球技大会 with インドア
立ち去った女子の言葉に花凛が動揺していることは明らかだった。
肇は、花凛が佇んでいる間ずっと言葉を探していたけれど、彼女に掛けるべき言葉が見つからずにいた。
映画を見ているのに、落ち込んだ人に対して掛ける言葉が見つからない。この事実が余計に、思考を悪い方へと誘導した。
素の花凛にしては珍しくて、学校の花凛にしては軽さの欠ける、床を踏みしめる足音が聞こえてきた。
曲がってこちらを見下ろした花凛に、掛ける言葉が見つからぬまま肇は笑いかける。大丈夫だ、という意思表示のつもりだった。
花凛は長く思いため息をついた。肇が普段つくような”現状に対してなんとなく感じる大変さ”からくるものではなく、”感情を吐き出し、そして押さえつけようとする”思いからくるものに感じた。
「隣、座るか?」
そうだね、と花凛はぶっきらぼうに答えた。気難しい顔にポニーテールは似合っていなかった。
彼女は髪を解かずに、肇の真隣に体育座りをした。膝の曲がり方すらも芸術的な両足を華奢な腕で押さえつけて、歯を食いしばって目を潤ませて。
それがあまりにもつらそうに見えたから。
肇は一度立ち上がり、彼女の正面へと歩いた。片膝立ちになってから、どうやって抱きしめるつもりか考えていなかったことに気付く。
「花凛」
彼女の名前を呼んで片方の腕を取る。膝を押さえつけていたはずのそれは、やけに簡単に引くことができた。
彼女の気持ちの赴くまま、厳密に言えば半分強は肇自身が仕組んだことなのだけれど、彼女を抱き寄せた。
骨ばっているわけでもなく、かといって弾力がありすぎるわけでもなく。抱きしめる度に彼女の肌に感心する。
ポニーテールのおかげで真っ赤な耳がはっきりと見えた。
「あの女子が俺のことをどう思ってるかは別にいいだろ? 花凛とは別関係なんだから」
耳元に顔を埋めた花凛は一言も返してこない。そのかわり、ゆっくりと押し倒して来た。
小屋の影から出た肇の顔が日に当たる。暑さと眩しさは、数分続いた。
最後に顔を胸元に押し付けた花凛は徐に起き上がった。
「馬乗りだね」
「ああ、そうだな」
彼女の顔でちょうど日が隠れている。
目が上手く対応できていないのか、彼女の顔色までは分からない。声のトーン的にはイタズラっぽく笑っているだろうか。
「重い?」
「…………若干」
「そこは重くないって返すところでしょ!?」
見た目通りに彼女は軽いのだが、それでも米俵以上の重さはあるのだ。それを重くないというのは力士かマッチョかホストくらいだろう。考えに考えた肇は正直に答えた。
もう、と花凛が呆れた声を出して笑った。
「それじゃ降りるよ」
一瞬だけ増した重みは消えた。
腹筋を使って起き上がると、花凛は日陰に横座りし直している。肇は彼女の隣に胡座をかいた。
「いつも思うんだけどさ、肇って落ち込んだりしないの?」
花凛から真っ直ぐに見つめられて質問された。
肇はビル群に顔を向ける。そして辛子色を見つめ直す。
「あまり、だな。落ち込むには落ち込むが寝れば忘れるし、何より、生きていく上では重要じゃないことで悩んでることに気付いたからな」
「例えば?」
「誰かに陰口を言われたりするのは、嫌われてたり嫉妬されてたりするだけだろ? それならその人に近づかないようにすればいい」
「そうだけど……簡単にできる?」
「最初は無理じゃないか? あと、人に近づかないようにしすぎると俺みたいに孤立するな」
「それってダメじゃない?」
ツッコミと心配をちょうどいい感じにブレンドした声色だった。
そうか、と聞き返した肇には、まだまだ笑みを浮かべる余裕があった。
「俺が気にしてないんだよ。今でも楽しいからな」
「……私、学校で肇が楽しそうにしてるの見たことないよ?」
「まあ気にするな。バイトがあって、趣味を理解してくれる友人がいて、それだけで十分だ」
ペラペラと自分のことを話していることに気が付いて、肇は口に手を当てる。花凛を一瞥、彼女はおっとりした笑みを浮かべていた。
「あまり自分のことを話さないから、もう言いたくないけどな。幸一とかに言ったって笑われるだけだ」
「えー? そうかな……?」
最悪、心配されそうだ。男子同士ではクサイ言葉を交わさないと、男の友人が一人しかいない肇でも知っている。
首を捻る清純派代表女子には分からないらしい。やがて首の角度をもとに戻した花凛は、
「幸一くんとの出会いってどんな感じだったの?」
「……幸一との出会い?」
「そう。さっきの友だちが言ってたみたいに、肇と幸一ってけっこう話題に挙がるんだけど、その二人ってどうやって会ったのか分かんないままでさ。仲がいいっていうことしか分かってないんだよね」
花凛の話に何度か頷き、肇は顎に手を当てる。
出会いは至極単純で、肇が助けたからだった。
中学一年生のときに職員室の前でプリントをぶちまけた坊主がいて、拾うのを手伝ったら幸一だったのだ。それ以後話しかけられるようになったわけだが、いくら適当に接しても無駄だったので相手をしている。
今となっては存在する、幸一と話す理由は伝えなかった。変に気恥ずかしくなるのが目に見えていたからだった。
「今の私と肇みたい」
助けたところから始まるのが肇らしいね、そう花凛は微笑みかけてきた。
「逆に心菜と花凛はどうやって仲良くなったんだ? 高校からってなると、仲が深めづらいような気がするが」
「そうでもないよ? 心菜の面倒見てるうちにどんどん仲良くなっちゃって。ああ、この子は嘘をつかないいい子なんだなーって」
なんとなく分かった。極悪人すらも呆れ返るような天然だから、接する人が自然と心を開いてしまうのだろう。プラスして、肇が心菜を苦手としている理由がここにあるのだろう。
花凛が時計を見たので肇も目で追うと、試合予定の時間まで三十分を切っていた。
楽しげな花凛と視線が交差した。
「ソフトボールだね」
「ああ」
「幸一くんと遊んでたってことは、できるってことだよね?」
「捕球はな。まあ、補欠だし出番はないと思うぞ」
「ふふ、フラグっぽいね」
各地で試合をしている現状を見ると強ち否定できない。クラスメートが忘れるかもしれないし、他の競技に出ていて出場できないかもしれない。後者の可能性は十分にある。
ひとまず、
「俺は先に行って準備体操とかキャッチボールとかしてくる。幸一は審判とかで会場にいるだろうからな」
「審判とキャッチボールとかいいのかな」
「……できなければ、一人で休んでるよ」
「あまりそういうところは見たくないけど、見ちゃったら心の中で応援してるね」
何をどう応援するかは聞かなかった。きっと正答なんて用意してないだろうから。
女神のように笑む花凛に笑顔を返し、
「お互い、あまり意識しないようにしないとな」
「うん。普段どおりの学校の感じでいけばバレないと思う」
頷いて、「俺はもう行くな」と花凛の横を通り過ぎる。
柔らかな感触の何か――花凛に手首を掴まれた。首だけで花凛を見る。
「今ここでしか伝えられないけど、私はちゃんと応援してるね。頑張って」
ぎゅっと最後に握られた。
淑やかなチアリーダーからの最大限のプレゼントを胸に、肇は屋上をあとにした。
球技大会という行事の、まったく運動に関係ない部分で、花凛のことを知れた気がした。




