000 ふたり教室で。
「...はぁ。...うあぁ.....」
「そーちゃん、一体どうしました。そんな深いため息を吐いて。嫌なことでもありましたか?」
放課後の教室。ひょろで、のろまで、ドジと駄目三銃士が揃ってしまったような男こと佐久間 蒼太は、不機嫌そうな顔で、肺から酸素をまとめて吐き出した。
「...あ、えっとひさし、ぶり」
「はい、ひさしぶりです。それでもう一度聞きますが嫌なことでもありましたか?」
「あーー、ううん。なんでもないよ。うん、なんでも、ない。なんでも...ないんだよね?」
「私に聞かれてもまったく分からないのですがーーまぁ、なんでもないならいいんです。なにもないのが、一番ですから」
そう言いながらも、言葉の節々、目線、雰囲気などで「それで?」と続きを促してくるのは、蒼太の幼馴染。所謂腐れ縁である早乙女 奉子という女子生徒である。
「....あー....うー.....」
「ぐだって唸らないで下さい。制服が汚れてしまいます。ほら、しゃきっと。背筋を伸ばして」
「...ごめん」
「なんですか急に。謝られるようなことはされた覚えはありませんが」
茜さす夕日が二人を照らす。少しロマンチックな風景のなか、誰もいない教室でふたりっきり。キスのひとつでもしあいそうな雰囲気なのだが、この二人がそうならないのは幼馴染だからという理由だけではなくーー。
「そういえば彼女さんはどうしたのですか?まだ付き合ってから二ヶ月もなかったはずですよね?」
「あー、うん。そうだよね。そう、なるよね」
蒼太にはなんとびっくり彼女がいた。
ひょろで、のろまで、ドジと三拍子揃ってはいるが、それはそれとして、ちゃっかり彼女持ちだったりする。
だがしかし、いま隣にいるのは彼女ではない。幼馴染の奉子だ。なんでも手伝いたがる、奉仕と呼ばれることを生き甲斐とする女子生徒である。間違っても彼女なのではない。
「ひょっとして、もう別れたのですか?」
「んーん、違うよ。篁さんとの仲は普通にいいよ。ホント、不思議なくらい、好きでいてくれてるよ。...いや、もちろん、僕だって。す、好きだよ..?」
「...何故か私が告白されたように感じるのはなぜでしょう」
頬を少しばかり赤く染め、無表情だった顔に変化をもたらす。
こんな芸当ができるのは蒼太だからであり、他のクラスメイトだとこうはいかない。
奉仕はしてくれるが、それ以上もそれ以下もない。関係を深くも浅くもしないのが、彼女のモットーである。
鉄仮面でもつけているのかなどと、クラスメイトの女子からは馬鹿にされている節はあるが...本人はまったくと言っていいほど気にしていない。
言わせるだけ言わせてあげてください、こういうことは慣れっこだとため息を吐きながら彼女は言っていた。
「でもほら。ほーちゃんも知ってるだろうけど、僕の彼女は...ね?聖母、だからさ」
「比喩表現、ではありますけどね」
篁 御寿。蒼太の彼女である彼女は、学校のなかで聖母と崇められている。言われるが故に、いろいろな伝説も作り上げている。
曰くーー歩く道には命が宿り、荒れた土地でも花が咲く。
曰くーー微笑まれるだけで、寿命が伸びる。
曰くーー声をかけられると、身に起こる害を防ぐ。
曰くーー彼女に触れられると、病気、怪我が完全に治る。
曰くーーそこにいるだけで、幸運が訪れる。
もはや魑魅魍魎の類である。
そんな彼女と付き合っているのだから、まぁーー多種多様な人から恨まれ、妬まれ、呪われる。よくも二ヶ月もったものだ。
老若男女から好かれている彼女だからこそ、その彼氏は老若男女から嫌われるというもの...幼馴染である彼女はそういったことにまったく興味がないから付き合っているのだ。ボッチになってしまった彼の唯一の話し相手である。
そんな彼女もつい最近まで、あまり話せていなかった。今日はひさしぶりの会話である。
「どんな人にも手を伸ばし、助け、寄り添い、受け入れる。心が広いなんてもんじゃない。優しいよ、尋常じゃないくらい。警察なんていらないレベルで人を助けてるんだからさ」
「なるほど。いま彼女はいろんなところに行って、その一連をこなしていると。私とは若干違いますが、似たり寄ったりなので、仕事が奪われている気がしてなりません」
だから、と続ける。
「いまは、そーちゃんだけで我慢することにします」
「...ありがと。最近篁さんと会えなくてショック受けてたの、気付いて接してくれてたんでしょ?」
「...気付いていたとしても、いわないのが優しさです」
「言わせてよ。僕の唯一にして最高の幼馴染は、すっごく優しい子だって。それにめちゃくちゃかわいいよって」
ついでみたいに褒めてくる蒼太に、心なしか先程よりも顔が赤くなる奉子。ショートヘアーの髪を精一杯前に集めて、必死に目元を隠す。
「そういうところが...ずるいです」
「ぼそぼそ言っても聞こえないよー。何て言ったの?」
「いいえ、なんでもないです。..それよりも元気、出ましたか?」
「うん、お陰さまで。ありがとね、ほんとに。感謝してもしきれないよほーちゃんには」
お礼を言ったあとに、よっこいしょと重い腰をようやく動かした蒼太は、奉子の手を掴んで一緒に立ち上がらせる。
「ほーちゃんって今日は一人だよね?僕も一人だから、一緒にごはん食べない?ひさしぶりに、さ」
「わっ...いきなり立ち上がらせないで下さい。確かに私は今日一人ですが...いいのですか?彼女さんは」
「....篁さんは、今日も夜遅いだろうし。それにほら、ほーちゃんのことはとっくのとうに教えて、こういうのも大丈夫って言われてるからさ。ダメかな?」
奉子は自身の幼馴染をじっと見る。
数秒を見て、あぁと改めて納得する。
そーちゃんはやはり寂しいのだと、大丈夫だといいながらも、心の中では誰かとの時間を欲していると。
蒼太の家族は海外へ働きにいっている。兄姉弟妹はいない。うちに帰ったらひとり。学校でも彼女にはほとんど会えず、友達はいなくて、唯一いるのが幼馴染の早乙女 奉子ただひとり。
孤独はたしかに、嫌だ。
寂しいのは、嫌だ。
誰かにいてほしい、それは誰でも想う単純な願い。それを奏太がしている、それも私に。
彼女のなかで答えは既に決まっていた。
奉子は見るものを惚れさせるような笑顔で、幼馴染にこう返す。
「...もちろん、いいですよ」
蒼太が晴れんばかりの笑みを浮かべたのは言うまでもない。