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茶々ちゃらっちゃ

 昼ごはんを食べて、皿洗いなどを手伝って、いよいよ花凛がくる時間が近づいてきた。

 昨日、花凪子に連絡して文字通り色々訊かれた後からだいぶ時間が経ったように感じられる。もちろん一晩しか経っていないだけれど、ことあるごとに花凪子から今日のことを質問されるので、そう感じてしまう。


 自分の部屋でそわそわしていてもしょうがないので、軽く掃除をしようとベッドから立ち上がった。しかし、必要なものしか置かない主義が災いしたか、肇の部屋にはこれといって寄せるものがない。

 午前の掃除でホコリも落ちていないのだし、これでは何のために立ち上がったのか自分でも問いたくなった。


 体全体を使ってぐるりと部屋を見回した。飲み物やお菓子を置くテーブルは拭いた。肝心の再生機器だってちゃんと動くだろう。見る映画は花凛に決めてもらうとして――、


「……飲み物か」


 何か変なものが入れられているんじゃないかという不安がよぎった。花凪子が紅茶の準備を買って出てくれたのはいいのだが、あの母親だからなあと肇はこめかみを押さえる。

 放任してくれているいい専業主婦なのかもしれないが、如何せんネタへの振れ幅が大きい。


「言いたいことを言い過ぎるのも、か」


 肇へのダメージは蓄積する一方である。おかげでダメージを受けないよう聞き流す術を身につけられた。


 と、そういえば花凛が花凪子とも話したいと言っていた。

 コミュニケーションやご近所付き合いを好んでいない花凪子も、花凛とはすんなり打ち解けられているので、年齢の差はあれど馬が合うのだろう。


「まあいいか。とりあえず様子見に行こう」


 階段をおりてリビングの戸を開けると、座っている花凪子が目に入った。近くにあったティーポットは、見かけ上は普通だ。


「気になるものでもあった?」

「いや」


 ケータイから目を離して問うた花凪子に首を振って返答。そう、と再び視線を落とした母は、抑揚のない声で言う。


「変なものは入れてないから」

「……そりゃまあ、普通そうだろ」

「本当? あなたがここに来たってことは、部屋にいても落ち着かないから変なことをしそうな母親の様子でも見に行くかって感じだと思ったのだけれど」

「ずいぶんピンポイントだな……」

「否定しないのね」


 幸一が家に来るときも今のようにリビングで待っていたから、案外あっさり看破された。

 息子から失礼な認識をされていても、花凪子は怒る素振りを見せない。


「どうして午後から来てもらうことにしたの? 幸一くんと遊ぶ時はいつも午前からじゃない」

「それはあいつがみっちり勉強したいって言うからだな。それに、午後から急に家に来てもらうことだって何回かあっただろ?」

「それはそうだけど……でも、あなたが事前連絡するときっていつも午前から遊んでるのよね」


 事前連絡したのに、どうして今日は午後から遊ぶことにしたのか。花凪子はそれが知りたいらしい。

 考えながら、冷蔵庫の中の水を取り出す。


「花凛とやり取りしてて、午前午後通して映画を見るのは厳しいんじゃないかって話になってな。時間だけ見ると三本は見れるんだが、流石に集中できないだろ?」


 ガラスコップに入れた水を一気に飲み干す。喉が潤えば、嘘の出も多少はよくなるだろうか。


 とはいえ、三本も見れば集中できなくなるのは予想できた。肇にとっては連続で二本見ることすら未知の領域なわけで、それが三本となればまあ寝るだろう。


 午前午後と他人の家にいたら気を使いすぎて花凛が疲れるんじゃないかという思いのほうが実際は強かったけれども、それを口に出すのは――特に花凪子に言うのだけは、避けたかった。


「疲れたら私と話せばいいわ。私は、あの子、とっても好きだけど」

「それは母さんが言いたい放題言ってるからだろ」

「でも花凛ちゃん、嫌そうな顔はしてなかったじゃない」

「っ、それは、そうだが……」


 思考に割り込んできた花凪子に反論するも、敵わなかった。ここに来る理由として、花凛も、花凪子と話したいからと言っていたのだし。


 空気を変えるように、音を立ててコップを置く。高いながらも鈍い音が部屋に響いた。


「まったく、降参だな」


 独り言のつもりで呟いただけだった。口パクに近かった声量だし、反応されるわけがないと思っていた。

 やはりケータイから目を離さずに、無表情でスクロールしている母は、


「それなら午後だけ遊ぶ本当の理由を教えてもらいましょうか」


 抑揚のない声でそう言った。

 まさかと思って聞き返すも、同じ言葉を言われる。三本見たら疲れるということが付け焼き刃だったと見抜かれていたらしい。


「……さっき理由は言っただろ。あれは本当だぞ」

「そうかもしれないわ。でもよく考えてちょうだい」


 画面を伏せてケータイを置いた。だいぶ色褪せた黄緑のカバーが目に入る。

 こちらを見上げる母は、どうしてなかなか、童顔ながらも迫力があった。


「花凛ちゃんなら、肇が『映画を三本見る』って言っても付き合ってくれそうなものじゃない? というか寧ろ、自分から見ることを提案しそうじゃない、『肇の持ってる映画は見たことないものが多い』って。それがないってことは、あなたが『午前中は掃除したいから』とか言ったんじゃないの」


 母の真剣な顔つきに、肇も呼応して顔を引き締める。

 花凪子の推理はだいたい当たっている。違うところは、午後からにしないかと自分から提案したところくらいだ。掃除は言い訳にしていない。


 花凪子から行動が読まれていることは置いておき、顎に手を当てた肇はこれまでの情報を遡り始める。


 一日に、映画を二本見れていた。

 アニメを夜通し見ることがあると言っていた。一話三十分で、ワンクールは、十話ちょっとだったろうか。


 上二つを実行する人が、どうして映画を三本見るのが疲れそうと言うのだろうか。


 それに気付いたとき、肇は思わず息を呑んだ。同時に、自分よりも花凛のことを分かっている花凪子が不思議に思えた。上二つの情報は肇しか知らないはずだから。

 肇よりも少ない情報で、花凪子は、どうして”花凛の思いそうなこと”を予想できたのだろう。


「その様子だと、嘘だって気付いたのかしらね」

「……まあ」


 ため息をぐっと堪えた。そのかわり、自分に情けなさが募る。

 花凛のことを、花凪子が知りすぎているのではない。自分が知らなすぎたのだ。花凛と花凪子の関係に入り込む余地を探してみる。

 少し、胸が痛んだ。


「これでも飲んだら?」


 スッと差し出されたマグカップからは爽やかな香りがしたけれど、それを楽しむ余裕はない。


『あら、あそこにサムくんいるじゃなーい」

「………………はあ~」

「今日一番のため息がここで出るとは思わなかったわ」


 花凪子の茶々が、今だけはありがたかった。





「相変わらず映画たくさんあるねー。今日は何見る?」

「花凛が見たいのを選んでくれれば」

「うん、分かった」


 無事に心を落ち着けて花凛を迎えた。ティーポットごと持ってきて、花凛と一緒に紅茶を楽しんでいた。自分が紅茶を飲みたいと言ったときに花凛は意外そうなリアクションをしていたけれど、嫌そうな顔はしていなかった。


 映画を選ぶ花凛の隣で、テレビをつけて再生機器の電源も入れる。

 お嬢様スタイルの髪が目線のちょっと下の方に見えた。やはり、学校で見るポニーテールよりもこちらの方が好きだ。


 ゆったりとしたストレート系のパンツを履いて大人びた感じを出しているのも、彼女にはよく合っていた。


 彼女がDUDケースの背表紙に手をかけたのが見えた。顔をテレビの方に戻す。


「これが見たい……かな。うん、これが見たい」

「ああ。……コメディ映画か。二人でコメディ系を見るのは初めてだったか?」

「うん、初めてだね」


 花凛は肇にケースを渡して、伺うように上目遣い。


「私、コメディっていうジャンルそのものが初挑戦だから……」

「ん? ああ」

「その……ね?」


 何かを察してほしいのは伝わってきたが、いまいちピンとこなかった。


「悪い。何を察すればいいのか分からん」

「……笑い方」

「そこは別にいいと思うが……」


 気にするところが女子だった。

 むう~と半目で見上げる花凛は諦めたように吐息、


「……肇以外いないから選んだけど、周りに人がいたら気にして見れないんだからね!」

「あ、ああ」


 気迫に押されて頷いた。都合のいいように解釈してもいいのか、それとも彼女の言葉の綾か。映画をセットして流すまで考えていたけれど、結論は出なかった。


 隣で映画を見ていた花凛の笑い方は、いつもどおりの、口許に手を添えて控えめに笑う上品なものだった。

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