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似た者同士と俯いて

「肇って、意外と英語できるんだね」


 花凛はノート類を片付けながら言った。視線はバッグに入れるために立てたノートたちに注がれている。それをトントンとやって、バッグにしまう。最後に筆記用具を入れて、チャックを閉めた。


「英語って一番苦手な教科なんだけど、それでもそれなりにできてると思ってたのになー」


 バッグを膝に乗せて前後に動いている花凛は悔しそうだ。


「俺が洋画をよく見るってのもあるんじゃないか? 字幕でいつも見てるから、単語力とリスニング力がついたんだと思う」


 何の気なしに言ってから肇は気付いた。花凛の前で映画の話をしたら、それも洋画をほとんど見ていないような口振りの彼女の前でしたら――結論は一つしか出ないということを。


 花凛を直視できなかった。感嘆するように長い相槌を打った彼女が思っていることは容易に察せられる。ミステリー映画でボロに気付かれたときの犯人の心境が理解できた。


 花凛に名前を呼ばれた。極めていつもどおりの声のトーンだった。


「今度洋画に付き合ってくれない? 近々公開されるものってある?」


 諦念に包まれた心内で考えてしまう。


「……ないと思う。六月に出たきり、か?」

「六月かあ……三、四ヶ月経ってるけど、新作はまだ出ないかな?」

「ってことは」

「何か別のものってないかな? オススメのDUDとか、英語を題材にしたものとか。ほら、字幕で色んな言語が出せるものがあるでしょ? そういうのでオススメない?」


 何作品か浮かんでしまった。DUDは洋画を買うことが多いので、おそらくそれの影響だ。


「私が持ってるのってアニメとかアニメ映画が多いから、洋画知らないんだよね。タイトルだけでも教えてくれない?」

「ざっと思いつくのは三つだな」


 もう少し思いついていたが、全て言う必要はないだろう。花凛の反応を見て付け足すというのも一手だ。

 花凛の目を見て三つ話すと、もう一回言ってくれない、と戸惑いの返事がきた。想像以上に長かったのか、それともカタカナのタイトルだったから覚えられなかったのか。一応邦題で話したのだが。


「いいか?」


 白を基調としていて、薄い葉っぱの模様がついたメモ帳を広げた花凛を見る。返事が聞こえてから話した。

 それをつらつらっとメモした彼女は、三つとも読んで確認した。


「後で調べてみるね。アプリとかで検索すれば出てくるかな?」

「アプリ……?」

「うん。動画サイトとかでよくCM流れない? 登録すればTV番組が見放題! ってやつ。まずはそれで探してみよっかなって。字幕出なそうだけど、なんとなくでもストーリーは分かるでしょ?」

「……そうか」


 サイトに登録していないので分からなかった。こちらの反応で分かったようなので花凛も深くは踏み込んでこない。

 彼女は思案するように眉を寄せて、


「来週会えるかな……感想交換したかったけどテスト近いんだよね」

「……テスト開始は、再来週か?」

「そうだね。テスト範囲は狭いから対策しやすいんだけど」


 対策しやすいが、悠長に会ってもいられないのだろう。


 テスト終わりに会うことになりそうだが、彼女は本当に、こちらが紹介した映画を見るのだろうか。今までの行いから見るとは思うのだが、まだ完全に信用できていない。

 見ることを強制したいわけではないし、見させられている映画はつまらない。


 唸って考え込んでいた花凛。


「テスト明けに会えない? 勉強したいからさ、来週会うのは厳しいんだよね」

「無理にテスト明けに会わなくてもいいと思うが」

「私が会いたいんだけどダメかな? ……その、本当に映画を見たくて。感想交換もしたくて。他にも紹介してもらえたらなって」


 つっかえながらも説明してくれる花凛が嘘をついているようには見えなかった。

 ダメかな、と花凛は上目遣いで訊いてくる。辛子色の瞳が不安げに揺らめいていた。


「……それなら映画館でな」


 花凛は目を輝かせて、両手を胸元でピッタリとつける。


「そこまで言わせて悪かったな。……すまない。少し信用できなくて」

「あ、それはいいよ。私たちって話すようになってからそんなに時間経ってないじゃん。ありがとね? 了承してくれて」


 会った時期を指折り数え始めた花凛は、初めて会ってから二週間しか経っていないという事実に驚いていた。


 それには肇も驚いた。二週間でこんなに親しくなるとは思っていなかったからだ。なぜ話しかけてくるのだろうと考えているうちに自然と話せるようになったのかな、と一人で完結させた。


「それじゃあテストが終わってから最初の月曜日に会おっか。いつもどおりの場所でいいよね?」

「いつもどおり……発券機の近くだよな?」 

「そこそこ。変える?」

「いや、見つけやすいから変えなくてもいいと思う」

「はーいっ」


 跳ねるような口調で花凛は言う。今から楽しみだな、なんて呟きが聞こえて、口許が変形しないように抑えるのが大変だった。ギリギリ押さえてはいない。


 それも知らなさそうに、花凛は紅茶を飲み終えていた。


「もうコーヒー飲み終わってる?」

「ああ。そろそろ帰るか?」

「うーん……このカフェに長居しちゃってるからねー。閉店ギリギリまでいるよりは帰った方がいいかも」


 勉強していたのだから、そう怒られることでもないと思うが。

 花凛の言葉に頷いて、代金のことを訊いた。今度は自分が会計に行くべきだ、という意味で言ったつもりが、花凛は違う意味で解釈したらしい。


「そういえばちょっと前に私の分も払ってくれてたでしょ。あれ見たときに間違えたのかなって思ったんだけど……」

「故意だ」

「故意で間違えたってこと?」

「それは故意って言わないだろ。察しろ」


 気まぐれな応援金だ。真面目に頑張っていたので、なんとなく出しただけ。数秒考えた花凛は「そういうことかっ!」と手を叩いた。


「今日は私が払うってことだよね?」

「もうダメだこいつ……」

「どーしてよー!? だってそういうことでしょ!?」

「絶対違うだろ。あのときのは俺の奢りでいいから、今日の分の紅茶代だけよこせって言ってるんだよ。会計は俺がする」


 不服そうに首を傾げる花凛に冷ややかな視線を送ると、とりあえずといった感じで金を出した。一円単位でぴったりだった。


 自分の代金を財布から出して、伝票を持ち、リュックを背負ってからレジに向かう。


「それじゃ、テストが終わった直後の月曜日な」


 花凛がこちらの会計を待つことはないだろう。人が少し並んでいたので花凛と一緒に帰ることもなさそうだ。


 レシートを捨ててから自動ドアをくぐると、ケータイを見て立っている女子が目に入った。

 きれいな黒髪、ポニーテール、色素の薄いあどけない見た目、同じ高校の制服。

 脇を通り抜けようとすると、待ったがかかった。


「途中まで一緒に帰ろ? 駅まででも!」

「俺は駅方面に行かないぞ」

「それなら出口まででも。待ってたんだし」


 嫌な顔ひとつ見せず隣に並んだ花凛。邪険に扱っても無駄なんじゃないかと最近思い始めた肇である。


 ひとまず、出口までな、と言ってから歩いた。

 駅を利用すれば早く家に帰れるだろうが、人混みが嫌いな肇は徒歩で移動している。肇の移動範囲が徒歩三十分圏内なので、無理に使う必要がないのだ。


 エスカレーターの前まで着いて、花凛に前を譲った。


「……勉強は家でするものだと思ってたよ」

「どうしてー?」

「図書館はここから利用しづらいし、外だとそもそもうるさいから、家が一番だろ?」

「あ~……私は家だと勉強しづらいからなあ」


 いい図書館があればそこに行くのだが、近い方の図書館は同じ高校の生徒が多いだろう。遠い方の図書館は移動範囲外だ。


「家が一番って言っても、母さんがドラマ見てたり、自分の部屋にDUDがあったりするからなんとも言えないかもな。母さんがドラマを見ている隣で勉強するのは気まずいだけだし、自分の部屋は誘惑が多いし」


 一長一短だ。ここまで来ると最早どっちでもいいかもしれないな、と思ってしまった。


「……おんなじ感じ、なのかな」


 伏し目がちな花凛の、重いトーンの言葉を聞き返すことはできなかった。そのまま無言で出口に着いた。

 じゃあな、と自動ドアで別れる。一顧したときに見えたポニーテールは寂しげだった。

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