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同学年でもほぼ他人


「……面倒くせえ」


 日比谷(はじめ)がそんな呟きを漏らしたのはシアターから出てすぐだった。空の飲み物を捨ててさあ帰ろうかというとき、眼前にとある男女が映ったからだ。


 女子は同じ高校の夏服を着ており、映画館で何度も見かけている。

 朝陰花凛(かりん)――学年のアイドルだかなんだかという話を友人から聞いたことがある。成績優秀者ながら底抜けに明るいらしい。

 男子の方は他校の制服だから恋仲だろう。顔が釣り合っているような感じがしなかったが。


 今は夜の八時手前だから、これから楽しむのだろう。それだったら自分は関係ない。そんなことを思って脇を通り抜けようとして、ふと、人数がおかしいことに気付いた。一歩踏み出した状態で停止する程度におかしな光景である。


 花凛は壁に背をつけていて、手を掴まれている。壁ドンだ。

 そこまではいいとして問題は男子の方。二人いた。


「ナンパか?」


 五メートル程度離れていたのでこちらの声はおそらく聞こえていない。代わりに、こちらも相手方の声が聞こえない。


 花凛は怯えているのか、体を縮めていて、掴まれていない手を自身の胸元へ寄せていた。美女の見本とも言うべき愛嬌たっぷりの目は大きく開かれていて、柔らかな黄色の瞳が顔を覗かせている。

 鬼を見たかのような表情を浮かべ、上目遣いで男子を見ていた。


 男子が口を動かしては、花凛が首を横に振る。項付近で結ばれている艷やかな髪は、壁と背中にサンドイッチされていて靡いていなかった。

 繰り返して数回、男子の方に苛立ちが見え始めた。これはもう――。


「ナンパだな」


 改めて面倒事の予感がした。

 遠巻きに見ている人が多いので、周りの人も心配なようだ。ここは”知らん顔で通り抜ける”が安牌と踏んで足を進める。助けてと言われていないのに助ける義理はない。


 制服のズボンのポケットに片手を入れて近づく。

 男子の視線はただ貪欲に花凛を捉えていたが、花凛は縋るようにこちらを見ていた。縋るように、こちらを見ていた。


 一歩、また一歩と近づくと、花凛の顔に僅かな明るさが見えた。肇は目を逸らして、無関係を精いっぱいに主張して歩く。


「あのっ、私……」

「人の女に手を出すのはやめてくれないか?」


 震え声に被せて一言、男の腕を掴んだ。

 相手が二人とはいえ、身長的には同じくらいなのでさして怖くはないし、公共の場で人を殴るような真似はしないだろう。勝算があってこその妨害だった。


 なんだテメエ、という力強い一言をスルーして男の手を引き剥がす。花凛と男の間に割って入って視線を遮った。

 そいつの男か、との問いもスルー。答えてもよかったが一番圧をかけられるのは無視だろう。十数秒、無言で相手を睨み続けた。


 舌打ちをして二人は立ち去ったが、正直、張り合いがないと思ったのは秘密だ。舌鋒鋭く言い合うのは映画限定の世界観なのかもしれない。

 野次馬も移動し始めたので一件落着。


 ふうと息を吐いて花凛に振り返る。上目遣いでこちらを見る彼女と目が合った。


「大丈夫か?」

「はい。……ありがとうございました」


 ペコリと頭を下げられた。パッション溢れる顔立ちで、ポニーテールが活発な印象を余計強めていたのだが、意外とか細い応答だった。


「その、とっても助かりました」


 助かったと言うわりに声色が死んでいる。震え気味だったので、まだ恐怖が抜けきっていないのだろう。


 両手が胸元に当てられていて、女性の象徴である柔らかなそれを圧迫している。

 夏服からのぞく華奢な腕は光を反射しそうなほど白い。掴まれていた部分と肌の色――赤と白のコントラストが鮮やかだった。夏休みに外に出ていないのか、日焼けという言葉を知らないのか、そう問いたくなるほどの色素だった。

 項付近で結われている黒髪は指で梳いても引っかかることはないだろう。


 近くで見るのは初めてだが、典型的な美少女だなと思った。


「あの、お礼とかは……」

「ああ、いや。そういったものはいい」


 財布を取り出す花凛をやんわり制止する。もともと助けるつもりはなかったのだし、流れでそうなってしまっただけだ。

 彼女はそれでも引き下がるつもりがなさそうだったが、


「俺が好きでやっただけだから、気にするなよ」


 できるだけ穏やかに言った。

 まだ疑っているような表情だったが、程なくして花凛は財布をしまった。


 ここで立ち話をしていても意味がないし帰ってもいいだろうかと、肇は出口に視線を向ける。


「この映画館で時々見る人ですよね……?」

「そうだな……時々利用させてもらっている」

「そうですよねっ。月曜日によく見ます!」


 花凛の認知は通勤電車でよく会う人レベルだったらしい。月曜日の割引を利用しているから、確かに曜日はよく来ているけれども。

 声を弾ませた花凛は笑顔を浮かべていた。ふっと顔から表情が抜け落ちたかと思えば、


「先輩、ですか?」


 そう問うてくる。最初はお淑やかだったが、会話の感じを見るとこちらが素なのだろう。確かめるように首を傾けるさまは子犬のようにあどけなかった。

 一年生であることを話すと、


「あっ、同い年なんだ。何組?」

「Aだな」

「へえ~、私はC組の朝陰花凛。よろしくね?」

「Aの日比谷肇だ。……まあ、何かあったら」


 愛想が悪いと思ったので、後半に少しだけ文章を追加してみた。

 微笑を浮かべるの花凛からポケットに入れていない方の手を掴まれ、「うん、よろしく」との返事をもらった。握手なんてしたのは中学以来だ。

 確かにこんな調子の女子なら、人気が出るのも頷ける。


 生気のない人間と評されている肇がぐいぐい迫られることは珍しかった。顔が引きつったような気がするのは、きっと気のせいではないだろう。


「今『コイツめんどくさいな』って思った?」

「……いや」

「そう? すんごい顔が引きつってたよ?」


 ゆっくりと手を放して、いたずらっ子風にニシシと笑う彼女は「さっきとは大違いだね」なんて貶してくる。


「さっきは本物の彼氏みたいにカッコよかったのに。今はアニメの目立たない男子。笑顔とかできない? 笑ったらすごくカッコいいと思うよ?」

「そんなことはないだろ」

「そうかなあ?」


 眉をひそめられても、これが本心なのだからしょうがない。無理して笑いでもしたら亡霊が不気味に立っているように見えるだろう。ただ、笑ったらカッコいいと断言してくれたのは嬉しかった。


 ここで何分も話す気はないので、今度こそ帰ってもいいだろうか。


「それじゃあ、そろそろ帰ってもいいか?」

「え? もう帰るの?」

「何か変か? 映画を見終わったならここにいる理由もないと思うが」

「……本当に助けた見返りとか求める気ないの?」

「ないって言ってるだろ。そうやって交友関係広げるのも面倒だ」


 正しく言うと、交友関係が広くなって頼られるのが面倒くさいという理由からだ。交友関係が広い人の苦労は小さな頃から知っていた。

 頬に手を当てて、唸りながら壁に体重をかけた花凛。


「できれば先払いしたかったんだけどなあ。後でねちっこく言われたことがあるから、お礼しないと不安になるんだけど……」

「別にいらねえって。面倒だ」


 美少女には美少女なりの大変さがある。ただそれだけだろう。肇としては、お茶するよりも、学年のアイドルとのお茶が発覚して騒がれることを避けたかった。

 眉間にシワを寄せる花凛はそれでも信じていなさそうだった。葛藤と心の中で戦っているように見える。


 これ以上話すこともないのだし、


「帰るからな? 見返りはいらないってのの証明はこれでいいだろ」


 乱暴に言い捨てて踵を返した。花凛が追いかけてこなかったので、助けた助けられたの関係ではなく、赤の他人という関係に戻ったことを感じて家まで戻った。


 しかし、学年のアイドルは、肇が思っていた以上に社交的だった。

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