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先輩からのアドバイス

 たとえ一夜が明けようとも、肇の胸にある蟠り(わだかまり)はとれなかった。それを胸にとどめたまま受けたテストは、気味が悪いものだった。テストとは違う”何か”が胸の中で暴れまわっていたのだ。

 ”何か”って何――そう問われれば答えられるくらいに、その何かとは明確なものなのだが。


 テストが終わった開放感からか、昼食を取ろうとするクラスメートの足取りは軽い。圧迫感に苦しめられている肇の足取りとは対照的だ。

 手洗いを済ませ、昼食をリュックから取り出して席に戻った肇に影が差した。正面に幸一が立ったからだった。彼は心配の色もなく問う。


「お前、テスト大丈夫だったか?」

「解けたのかって質問してるのか?」

「いいや。お前にそんな心配はしねえよ」


 吐き捨てるように言ってから、昨日のように手際よく四つの机をくっつける幸一。座る場所も昨日と同じらしく、彼は迷わず正面を陣取った。


「朝からずっと顔色悪いぞ。原因は明らかなんじゃないか?」

「……そうだな。これで熱が一度や二度でも上がってればよかったんだが」

「まあ間違いなく下がってるだろうな、高感度っていう熱が」

「……全くだ」


 いつもなら呆れるであろう気取った言葉も、今日という日には刃になっていた。幸一の言葉に反論できる要素はない。分かっていたからこそ肇は言われるがままだった。

 幸一はいつになく顔をしかめている。


「昨日、あれから連絡取ってないのか」

「ああ」


 そうか、とだけ返した幸一はそれっきり黙った。腕を組んで眉間にシワを寄せる姿は野球部に見えなかった。

 時計の音が大きく聞こえる。小さな話し声しかない教室は、誰も彼も聞き耳を立てているように感じられて仕方がなかった。周りに目を向けることができなくて、肇は視線を宙にさまよわせる。


「放課後に会ったりは?」

「一切していない。本当に、昨日の昼休みっきりだ」


 ああ、そうか、と幸一は今度こめかみを押さえた。やれやれと言わんばかりに首を振り、腰に手まで当てている。怒りと呆れが半々なのだろうか。どうやら肇に掛ける言葉が見つからないらしい。


 肇だって自分自身の動きがよくなかったことは承知していた。一緒に勉強したくだりは省くとして、テストについての雑談はしたほうがよかった。関係を見破られないようにすることへの配慮が空回っていたのだ。

 ため息まじりに幸一が話す。よく響く声だったけれど、威圧は決して含まれていなかった。


「なあ。お前と花凛の関係って、なんだ?」


 にわかに教室の空気が凍った。気付けば話しているのは肇と幸一だけになっていた。

 幸一に視線を戻す。腕を組んでいる彼は眉尻を下げ、先程までの怒りや呆れを欠片も見せていなかった。


「もし、仮にな? お前ら二人がそういう関係なのだとしたら、俺は、問題を先延ばしにしないほうがいいと思うぞ? 先輩として……ああ、そうだな。先輩として言うが、何かあったらすぐに謝れ。そして原因と解決に繋げろ。時間で解決することはまずない。……お前、割と時間で解決しがちだろ?」

「そうだな」


 説教はもう終わりらしく、最終的には笑いかけられた。お前のその体質は恋愛に向いてないぞとからかわれている気分だ。


「一人で考えて、原因を探って、解決法まで導く。自立してるって言うと聞こえはいいが、それじゃなんのためのカップルだよ。二人で仲よく歩いてこそだろ?」

「まだ高校生だがな」

「うるせえよ。お前ら二人は大人になったってどうせずっと一緒だろうが」

「……皮肉か? まるで、自分と心菜がずっと一緒にいるわけではないって言ってるように聞こえるが」

「んなわけあるかよ。今はお前と花凛の話だろ?」


 ふん、と揃って鼻で笑う。そして幸一は、話は終わりだとでも言う代わりなのか弁当袋に手を伸ばした。


「釣り合いがどうのって話は好きじゃねえが、俺は、お前と花凛との相性がいいって思ってるから。変に心配すんなよ」

「……ありがとな」

「ん? 俺、何か言ったか?」


 わざとらしく眉を上げられたので、肇も同じように、


「いいや、どうやら俺の聞き間違いだったみたいだな」

「お前、幻聴とかマジか……! まだ十六歳だろ!?」

「あっこいつ……!」


 ほんの十秒前の静かな幸一は幻覚だったのだろうか。そう思わせるくらいに賑やかな姿があった。これがいつもどおりの幸一で、時折見せる面倒見のよさもまた幸一だ。

 絶対に本人には言えないけれど、どちらも、何者にも代えがたい存在である。してやったり顔で笑っている幸一を見ると、更に言う気が失せてしまう。


 皮肉を言おうとして言葉を探したが浮かばず、こめかみに手を当てるだけにした。弁当箱を開ける音が聞こえて、ようやく、肇は自身が空腹なことに気が付いた。

 弁当袋のチャックに手を掛ける。


「切羽詰まってたな」

「……そのセリフ、どちらかというと俺が言いたいんだが」


 独り言を思わぬ形で拾われ、肇は答えに詰まる。真顔の幸一は嘘をついていないだろうし、改めて考えると、確かに幸一のほうが内心で焦っていたのかもしれない。


「そうかもしれないな」

「だろ? 仲がいい友人の人間関係トラブルだぜ? お前が人間関係でミスを起こしてきたとは考えにくいし、解決へのノウハウが全くないんだ。一挙一動が怖かったわ」


 確かに幸一の言うとおりだ。友だちが少なく、あまつさえクラスの揉め事も見てこなかった肇は、人間関係に疎い。


「この話はここで終わっとくけどよ、昨日、花凛が落ち込んだ理由は聞いとけ」


 花凛と心菜はこの教室に来るのだろうし、昼休みのうちに解決したほうがよさげだ。そういえば今日はまだ来ないのかと扉に目をやったとき、タイミングよく扉が開いた。


 心菜は幸一を見つけるなり、胸元まで上げた手をにこやかに振る。トテトテ駆け寄ってきて、幸一の隣に座った。未だ扉をくぐっていない花凛と目が合う。無言のまま、肇は隣の席を叩いた。


 困り顔で二の足を踏む花凛の心の声が聞こえた。『いや、でも……』と躊躇っている。

 肇は次に、手招きをした。


「なんか喋ったらどうなんだよ。俺の隣が空いてるぞ、とか」


 幸一に半目を向けられる。腹を括れていないのは肇だけである。

 動かなければならないと分かっていながら、花凛との関係が知れ渡ることを恐れていた。花凛が困るだろうと考えていながら、結局肇は、自分自身の保身に走っていたのだ。

 それがあまりにも情けなかった。


 意を決して立ち上がった。燃え上がるほどに体が熱かった。花凛のもとへと歩いていく。彼女は一瞬身を引いたけれど、おとなしく立っていた。


「昨日は悪かった。今日は、もっと、ちゃんと話すから。隣に来てくれないか?」


 体を寄せて耳打ちする。最初戸惑っていた花凛はゆっくりと唇を曲げ、安堵の表情を作った。

 肇の手首を掴んだ彼女は、涙目で、いたずらっ子の笑みで、


「じゃあ、その席まで案内してよ。仲良く手でも繋いでね?」


 了承するまでに数秒かかった。けれど、ここで断ることは肇自身が許せなかった。肇は上等だと言わんばかりに笑みを作ったが、きっと歪んだ表情になっていただけだろう。


 反転して花凛の手を引く。彼女は肇に合わせて動く。

 この日、肇に向けられた視線は、好奇なものががほとんどだった。

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