重ねた思考
「今日はなんの映画を見るんだよ」
「今日は純粋に恋愛物だよ? 個人的にヒロインの子が推しなんだ~!」
「そうか、楽しみだな」
「この子この子! 可愛くない!? 萌えるよね!?」
「……あー、そうだな。可愛いのか」
「可愛いでしょ絶対っ!」
エピローグまでしっかり見て、花凛と共に席を立った。恋人の割引を利用して恋愛物を見るとは思わなかったが、花凛といい雰囲気になることはなかった。
肘置きで手を重ねるイベントは夢のまた夢。そもそも、お互いに肘置きを利用していなかった。
「またあそこのカフェ行こうよ」
「……行くのか?」
「行こ?」
無邪気な顔に嫌とは言えず、また向かうことになった。浮いたお金がカフェのコーヒー代に使われるのが現実だった。
飲み物を捨てて、先を行こうとする花凛を呼び止める。
「すまない、トイレに行かせてくれ」
「あっ分かったー。じゃあ私はカフェの入り口らへんで待ってるね」
彼女が歩き始めたのを確認してから、肇も別方向へと歩いた。
ハンカチで手を拭いてトイレから出ると、どこかで見たような光景が広がっていた。違うとすれば男が違う。それと、壁ドンされていなかった。
「なんかまた面倒事に巻き込まれてるな」
花凛が第三者から見て魅力的なことを伝える現象だ。後頭部に手を伸ばして少ししてから彼女のもとに向かった。
天の助けでもなんでもないから、期待に満ちた目を向けるのはやめてもらいたい。こちらをまっすぐ捉える辛子色と視線が交差した。先に逸らしたのは肇だった。
周りにも聞こえるようにため息を一つ。気付いた男たちは舌打ちをしてから去っていった。最近のナンパは潔い。
向こうへと歩いていく男たちの視線を遮るために花凛の前に立って、首だけ動かして彼女を見る。
「また変なのに絡まれてたな。大丈夫だったか?」
「うん。今回はわりとしつこくない感じの人たちだったから、大丈夫だったよ」
それでも助けてくれてありがとね、と彼女は弱々しく付け足した。理由は尋ねないが、ワイシャツが軽く掴まれていたのは気のせいではないだろう。
男たちが見えなくなったことを確認して、もういいぞ、と声を掛ける。背中からゆっくりと重みが消えた。
体ごと振り返ると、恐る恐る廊下の先を見る花凛と目が合った。
「な、いないだろ?」
「うん、いなかったね」
微笑んで言うと彼女も微笑んで返してくれた。
歩けるか訊いたら「そんなにビビりじゃないもん!」との言葉をもらったので先を歩いたところ、案の定彼女は一歩が踏み出せないでいた。
「やっぱり歩けないじゃねえか」
必死に足を動かそうとしている花凛のもとまで戻ってそうこぼした。壁に背を預けて、彼女の屈伸運動のようなものを眺める。ハイソックスを履いても足が細く見えるのだから感心してしまう。
「どこ見てるの?」
「足だな。さっきからプルプル震えてるみたいで面白い」
「見ないでよっ!」
頬に出る熱が隠せていないから余計におかしい。頬から下を手で隠すと「笑わないでよしょうがないじゃんっ」という必死めいた声をあげられる。その間も彼女の足は再起動しない。
一人でホラー映画を見れないタイプなのだろう。
「……悪いな。手、貸すよ」
こちらを見つめて固まる花凛。
掴め、とぶっきらぼうに肇は言った。整った顔にまじまじと見られる機会なんてなかったため、目を合わせることはできなかった。
花凛は添えるだけ程度の力で手首に触れてきた。それは乗せるって言うんだぞ、と半目を向けると、分かりやすく安堵して握ってきた。
「結構な頻度でナンパされるんだな」
「二週間に一回のペースは私も初めてだったよ。びっくりしちゃった」
さっき見た恋愛映画みたいな展開だったね、と花凛も壁に背を預ける。こちらは引っ張っていないので、どうやら一人で歩けるようになったらしい。
「ほら、歩けるなら歩くぞ」
「映画の男の子はもうちょっと優しかったのになあ」
「優しさを求めるなら俺のところには来るな」
「分かったよう」
ムッとした顔でジト目を向けられても、可愛らしい顔であることに変わりなかった。
手を軽く引いて催促する。隣に並んだ花凛は、人懐っこい笑みを浮かべていた。
「今度何かあったら声掛けてもいい?」
「……面倒くささを全面に出すが」
「それでもだよ。ダメって言ってないからいいんだよね?」
有無を言わせない笑顔だった。無視して歩き始めると、了承したよね、と明るく確認。背中ですら彼女の圧を感じられた。
誰も了承なんてしていないし、そもそも花凛には頼れる人がたくさんいるだろうに。
その証拠に、学校内で見かけるときは、いつも周りに誰かいる。もちろん彼女を好いている人もいるだろうが、肇は頼られたら断れないという性分なだけ。前者の方がよっぽど関わりやすいだろう。
しかしながら、彼女が自分を頼ってくる理由は一日考えたところで分からない。これは経験則だった。
自分を嵌めたいのかと考えたこともあったが、肇は、花凛という女子を腹黒系女子に見ることができなかった。
あどけない笑顔を周囲にまき、元気をもたらすアイドル――そんな彼女がどうして腹黒いのか。
ほらカフェ行くんでしょ、と今度は花凛から手を引っ張られ、肇はひとまず花凛の隣に並んだ。
席に着いて、お互いに飲み物を注文して一息つく。カフェに入る前に花凛は手を放してくれたが、手首に残る温かさと柔らかな感触は健在だ。
誰かに手を引っ張られたのが随分久しぶりな気がして、手首の赤い部分を見てしまう。
「あ、手汗とかかいてた? 洗ってくる?」
「いや、少し気になっただけだ。手を引っ張られるのはいつ以来だったかなと思って」
中学のとき業務的に何回かだろうか。手首を軽く動かして考えてみる。
そういえば私もいつ以来だろう、と彼女も一緒に考えていた。直後に、
「あっ知り合いとは結構頻繁にやってた」
「そうか。……まあ、女子同士のスキンシップだからな」
「そうだね。結構激しめの子がいるから大変だよ」
寧ろ花凛のほうが激しそうだが。口には出さずに、肩を竦めて相槌を打った。
「私の方からすることって寧ろ珍しいかも」
「――嘘だろ?」
「ちょっとそれどういう反応ー?」
言葉に詰まらせると、失礼しちゃうなー、と表情を変える花凛。むー、と声に出すあたり怒っていないのだろう。そう思いたい。
じりじりと花凛は顔を近づけてくる。
そんな中、店員さんがおずおずと飲み物を持ってきてくれた。届いたコーヒーを口に運び、花凛と目を合わせないようにする。
ため息が遠くに聞こえたのでカップを置いた。花凛も同じようにカップを置いた。金属のぶつかる音が二人分聞こえるのはまだ慣れない。
「今日の映画の話はいいかな」
「どうしていいんだ?」
「だって、もうヒロインの子が思ったことなんとなく分かったから。恋心とかじゃなくて、助けられるとやっぱり嬉しいなあって。だからいいかな」
「男子の方は?」
「そこはもう想像で補うしかないでしょ。やれやれ系主人公はアニメに多いから、そこから考えられるよ」
アニメを見ないから、そのやれやれ系主人公が分からなかった。いや、なんとなく分かるが分かりたくないという思いの方が強い。
花凛にこれ以上話す気がないようなので、肇も聞かないでおいた。
椅子に深く腰かけ、目を閉じて店内の曲を聞く。どこかで聞いたことがあるなと思ったら、本屋でよく流れている曲だった。
そこに聞き慣れない紙の擦れる音が混ざってきた。紙の上で紙を滑らせたときの、切れ味のよさそうな音だ。
「……この間買ったやつ、もうやるのか?」
音を出していた犯人に尋ねると当たり前のように頷かれた。ノートとワークを広げて、もう問いに向かっている。
肇の家で勉強するときの幸一にも見習ってほしい取り掛かりの速度だった。
「真面目すぎるだろ」
「こうでもしなきゃ置いてかれるからねー。肇も勉強しないとやばいんじゃない?」
「俺はいいよ。バイトして映画見て勉強してって生活のサイクルだと、勉強する時間はそれなりに多いからな」
「……私はバイトしてないから、肇よりは勉強時間が多いんだね」
「その分誰かと出かけてるんじゃないか?」
「同じ人とよく出かけてるかも。でも勉強教えてるし、有効活用してるつもりだけどね」
肇と幸一のような関係性なのだろうか。そこが分かると、なんだか親近感が湧いてしまう。
業務的な調子で話す花凛をなんとなく眺める。髪を結んでいるため、つむじ付近の髪に一直線になっていてキレイだなと思った。艶があって張りもあって、自分のボサボサ頭とは大違いだと感じた。
花凛は紙面の中央あたりでシャーペンを止め、ん~、とゆっくり首を傾げる。数秒後にシャーペンの押す部分を顎に当て、こちらを上目遣いでチラ見した。
「……分からないのか?」
「うん。授業で出てきたような気がするんだけど、難しいからってすっ飛ばされてさー。そこが業者テストで突かれるんだよねー」
「どこだ?」
コーヒーを寄せて紙面を見てみる。分からないと思うよ、と言うわりに、花凛は指さしで問題を教えてくれた。
字が反対なので正しく読めているか自信ないが、おそらく合っているだろう。並べ替えの基本はバラバラになっている語句からまとまりを作ることだ。
「この問題のどこが分からないんだ?」
「語句の並びかなー。前置詞が多くて分かんない」
「前置詞単品で覚えるんじゃなくて、前後の繋がりも覚えたらどうだ? これとこれが意味が合いそうだなってパズル感覚で解いていく。今回の場合だと――」
その後、一時間ほど英語を教えていた。




