朝と女子力
次の日の朝、肇がベットから出る頃には花凛の姿がなくなっていた。背中に残る温もりもないので、彼女はだいぶ早い時間に起きたのだろう。
伸びを一度して、テーブルに置いてあるケータイを見る。黒と白。肇のと花凛のだ。
「ケータイを持ち歩かないんだな……」
寝ぼけ眼を細める。信頼されているのか、それとも本当に持ち歩かない主義なのか。じっと白い方を見つめる。頭を振って考えるのをやめた。
部屋を見回して、カーテンが開いていないことに気付いた。下に注意して移動する。
「うっ……」
気持ち悪くなるくらい爽やかな太陽が目をさした。手で影を作るも遅く、目がチカチカしている。物理的にすっかり目が覚めた。
顔を洗ってリビングに行くと、二人はすでに朝食をとり始めていた。挨拶を交わし、ご飯を盛る。
花凛の隣りに座ったとき、グレーの服を着ていることが分かった。意外な装いに横を見たまま固まる。
花凛がこちらを横目で見た。
「地味……だったかな?」
「ん?」
「いや、じっと見られたから、思うところがあったのかなって」
花凛は不安げな口調で話す。
彼女が着ていたのはグレーのフード付きトレーナーだから、確かに地味といえば地味なのだが、部屋着感が出ていてむしろ素敵だと思ったのだった。美人が着るとカジュアルすら様になる。
花凪子がいる前では絶対に言わない。
「無彩色を着るのが意外で、ついな。外だと割と明るめの色だっただろ?」
「明るめって言っても寒色系だと思ったんだけど……どうだったかな。でも、家だとこういう色が多いよ」
相槌を打つ代わりに何回か頷く。自然と穏やかな笑みが浮かべられていたのだと思う。花凪子から早く食べなさいと注意された。
テーブルには昨日の夜食とスープが置かれていた。花凪子を見て、
「ポトフか?」
「ええ。花凛ちゃんが作ったものよ」
すまし顔でそう言い、ポトフを飲んだ花凪子は感心したように頷く。迷わず肇は茶碗に手をかけた。
一口飲むと、ほのかな温かさが口内を満たした。洋風な味の濃さではなく、爽やかでどんどん飲める程よい塩味だった。
「うまいな」
肇が呟く。花凛から息が漏れる。花凪子は負けを口に出したくないのか、静かに首肯している。
中に入っている具材は人参や大根など――見慣れない白い物体があった。口に運び、
「……、カリフラワー、だよな」
うん、と花凛は静かに頷いた。安堵に曲げられた唇が高校生のそれではなかった。彼女は自慢げに、
「いい出汁が取れるんだよっ。意外でしょ?」
「ああ」
肇は心底冷静に花凪子を見た。家でポトフを食べたことがなく、違いを分からないからだった。花凪子はすーっと目をそらした。言及しないほうが身のためだろう。
大根や人参は一口大に切られていて、やはり程よい塩味に箸が進んだ。味噌を入れたりするのもあるということで、花凪子が作り方を教わろうとしていた。
近い内にまた違ったポトフを楽しめそうだ。花凪子が作るというのが少し不安だが。
先に食べ終わった花凛と花凪子が席を立ったので、肇はすかさず顔を上げて、
「洗い物は俺にやらせてくれないか?」
そう頼んだ。
動きを止めて怪訝な顔をする花凪子。肇を見て、花凛を見て、小首を傾げた。分かっていないようだ。
「だから、俺に洗い物をさせてくれって言ってるんだ。花凛だけが動くのはおかしいだろ」
「ん~、私もやりたいです。花凪子さんには色々お世話になっているので、肇も私もお手伝いしたくて」
肇の物言いに顔をしかめた花凪子を、笑顔の花凛がうんと言わせた。
食器を流しに置いた花凪子は踵を返す。どうやら本当にやらせてくれるらしい。
「花凛ちゃんには肇のお目付け役をお願いしてもいいかしら? こういったことは経験させてないから、下手だと思うわ」
花凪子はド直球に言い残してリビングを出ていった。淡々と遠ざかっていく黒髪が憎らしかった。
「さて、肇はまずご飯を食べ終わることから始めないとね」
「急ぐか」
「だからといってかっこまなくてもいいからね? 私は待ってるし」
「それならゆっくり食べよう」
「うん、それがいいよ。急いで食べてつまらせたってなったら大変だし」
「……正月の餅みたいだな」
「”クリスマスのご飯”なんて言い回しになるのかな? ご飯って基本的につまらないと思うけど」
花凛は流しに食器を置いて椅子に戻る。両手首から肘をテーブルに乗せ、花凛はこちらを覗き込んでくる。食べる姿を見られていると食べづらい。
「あんまり見ないでくれると助かるんだが」
「え~? 肇の食べ方って綺麗だから、見入っちゃうんだけどなー」
「知らん。それよりクリスマスの願い事でも考えとけばどうだ? ホワイトクリスマスだったよな」
不満を漏らす花凛の声色はちょっぴり残念そうだった。変に見られていないんだなと安心するも、まさか声に出すわけにもいかず。
花凛の勝ちだろ、と彼女を見る。ところが疑問符が浮かんでいた。
「雪ってあったっけ? 当日、雨だったから、雪なんて見てないと思ったけど……」
「あったぞ? バイトから帰るときにほんの少しだけ、数センチも積もってなかったと思うが」
「本当?」
唸って考えても、花凛は思い出せなかったらしい。諦めるようにして、それなら考えておくねと見つめてきた。
「それでも……うーん、当日のことはあんまり覚えてないんだよね~」
苦笑した花凛。なんと返せばいいのか、さては詳しく聞けばいいのか。判断できずに肇は曖昧な苦笑を返した。花凛は一切気にする様子を見せていない。
「聞く準備しかしてなかったや。何をお願いされるかなーってちょっと楽しみにしてたんだけど」
「お願いを聞く準備ってなんだ……?」
「んー? なんだと思う?」
彼女が艶冶な笑みで聞き返してきたので、これは図られたなと肇は悟る。「な、なんだろうな」と目をそらして若干どもりがちに言って、なんとか流すことに成功した。深まった苦笑はしばらく戻りそうにない。
肇が箸を動かすと、花凛は正面を見て静かになった。時折聞こえてくる呟きから何かを考えていることが分かったが、それはおそらくお願いだろう。
真剣に願いを考えてくれる花凛の横顔は――
「……何?」
「いや、本当に考えてなかったんだな」
「うん。改めて考えると何も浮かばない」
「ダメじゃねえか」
なんのために賭けをしようと提案したのだろう。何かをしてもらいたくて言うのならまだしも、何も考えずに言うとは花凛らしくない。自分と話したかったのかと考えついたが、その思考は即座に否定された。十分に考えることなく、いわば反射で切り捨てていた。
食べていたものを飲み込んで、理由を花凛に尋ねた。左上を見た花凛は「分かんないや」と肩を竦める。哀愁を帯びた笑顔だったのは、はたして見間違いだったのか。
そこまで聞く気にはなれなかった。けれど肇は、聞かなければ花凛により添えないことは分かっていた。




