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強くて可愛い

 結局、昨日のうちに話を聞くことは叶わなかった。自身の勇気のなさが原因であることが分かっている以上、肇は落ち込むことしかできなかった。自室のベッドに腰掛け、足の上に肘を乗せ、深く重く息を吐く。

 花凛が風呂に入ってからの二十分ほど、こんな有り様だった。


「聞けば話してくれると思うんだがなあ……」


 昨日今日と、花凛はケータイを見てしばしばため息をついている。肇がその場面で声を掛けると、花凛は決まって同じような笑顔を見せた。やせ我慢しているような、頼るものがない人の気丈な笑顔。ちょっとの衝撃で壊れてしまいそうなほどにそれは脆い。


 背中に手を回して「大丈夫か?」と肇は尋ねた。花凛は「大丈夫だよう」と目を細めた。それが今日の朝のリビング。

 午後からバイトに向かった肇は、身が入っていなかった。おかげで何回か客とぶつかりそうになった。ここまで上の空だったのは初めてだ。


「聞く、か……」


 決意したというよりかは、最善策を考えついたときの呟きだ。かれこれこんなことを三回ほどループしていた。


「不毛だな」


 考えては考え直しを繰り返し、風呂からあがってクリアになった思考が闇に包まれ始める。どうしようもなくなって、最終的に立ち上がって伸びをした。考えることの放棄だ。


 そのときに下から扉の開く音がした。方向からして、リビングではなく脱衣所だ。花凛の足音が一階のいろいろな場所を鳴らし、やがて階段へとやってきた。


「落ち着けよ」


 温かいアッサムを飲む。濃厚な味が口の中に広がって、焦りすらも流してくれる。最近は夜に紅茶を飲むことが多くなっていた。コーヒーよりも寝付きがよくなるのだ。


「よし」


 これは決意の声だった。一音いちおんしっかり聞こえる足音に、明鏡止水の心持ちで意識を向ける。やがてそれが目の前にやってきた。

 扉が開くと、タオルを首に掛けた花凛が入ってくる。こちらの姿を見るなり、おっという驚きを見せた。


「どうしたの? そんな真剣な顔して」

「……少し、聞きたいことがな」


 先程までの決意はどこへやら、とたんに弱々しい声となって言葉が紡がれる。けれどちっぽけなその声でも伝わったのか、花凛は一瞬身震いした。ティーポットから紅茶を注ぐ。


「ありがと」

「いや」


 花凛は床に正座してカップを両手で持った。熱かったのか、ちびちびと飲んでいる。

 肇は彼女の隣に胡座をかいた。花凛は飲むのをやめ、カップをじっと見つめる。


「聞きたいことって、私のことだよね?」

「……ああ」

「ここに来た理由?」

「そこも含めて、花凛のことが知りたい」

「そっか」


 花凛は相変わらずカップをじっと見つめている。水面に映った彼女と目が合った。ごめんねと謝るように、花凛が眉を下げた。


「厳しいか?」

「うん……でもほら、話さないと進まないじゃん」


 顔を上げ涙目で笑った。自分のペースでいいから、と潤んだ辛子色を諭した。分かってるよ、と更に辛子色が潤んだ。力強く瞬きを二回、


「よしっ……どこから話せばいいかな」


 そう言った花凛は正面に向き直る。カーテンの閉め切られた一室で見つめ合うのは、もう何度目だろうか。


「えっと……じゃあまず、お願いからしていい? クリスマスの」

「ん? ああ」

「重いからよく聞いてね?」


 わんぱくな笑みで発せられた言葉。その愛嬌とは反対に、身構えてしまうような発言内容だった。お願いにかこつけて花凛の思いを聞こうとしたり、告白したりすることを考えた肇が言えた義理ではない。


「どんと来いだな」

「じゃあ遠慮なく」


 笑みの交換をしたけれど、やはり重いとなると言いづらいらしく、花凛は躊躇いを見せる。開きかけた口から言葉は出てこなかった。

 そっと彼女の頭を撫でる。いつもより水気を含んでいる。撫でたあとにと手からいい香りがしてきそうだ。


 花凛は肇の近くにある丸テーブルを見ていた。


「嫌いにならないで」

「ん?」

「嫌いに……ならないで」


 『ならないで』を弱々しく言い、怯える子犬の目で見つめてきた。


「頼れる人が、もう、いなくなっちゃうから……」


 ふっ、と安心させるように優しく唇を曲げる。見上げた花凛の、吸い込まれそうなほど大きな大きな瞳。その中に自分が写って見えるほどだった。


「ないな。それは」


 寄りかかってきた花凛に、少しの間だけ体を貸した。





「本当に、肇と話してると泣いてばっかり。……いや、泣かされてばっかり」

「人聞き悪いな」

「ふふっ」


 口元に手を当てた。胸を貸り、今現在も貸りている状況で上機嫌の花凛。今度は肇の鎖骨に頭をグリグリと擦り付け始める。


「痛い」

「痩せてるからでしょ」

「……それって花凛が言えることなのか? だいぶ細いぞ」

「具体的にどの辺が?」

「足とか……あっ」


 誘導尋問という単語が頭をよぎる。振り返った彼女の顔を見て確信する。白い歯が魅力的だった。


「肇って女の子のそういうところ見てるんだね」

「半ズボンから見えるだろ」

「このままだとセクハラされそうだな~」

「しねえよ」

「女の子を収めてるのに?」

「おい……だから人聞き悪いって。胡座かいてる上に乗ってきたのは花凛だろ? 俺は悪くねえって」


 笑みを深めた花凛は分かっているのやら分かっていないのやら、肇には判断できなかった。


 分かったことと言えば、これから重いお話が来ることだ。笑いを誘って、無理に部屋の雰囲気を明るくさせようとしている感じがあった。

 気付いたからこそ、肇は何を言われても相槌を打てるように構えていた。心内のみで構え、ぱっと見は女子を足の上に乗せている気だるげな彼氏を演じてみせる。


「母さんとまたゴタゴタがあって。助け舟を出してくれる人――って言っても父さんだけなんだけど。父さんがその場にいなかったからお互いにヒートアップしちゃって、こう、ね?」

「ああ」

「私はだいたい言われる側なんだけどさ、いつもは流せる母さんの発言を流せなくて」

「そうなのか」


 彼女の言葉がクールに熱を持ち始めた。沸々と湧き上がってくるそれは一切の迷いもなく、肇の相槌に「そう」と断言する。


「あなた、遊んでるんじゃないかって、その様子で大学に行けるのかって、冷たく言われて。しまいには私と一緒にいてくれる友達のことも貶し(けなし)始めたから抑えられなくなっちゃって」


 出来事を思い返すようにゆっくりと、そして力強く、花凛の拳が握られた。


「私が直接言われてるわけじゃないんだけど、あまりにも酷い言いようで悔しかったから泣いちゃった。今はもう母さんの言葉には動じないかな。私の友だちが面識のない母さんからああだこうだ言われるのっておかしいし」


 ぱっと手が開いた。母親の言葉を投げ捨てたつもりなのか、鮮やかなパーだ。


「本当は成績表を見せて何も言えなくしてやろうと思ってたんだけど、我慢できなくなったから出てきちゃったの。母さんから見て遊んでる状態でも、成績が伸びていて学校で問題を起こしてないなら何も言えないじゃん。夏の三者面談で素行については褒めてもらってるし、残ってるのは成績だよ」


 母親に何も言われたくないのか、花凛は理責めで黙らせるつもりのようだった。悪いのは花凛の母親だと肇も思っているが、この方法で黙らせられることには少し同情してしまう。実の娘から論理で負かされるのは悔しかろう。


「もうすぐ成績表来ると思うから、その時が最後かな。もう何も言わせない」


 兎にも角にも、花凛は強かだ。


「いつも話聞いてくれてありがとね? 本当に助かるよ」

「いや、俺は聞いてるだけだ」

「その聞くだけをできる人って案外少ないからさ、一緒に入れて嬉しいな」


 無言の空気を共有してくれる花凛が近くにいてくれるだけで、肇にとっても嬉しいものだった。恥ずかしくてそれを言えないけれど、無理に聞き出そうとせずに自然体でいてくれる花凛は魅力的だ。


「そうだ! 肇、ちょっといい?」


 立ち上がった花凛が肇の後ろに回る。肇は何も言っていない。

 突如として首に両手を回され、柔らかいものが背中に押し付けられた。後ろから抱きしめられていると気付くまでに五秒はかかった。


「いつも肇から抱きしめられてるとき、私ってこんな感じなんだ。どう、安心しない?」

「そ、そうだな……」


 肇の心内を冷静に言葉にするならば、自身の成長度数を考えろ、といったところか。

 肇と花凛では当たる部位の柔らかさが根本から違うのだ。安心に勝るとも劣らない別の感情が湧いてしまう。


「今、肇の顔真っ赤っかでしょ。分かるよー?」


 そうからかってくるけれど、髪の隙間から見えた花凛の耳も真っ赤っかだったので。


「花凛のそういうところが可愛いと思うぞ」


 更に赤くさせてやりたいといういたずら心が芽生えたのだった。

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