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ナチュラルにイチャつくといえばこの男

 正面の屋上の扉が開くと同時に肇は顔を上げた。幸一も腕を組んだまま振り返った。

 昨日は来なかった彼女らの姿があり、今日は寒い寒い言いながら弁当を食べたかいがあったなと肇は息を吐く。腰を上げて、もはや花凛と話すときの定位置になりつつあるフェンスへと歩き出した。


 左手に扉を臨むその位置に横座りした花凛は、白い歯を軽く見せて困ったように笑った。肇が首を傾げると「いや」と手を振って花凛は答える。


「テスト近いなって思っただけだよ」

「……二週間もない、というか来週からテストなのか」

「うん。肇に英語教えてもらったからどれくらい取れるかなーって。教えてもらったのに解けなかったら――なんて思うと、緊張しちゃうんだよね」

「あんまり難しく考えるのもどうかと思うがな」

「まあねー」


 実力が上がったのならテストの点数も上がるだろう。それを分かっているであろう花凛は、けれども自信なさげに遠くを見つめていた。

 黄色の瞳が、様子を窺うようにこちらを流し見た。


「私たちが話すようになってから初めてのテストでしょ? 実際にテストを受けてみないと、どのくらいの力がついたのか分からなくて。確かめたいって意味だったら受けたいんだけど、もし下がってたらって思うと受けたくなくなるんだよね」

「体感として、英語の授業の理解度は上がったのか?」

「うん。単語を覚えた分だけ対応できる範囲は広がったと思う。構文だって、どこに注目して読むと考えやすいかは分かってるつもりだし」

「なら大丈夫だろ」


 うーん、と花凛は首を捻る。唇をきゅっと結んで眉間にシワを寄せる姿さえも青空に映えていた。

 ここで肇はやっと腰を下ろした。フェンスに体を少し預けると、音で位置を判断したのか、花凛はこちらに体を寄せてきた。


 花凛が肩に頭を乗せてくると同時に拍動は早くなって。幸一がニヤニヤしながらこちらを見ている。そちらは有意義に無視した。

 さて、目を閉じた花凛は今にも寝そうな勢いで息を吐く。


「ずいぶん疲れてるな」

「そうだね……テストが近いから、勉強してる? って質問が結構きてさ。程々って答えてるんだけど、みんなに合わせるために勉強してないことにすればいいのかなーって。でも、それでいい点取ったら顰蹙買っちゃうじゃん?」

「どう答えればいいのか分からないのか」

「……いや、答えは分かってるんだ。今までどおりに程々って答えておけば間違いないって。でも正直かなり勉強してるから、程々に答えるのも嘘ついてるなーって」


 罪悪感がね、と花凛は乾いた笑いで話を閉じた。

 殊更(ことさら)に人間関係に疎い肇は相槌ののちに黙った。話を聞いてもらいたいだけなのか、それとも、アドバイスを求めているのか。視線を落としてコンクリの床を見つめる。


 我に返ったときには、くすんだ黄色の瞳がこちらをじーっと覗き込んでいた。ふふ、と鼻で花凛は笑ったけれど、それは微笑みの温かさがあって。


「女子って大変だなーって思ってたの?」

「いや。ただ、今のはアドバイスを求められて話されてるのか分からなくてな。人間関係の悩みは管轄外だ」

「ふっ、ふふっ……そっか」


 彼女は躊躇いもせずに笑った。目から笑っていることが伝わってきたから、口元を押さえてもあまり隠せていない。


「聞いてもらいたかったんだ。アドバイスとかは大丈夫だよ。こう見えて十年以上猫かぶってるわけだしね」

「自分で猫っていい出すのか」

「実際そうでしょ? 本来の自分は全然違うんだから、仮面をかぶってるって意味での猫だよ」

「ペルソナか」

「そうそう、ペルソナ」


 腕を絡ませてきた花凛は意味のない反復をした。顔を猫のようにこすりつけるけれど、制服がチクチクするのではないかと思ってしまう。

 と、ここで花凛は動きを止めた。匂いを嗅ぐ音が聞こえ始めた。


「この服から肇の匂いしないね」

「……昨日はなんでここに来なかったんだ?」

「ん、あれ、無視?」

「昨日って数学の再テストなかったよな?」


 気恥ずかしくて話をそらしたわけだが、花凛は気にしない様子でこちらの質問のことを考え始めた。

 やがて口を開いた花凛はどもり気味に、


「ちょっと行きづらかったていうか……思いっきり話した後だから肇が普通に話してくれるか自信なくて。それに、周りの人たちからたくさん話しかけられたし」


 伏し目がち答えた花凛は今でもしっかりと腕を組んでいる。何がとは明言しないが、とても柔らかい。花凛は自分の魅力に気が付いたほうがいい。でなければ肇の身が持たない。

 さて、話の後半にこれといった意味はないだろう。煩悩まみれの中、肇はなんとか前半部分に注目して思案した。


「普通に話すのが、それこそ普通な気がするぞ?」

「そうなのかなあ……誰かに話したことがなかったから、経験がなくて分からなかったんだよね。あの時は勢い重視で、あまり考えずに話してたし」

「話してくれたのは嬉しかったな」


 自分自身の過去を話した相手は、どうやら肇が一番だったらしい。一番という確かな響きには高揚感があった。もちろん言葉通りの嬉しさも含まれていた。

 花凛は納得のいかない様子で語る。


「でも、もっと上手く話せたと思わない? 評論みたいな文章までとは言わないけど、序論とか、本論とか……」

「結論とかか?」

「そうそう。ちょっと分かりにくかったんじゃないかなって」


 どうだった、と視線で訊いてくる花凛に、肇は上を向いて考える。

 上手く覚えていない、という答えが実際だった。ここでそう答えてしまったら、花凛の『分かりにくかった』という言葉を肯定しているような気がした。


「花凛の言いたいことは伝わってきたと思うぞ?」

「……分かりにくかったのは事実なんだね」

「分かりにくくても伝わればいいだろ」

「あっもう肇がフォローを投げた」


 言葉の裏を読まれてしまった。花凛は愉快そうに笑う。それがどこか悲しく見えたので、肇は花凛の背中に手を回そうとした。もっとくっつけという意思表示をするつもりが、腕がホールドされていて動かないことに気付いた。


 じっと花凛を見つめる。見つめ返された。


 大きな辛子色の瞳の中に、自分の顔が写っていた。

 過去にも、花凛の目を覗き込むように見ることがあった。そのときにも自分の顔が写っていたなと肇は思い返す。いくらか人間的に成長しただろうし、花凛との距離が縮まった気がするし、何より顔色がよくなった気がした。


「お前らナチュナルにイチャついてんじゃねえぞ」

「どこがナチュナルにイチャつくだ」


 向けられた半目に即座に半目を返す。幸一はやがて目を丸くした。


「え、何、お前……マジで気付いてねえの? 嘘だろ?」

「なんで『残念なやつ』みたいに言うんだよ」

「正味、気付いてない時点でお察しだろ」

「おい」


 三人分の笑い声が重なった。不機嫌に眉をしかめた肇を、花凛が「まあまあ」と宥める。


「幸一くんだった同じようなことしてたし、お互い様でしょ?」

「そうだよな……って、待て。花凛もナチュラルにイチャついてると思ってたのか?」

「うーん、どうだろうね? 仲がいいことの証だと思うな」


 眉に手を乗せて陰を作り、それから天を仰いだ。鬱陶しいほどの青空だった。


「そういや教室で食べることは話したか?」

「あっ、話してなかったな」

「何? 二人とも今度から教室で食べるの?」


 頷いて理由まで説明すると、花凛は眉尻を下げてに笑った。


「分かったけど、これからあんまり会えなくなりそうだね」

「会ったときにその分話せばいいだろ」

「ああまたイチャつき始めたぞこいつら……」

「どこがだよおい」


 またしても、三人分の笑いが笑顔が屋上にに響いた。

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