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用意周到

「今日お前の家泊まれるか、泊まれるな!?」

「急すぎる。無理だ」

「それなら部活が始まるまでのちょっとだけでも勉強見てくれ!」


 帰りのホームルームが終わったとほぼ同時に幸一はダッシュしてきた。血気迫る坊主頭というものは中々にホラーな映像だ。髪の長い女の人が追ってくる映画の迫力に劣っていない。増えるから後者の方が怖いなと考え直した。


 幸一はこちらの返答を予測していたのか、早速隣の机に勉強道具を広げ始める。よし、と一度頷いてから椅子に腰を下ろした。


 数週間前から急いで勉強を始めるよりは毎日コツコツとしていた方がいいと思ったが、運動部となるとそうもいかないのだろう。

 毎日続けられるのは素振りだけだ――幸一はこう豪語するくらいの野球バカであるから、テスト三週間前から勉強を始めたことを褒めた方がいいのかもしれない。絶対に褒めないが。


「数十分だったら見れるが、その後はバイトがある」

「サンキュ!」


 問題に取り掛かった幸一の横で、肇も英語のワークを開く。

 付きっきりで教えるわけではなく、聞かれた場合のみ教えるというのが肇のやり方だ。幸一が分かる問題は教える必要がないから、その間に自分も解いた方が効率的という考えからだった。


 人気のなくなった教室に、シャーペンを動かす音と幸一が英語を読む声が響く。時々独り言も混じっていた。

 声が途絶えたので幸一に視線を送ってみると、彼はワークを見たまま、


「月曜日のデートはどうだったんだ?」

「……花凛とのことを指すなら、デートじゃないと先に否定しておく」


 世間話を振るような軽さだった。

 肇は数秒シャーペンを止めて、話すと同時に動かす。幸一はなんの反応も示さなかったが聞こえていただろう。


 事実として肇は月曜日に会ったものの、花凛の言葉を”会うんだと思う”程度しか信用していなかった。曖昧な約束をデートと表するのは誇張がすぎる。

 さらに約束が付け足されてしまったが、それはおくびにも出さないよう心がけた。


「で、どうだったんだ?」

「どうっていうと、何を説明すればいいんだ?」

「何をって、あったことだよ。あの花凛と話して面白くなかったってのはないだろ?」

「そうだな、それはないな」


 迷いなく頷いた。

 今度シャーペンが止まったのは幸一の方だった。彼はニヤニヤと肇を見るが、肇は一切目を合わせない。


「肇が即答するとはなあ? なんの話をしたんだあ?」

「映画を見終わってから、カフェで主に感想戦だ」

「ふーん、主に?」

「……主に、だな」


 何気、幸一はこういった細かい部分に気が付く。気遣いとしてプラスにあらわれることが多いが、今回は違った。


 絶対に言わないから話せよ、と椅子から立ち上がった幸一は肩に手を乗せてくる。無言を貫いて英語の並べ替えをしていると、幸一は諦めたのか、肩の重みが消えた。


「花凛とお出かけしたいーって言ってるやつがたくさんいるのに、まさかお前が一番目になるとはなあ。野球部の行動力をも凌いでるぞ」

「俺はそんなんじゃねえよ。ただ、向こうが勝手に色々と取り付けてきたんだ」

「それもっとすごいじゃねえか」


 幸一のツッコミで考え直せば、言われたとおりに周りの人から恨まれるような待遇だった。

 その言いぐさだと来週も会うんだな、と他人事風に言ってきた幸一を見ると、


「向こうが勝手に色々と取り付けてきたんだろ? 一回しか会わないならそんなこと言わねえよ。もう一回会う約束を勝手にされたってことだろ?」

「ほんっと、よく聞いてるな。好きじゃない」

「そっちが勝手にボロ出すだけだろー? まあまあ、言わないでおいてやるから」

「頼む、バレたら面倒だ」


 写真を撮られて拡散されるだろう。メッセージアプリのグループ機能を使っている人たちが多いから、数分で学年に知れ渡る。

 幸一は乾いた笑いをこぼして、


「そんなこと言うなら行かなきゃいいのにな」

「約束は守る主義だ」

「面倒くさがりのくせによく言うよ」


 呆れを隠す気がない幸一の声は何度も聞いている。中学からこんなやり取りを何度もしていた。


「さて、雑談してるのもなんだし教えを請うてやろうか」

「教科は?」

「英語!」

「だろうな」


 ついでに、こんなやり取りも結構やっているような気がした。




 幸一と別れて、肇はバイト先の本屋に直行した。あまり大きな規模ではないが、店長の仕入れ方のおかげでそこそこ売り上げているらしい。

 裏口から入って着替え、いざ業務開始。今日は本の入荷日ではないから気が楽だ。


 見回りと本の整頓を兼ねて、店内をゆっくり歩く。どこの学校もテストが近いのか学生が多かった。


 教材を置いている棚へ向かうと、見覚えのある顔があった。本の背表紙を流して見ている辛子色の瞳は横目でこちらを見て、また本の背表紙に吸い込まれる。


「――って肇!?」


 その声は店内のBGMより大きく木霊した。思わず眉をひそめると、花凛はボリューム小さめに謝ってくる。驚かせた方も悪かった、と適当に謝って済ませた。


 いらっしゃいませ、と彼女の隣に並ぶ。どうやら英語の参考書を見ていたらしい。


「肇ってここでバイトしてたの?」


 興味深そうに覗き込んでくる花凛に相槌を打って、並んでいる参考書を順に見ていく。オススメは見つけられた。


「てっきりレンタルショップとかでバイトしてると思っちゃった」

「そっちの面接も受けたよ。ただ、ここしか受かんなかったんだ」

「あ、なんかごめん」

「いや、こっちの態度にも問題があったんだろ。仕方ない」


 面接に落ちて、どうしようかと悩んでいるときに見つけたのがこの本屋だ。参考書を安く買えるし給料もそれなりだし、ありがたいところに就けたなと今では思っている。


「それで、今日はどういった要件で来たんだ? 参考書を見ているのは分かったんだが」

「うん、英語の参考書を探してたんだ。文法を網羅している本ってどれかな?」

「文法か……」


 個人的に愛用している一冊を取り出して彼女に渡した。文法と例文が覚えられるので、型にはめて考える場合に有効だ。

 花凛はペラペラと真剣な顔つきでめくって、何度か頷いている。


「これが一番のオススメ?」

「俺の中ではな。他のと見比べるか?」

「お願い。長文の中で文法が学べると嬉しいな」


 彼女の注文通りの本を探していく。教科書を詳しくした感じのものがいいだろう。練習問題付きの方がいいだろうか。


「なあ、練習問題の量はどれくらいの方がいいんだ?」

「おお、いっ、方がいいっ!」


 力んだ声だった。ふざけてるのかと思って視線を送ると、普段の彼女の背にしては大きいなと思った。


「何してんだ……ああ、すまない。俺が返せばよかったな」

「うん、私も頼めばよかったね。ありがと」


 背伸びしても本を返せなかったらしく、頑張っていたらしい。

 はにかむ花凛から本を受け取って元あった場所に戻すと、羨ましそうに見られていた。


「身長が高いって便利だね。私が背伸びしてもギリギリ届かなかったのに」

「男女の差もあるだろ。こういうときはどんどん言ってくれ」


 本棚にダイブされたらたまったもんじゃない。後処理に困るくらいなら頼まれた方がよかった。嬉しそうに返事する彼女が意図を汲んでいるかは怪しいけれど。


 で、と話を戻すために先ほど花凛が言っていたことを整理する。長文の中で文法が学べて、且つ問題も豊富。

 指で背表紙を追っていき、頭の中で思っていた本と合致するものを探す。


「……一番あてはまってそうなのはこれだな。中々値が張るが……」

「んー? どれどれ?」


 笑顔からコンマ数秒で真顔になった彼女はページをめくっていく。時折頷いていた。

 パタン、本を勢いよく閉じた花凛は肇を見上げた。


「これにするね。何回も解き直せばかなり力が付きそう」

「そうか。……定期テスト向けじゃなくて、それは業者テストの対策に近いと思うが」

「分かってるよ。私は業者テストで点数を取りたいから」


 それ以上は何も言わせない笑顔だった。もちろん定期も頑張んないといけないけどね、と付け足したから本当に何も言わせない気なのだろう。

 花凛は本棚をもう一度流し見て、決意を固めたように一度頷く。


 肇の役割はここで終了だ。見回りに戻ろうと礼をすると、待って、と声を掛けられた。


「肇ってさ、この本屋さんに置いてある本のことはだいたい知ってるの?」

「……まあ、それなりには知ってると思う。この間のアニメ映画のタイトルの話もここから得た情報だったしな」


 質問されたときに答えるため、ある程度は把握するように努めている。先輩から教えられた、店員としての基礎だ。


「真面目なんだね」

「そういうのじゃねえよ」


 目を逸らして答えると、愉快そうな笑い声が花凛から漏れた。彼女は口許を隠してひとしきり笑ってから、


「この店、時々利用しようかな」

「それはありがたい。どんどん儲けさせてくれ」

「そうだね。いいもの置いてるし、肇のチョイスが的確だし……好きだなー。まさか本屋開拓の最中に会えるなんて、運よかったね」

「これ以上言うのはやめろ。聞いてるこっちが恥ずかしいだろ? 俺は戻るからさっさとレジに行ってくれ」

「あっそうだ、そのエプロンも可愛いよね。意外と肇にも似合っててさ」

「……早く行け」

「もー分かってるってば素っ気ないなー」


 それじゃまた月曜日ねー、と背中に声が掛かった。それは花凛のもので間違いなかったが、やはり、どうして映画を一緒に見ようとするのか分からなかった。理由を聞いてもどこかで疑っている。

 一顧して彼女を見ても、レジに向かう陽気なポニーテールが揺れているだけ。そもそもなぜ一人で買い物に来たのだろう。


 瞑目して首を数度振る。

 なるべく考えないように注意していたが、その日は寝るまで上の空だった。

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