「だから、そのー……。
男性と女性が、仲睦まじくなるような薬を……」
「ああ、えっちなくすりですね!!」
「ぶほっ!?」
ようやく気付いた私が男性に言うと、さすがに少し慌てられた。
「あ、ごめんなさい。
えぇっと、どうぞ続けてください」
「は、はぁ……。
えぇっと、もう少し具体的に言うと……。
飲み物に少し混ぜて、飲んだら、こう……乱れちゃう、みたいな……」
「なるほど、なるほど。
ああ、大丈夫です。私、そういうのには理解がありますから」
「え? あ、そうですか?
あはは、ちょっと言いづらくて……」
まぁ確かに、こんな話はしにくいだろう。
しかも相手が、自分より若い女の子じゃねぇ……。
そういう薬自体、私は作った経験があるから別に問題は無いんだけど――
……私はミミ君の頭を撫でた。
ミミ君は男性の顔を横目で見ながら――
「……みゃん」
「ん?」
不意に鳴いたミミ君に、男性は軽く反応をした。
今の今まで、全然鳴いたりしなかったからね。ミミ君は賢い猫なのだ。
「ああ、気にしないでください。
ミミ君、眠いのかな~?」
「そうですね、陽気も良いですからね~」
男性は窓の外を眺めて言った。
確かに今日は、とても良い日だ。
「では、そういう薬の作製ということで承知しました。
効果が強いのをお望みかと思いますが、おかしな使い方はしないでくださいね。
悪いことなんて、絶対に考えちゃダメですからね!」
「もちろんですよ! そこはご安心ください!」
男性は胸を張って、自信満々にそう答えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――……くっくっく。
ついに強力な媚薬を手に入れたぞ!!
10万ルーファなんて飛びぬけた金額だったが、オズワルドの旦那があんなにべた褒めしていた錬金術師なんだ。
そんな凄腕が作ったものなら、品質や効果はきっと確かなのだろう。
仮に思ったより効かなくても、相手はあんな小娘だ。
軽く脅せば返金くらい……いや、賠償金まで請求できるかもな。
……俺には、昔からの野望がある。
今はどうでもいい店で働いているが、俺はこんなところで終わる人間じゃねぇ。
俺がこんな環境に甘んじているのは、ひとえに運が無いからだ。
……まずは金だ。
金さえあれば、それを元手に、俺はいくらでも稼ぐことが出来る。
真面目に働いたところで、こんな世の中、ルールを作った人間にすべてを持っていかれちまう。
だから俺は、まずはその人間たちから食い破ってやる――
「――どうかなさいましたか? ディデールさん」
「あ、いえ! 何でもございません!」
俺は今、とある貴族の屋敷に来ている。
ここの奥様に取り入って、どうにかここまで信用を築き上げてきたのだ。
今日はとっておきの商品があると嘘をつき、人払いまでしてもらった。
ここで既成事実さえ作ってしまえば、あとは脅したい放題……金を払わせ放題……というわけだ。
「あらあら、まぁまぁ……。
素敵な宝石ねぇ……」
間抜けな奥様は、俺の持ってきた宝石に目を取られている。
よし、今のうちに、奥様のお茶にこの媚薬を――
きゅぽんっ
品の良い小瓶の蓋を開けると、軽妙な音がした。
その瞬間、とても良い匂いが鼻をくすぐってくる。
『悪いことなんて、絶対に考えちゃダメですからね!』
ふと、あの錬金術師の台詞が頭をよぎった。
……残念だったな。
こんな媚薬、おかしな使い方の他に、どう使えと言うんだ――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――……で?
お前、自分のしでかしたことが分かっているか?」
「……は?」
気がつくと、俺の目の前には不審げな目で睨んでくる男の姿が。
その後ろ、さらには俺の後ろには、警備兵の姿が何人も見える。
かくいう俺は、手には枷がはめられ、粗末な椅子に座らせられていた。
部屋は殺風景な場所で、いかにも取調室……といった雰囲気だ。
「『は?』じゃなくてだな……」
目の前の男は、あきれ果てたように振舞う。
……何だ、ここは。
何で今、こんなところにいる……?
俺は貴族の家にいて、奥様に媚薬を飲ませて……。
そして思惑通りに乱れた奥様と、俺は関係を持つことが出来た……はずだが?
あのときの息遣い、肌の感覚、全てを覚えている。
しかし何で、俺はこんなところに捕まっているんだ???
「ど、どういうことだ……?」
「それはこっちの台詞だ!
お前、ティモーゼ伯爵家で何をしたか、分かっているのか!?」
「何をって――
……そ、そうだ! 奥様に話を聞いてくれ! 俺は全然、怪しい者じゃないッ!!」
「その奥様の通報で、お前はここにいるんだッ!!
突然服を脱ぎ始め、気が狂ったように襲い掛かってきたと言っていたぞ!!」
「そ、そんな!?
俺たちは同意の上で――」
「んなわけあるかぁあああッ!!!!」
……男の怒号と共に、目の前の机が激しく強打される。
「ひぃっ!?」
豪快に吹き飛びそうな机を見て、俺の目は自然と涙であふれる。
な、何だ? この男は何を言っている?
俺の記憶とは全然違うぞ?
……どうなっているんだ?
まるで俺が、ずっと幻覚を見ていたみたいじゃないか――