005 純粋な小悪魔
難産過ぎたので続く系にしました。
どっかでまとめるかもしれません、すいません。
このあともすぐ出す予定です。
甘く、囁くように、表情を緩めお願いをする奉子。猫が気まぐれで人に甘えるように、奉子も"なんとなく"甘えたい気分だったのだ。
幼馴染とのひさしぶりの会話。普段クラスメイトと話すそれとは格段に違う心地の良い感覚に、いつもは崩れるはずのない『鉄装甲』、『鉄仮面』がいとも簡単に外され...いや、とかされていく。
胸がぽかぽかと温かい。じんわりと自分の体を温めていくこの感情は、なんだろうか。
こうして話せる、それだけで何物にも言い難い多幸感が奉子を襲っていた。あの今日の教室での出来事から、ずっと。
「そーちゃん。わたし、そーちゃんと入りたいんです」
この幸せをもっと噛み締めていたい、そしてこれ以上の幸せを噛み締めてみたい。そんな欲望が奉子のなかで渦巻く。
人の欲求というのは、際限がなく次から次へと沸いて出てくるもの。めったに自身の欲望を外に出さない奉子は、それの止め方を知らない。
まさしく、暴走状態だった。
「だ..駄目だよ!」
「どうしてですか?」
「ーーっ...」
いつもの敬語口調と、普段と違うギャップがある甘えるような仕草、声が絶妙にマッチしたせいで、奉子のかわいさがより一層、より一段ランクアップ。
その破壊力や測定不能。先程から奉子を直視することがままならなくなっている蒼太。
ましてやいま現在、お風呂場に一緒に入るかどうかで話しているのだ。気になってしまうのも仕方がない。
ようするに、「僕の幼馴染可愛すぎない?」ということだ。
「わたしはそーちゃんと、そーちゃんと入りたいだけなんです。いやなんですか?だめなんですか?もしそうなら...ちょっと、ショックです」
「あ..うぁ...その、あ、いや....」
いまの蒼太に襲いかかっているのは以下のこと。
1.最近彼女と会話もおろか、会えてすらほとんどいない。
2.いろいろな人からハブられていて、正直寂しい。
3.幼馴染が慰めてくれた+なんかいつもよりかわいい。
4.深夜テンションでアドレナリンがやばい。
5.お風呂に入ろうと蕩ける声で誘われている。
堕ちるな、という方が無理な話ではないだろうか。
おそらく要因は他にもあるだろう。そんな状況下のなかで、いまだ何もしていない蒼太は、相当の理性の持ち主だと言えるだろう。
このままだといけない。そう分かってはいるものの、奉子はただ純粋に一緒に、昔のようにお風呂に入りたいだけ。断っている蒼太自身がいけないことを考えているように思えてしまう。
奉子とはこれからも仲良くしていきたい。男と女の間に友情は生まれるのだと。だからこそ、この場面においてお風呂に一緒に入るのは最悪の手段。
彼はいま、絶体絶命のピンチだった。
「そう、ですか。そーちゃんは、わたしと、入るのが、いや、だと...」
しょぼくれて項垂れる奉子。一挙一動に胸のあたりが撃ち抜かれそうになる感覚がするのだが、それを頑張って考えないようにして、捲し立てる勢いでしゃべる。
「い、嫌とかそういう問題じゃなくて、その、たしかにほーちゃんと入るのは吝かではないよ!?でも一応僕だって、か、彼女が、い、いるって言っていいのかちょっと分からないけど、一応いるからさ!お風呂に入るのは流石にいけないというか、その気がなくてもよくないっていうか!そ、そのつまり!つまりだよ?!ほーちゃんと入るのは嫌じゃないけど、僕は彼女がいるから駄目というかーー」
自分でもなにいってるか分からない早さで話す蒼太。頭のなかがこんがらがり、頭に出たことを、右から左まで全部言っている、と言ってもいい。まともに考える余裕もない。それほどまでに蒼太は追い詰められていたのだ。
「....」
なかば暴れだしていると言ってもいい蒼太を見て、ぽかーんと見つめる奉子。
しはじなにも言わず黙っていると、なにかを思い出したのか、ボッと顔が真っ赤に赤くなり、慌てて両手で隠し始めた。
「そもそもほーちゃんを家に泊めようとしている時点アウトなんじゃーーって、あれ、どうしたの、ほーちゃん?そんなに顔を隠してなにかあったの?」
「....なんでも、ありま..せん.....」
自分のことで精一杯だった蒼太もここでようやく気付く。なにやら僕が喋っていた間に顔を隠したぞ、と。
サッと顔を青ざめる蒼太。ひょっとしてなにかまずいことでも口にしてしまったのでは...?考えてみるが、頭にはなにも浮かび上がってこない。
カァ~っと赤くなった顔を隠す奉子と、サァ~っと顔を青くする蒼太。両者反応は違うけれど、似たようなことをするのは、幼馴染だからだろうか。
「ご、ごめん僕なんか、なんか言っちゃってた?!酷いこと言っちゃった?!なんて言ったか分からないけど、とにかくごめん!ほーちゃんごめん!」
「あ、え、いえ、謝ることなど......ん、んんっ!」
奉子が隠していた顔を顕にすると、そこに写っていた景色は、自分の幼馴染が全力で自分に謝っているところだった。
慌ててほうけていた表情を戻し、ひとつ咳払い。それがスイッチのような役割を果たしたのか、そこにいたのは、普段の奉子。甘える猫のような奉子はそこにはもう、いなかった。
「...だいじょうぶです。平気です、平気ですから。そんなに謝らないでください。そーちゃんがなにかやらかした訳ではないのですから。心配しないでください」
「ほ、本当?..そ、それなら良かったけど......ってあれ?いつもの、いつもの....?ほー、ちゃん?」
元に戻ったことにすぐさま気付いた蒼太は、じろじろと奉子の体を見たあとに、顔を数秒間見つめる。なにか合点がいったのか、ホッとした表情になり肩を撫で下ろした。
「よ、良かったぁ.....流石にあのままいかれてたら....あはは....笑えない、笑えないや......」
あと一歩間違えていたら僕はほーちゃんを..と考えたところでぶるぶると顔を震わせる。
篁さんにも、ほーちゃんにも、最低なことをしてしまった。なにをしてるんだ僕は。本当になにを....はぁ......。
「そ、その....さ、さっきのことは忘れてください。あれは..あれはそう、夢、夢なんです!夢なんですよそーちゃん!そんな事実無かったんです!」
「....それはちょっと無理がある気が........」
「.....それは、その、そうですけど。い、いえ、それより、その、え、えっと、あの、そ、そーちゃん....」
挙動不審になる奉子を、黙って見つめて続きを促す蒼太。こういうときは急かしてはいけないと、過去の経験から学んでいた。
息を吸い込み深呼吸をして緊張をとき、体をリラックスさせる。やらかしてしまったものの、決着をすぐつけるために。
「....ごめんなさい」
部屋に響き渡る奉子の謝罪。その六文字には多種多様な意味が含まれているに違いない。それら全てを、そして覚悟を込めてシンプルに一言で。
「.....ん?」
そして言われた本人は、なんのことやらという顔で奉子を見ていた。本気で分からないといった風で。
上を向いてしばらく考える。ピッ、ピッ、ピッ、ポーンと脳内で音がなった(気がした)。
なるほど。いろいろあったせいで完全に忘れていたけど、そういえばほーちゃんが最初に言ったことがきっかけでこうなったんだっけ。
でも、たしかに発端はそれだけど、止めなかった僕も悪い。心の穴を、ほーちゃんなら埋めてくれるかもと、ほんの一瞬だけど思って、心を緩めてしまった。
ほーちゃんも距離感を計り損ねたというか、つもり積もったものが爆発してしまったから...なんだと思う。
なんにせよ、今回はなるべくしてなってしまったような物だから仕方ない。お互いに悪かった、それで済ませてしまおう。
その考えに辿り着くと蒼太はふっと笑い、奉子に語りかける。圧をかけないように努めて、小さく、優しく。
「..ほーちゃん、大丈夫だよ。ほーちゃんも悪かったように、僕も悪かったんだ。だから、おあいこだよ、おあいこ。お互い悪かった、だからお咎めなし」
「そ、それは違います。わたしが圧倒的に悪いんです。だって、そもそも私がそーちゃんに無理を言って泊めてくれだとか...お、お風呂に入ろうだなんて言わなければ」
「いーいーの。それでいーいーの。嫌だよ僕。たしかにやられた時は凄い困ったし、どうしようって悩んで戸惑ったけど..もう終わったことだし、ね?」
「それでは私の気が...」
ふたりの特性上、というか過去の経験から、面倒事や喧嘩はそうそうに時間を開けず、なるべく早く終わらすのが決まり..暗黙の了解となっていた。
どんな些細なことでも長く時間を費やせば、取り返しのつかない事態になる。それをふたりは知っていた。
なので、やってしまったことに対して誠心誠意、早く謝るのもそうだが、毎回ふたりは相手になにかしらしている。
基本は手伝いなどをして、お互い、というかやってしまった本人が一番気にするので、それの解消が狙いだった。
それのせいか、奉子はいま。なにかしなければ許してもらえない、という考えに脳がシフトしていた。
本人の性格と諸々の事情、そして現状の自分が置かれている立場が、彼女の脳を麻痺させていた。
自分はやってしまった、幼馴染を困らせた。さっきまでの多幸感が体から消え、焦りが体を蝕む。ひたすらに思う、一体どうしたら許されるのだと。
なにか、なにかしないと、また、また。それはいやだ、だからなにかしないといけなーー
「ーーえい」
「ひゃっ...!!.....な、なにを..?」
頭にチョップをかまし、思考を強制的に中断させる蒼太。
その顔はとても慌てふためていた人と一緒とは思えない、真顔で眉をひそめ、どこか怒ったような表情となっていた。
「なにかしないと、みたいな考えになってたでしょほーちゃん」
「な、なんでそれを...?」
「幼馴染的勘。....ねぇ、僕たちってなにかしないと仲直りってできないの?」
「で、ですが、今回は明らかに私が悪いのですし...!!」
ムッと顔を歪める蒼太。
「僕は、いいって言ったよ?優しさとかじゃなくて、本音でいいって。それに僕も悪かったって。それでも言うってことは、信頼してくれてないってこと?」
「しています!」
間も開けず即答する奉子に、今度は嬉しそうに顔を緩める。
ほーちゃんは、さっきからずっと、純粋に動いている。自分が思ったことをやっている。
だからこそいまの発言は本当で、そんな優しさを間違った風には使わないでほしかった。
なにかをするのも時には大事なのかもしれない。だけどそう、僕とほーちゃんは、幼馴染なんだ。友達とはまた違う。唯一無二の親友ともまた違う。
幼馴染だから、なにかで穴を埋めようとしないでほしかった。
「..それならさ、謝るだけでいいじゃん。なにかをする必要なんて元々ないんだよ、ほーちゃん。それは優しさとは言わない。罪悪感だとか、焦燥からくる別の何かだよ。そんなので...仲直りしたいなんて思わないでほしい」
「....」
奉仕をするのが好きで、誰かのために何かを出来るのが大好きで、それが出来る自分を誇りに思っている彼女。
だから最初は区別がつかなかった。やりたいことなんだと思っていた。考えてもいなかった。
それでも少しずつ時間をかけて、僕とほーちゃん独自の距離感を築き上げた。その結果、喧嘩みたいなのがあったとしても、謝るだけで済んでいた...筈だった。
たった数ヶ月、されど数ヶ月。
その時間の経過が、僕とほーちゃんの間を、やっかいなものへと変えてしまっていた。
だから、こういうことが起こってしまう。
「謝る、許す。それだって難しいことなんだよ?そんな簡単で難しいことが、ほーちゃんと出来ないだなんて...ちょっと悲しい。なにかする、なんて増やさなくていいんだよ。僕とほーちゃんは、このふたつで仲直り、できるんだから」
小さな綻びが、いずれは大きなズレに繋がる。でも、僕とほーちゃんは今日、なんとか戻ることができた。
こんなことですぐにまた、離れてしまうだなんて嫌だ。
「....」
奉子の言葉を待つ蒼太。
なにも起きない状態が、数秒、数十秒、数分...と続く。
外からも一切音が聞こえない。汗の滴る音が、やけに大きく辺りに広がる。
「.......分かり、ました。...ふぅ...っ」
ぼそり、呟く奉子は蒼太を見つめる。
深呼吸する。さっきも言った、いまは少し意味が違い、重みが増した一言。それを言うために気合いを入れた。
「そー、ちゃん...」
震える唇が、ようやくその言葉を口にする。
ーーごめんなさい
さっきと同じ一言、それなのにどうしてだろうか。まるでさっきと違う。なにが、かは分かりづらいが、違う。
幼馴染の距離が深まった、直感でそう思った蒼太。
そんな考えが分かったのか、返答を聞いた奉子の顔は、どんな花よりも、綺麗な、満開の笑顔を..咲かすのだった。