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珍客来店

 放課後、バイト用の服に着替え店内に行くと、幸一と心菜が入店したのが遠目から見えた。手は繋いでいなかった。

 帰りのホームルームが終わってまっすぐバイト先に向かって出くわすということは、もとより二人はここに来る約束をしていたのだろう。


 こちらを見ながら片手を上げる幸一に会釈。その場で待っていると、心菜と別れた幸一が話しかけてきた。


「ようっ!」

「ああ」


 何をしに来たのか尋ねると、本買いに来たんだよ、と至極真っ当な返しをされた。

 スポーツ――更に言えば、筋トレについての本が並んでいる道に幸一を案内する。本棚一つ分しかないが、それでも彼は驚きの声をあげていた。


「意外とあるもんなんだな」


 幸一は手にとった本をペラペラめくりながら独り言のように呟く。

 そうだなと聞き流して良さげな本を探すも、筋トレとは無縁の生活を送ってきたためか何がオススメなのか分からなかった。あとでネットの評判を見たり調べたりすることにした。


 本を棚に戻し、新しく一冊を手にとった幸一。テスト勉強以来の真剣な顔つきを見て、ふと今日が平日であることを思い出した。


「部活はないのか?」

「ああ、ないぞー」


 頻繁に整えていることが予想できる、数ミリの坊主頭を幸一は持っている。そんな彼の所属する、部活大好きな熱血漢が集まっていそうな野球部はほぼ毎日部活をしている。

 それがないと答えられ、しばらく幸一を見てしまっていた。


 こちらを一瞥、幸一はまた本に視線を戻す。


「先週の土日に、二日連続で練習試合が入ってなー。一週間に一回は休みがほしいって直談判してきて、もらってきた」

「そんなあっさりもらえるのか?」

「そりゃ一年全員で行ったからな。圧があったんだろ」


 ただまあ、と一旦呼吸した幸一は声に妙な含みを持たせて、


「予定がないやつは自主練でもしてるんじゃねーか?」


 肇の目の前にいるやつはデートって名前の予定が入ってましたと、そういうことらしい。本を見る幸一はあくまで真剣だった。


「部活のない日くらいゆっくりしたらどうなんだ?」

「十分ゆっくりしてるだろ?」


 制服のまま本を読んでいるだけである。

 今しがた目を大きく開けてこちらを見た幸一のどこがゆっくりしているのかと問われれば、肇は答えに窮するところだ。


 合点がいったらしく、幸一は「ああ」と一人頷いた。幸一が一瞬だけニヤっとしたことに肇は気付いていない。


「部活がないってだけでまあ確かにゆっくりできるがな? お前が花凛と映画見に行くようなもんだよ」

「……はあ」


 分かったような分からないような、そんな感じのまま曖昧に相槌を打った。


 確かに花凛と出掛けるのは楽しいのだが、ストレスがたまらないことはないだろう。もし『他人と出かけてストレスがたまらない』と豪語する人がいたら、その人は肇の中で、気を使わない人という認識になる。

 誰しも知らず知らずのうちに気を使っているものだろう。もちろん、程度の差はあるけれども。


 険しい顔のままだったのか、分からないならいいと幸一が話を切った。


「……悪いな」

「別に肇が悪いわけじゃねえだろ。分からなかったのは意外だったんだが」

「花凛といるときの俺は、そんなに楽しそうか?」

「ああ」


 考える素振りも見せずに幸一は答える。続けて、


「自分じゃ気付いてないのかもしれんが、遠目から見てると、楽しそうだなって感じるわ。てかあれだろ、屋上でのアレが代表例だろ」

「もう忘れろ」

「断る」


 すかさず幸一が鼻で笑ったのを聞き逃さなかった。睨んでも、まあそう怒るな、とニヤニヤしながら宥められるだけだった。

 ことあるごとに予鈴の件を話題に挙げられる。もうしばらく忘れてもらえないことが簡単に予測できて、ため息が漏れた。


 と、本を閉じる音が聞こえて顔を上げた。


「ほんじゃ俺レジ行ってくる」

「ん、ああ。場所は分かるだろ?」

「……まあせっかくだしついてこいよ」


 ついていかないと無理やり引っ張っていかれそうなので大人しく後ろを歩く。店員が客から案内されているという不思議な構図なのだが、それはこの際気にしないとして。

 レジ近くで待っていた心菜のところまで歩いていき、あとは頼んだと心菜に言って、あの坊主はレジに向かってしまった。


 さて、残された身としては何が『あとは頼んだ』なのか見えてこない。幸一の背中を見続けていると、服の袖が数回引かれた。


「明日、おうちで遊ぶんだよね?」


 この言葉の意味が分かるまで、肇は十秒ほど要した。いつは明日として、誰とどこの家で遊ぶのか。花凛との約束を忘れているわけではないけれど、それを心菜が知っているはずは――


「あれ? 花凛ちゃんと一緒に遊ぶんだよね?」

「んっ、あ、ああ」


 とりあえず頷いておいたが、自分でもどもっていたのがはっきり分かった。幼気に首を傾げる彼女がなぜそれを知っているのか、花凛が話したに違いないとは思うけれど、もしかしたら、変に話が広がっているのではという不安もあった。

 こちらの不安を知ってか知らずか、声を弾ませる心菜はニコニコ顔である。


「花凛ちゃんが話してたんだ~っ! 昨日一緒に帰ってるときに、『家で映画を見ることにしたんだ』って!」


 心菜の中での『家で遊ぶ』とはなんなんだろうと意識が遠くなる。目頭を押さえて天井を仰いでもなお、彼女は話し続ける。


「すっごく楽しそうだったの。もうなんかひゅーひゅ~! って感じでさ!」

「まあ、まあ落ち着け。ここ本屋だから」


 目を輝かせる心菜をやんわり諭す。


「ごめん……」

「あー……まあ、分かればいいんだ」

「うん、わかったわかった!」


 まさか花凛がそう思っていたとは。

 なんとなくで心菜と会話している肇の頭の中はそれ一つだった。心菜の興奮度合いからするとそれなりに楽しみにしてくれていると感じたのだが、如何せん心菜はリアクションがオーバーな節があるので大きく期待できない。


 ここでは『花凛は嫌がっていない』とだけ結論づけた。


「おうちで一緒に映画見るなんて、肇くんも隅に置けないね~」


 間延びした、少し舌足らずで甘い声に改めて意識を向ける。

 笑っているのかニヤけているのか判別できない表情の心菜は、「このこの~」と肘でこちらをつついてくる。


 先程の『花凛が嫌がっていない』ことを極力気にしないようにしつつ、できるだけ平常運転を装って、


「で、なんで隅に置けないんだ?」

「だって花凛ちゃん、肇くんを見つけると遠目でいつも追ってるから。すっごく仲がいいことが伝わってきて、私も嬉しくなっちゃって」

「そうか……」


 頬の表情が変わらぬよう呟いた。しまいに右頬を親指で押すという行動に走っていた。


「花凛ちゃんが男子の家に行くって初めてなんじゃない?」

「……そうなのか?」

「うん。あっでも一回おぶったとかなんとかで騒がれてたことあったっけ? あれのこと肇くんは知らない?」

「さあな。気付いたら聞こえなくなってたぞ」

「うーんそっかー……花凛ちゃんも話してくれないからな~」


 むむむと眉を寄せる心菜をよそに、肇は人知れず安堵の息を吐く。

 花凛は自分の意志で肇の家に来たことがあるし、泊まったことだってある。時期だけを見て言うのであれば泊まったことのほうが先だ。


 思い返して、最初と比べると距離が縮まったんだなと実感する。カップルの割引を使って間もない頃は、まさかこんなに彼女と親しくなるなんて考えてもいなかった。


 運動に難があると彼女は言っていたが、そこさえ見なければ非の打ち所がない。そんな彼女と付き合えたら将来も安心だろうなと思う。花凪子の言っていたことは肇にも分かった。


「ねえねえ、肇くんは花凛ちゃんのことどう思ってるの?」

「ん?」


 跳ね上がる拍動をおさえつけて冷静に聞き返す。


「どうっていうと、例えば?」

「んー、好きとか!」


 吹き出しそうになったのをわざとらしい咳払いで済ませる。

 まるで幼子な心菜の笑顔を直視せず、考えている体で店内を見回した。


 やはり幸一がレジにいない。会計を済ませたやつはどこに――遠くで本棚と睨めっこをしていた。目が合ったあたり、絶対にわざとやっている。

 だからこそと言うべきか、幸一の助けは期待できない。


 ふむ、と静かに息を吐く。無難な答えでいて、かつ自分が思っていることを話した。


「レベルが違いすぎるだろ。映画仲間ってだけだ」

「そうなのかな? 付き合ってるように見えるんだけど……」


 ツッコミをぐっと胸で堪える。きっと心菜は、彼女自身と幸一の関係性を分かっていない。

 彼女が考えている間、肇はひたすら黙っていた。でないと変なことを口走りそうだった。


 やがて唸り声を出さなくなった心菜は、静かに呟く。


「花凛ちゃんは、レベルが違いすぎるって言われるの嫌だと思うな」


 心菜が何を思ってそう言ったのかは想像できない。しかし、言い得て妙だなと、肇の中でストンと落ちるものがあった。


 花凛がアイドルと言われることをよく思っていないのは確かで、肇はレベルが違いすぎると言った。

 上に見られるのが嫌なのだろうか。そう考えると、対等な物言いをする花凪子が好かれている理由も説明できるような。


「悪い心菜。今度から花凛にはそう言わないようにする」

「う、うん……」


 得心のあまり肇は何度も頷いた。心菜は困惑気味に頷いた。


 ちょうどよくやってきた幸一にたっぷりと半目を向け、二人を見送る。

 とてもいいアドバイスをもらえたような、けれどもまだ自分の中では消化しきれていないような、そんな感覚だ。考え続ければいずれ結論は出るのだろうか。


 花凛を異性として好いているわけではない。ただ、傷つくことをしたくないだけ。

 二人きりでいるときの花凛は、学校で見ている彼女とは明らかに違う。空元気な感じがない。


 都合よく言えば自然体。彼女がそう振る舞える空間を侵さないようにと、バイト中に考え事をしまくっていた肇は拳を握った。

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