2.困ったちゃん……
「布団、売ってる?」
「は、はぁ?」
……ここは『錬金工房アリス』。
もう一度、言おう。
『錬金工房アリス』、である。
「いやぁ。私、布団を探しててね!」
なおも言葉を続けるのは、突然やって来た中年の男性。
身なりはとても良く、服の質もかなり良い。
恰幅も良く、お腹のボリュームも充分だ。
ヒゲもお金持ちっぽく整えていて、髪の毛もまぁまぁ健在。
ただ悲しいことに、私の反応をちゃんと見てくれない。聞いてくれない。
ここは錬金術のお店であって、布団のお店じゃないんですけどぉ――
「……すいません。
お布団のことでしたら、寝具のお店に行った方がよろしいかと……」
私は言葉を選んで、何とか声を絞り出した。
「そうなんだけどねぇ。
でも、この街の寝具店は全部まわっちゃってさ!」
「はぁ……」
「気に入ったものがどうしても見つからなくて。
だから少しでも取り扱っていそうな個人店を、いろいろと見てまわってるんだ!」
「あの、一応ですが……。
うち、錬金術のお店ですよ……?」
「え、本当にそうだったの!?」
「本当に、って何ですか!?」
予想外の回答……。
このお店、入り口のところにお洒落な看板をつけているのに……。
そこにはしっかり、『錬金工房』って書いてあるのに……。
「いやぁ。この建物、煙突がひとつしかなかったからさ!」
「え? まぁ、そうですが……」
煙突というものは暖炉や台所のあるところに作るものだが、錬金術の工房は、それとは別に煙突を作る場合が多い。
しかしうちの工房は、設備がすべて特別な技術で作られている。
そのため、個別の煙突は要らない設計なのだ。
「ほら、錬金術の工房って煙突があって、そこから変なにおいが出てるイメージがあるじゃない?
実は錬金術っていうのはダミーで、寝具店じゃないのかなーって、一縷の望みに賭けて来たんだよ!」
「逆張りが過ぎるッ!!」
私はついつい、思いっきりツッコんでしまった。
どこをどう考えれば、寝具店に勘違いをしてしまうのか。
「ははは、お嬢ちゃんは面白い子だね!
何かの縁だし、やっぱり布団、作ってくれない?」
「うち、錬金工房ですってばぁ……」
私はそろそろ、泣き出しそうになってしまう。
以前所属していた錬金術師ギルドでは、作ったものを一括で買い取ってくれていた。
だからお客さんとは直接の接点が無く、その点はデメリットだと思っていたんだけど――
……しかし、こういう困ったお客さんとも接点を持たなくて良い。
そんなメリットがあったことに、今さら気付いてしまった……。
「ああ、ごめんごめん。それじゃ、相談で良いから乗ってくれないかな。
別にどうしても布団じゃなきゃダメ、ってことでもないから!」
「はぁ……。
でもその相談、錬金術で解決できます……?」
「いやぁ、むしろ錬金術だと思うよ!!」
男性は顔を明るく輝かせて、私に椅子に座るように促した。
椅子を少し引き、自然な流れで私をエスコートする。
……って、違う!
ここ、私のお店だから!! 何でそんなに我が物顔なの!?
ホームなのに、アウェイ感。
そんな中、ミミ君が私の膝にぴょこんと乗ってきてくれる。
……よし、これで2対1だ!
何を言われても負けないぞーっ!!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……実は私ね、夜によく眠れないんだよ」
男性は困ったように笑い、打ち明けてきた。
寝たい時間に眠れないというのは、とてもつらいことだ。
……それは分かるが、そこから30分もこんこんと語るのは止めて欲しかった。
「――……そ、それで……。
よく眠れるお布団を探しに?」
「そうなんだよ!
でもいくら高い布団を買っても、ベッドを買っても、枕を買っても……。
結局は目が冴えちゃって、全然眠れないんだ……」
はぁ、と深いため息を衝きつつ、男性は項垂れた。
「うーん。睡眠薬なら作れますけど……」
「それは一つの解決方法なんだけどね!
ただ、最近は効きが悪くなっているんだ……」
……というと、それなりに服用は続けているのか。
眠れなくて薬に頼って、しかしその薬も頼りにならなくなってきて……という悪循環。
「確かに、薬も飲みすぎると毒ですからね……。
だから、寝具に気が向くのは分かりますが……」
「でしょう!?
……でも、やっぱり薬で何とかするしかないかなぁ?
実は3日後に、大きな取引を控えているんだ。
私がずっと仕込んできた、10億ルーファの取引があって……」
「10億ルーファ……」
……言うまでもなく、大金である。
「だからばっちり睡眠を取って、万全の体調で臨みたかったんだよ……」
……これは切実すぎる。
いろいろ試しても全部ダメで、何とかしようと足掻いて、こんな期待薄の錬金工房まで来てしまった、と……。
「あの、もしかして……。
さっきからやたらハイテンションなのって、寝不足のせいですか?」
「やっぱりそう見える!?
……自分では何とも出来なくてねぇ!」
男性は照れくさそうに笑った。
そういう事情があるのであれば、最初に泣かされそうになったことも、大目に見てあげよう。
……私はミミ君の頭を撫でた。
ミミ君は男性の顔をじっと見上げながら、だんまりを決め込んでいる。
「――分かりました。
何が出来るかは分かりませんが、私が何とかしましょう!!」
「え? 布団、作ってくれるの!?」
……ぐぬぬ。
薬じゃなくて布団が先にくる辺り、本当に来るお店を間違えてないかな……?
「ま、まぁ何とかします!
とりあえず健康的に眠れれば、基本的には何でも良いんですよね?」
「うん、大丈夫!
いざとなれば、薬でも大丈夫だから」
「分かりました、ちょっと検討するので――
……えぇっと、大きな取引っていうのが3日後だから……。
明後日のお渡しでも大丈夫ですか?」
何を作るのかは決めていないが、中一日あれば何とかなるだろう。
「そうだね、それがぎりぎりかな」
「ちなみに、ご予算はいくらくらいですか?」
「500万ルーファまでなら大丈夫だよ!」
「ごひゃ……」
……言うまでもなく、大金である。
「あはは、もちろん値段だけ上げられても困るけどね!
正規の値段で500万ルーファまで。それで眠れるようになるなら、元は十分取れるからさ?」
男性はこともなげに言い切った。
……いやぁ、金銭感覚が違う世界って、あるものだなぁ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
閉店後、私はミミ君にねこじゃらしを振りながら休憩を取っていた。
仕事と勉強の合間のスキンシップ。
癒される、癒されるぅ~。
「……それで、作るものは決まったの?」
ミミ君は右の前足をぴょこぴょこ繰り出しながら、聞いてきた。
「候補はいくつか考えたんだけどね。
できるだけいっぱい、作ってあげようかなー……って」
何せ効果があるなら、作った分だけ買ってくれるのだ。
お店を初めてから今までの売り上げは、何とも悲しい500ルーファ。
しかしここから、一気に1万倍に飛躍する可能性もあるのだ……!!
「思い当たるものって、そんなにある?
強力な睡眠薬くらいが関の山だと思ったけど……」
「ふふふ。
作るものならたくさんあるじゃないですか。
……お布団とか!!」
「プライドとか無いの?」
「いやいや!!」
私なりに、プランはある!! (もちろん、プライドもある)
それは自信を持って言えるんだけど――
……とりあえず私は、ミミ君の誤解を解くところから始めるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「――旦那様、寝室の用意が出来ました」
私は執事の言葉に、我に返った。
どうやら仕事に集中してしまっていたようだ。
……いや、仕事に集中して、不安から逃げようとしていたのか。
「ああ、分かった!」
……返事をしてから、私は頭を抱える。
誰かに話し掛けられれば、おかしな勢いで返事をしてしまう。
プライベートの時間ならまだしも、仕事の場でこれはいけない……。
……今日の夜が過ぎれば、当然のことながら明日の朝になる。
明日には、私の今までの仕事の集大成となる――……いや、なるべき取引が待っている。
取引額は10億ルーファと、決して大きい額では無い。
しかし私が今まで、心血を注いできた目標……。
不肖、このオズワルド、この取引だけは失敗するわけにはいかない。
そしてこの取引は、その前の交渉がとても大切になる。
間違っても、今のこんな調子では勝ち取れるはずがない。
相手は百戦錬磨の手練れだ。
些細な隙でも、容赦なく突いてくる。
せめて体調くらいは万全に整えなければ――
……しかしもう、なるようにしかならないか。
ここまでずっと、頑張ってきたんだ。
それなら明日も、きっと何とかなる……。
「……さて。
あのお嬢ちゃんは、頑張ってくれたかな」
私は寝室に移動した。
ベッドには、いつもと違う掛け布団が用意されている。
「うん……?
ははは、結局布団を作ってくれたのか」
私は掛け布団に手を伸ばし、軽くめくってみた。
「ほう」
ぷるんっとした、もちもちっとした、不思議な感触。
掛け布団を覆うカバーを少しだけ外してみると、真っ白で不思議な素材が中に詰まっていた。
今まで目にしたことが無いが、これは普通にはお目に掛かれない代物だろう。
なるほど、確かにこれは、錬金術の領分だ。
「マットの方もすごいな……。おお、枕もか……」
私は楽しい気持ちになって、そのままするっと寝床に潜り込んだ。
……気持ちが良い。
身体は完全に優しい力に包まれて、これまでにない安らぎを与えてくれる。
しかし、身体はゆっくり休めそうだが、やはり眠りには入れそうにない。
……いや、身体がゆっくり休めるだけでも儲けものか……。
私は一旦身体を起こすと、ベッドサイドの小さなテーブルに目がいった。
そこには小さな瓶が置かれていて、説明が簡単に書かれた紙も置かれている。
どうやらこれは、気持ちをリラックスさせるようなものらしい。
「アロマオイルか……?
私はあまり、使わないんだが――」
瓶を開けて、香りを嗅ぐ。
「……これは?」
一瞬の間を空けたあと、懐かしい香りが漂ってきた。
……懐かしい。
この香りを、どうやって再現したのだろう?
目を閉じると、懐かしい光景が浮かび上がってくる。
私の若い頃。仕事に楽しさを覚えてきた頃。
使命というものを感じた頃。そして、君に会った頃――
……私は瓶の横の、写真立てに目を移した。
そこには昔と変わらぬ、妻の笑顔が私に向けられている。
『がんばって!』
そんな声が、聞こえた気がする。
「……ああ、もうひと頑張りだよ。
二人の夢も、もう少しだ――」
……私の意識は、すぅっと、自然に落ちていった。