1.初めてのお客さん
「――……アリスさん。
貴女の販売免許を、今日から失効いたします!」
「え、ええぇっ!?
な、何でですかーっ!!?」
突然の通告に、私の悲痛な声が辺りに響いた。
――今いる場所は、私が育った小さな街の、錬金術師ギルドの受付の前。
半年前に販売免許を取得して以来、毎日仕事に明け暮れていたというのに……何ともむごい、この仕打ちッ!!
「以前にも言いましたよね!
他の錬金術師と、足並みを合わせてください……って!」
「あ、合わせましたよ!?
だから1日あたりの、作る量を制限してたじゃないですかっ!?」
「それでも普通の5割増し……だったのは黙認しましょう。
しかし品質! 品質をきちんと下げて頂かないと、困るんです!!」
私を責め立てる受付嬢。
クールビューティな彼女からは、誠実ながらも圧倒する雰囲気が噴き出し続ける。
……私はどうにも、周りから見ると頑張りすぎていたらしい。
その結果、問題となっていたのは……高品質な商品による、価格破壊。
しかし、だからといって、わざと品質を下げるだなんて私のプライドが許さない。
「そ、それだけは出来ません!」
「はい、そうですよね! この半年で、それはよーっく分かりました!
ですので、貴女の販売免許を失効いたします!!」
「そ、そんなぁ――――――――」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――――カクン。
「むにゃ……?」
不意の身体の揺れに驚き、私は目を覚ました。
……どうやら眠っていたらしい。
ここは私の、小さな部屋。
理路整然と諸々が合理的に配置された、自慢のプライベートルームだ。
私はゆりかご状の椅子に座っていて、膝の上には分厚い学術書が乗っている。
昨晩は本を読みながら、そのまま眠ってしまったようだ。
「やぁ、アリス。おはよう」
明るく挨拶をしてきたのは、机の上からこちらを見つめる可愛い黒猫。
私の相方、ミミ君だ。
「ん~、おはよー。
寝落ちしたせいか、嫌な夢を見ちゃったよ~」
本をテーブルに置いて、掛かっていた毛布も脇に置く。
自分で掛けた覚えはないから、いつも通りミミ君が掛けてくれたのだろう。
「また、前の街での夢かい?
もう引っ越したっていうのに、アリスはまだ引きずっているんだね」
「私にとっては、凄くショックな出来事だったんだよ~。
慰めて? 慰めて~?」
「あー、はいはい。よしよし」
私がミミ君に頭を出すと、ミミ君はぽんぽんと私の頭を撫でてくれた。
悲しいとき、つらいときには、何よりこれが効くのだ。
「わーい、ありがと!
よし、今日も元気に頑張るぞーっ!!
……えぇっと、ああ、もう朝の5時か!」
窓の外から見える外は暗い。
しかしもうすぐ、人の営みが始まってしまう。
「たまには、ゆっくりしてみれば?
毎日、3時間しか寝てないよね」
「3時間も寝れば十分だよー。
……よし、調合の準備をしてくるっ!」
「はぁ……、頑張ってね」
私は2階の自分の部屋を出て、地下の工房に急いで向かっていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――よし、10時! 開店だーっ!!」
「アリス、身だしなみチェック!」
私が意気込んでいると、ミミ君のナイスフォローが入った。
そう。今の私は、一人きりとは言え錬金術の工房の長。
且つ、併設しているお店の店長なのだ。
この街ではまだまだ新参者だけど、お客さんを迎える以上、そこに一分の隙もあってはいけない。
私はお店に置いている、姿見の鏡に自分を映した。
ひときわ目を引く、桃色の長髪。
童顔ながらに少し大人び始めたナイスな笑顔。
白を基調とした、清潔感と可愛さを併せ持つ特注の制服。(兼、私服)
あとはついでに、並よりもちょっといい感じのプロポーション。
「――ミミ君、完璧です!
髪のセットも着崩れも、問題ナッシング!」
「おっけー。それじゃ、鍵を開けよう」
「はい、承知っ!!
『錬金工房アリス』、開店でーすっ!!!!」
私が勢いよく、お店の扉を開けると――
……うん。
いつも通り、誰もいない。
「誰も、いないね」
ミミ君が、痛いところを改めてツッコんでくる。
私のお店は、少し広めの、一人暮らしの部屋くらいの大きさだ。
大きな木の棚には見本の商品や素材を陳列していて、残りはお客さんと話すスペースと、多少の空きスペースを確保している。
ぱっと見では、ぎゅっと狭く感じでしまう……そんな印象か。
「ほ、ほら……。
このお店、あんまり宣伝してないし?」
「アリスは極端なんだよ。
この街での展開、ちょっと消極的すぎない?」
……そう。
私は前の街で、他の錬金術師たちよりも頑張りすぎてしまった。
そこで変に目をつけられて、結局は上手くいかなくて……。
だからこの新しい街、グランドールでは様子を見ながら過ごしていたんだけど――
「……いやいや。
ほら? 立地がね、人通りの少ないところだからね?」
「大通りから少し入っただけだから、そこまで少なくはないよね?」
「ぐぬぬ……」
……ご指摘、ごもっとも。
でも、商品をたくさん作っても文句を言われたし、品質が高すぎるって文句も言われたし……。
だからいろいろな需要が見込める、この大陸で一番大きな街に引っ越してきたんだけど……。
でも、どうにも二の足を踏んでしまっていて……。
……これって多分、トラウマってやつなんだろうなぁ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ミミ君、もう17時だよ」
「お客さん、今日も来なかったねぇ」
いつも通り、お客さんはゼロ。
結局、今日も本を読んで勉強したり、筋トレをしたりで終わってしまう――
「す、すいません!!」
閉めていた扉が勢いよく開かれ、可愛い男の子が突然お店に入ってきた。
正直、単純に驚いた……。
「はい、いらっしゃいませ。
……あの、ここは錬金術のお店なんだけど……大丈夫?」
――どこか他のお店と、間違えてない?
錬金術のお店には普通、子供のお小遣いで買えるようなものは置いていない。
基本的に、客層は大人をターゲットにしているのだ。
それに、この男の子は服がボロボロだ。
さらに相当、息を切らせてしまっているし……一体、何事?
「えっと、その……。
熱を下げる薬が欲しいんです。ママが凄い熱を出してて……」
「そうなんだ? んー……、それは心配だね。
でもここで買うと、普通のお薬より高くなっちゃうよ?」
普通の風邪なら、市場に出回っている薬草を煎じて飲むのが一般的だ。
即効性を求めたり、同時に体力を回復させたいなどの事情があれば、錬金術のお店を頼ることもあるけど……その分、薬は高価になってしまう。
「あの、お金が500ルーファしか無くて……。
でもその分、材料になるものを教えてもらって、外で採ってきたんです。
だから、これでお願いできませんか……?」
男の子は申し訳なさそうに、土で汚れた布袋から、これまた土で汚れた草を出してきた。
確かに素材を持ち込むのなら、手間賃だけで対応してくれるお店もあるにはある。
しかしどちらかといえば、素材よりも手間賃の方が高い場合も多いわけで……。
でも、まぁ……ね。
……私はミミ君の頭を撫でた。
ミミ君は何の興味も無さそうに、だんまりを決め込んでいる。
「――大変だったね。
それじゃ、お母さんがどんな様子か、詳しく教えてくれる?」
「え……。薬、作ってもらえるんですか……?
……ありがとうございますっ!!」
男の子は顔をくしゃっと歪ませると、安心して泣いてしまった。
こんな顔を見せられてしまったら……、私はもう、全力で応えるしかないんだよ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……はい、お薬。
代金は500ルーファ、だね」
私は薬瓶を、男の子に渡しながら言った。
「え? そ、それだけで良いんですか……?
あの、待ってもらえるなら、もっと……」
ちなみに500ルーファというのは、昼ごはんを外食で済ませるくらいの金額だ。
本来であれば手間賃はこの10倍は掛かるけど、今回はまぁ、特別大サービスということで。
「ううん、大丈夫だから。
ほらほら。早く帰って、お母さんにお薬を飲ませてあげないと!」
「わわっ、あの、ちょっと――」
お母さんのことが心配なはずなのに、私に対する申し訳なさを見せてくる男の子。
きっと真面目で、すごく良い子なんだろうな。
私はそんな男の子の背中をどんどん押して、お店の外へと追い出していく。
「……じゃぁね♪」
私はお店の中から追い出すと、男の子に向かって手をひらひらと振った。
それを見て、男の子はもう一度、顔にしわを寄せる。
「あ、ありがとうございますっ!
また、お礼にきますから――」
「ううん、要らないよ。
代金はちゃんと、もらったからね」
――私はそう言うと、すぐに扉を閉めてしまった。
そうしないと、いつまでも男の子が帰りそうになかったから……。
「アリス、お疲れ様。
ちょっと格好、つけすぎじゃなかった?」
「えー? 何のことかなぁ?」
ミミ君のツッコミに、私はびくっとしてしまう。
「……あの子の持ってきた草、ただの草……だったでしょ?」
うぐ……、鋭い。
ミミ君は、錬金術の知識をある程度持ってしまっている。
だから多少のおかしいことは、簡単に気付いてしまうのだ。
「ま、まぁそうだけど……。
ほら、別に高い素材も必要なかったし?」
「そうかなぁ……。
症状を聞いた限り、厄介な病気のようだったけど?
熱の他にも、湿疹と喘息の症状もあったんだよね?」
……むぐぐ。
人が達成感に包まれているところに、余計な詮索を……。
「くぅ……。
そんなことを言うミミ君には、夕食はさっきの草ですっ!!」
「え……?
いや、さすがにただの草は勘弁――」
「ダメ! 黙って食べなさいっ!!」
「そ、そんにゃーっ!!?」
――……と、これが私のお店の、初めてのお客さんのお話だったりする。
そう。
開店してから3か月、あの男の子が、初めてのお客さんだったんだよ……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――ボロボロの集合住宅の、薄暗い部屋。
この街は凄く大きな街だけど、貧乏な人だってたくさんいる。
僕も、そんな中の一人だ。
毎日のご飯も苦労するけど、それでも何とかやっていけるのは、身体が元気だから。
だからその分、体調を悪くしているママのことは、とても不安になってしまうんだ。
「……セシルかい? こんな暗くまで、どこに行ってたんだい……」
歪んだランプに、小さな灯がついている。
か細い光は、頼りなくベッドの上のママを照らしていた。
「遅くなってごめんね。
ママの薬、作ってもらってきたんだ」
「薬……? うちにそんな余裕は――」
そう言いつつ、ママは苦しそうに咳をした。
喋るとすぐに、こうなってしまう。
本当につらそうで、見ているだけで僕の胸も苦しくなってしまう……。
「安心して。僕のお小遣いで買えたから」
「えぇ……?」
僕のお小遣いの、1年分。
欲しいものもあったし、食べたいものもあった。
……でも、ずっと取っておいて本当に良かった。
僕は早速、買ってきた薬をママに飲んでもらった。
ただ、薬草持参で作ってもらったとはいえ、偽物の薬よりも安いこの薬――
……本当に、効くのかな?
「うん……?
セシルや、これ……薬、なのかい?」
想像もしていなかった、ママの言葉。
僕は一気に、不安になってしまう。
「え? な、何かおかしかった!?」
「……ううん、そうじゃなくて……すごく、甘いんだよ……。
ハチミツでも入っていたのかな……。
……ああ、でも何だか、楽に――」
ママはそう言うと、すぅっと眠りに入ってしまった。
今までは眠るにしても、ずっと苦しそうだったのに……それが嘘のように、今は楽に見える。
僕は井戸水に布を浸して、絞って、ママの額に乗せてあげた。
――このまま、治ってくれたら嬉しいな。
でもこんなに凄く効く薬なら……僕の思う以上に、お願いしたものよりもずっと凄い薬を作ってくれたんじゃないかな。
僕の胸は、また苦しくなってしまった。
涙もまた、ボロボロと出てきてしまった。
……あのお姉ちゃんは嘘つきだ。
だから今度は、僕がいっぱい、いっぱい仕返しをしてあげないと――