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本分とは

 学校、バイト、勉強、映画やアニメと、ロボットのように平日を過ごすと休日はやってくる。

 今までは休日もロボットだったが、最近、イレギュラーが増えた。外出だ。

 レンタルショップしか行っていなかった肇がカフェに行くようになったと聞いたら、中学の同級生は驚くだろうか。それとも覚えていないだろうか。


 花凛がケーキを持って家に来るまでの間、肇はそんなことを考えていた。ベッドに腰掛け、誰もいない部屋を見渡す。一人だと広く感じるようになった。

 次いで何も乗っていない丸テーブルに目を移す。まさか花凛の勉強机やお菓子を乗せるといった使われ方をするとは、丸テーブル自身思っていなかったことだろう。


「イレギュラーにも慣れつつあるんだな……」


 恋愛映画で、告白するなら出会って三ヶ月以内だと聞いたことがあった。花凛という存在自体がイレギュラーだった昔と比べて、今は少し慣れすぎていないだろうか。


「いろいろ新鮮ではあるんだが……いずれそれにも慣れる、か」


 顎に手を当てて思案する。

 アニメはそこそこの数を知れているだろう。花凛がポロッと口に出したアニメは見るようにしているし、ネタで分からないところがあったら訊くようにしているし。

 ただ、アニメを倍速で見てしまうのはある種の温度差なのだろうと肇は思う。映画を倍速で見るような真似を肇はしない。


「ただまあ、興味をもっているってことが伝わればいいか」


 興味があるのはアニメでなく、花凛なのだ。そういえば、花凛のことをもっと知りたいと声に出したことがあっただろうか。

 考える人になってしまっていた肇は背筋を伸ばす。滞った血流がよくなるように、迷ってばかりの思考が流れるように。


 そうしてからテーブルに置いていたケータイを手に取る。パスワードを入れアプリを開いた。


『頼みたいことがあるんだが、いいか?』


 幸一にメッセージを入れた。一分も経たないうちに返信が来た。


『珍しいな』

『何かあったのか?』


 アドバイスを求めたいと返すと既読スルーだったので、おそらく送ってこいということだろう。


『心菜と距離を縮めるとき、どうやって会話した?』


 は? ――数秒で返ってきた内容は恐ろしいほど端的だった。たった二文字(クエスチョンマーク含め)なのに、眉をしかめた幸一から”何いってんだお前”と言われているような気すらした。


「そりゃそうなるだろうな」


 薄々感づいてはいた。読書が趣味の人がいきなり「ピクニックに行く」とか言い出したときの困惑に近いだろう。


『かりんのことか?』


 思い当たる節があったのか、少し経ってからそう送られてきた。相槌がてら適当に返せば、『なんとなく分かったわ』と返信が。


 幸一がもう一回メッセージを入れてくるだろうと踏んで待った。その間に見返したメッセージで気付いたが、花凛を『かりん』と書いていた。変換は試したのだろうか。


『いつ会うんだ?』


 『今日』と返せば『バカ野郎』と罵倒が飛んできた。納得のいかぬまま理由を尋ねる。


「『昨日送ってれば俺は会えたぞ』か……俺の方に用事があったから無理だったな」


 無意味な罵倒と分かったが、幸一はこちらの予定を知らないだろうし、そう思うと仕方ないと諦められる。簡潔なアドバイスな、無理やり話を戻した幸一の続きを待つ。

 ベッドに腰を下ろし、考えることなく横になった。


 相手のことをよく知れ、という真っ当で何の捻りもないアドバイスを頂き、どうやったら知れるか考えているうちに意識が切れた。焦ってケータイをつけると、


「まだ花凛が来る時間ではないか……」


 吐息し、スリープになった画面をもう一度つける。改めて見ると一時間ほど余裕があった。

 掃除は済ませてあるし、リビングにでも行って紅茶の用意をしようか。


 リビングの戸を開けると、テーブルに肘をついてケータイを見つめる花凪子の姿が目に入った。

 こちらを一瞥した花凪子はケータイに視線を戻し、いかにも興味なさげな声で問う。


「花凛ちゃんのお出迎え?」

「いや、一時間早いな」

「それならなんで来たの?」

「なんで来たってあのなあ……ここって俺の家だよな?」


 確かに休日にリビングに来ることなんて稀だけれど。と、そこまで思った肇はこめかみを押さえて言葉を飲む。花凪子の正面の椅子に無言で座った。


「何見てたんだ?」

「紅茶よ」

「……紅茶のなんだ」

「注文」

「ああ」


 頷き、花凪子のケータイの裏をじっと見る。何故かケータイを両手で持つ花凪子の左手、肌身離さずつけている婚約指輪。正直者である母からは、馴れ初めやデートスポットのことを聞いたことがなかった。もちろん父からも。

 しかしながら、二人が身につけていることを確認する度に、疑問に思う。相手が相手だから絶対に聞けないけれど。


「婚約指輪をつけたがらない人もいるから、花凛ちゃんに確認したほうがいいわよ」


 ケータイを伏せた花凪子は表情の読めない顔で肇を見る。肇はそれを無視し、伏せられたケータイを顎で指し、


「最近紅茶の消費量が多いんだが、大丈夫か? なんならいくらか払うが」

「そこまでうちの家計は苦しくないわ。ちゃんとスーパーの割引を狙っているし、無駄なカバンとかを私は買っていないし。これが一番大きいのだけれど、お父さんの残業代でかなり給料が増えているし」


 安心させるような笑みを浮かべる花凪子と対照的に、肇は伏し目がちに頷いた。


「残業代からかなり税金が引かれるんだって、この間嘆いてたわ」

「聞いてねえよ」

「あっでもアレね。家計はかなり安定しているし、どちらかというと貯蓄とかもあるんだけど、なぜか電気代だけ高いのよね」

「それはお互い様だろ」

「どうしてだと思う?」

「ここは聞いてくれよ」


 真剣に悩んでいる風な顔と声の母。ツッコミを入れると、満足したように笑った。


 実の息子すら掴みかねる人間性をもつ母を、どうして花凛は好くのだろう。適当なところなところが多く、尊敬されるような凄い母親ではないと肇は評価している。

 いい母親かと問われれば、それはまあ、頷くだろうが。


「今日はウバを飲むって言ってたわよね?」

「ああ、多分それだと思う」

「……花凛ちゃんって、ケーキを買ってくるのよね?」

「おそらくな。ケーキかどうかは分からないが、甘味であることは確かなんじゃないか?」


 そうね、と一人で首を上下させ腕を組んだ花凪子。何かを考えていることは誰から見ても明らかだった。それがろくでもないことであると予想できたのは、経験の差か。


「私の分もケーキってあるかしら?」


 母の言葉を有意義にスルーし肇は立ち上がる。ティーポットやカップの用意をしたらメッセージを送られければならない相手がいる。正しく言えば、送らなければならなくなった、である。


 テストまで二週間。勉強の休憩という目的だったはずのお茶会は、テスト勉強の時間をどれくらい奪うのだろう。花凛はそれで点数を落とすようなタイプではないが、母親としてどうなのだろうかと、そのことにまずはため息した。

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