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心内と近づく球技大会

 花凛から『入口にいるよ』とのメッセージが入っていた。肇はすぐに着替え、急いでいる感じを出さないように正面入口に向かった。


 店の柱の近くに立つ花凛はケータイを見ており、こちらに気付いた様子を見せない。近くまで行って声を掛けようとしたとき、三人の男子が花凛に直進してきたのが分かった。

 幸い、こちらの方が早く花凛に接触できた。


「悪い、遅れそうになった。行くぞ」


 彼女の返事も聞かずに手を取って歩き出した。慌てた様子ながらも大人しく手を引かれる花凛は、ケータイを胸元に当てて落とさないようにしている。


「これから近くの映画館に行くんだろ? 楽しみだな」

「う、うん……」


 花凛からの不審がる視線は増すばかり。こちらの笑顔は乾くばかり。

 なんともまあギクシャクした関係だ。それもこれも全て、肇が一人でロールプレイしているからなのだが。


 花凛が車道側を歩く形になったのはやむを得ないが、後で謝っておこうと演技の裏で思っていた。

 揉め事なく男たちとすれ違って、角を曲がった先で繋いでいた手を放した。


「悪いな。許可もなく手を取ったりなんかして」


 そう言いながら、花凛の後ろを通って車道側に移る。やはりこちらが落ち着く定位置だった。


「全然構わないんだけど、何かあったの? 映画見に行く約束ってしてないと思ったんだけど……」


 本気で『大丈夫か?』と心配する視線を送ってくる花凛。平和な性格なのは間違いないのだが、外に出た時はもう少し周りを気にした方がいいような。肇が知っている限りでは二度ナンパされているわけなのだから。

 とは言え、そこを指摘したところで彼女の負担を増やすだけだろうから、今のようにそっと行動できればよさそうだ。


 手を振って彼女の言葉を否定し、


「声を掛けられそうな雰囲気だったから、連れがいるって見せたかったんだ。手を繋ぐのは演出の一つだったんだが……本当に嫌じゃなかったか?」

「だから、本当に嫌じゃなかったんだって。……もう。なんならもう一回繋ごうよ、私はウェルカムなんだから」


 手を繋ぐことが嫌ではない――彼女はそれを証明することに集中しているようだった。他に頭が回っていないのか、ナンパされそうだった、と遠回しに言っても以前のように怖がっているようには見えない。


 花凛は立ち止まって、こちらの手首をギュッと握ってくる。逃さないように両手でしっかり握り込んで、『本当でしょ?』と訴えるようにこちらを見つめて。


 辛子色の瞳をじっと見つめる。そしてゆっくりと目を逸らす。


「分かったから。なんだ……分かったから」

「う、うん……」


 何か言おうとして言葉が浮かんでこず、結局、大事なことなので二回言ったみたいな感じになった。首に手を当ててしまっている自分は、きっと苦笑を浮かべているんだろうなと肇は心内で思う。


 一方で、完璧に証明してみせた花凛もまた頬を紅潮させていた。それは紅葉を思わせるくらいに鮮やかな色味だった。


「改めて手を繋いだりすると本当に緊張しちゃうんだよね……」


 ぼそっと放たれた呟きに相槌を打つと、花凛は「分かってくれる?」と困り顔で笑った。何度改まって手を繋いだのかは覚えていないが、手を繋ぐたびに『改まるとダメなんだよな』としみじみ思う。

 手を放した彼女は胸の前でモヤモヤとしたジェスチャーをする。


「なんかこう……雰囲気の中でさらっと繋ぐのは緊張しないんだけどね。時にはもうちょっと密着したりしちゃうし」

「……雰囲気に流されてるように聞こえるな」

「それは違う!」


 肇は二重の意味で目を丸くしてしまった。


 一つはいきなり大きな声を出されたこと。

 もう一つは、反射的な速度で彼女が否定したこと。


 あ、と小さく声を漏らした花凛は小声で謝り、


「……でも、本当に違うの」


 そう弁解した。

 数秒の沈黙を挟んで、彼女は気まずそうな笑みを浮かべた。


「これから肇の家まで行きたいんだけど、行ってもいい? 着くまでに話すからさ」

「……ああ」


 彼女がどうして自分の家に来ようとしているのか、ここでは聞かなかった。気にも留めていなかった。返事をしたものの、どこか上の空であったに違いない。


 歩き始めた彼女の歩幅に合わせて肇も隣を歩く。映画館を歩くときや、買い物に一緒に行ったときよりも、一歩一歩を踏みしめるように花凛は歩いていた。


「雰囲気に流されてるんじゃなくて、私は、したくてやってるんだと思ってる。他の男子にこういったことはしないしね」


 いつになく真剣な声色。

 吐息してからこちらを見つめて、花凛は今日何度目かの困り笑いを見せた。


「もちろん雰囲気に流されてる部分もあると思うんだけどさ。他にも、その日の気分とかでくっついたりしちゃうし」


 ――でもそれは、肇だからだよ。


 間違いなく聞こえた。静かで芯のある声が。


 ふと、鈍感的難聴という言葉が脳裏をよぎった。

 聞こえなかったふりをすることだってできる。誤魔化すことだってできるだろう。蚊の鳴くような声だったし、彼女と目を合わせていなかったのだから。


 ――それをしたら……花凛に失礼じゃないか?


 静寂を破って話すというのは肇にとって勇気のいることだ。それが無駄になったらと思うと、たとえ顔が真っ赤になって変な汗をかいても、鈍感的難聴を発動させたくなかった。


 彼女の手に、多少乱暴に自身の手を絡ませた。


「俺の証明はこれでいいだろ」


 彼女は証明という言葉を使って説明した。だから肇も、雰囲気で伝えることに努めた。

 慈しむように目を細めた花凛は、


「伝わって嬉しいよ」


 そう言って、手を、ほんの少しだけ強く握ってきた。




「肇ってさ、運動もできるんだよね?」


 帰路もそこそこ――住宅街を歩いているところで、花凛は確かめるように訊いてきた。こちらを横目で見る花凛に「大体な」と返すと、彼女は分かりやすく項垂れる。


「いいなー、運動できて」


 これだとまるで花凛が運動できないような感じなのだが、生憎と肇はそういった話を耳にしたことがなかった。というか、てっきり花凛は運動が得意なタイプなんだとすら思っていた。

 しばらく呆けて(ほうけて)見つめていると、む、と花凛は口を尖らせる。


「ちょっと何よその視線」

「……いや、運動、苦手なんだな」


 先程の証明云々よりも言葉に気をつけて発言した。この感じだと花凛も気にしているようだし、下手なことを言うと、繋いでいる手を思い切り握ってくるなどの暴力行為に及ぶ可能性も出てくる。

 彼女は未だ不機嫌そうなまま、


「……意外?」

「ああ。なんでもできると思っていたから、まあ、それなりにな」


 隣で花凛は大きなため息を漏らした。どうやら暴力行為に及ぶことはなさそうだ。


「みんなにそう言われるんだー。てっきり運動もできると思ってたって」


 思い返して悲しくなったのか、口調までしゅんとしている。

 何という言葉を掛けようか迷っていると、彼女は再び口を開く。


「私、こう見えても昔は病弱でよく入院してたんだからね?」

「ん? そうなのか?」

「そうだよー? 一週間入院して退院したと思ったら、また一週間後に入院とか、しょっちゅうだったし」


 肩を竦めて笑む花凛は懐かしそうに、一ヶ月の半分は病院に居たなと目を細める。


「まあそれもこれも全部、小学生になるまでのことだから。今は大丈夫だよ? ……でも、運動ができないって形で残っちゃったけどね」

「小さい頃に運動できなかったんだ。仕方ないだろ」

「そう言ってもらえると救われるな……」


 ありがとうと視線で言ってくる花凛から目を逸らし、フォローしたんだからこれでいいだろと投げやりに言う。どうやら彼女にとってはよくなかったらしく、抗議の声をあげられたので聞くことにした。

 人差し指を立てる花凛は眉をひそめている。


「逆にさ、肇はなんで運動できるの? 私みたいにインドア派なんだから運動できないはずでしょ?」


 どう説明すれば彼女は納得するだろうか。空いている手を腰に当てて考える。


「中学のとき、幸一に散々振り回されたからな。それである程度は身についた。だがまあ、それまでは運動が苦手だったな」

「三年くらいで運動能力ってそんなに変わるものなの?」

「……変わらないんじゃないか? 俺の場合、もともと映画好きで色々なアクションを見てたから動きをイメージしやすかったってのもあると思うし、運動が全くダメってわけでもなかったからな」

「何その”できる人特有の理論”みたいなやつ」


 至極冷静なツッコミを置いておくとして、これに嘘偽りはない。尤も、花凛は難しい顔で首を捻っているのだが。

 曲がり角を一つ曲がって、やっと彼女は口を開いた。


「肇の言いようだとさ、肇って、運動全般が得意なわけじゃないんだよね?」

「ああ。幸一に付き合わされていたのはバスケとキャッチボールとか、それくらいだな」

「なんでその二つだけで運動能力全部が底上げされてるの……? おかしくない!?」

「いや『おかしい』って言われてもな……」


 神様への恨みつらみを、まるで歌うかのように綺麗な声音で連ねる花凛。訴えかけるような眼差しは肇にまっすぐ向けられている。握っている手にも、ぎゅっと力が込められるのが分かった。


「か、体が動きを理解したから、その分……色々な運動に対応できるようになったんじゃないか……?」

「それってもともと運動の才能があったってことじゃん!」


 フォローしようと言ったことが裏目に出たようで、花凛は才能の差を大声で嘆く。それからため息を一つついてムスッとした顔でこちらを見ると、むーと喉で音を出して、ぷいとそっぽを向いた。

 子供が拗ねたような態度に口許を隠すと、笑ったことに感づかれたらしく強めに手を握られてしまった。けれどもそれは最初だけで、握り方は、徐々に徐々に弱まっていった。

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