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少し子供っぽくて、家庭的で、麗人である。

 ホワイトデーのパーティは、幸一の「考査お疲れさまでしたもうテストも模試も何もないッ!」という投げやりな雰囲気で始まった。これはきっと、今日くらいは勉強のことを忘れて楽しもうという幸一の粋な計らいだろう。もう勉強をしたくないなどという思考のあらわれではないはずだ。


 一年の振り返り的な雑談や、アナログゲームをしているうちにあっという間に時間がすぎて、再び男子二人がリビングに取り残される時間となった。

 幸一と肇はテーブルを拭いて、ボードゲームをテーブルの下に寄せて会場の準備を整える。


 床にどっかりと座り込む幸一を見た。


「これでもう大丈夫そうだな」

「だな。……もう昼飯って本当に早えよなあ」


 天井を仰いだ幸一は、テーブルへと目を向ける。お茶の入ったコップくらいしか乗っていないテーブルのどこを見ているのだろうと考えたが、よくよく幸一の目線を追うと、テーブルの下を見ていた。

 テーブルを挟んで、幸一と対峙するような位置に肇は腰を下ろす。


「流石に二人用のゲームはやらないからな? ていうか、やれないからな?」

「ここは間を取って三人用でもするか?」

「人数狂ってるぞ」


 あと、なんの間を取ったのやら。

 っはっは、なんて乾いた笑いを響かせながら、幸一はテーブルの下からボードゲームの箱を一つ取り出した。裏を眺めている幸一の目は至って真剣だった。


 幸一のそんな様子を眺め、ここで肇は気付いた。今の幸一はボードゲームをやりたいのでもなんでもなく、ただ緊張しているのだ。昼食の後すぐにプレゼントを渡すことになっているのだが、それへの感情を誤魔化すために、幸一は別のことを考えようとしている。


 途端に幸一の動きがぎこちなく見え始めた。ふっと口許が緩む。その音に反応した幸一が裏面から目を離す。


「なんだよ」

「……いや」


 手を振って答える。お前、緊張してるんだな――口に出すかどうかは自由だ。ジト目を向けてくる幸一は、はたしてこちらの考えに気付いたようだった。


「お前って変に鋭いよな」

「変は余計だ」


 ぶっきらぼうな言葉にそう返すと、ボードゲームに目をやっていた幸一は鼻で笑った。

 肇は麦茶を一口飲んで、


「まあ、安くても似合いそうなものを選んだつもりだし、大丈夫だろ。俺らからプレゼントするってことに意味があるんじゃないか?」

「それをお前が言うのもなんだかなあ。こういうのって、プレゼントされた人が『あなたからもらえたことに意味がある』って言うもんだと思ってたが」

「フォローのための方便だな」

「そうかよ」


 幸一もテーブルに乗るコップへと手を伸ばした。口に運ぶ勢いそのままに飲み干し、深く息を吐いた幸一は、やるだけやってみるか、と呟いた。自分の言葉で少しでも前向きになってくれたら嬉しいと、肇は思う。


 肇よりも時間を掛けて選定した幸一の、心菜への並々ならぬ思いは知っているつもりだ。だからこそ肇よりも不安なのだろうとも思う。花凛を好きじゃないと言えばもちろん嘘になるし、緊張していないわけがないけど、肇は今、フォローに徹するべきだったのだ。

 現に、持っている麦茶が揺れている。幸一はおそらく気付いていない。自分のほうが若干優位に立てている心地だった。


「料理の様子見てくるわ。ここでじっとしててもアレだしな」


 照れ隠しの幸一の笑いは、先程よりも幾分か柔らかくなっていた。立ち上がってキッチンへと向かう幸一の背は、肇がずっと見てきた堂々としたものだった。


 キッチンに様子を見に行った幸一が帰ってくるときに料理が運ばれてきた。それが昼食完成の合図だ。十分とたたないうちにテーブルには料理が並べられた。甘じょっぱい香りには、不思議と家庭の香りも混じっていた。


 隣で横座りをする花凛はこんなときでも背筋が伸びている。彼シャツほどにダボダボな服を着ているので体のラインこそ隠れているが、服を内側から押し上げる胸の大きさだけは分かった。

 と、花凛が不思議そうな顔で首を傾げている。


「ねえ肇」

「悪い」


 花凛の次の言葉を待たず謝った。ついな、と付け足すと彼女は頬を赤くし、隠すつもりのないであろう大きなため息をついた。若干にやけているし、本当に呆れているわけではないだろう。


「まあ、許してくれ」


 彼女はまたしてもため息をついた。諦念のこもったため息だった。

 彼シャツなんて造語があるくらいなのだ、人類はダボダボな服を着た美人が好きに違いない。だから花凛の小動物じみた可愛さが際立っているのだ。これは肇個人の問題ではなく、人類としての――。


「ほら、ご飯食べよ?」

「あ、ああ」


 花凛に差し出されたのは中華風のサラダだった。ハムやきゅうり、もやしが目に入り、爽やかな色合いだった。食べてみると、もやしにドレッシングの味が馴染んでおり、噛むたびに酸味が広がる。甘ったるい思考を正してくれる働きがあるのか、徐々に思考がクリアになっていく。

 感想がほしいと目で訴えてくる彼女を見る。


「うまいな。夏バテのときでも食べれそうなくらい爽やかだ」

「ふふ、今は夏じゃないけどね」

「言ったら負けだろ。一種の例えだ」


 正面の二人はすでにゾーンに入っているようだったので、こちらも遠慮なく話すことができる。頬杖をついてうっとりと見つめてくる花凛を尻目に、肇は次の手料理に箸を伸ばした。


 煮崩れしていない肉じゃがはどうしてこうも美味しいのだろう。食材に味が染み込んでおり、一口食べるとご飯が二口進む。口の中のものを飲み込んでから花凛を見た。子どもを見守る母親のような目をしていた。


「おいしい?」

「ああ。ご飯が何杯も進むよ」


 花凛と結婚したら幸せ太りしそうである。おいしすぎるのも罪だなと肇は思う。

 肉じゃがは冷えているときに味がよく染み込むなどの雑学を語ってくれたが、箸を動かすことに集中していたので、生返事が連発されたと思う。


 さて、ご飯茶碗の底が見え始めた頃、肇は汁物に目を移した。おそらく豚汁なのだが、さつまいもが入っていないので自信がない。花凪子が作る場合は毎回入っていた。


「豚汁だよな?」

「ん? うん、豚汁だよー」


 汁を一口すすってみる。味噌の味がした。具材は根菜が多くしっかりと味噌の味が染み込んでいる。花凛曰く、味噌を二回入れるのがポイントらしい。

 話が途切れたところでご飯のおかわりを盛ってきた。


「スーパーで食材を見てたんだけど、たまたま豚バラ肉が安くって。これはもう買うしかない! って買っちゃった」

「本来はメニューになかったんだな」

「まあね。安いときに買って冷凍保存するのもいいんだけど、せっかく集まるんだし、おいしいもの食べたくてもう一品作っちゃった。肉じゃがでお肉を使っちゃったから、ここでは野菜を多めにしたんだ」


 探してみると、心なしか肉の割合が少ないのかもしれない。そもそも言われないと気付かないだろうし、具材が多く、どれもおいしいので特に気にしていなかった。

 ひと通り感想を聞いた花凛は、満足顔で自身のご飯を盛って戻ってきた。肇は食べるペースを落として会話に専念する。


「花凛は、よく買い物するのか?」

「ん~、どうだろう? 最近は増えたかなー。母さんと料理することが増えたから、その影響で、あれ買ってきてーってメッセージに送られてきたりするし」


 なぜだろうか。花凛の口から温かな家族の話を聞けると、肇の胸も温かくなる。


「すっかり仲良くなったんだな」

「……まあ、私たちも家族だからさ? 長年話してなくても、ずっと一緒にいたわけだし。だからなのかな、意外と好みとかも知ってて、話が弾んで。ただ、本当に一回だけ腹を割って話す必要があったんだと思う」


 仲がいい人ほど喧嘩したときに疎遠になってしまう。花凛と彼女の母親は、そんな状況に近かったのだろうか。その実情を見たことがない肇にとっては想像し難い状況だった。

 確かなことは、その関係性が過去のものであるということ。よかったなという言葉が吐息とともに漏れて、彼女の艷やかな髪に手が伸びる。少しくすぐったそうにしながらも彼女はそれを拒まず、されるがままだった。


 我に返ったときには正面二人のご飯が空だった。そして、その目をやめてもらいたかった。


 昼食の皿を流しへと運んだところで、今日のメインイベントが始まった。と言っても豪華なものがあるわけでもなければ、賑やかなコールがあるわけでもない。こぢんまりとしたリビングで男女二組が向かい合っているだけである。


 隣で正座する幸一がつっかかりながらも話を進め、やっと腕時計を渡す場面だ。両者ともに”彼女”に似合いそうなものを選んだ。人の手のひらよりも少し大きい、白い箱と黄緑の箱がテーブルに並べられる。

 箱を開けたときに中身が花凛からよく見えるように置く。そして、まるで婚約指輪を開けるときのように、肇は白い箱をそっと開いた。


 息を呑む音が最初だった。胸元の高さで彼女の手のひらが合わせられている。ゆっくりと唇を三日月にした花凛は、辛子色の瞳に期待を宿らせる。


「これ、いいの?」

「ああ。つけてもらいたくて買ってきた」


 ありがとうと噛みしめるように言った花凛。腕時計を慎重に取り出し、ゆっくりと左腕につけた。

 肇が選んだのはベルト部分が水色の腕時計だった。ボタン電池よりも一回り大きい時計のついた、アナログ式のものだ。


「……どう?」


 花凛は手をグーにして、手首と文字盤が見えるように袖を引いた。やはり華奢な腕にゴツゴツとした装飾品は似合わない。静かに存在をアピールするこのような腕時計こそが、花凛の繊細さを際立たせるのだ。ことファッションには自信がないが、ファッションアイテムには自信が持てた。


「よく似合ってる。……ああ、イメージしてた以上に惹きつけられる」


 どこの誰が見ても足を止めそうなものである。これは誇張でもなんでもなく、本心だ。それを言うと彼女は頬を赤くしたが、笑っている様子を隠そうとはしなかった。


 普段はあまり時計を見ない花凛が、今日ばかりは時計を何度も確認していた。愛おしそうに時計を撫でる花凛の姿を、肇はしばらく忘れられそうにない。

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