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安心感

 オレンジが香る状態で相談し、肇の家で勉強会をすることになった。できるだけ他人のいない場所をと探した結果だった。

 相談を終えた頃には十二時半になっており、昼食を食べるためにリビングに行った。


 昼食は花凪子が丹精込めて作ったらしい、店の定食で出てくるようなものだった。

 花凪子と花凛の話を聞きながら、渡されたアフタヌーンティーを飲んでみる。爽やかすぎず寧ろ丸い味わいのこれは、食後よりも間食で飲みたいものだった。


 洗い物を手伝ったあと、紅茶の準備を再び整えて部屋に戻った。午後からは花凛の持ってきたアニメを見る予定だ。

 ディスクをセットして、リモコンを持って床に座った。


「ベッド座っていい?」


 花凛に頷くとすぐに腰を下ろした。花凛は足首付近で足を交差させ、ベッドに浅く座ったようだった。

 モデル並みに細い足が視界のすぐ横にある。可愛らしいクマのスニーカーソックスも見えた。


「けっこう見てるの?」

「いいや、深夜アニメを少しずつだな」


 興味津々な彼女の声に、肇は苦笑いで答えた。一週間に一話更新なので少なそうだが、いかんせん放送されるアニメの数が多いのだ。


「面白いのあった?」

「異能ものは面白かったな。アクション映画では難しいことが簡単にできてて、見たことない動きすらあったし、新鮮だった」

「……今季の異能ものって二つなかった? どっち?」

「二つどっちもだな。あっでも、魔力とかそういうので色々やるよりは、もとから持ってる自分のスキルでなんとかやっていくものの方が面白いかなって思うな」


 どうやら花凛もチェックしているらしかった。

 純粋に興味があったようで、花凛はベッドに両手を乗せて前に体を倒している。


「自分の能力をいかに応用させるかって見ててすごく楽しいよね。知力勝負っていうか、頭の体操とか勉強みたいで」

「で、予想外のところに能力を使われるとな」

「あ~そんな使い方もあったのか~っ! って、なんだか頷きたくなるよね」


 爽やかに笑う花凛につられて肇も笑みを浮かべる。見て楽しんでるとこ同じなんだね、と彼女は嬉しそうに付け足した。


「映画でも楽しんでる箇所はだいたい同じだよな」

「似てるんじゃない? 感性とかそういうの。でも一番面白かったっていうところは毎回合わないよね」

「似てても違うってことだろ? それに、一番面白いところを合わせるために映画を見てるんじゃないしな」

「単純に見ることが好きなんだもんね」


 「俺ここ一番好きだったんだけど……」

 「あっ同じ同じー! やっぱり私たち合うね! (本当は別のところが好きなんだけど……)」

 なんて会話ができるほど肇に協調性はない。どちらかが一方的に合わせにいくカップルは、恋愛映画の中でもどこでも、決まって最後に破局するのだ。相手が聖人だったり、合わせることが好きな人だったりすれば話は別だが。


 言いたいことを言う肇に対して、相槌をしっかり打ちながら反対意見も出してくれる存在はありがたいものだった。幸一も花凛も、相手に寛容なのだ。


 花凛の寛容さを自分と心菜しか知らないであろうと思うと、頬の緩む思いだった。


「そろそろ準備できたんじゃない?」

「……ん、ああ。そうだな」

「見よ見よっ」


 再生させるとホーム画面が出てきた。チャプター選択や音楽など色々ある。


「一番上のだよな?」

「~っ、そうそう」


 聞き慣れない音に振り向けば、口元を押さえて欠伸しているようだった。目頭が潤んでいるから間違いない。


「眠いか?」

「うん、少し」


 ほんのり色づいた頬に雫が伝った。それをパーカーの袖ですくった花凛は、今度、目元に人差し指を近づける。

 目をこすり始めたら「それよくないぞ」と言っていたのだが、彼女は目元の雫を人差し指に軽く乗せるだけだった。


「眠かったら寝ても大丈夫だから」

「……本当に大丈夫?」


 失礼じゃない? と確認するかのような眉の寄せ方だった。大丈夫だからと返すと、笑顔で礼を言われた。


「つらくなったらベッドにゴロンするね」

「ベッドにゴロン?」

「そう、ベッドにゴロン」


 横になることだけ分かっておけばいいだろうか。肇は首を傾げて曖昧に頷いた。

 潤う花凛の瞳を尻目に、やっと決定ボタンを押して見始めることができたのだった。





 DUDの三本目を見終わる頃には、すでに花凛は撃沈していた。

 ベッドに腰掛けたり床に座ったりと見方は様々だったのだが、最後には寝落ちした。


 肇は三枚目のディスクを取り出し、四枚目をセットした。読み込み中と矢印がグルグルしている。

 立ち上がって花凛を見る。仰向けになると目立つ丘が、規則正しいリズムで上下していた。ボディコンなら雪のような肢体も拝めただろうか。


 後頭部を掻いた肇は重い息を吐く。安心されているのだろうが、これでも肇は男なのだ。


「……まあいいか」


 ため息とともに感情を吐き出し、ベッドの端に寄せられていたタオルケットを見る。花凛の体を揺らさないよう慎重に歩き、取る。


「これで風邪ひくことはないだろ」


 タオルケットを掛けるときに、彼女の無表情な寝顔が目に入った。寝るときくらい表情を緩めればいいものを、何が苦しくてこの顔なのだろう。

 花凛自身の家で寝るときも無表情なのだとしたら、果たしてそこは家と呼べるのだろうか。


「苦しそうなら、やってもいい、よな?」


 誰かにいいと言ってもらいたいわけではない。こうして確認するのは、いわば言い訳だ。心内で台風並みの風速を誇っている臆病風が吹かないように牽制しているのだ。

 リモコンを取って、今度はベッドに腰を下ろす。左手で頭を撫でると、彼女の顔が少しだけ緩んだ。何度か見たことのある、見ている側も安らぐような子犬の顔だった。


 その状態のまま二本見ると、夕方五時を回った。時々休ませていた左腕も、いよいよ動かなくなりつつある。撫でられていた絹は相変わらずの艶を保ち、時折寝返りを打ったためにベッドに広がっていた。

 起こすかどうか、何が優先事項か顎に手を当てる。


「ディスク取り出してから考えるか……」


 立ち上がると腰から音が出た。体を捻ると、更に音が出る。

 転ばないように下を見て歩き、再生機器の前でしゃがむと、右手を器用に使ってディスクを取り出し、閉じる。


「私、寝ちゃってた?」


 跳ね上がった心臓が落ち着くようにと花凛を見て笑った。


「ああ。三本目のあたりからぐっすりだな」


 そっか、と重く呟いた花凛は肇の手元に視線を向ける。


「……五本目まで見たんだね。面白かった?」

「ああ。オープニングで使われてる映像がアニメでも流れたから、ああそういう場面だったのかってやっと分かった」

「ああ、うん。そのアニメ、オープニングもかっこいいよね」


 花凛は未だ眠いのか数回まばたきをして、


「よかったら置いていこっか? ちょうど全巻持ってきてるし」

「いいのか?」

「うん。肇だし、来週ももしかしたら見れると思うから」

「……来週って模試を解くんだよな?」


 確認すると、花凛は「休憩中に見ようよ」と夢を見ているかのように笑った。そして、疑心たっぷりの肇の目線に気付いた。


「来週はちゃんと起きてるからね?」

「いや、一回見てるから眠くなるってのは普通にあると思うんだが……」

「それはそうだけど、今回は睡眠時間が少なかったことが原因だと思うの。だから今週はしっかり休むことにする」


 今日は映画を借りないと婉曲に言ってくれたのだろう。無理強いするつもりはなかったので、肇もそれに頷いた。


 花凛は、まばたきだけして一切動かない。それを見ている肇がだんだん不安になってきて、ついに声を掛けた。


「帰らないのか……?」

「え、ああ、うん。もうすぐそうしたいんだけど、まだ眠くて……あ。もう少し可愛く言うと、今日はまだ肇と一緒にいたいんだ」

「前半が本心だってことは伝わってきたぞ」 


 彼女は乾いた笑いをこぼして、再起動のために休んでいた。

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