16.特許
「――……これ、凄く良いものだと思います……っ!」
先日知り合った裁縫士のクレアさんが、語気を強めて私に言った。
魔法使いのダグラスさんから、せっかく裁縫士のクレアさんを紹介してもらえたのだから――
……ということで、手始めに私から依頼を出していたのだ。
「わぁ、さすが本職! 上手く縫えてますね!」
受け取った紙袋から取り出したのは、黒いストッキング。
……いわゆる、脚に履く薄手の長い靴下である。
手触りは良好。
元となった生地は、私が錬金術で作ったものだ。
自分で裁縫するにしては扱いにくい代物だったので、今回はクレアさんにお願いしたんだけど――
……まるで普通の生地で作られたかのように、歪なところはどこにも無かった。
「サンプルでもらった分は、もう一足にして試しで使っているのですが……」
そう言いながら、クレアさんは自分の脚を軽く摩って見せた。
余分な生地はほとんど渡せなかったのに、まさかもう一足まで作っているとは……。
「ふむふむ……。
それじゃ、魔力を通してみますか」
「はい……。どきどき……」
この生地は魔力を通すことで、かなり丈夫なものになる。
つまりどこかに引っ掛けて破れてしまうことや、伝線してダメになるといったことが、かなり減るはずなのだ。
私は魔法使いではないが、簡単な魔法なら使うことが出来る。
手に魔力を集めて、手にした布にそれを伝えていくと――
……見た目は特に、変化は無かった。
引っ張ってみればよく伸びるし、肌触りも引き続き良好。
薄く伸びた布も、美しさを維持している。
「――それじゃ、クレアさん。
そこのハサミでばっさりと、やっちゃってもらえますか?」
「ふぇっ!?
せっかく作ったのに、ですか……?」
「切れなかったら合格です!」
「ひぃ……」
戸惑うクレアさんにハサミを持たせて、その刃をストッキングに当ててもらう。
緊張しているせいか、クレアさんの手はぷるぷると震えているようだ。
「ささ、ズバッと!」
「き……、切れたらすいませんんん……っ!」
30秒ほど葛藤してから、クレアさんはハサミに力を込めた。
しかし当のストッキングは、刃と刃の間を上手いこと曲がり、少しも切れることは無かった。
「……おお!
縫い目のところもノーダメージですね! 成功ですよーっ!!」
「や、やったぁ……。やりました……っ!」
生地が切れないことは確認済みだったけど、それはあくまでも加工前の話。
『裁縫』という加工を経由してしまうと、生地の良さや強みが失われてしまうことがあるのだ。
……つまり、クレアさんは錬金術で作った生地を、上手く扱うことが出来る。
これなら裁縫関係で用事が出来たとき、クレアさんにまるっと任せてしまえる……というわけだ。
「はい、ありがとうございました!
折角だし、これは私が使うことにしようかな」
「それが良いと思います……!
……ちなみに、その。これからは……他の裁縫士さんに、お願いする感じ……ですか?」
「え? これからって?」
クレアさんの言葉に、私はそのまま聞き返してしまう。
「いえ、このストッキング……。
……これからたくさん、作りますよね?」
「うぅん? そんな予定は無いですけど……」
「えぇ……?
ぜ、絶対に売れますよ、これ……。つ、作らないんですか……?」
クレアさんの静かな勢いに、私は軽く圧されてしまう。
「売れますかね……?
確かに丈夫で便利ですけど、それなりの値段はしますし……」
……ざっと見積もれば、1足あたりは5万ルーファくらいになってしまう。
一般的なものが8000ルーファだと考えると、その差分は受け入れられるものだろうか……。
「絶対……、絶対に売れます……!
刃が通らないってことは、それだけ身を守ることに優れていますし……。
……もう少し厚手にすれば、強度はもっと上がりますよね……?」
布が厚くなれば、確かにその分、魔力を含ませることが出来る。
魔力が必要……だとは言っても、肌に密着させていれば、身体から自然に出ている量でも十分に足りるくらいだし。
だから魔法を使わない人でも、基本的にはその恩恵を受けることが出来るんだけど――
「うぅーん……。
それじゃ、たまにお願いさせて頂きますね」
「手ぬるいですッ!!」
「えっ」
「これならきっと、貴族筋にも需要があります……っ!
それに丈夫さ次第では、冒険者の方々にも需要が見込めます……!
大量生産をすれば、一般の消費者にもいけると思います……!」
「そ、そんなに……!?」
「はいっ!
それに布の薄さを調整すれば、1人で何枚も買ってもらえますし……っ!」
「むぅ……。
でもさすがに、私たちだけじゃ大量生産は無理ですよ……」
……仮に上手くいったとしても、時間的に、私は生地専門の錬金術師になってしまう。
それは私の本懐では無いし、儲けることが出来たとしても……選択し辛い方針だ。
「はい。それは現実的に、難しいと思います……。
ですのでアリスさん、……特許を、取りませんか?」
「……特許?」
クレアさんは興奮のあまり、私の顔にかなり近付いてきていた。
それこそ彼女の顔が、私の目の前に……くらいの距離だ。
「――……こんにちは?」
「ひゃぁっ!?」
「ふぇっ!?」
突然横から聞こえた挨拶に、私とクレアさんは驚いてしまった。
どれくらい驚いたかと言えば、二歩三歩、思わず後ずさったほど。
声の主を見てみれば、そこには私のお友達、錬金術師のシャロちゃんが呆れたように立っていた。
……何故か、ジト目で。
「シャロちゃん!」
「立て込んでいるところで、ごめんね?
ちょっと遊びに来たんだけど――」
「そそそ、それでは私はこの辺でッ!
アリスさん、また今度、お話をしましょう……ッ!」
「えっ、ちょっと待って――」
……私の言葉が終わらない内に、クレアさんはお店から飛び出していってしまった。
私も呆然としてしまったが、シャロちゃんも同じように呆然としている。
「えぇっと……。
タイミング、悪かった……?」
「いやー、そんなことは無いと思うんだけど……」
私とシャロちゃんは疑問符を浮かべながら、微妙な空気を一緒に味わってしまっていた……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――……特許?」
「そうそう。シャロちゃん、詳しい?」
2人でお茶を飲みながら、シャロちゃん持参のお菓子に手を伸ばす。
話は自然と、クレアさんから出たものになっていた。
「まぁ、分かるけど……。
でも、アリスにとっては難しいところがあるよ?」
「え? それって、何で?」
「錬金術の特許って、基本的には錬金術ギルドで扱うから……。
最低条件として、ギルドに所属していないといけないのよ」
「がーんっ」
……私は以前のトラウマから、錬金術師ギルドには未だに所属していない。
今までは何の問題も無かったというのに、まさかここに来て……という感じだ。
「特許は国での管理だけど、実務的なやり取りは錬金術師ギルドだからね……。
まぁ、法律だからこれは仕方が無いよ」
「ぐぬぬ……」
「ちなみに特許を使う側も、錬金術師ギルドに登録していなきゃいけないからね。
レシピを教えてもらう代わりに、使用料を払う……って感じで」
「なるほど……」
「……だからさ、アリスもそろそろ錬金術師ギルドに登録してみない?
そりゃ確かに、一括買い上げのルールとかに縛られるけど……でも、色々とやりやすいとは思うよ?」
「うぅーん……。でもなぁ……」
……正直、好き勝手にやれる今が楽しい。
錬金術師ギルドの序列で上位に入れば、今みたいには出来るようになると思うけど――
……でもそこに辿り着くまで、変な縛りが出来るのは嫌なんだよなぁ……。
ちなみにシャロちゃんは、私を勧誘する気満々でいる。
いや、でも、それでも……なぁ……。
「――やっぱり、嫌?」
「うーんむむ……。
他に、何とかやる方法って……無い?」
私の答えに、シャロちゃんはがっかりしてしまう。
「うーん……。
一応、他の手段もあるにはあるけど……」
「え、本当!?
それってどうやるの!?」
私の言葉に、シャロちゃんは拗ねたように目を逸らす。
「どうしよっかなー……。
教えないでおこっかなー……」
「何でっ!?」
「……ところでさ、さっきの子って……。
アリスと、仲良いの?」
「クレアさんのこと?
会うのは今日が、3回目だったよ」
「回数は……まぁ、私だってまだ5回目くらいだし?」
……うぅーん?
まぁ、そうなんだけど……。
「ひとまずは仕事上のお付き合いだけど、仲良くしたいとは思ってるよー」
「むぅ……。
そ、それじゃ私は? 私、アリスのお手伝い、出来ない?」
……むむむ?
でも、シャロちゃんは私と同じ錬金術師だからなぁ……。
私は難易度やリスクが高かろうが、全部自分で作っちゃいたい方だし……。
「今のところ、無い……かなぁ?」
「ッ!!
……それじゃ、教えてあげないッ」
「えぇー……?」
「ぷいっ!」
……何故か、本格的に拗ねてしまった。
その後、何とかあやすこと10数分……。
「もー、いじわるしないでよーっ。
仕事とか無くても、シャロちゃんは私の一番のお友達なんだからー」
「ッ!」
……おや。
何だか耳が動いたぞ。
よし、攻めるならここだッ!!
「ねーねー。
私の親友の、シャロちゃーん」
「ッ!!
……し、仕方ないわねっ!」
「やったー、教えて、教えて♪」
「そ、その代わり、条件があるわ!」
「え……。
む、難しくないことなら良いけど……」
「あーちゃん!」
「……へ?」
「私、これからアリスのこと、『あーちゃん』って呼ぶわ!!」
「な、何で急に……?
いや、私も『シャロちゃん』って呼んでるから、別に良いけど……」
「それで、他の人には絶対に『あーちゃん』って呼ばせちゃダメだからね!」
ぐわっ……とぶつかってくるような気迫。
可愛く聞こえるお願いと、実際に感じる気迫が釣り合っていない気がするけど……。
別にそれくらいなら、問題は無いよね。
……無いよね、問題?
「お、おっけー……」
私の返事を聞くと、シャロちゃんの顔はぱぁっと明るくなった。
よし、何の問題も無し……だ! 多分。
「えへへ。
それじゃあーちゃん! 教えてあげるね!」
……子供の頃に戻ったようで、何だかこそばゆい。
実際、こんな呼ばれ方をされた記憶は無いんだけど。
「うん、よろしく!」
「えっとね、ちょっと伝手が必要なんだよね。
貴族と契約して、事業化してもらうの」
「貴族……に、事業化……?」
「そうそう。そういう貴族の特権があるんだよ。
本当なら、錬金術の特許は『錬金術師ギルドに登録された錬金術師』がしなきゃいけないんだけどね。
でも例外があって、『貴族』とか『貴族の承認を受けた人』も、錬金術の特許を出すことが出来るの」
「ふむ……」
「もちろん貴族だって、自分の名前を出すわけだから、利益が無ければやってくれないよね。
だから錬金術師はお金になる知識を出して、貴族は知識をお金を変えていく……っていう分担かな。
確実に稼げるなら、どの貴族も乗ってくると思うんだけど――」
「……でも、伝手が必要だよね……」
「そうそう。
あーちゃん、貴族の知り合いはいないの?」
「うーん……」
今まで、貴族の知り合いはいなかったからなぁ……。
ああ、いや。お客さんに1人だけいたか。
でも、会ってくれるかなぁ。
……でも、ダメ元で1回行ってみようかなぁ……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――とある、穏やかな午後。
来客の対応をしたあと、私専属のメイド……メイがやって来た。
「キャスリーンお嬢様、何かお飲みになりますか?」
長話をしてしまったせいで、新しい一杯は不要だった。
夕食は家族と一緒にとる予定だから、それまではきちんと控えておこう。
「いいえ、結構よ。
ところでメイ。あなたもアリスさんと、久し振りだったでしょう?」
メイも『錬金工房アリス』で、不思議なメイド服を作ってもらっていた。
つまり私たちは2人とも、あのお店にはとても世話になっているのだ。
「あはは……。
エルドネル伯爵家に仕えているとは言ってませんでしたので、凄い驚かれました……。
……それで、アリスさんは何の用事で来たんですか?」
「事業の提案だったわ」
「へーっ。
もしかして、そのストッキングです?」
メイの視線の先、来客用のテーブルの上にはストッキングが一足と、20枚程度の紙の資料が置かれていた。
「ええ、個人的には素敵なお話だと思うわ。
……ねぇ、メイ。かなり丈夫なものらしいんだけど、しばらく使ってみてくれる?」
「えぇーっ!?
こう見えても私、3日に1回くらい、暗殺者と戦ってるんですよ!?」
「だからこそ、よ」
「はぁ……。
すぐに破けちゃっても、知りませんからね……」
……『丈夫』がセールスポイントなのであれば、『どのくらい丈夫か』を知っておく必要がある。
資料では見させてもらったが、実際にはどうなのか。
とても世話になった錬金術師……だとは言っても、事業化する以上、しっかり見定めなければいけない。
「――その辺りも含めて、もう信用してしまっているのだけど」
エルドネル伯爵家の資産とは別に、私独自の資金源を持つことには大きな意味がある。
仮にメイが使っても問題ほど『丈夫』なのであれば、それこそ販路は無数にあるだろう。
……試用後の、数日後が本当に楽しみだ。
私に新しい道を示してくれた錬金術師さん。
今後もずっと、より良い関係を築いていきたいから――




