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嵐の王様と奴隷姫◆連載版◆  作者: ナユタ


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9/19

*7* 金糸雀

ファティマ視点です。



『ファティマ、何か欲しい物はあるか?』


 ――……ふとヴァシュラム様の優しい声がそう私に囁いた気がして重い目蓋を持ち上げるけれど、そこにはただ深い闇が広がっているだけだった。


「また……気の、せい……なの」


 暗い夜の静けさとヴァシュラム様の戻られない宮殿内で過ごす夜も、もう二月になる。以前よりも一月も長い不在に、一日、また一日と胸の内の不安が静かに広がっていく。


 ――今頃どこにおられますか。


 ――お怪我をなさってはおられませんか。


 どうか……貴方の纏う嵐が強く、強く吹き荒れて、ご無事なお姿で一日も早くご帰還下さるようにと祈ることしか出来ない自分の無力さが、腹立たしくて堪らなかった。


 無理だとは分かっていてもせめて男の身体なら、戦場であの方を守る矢避け位にはなれたかもしれないのにと思えばなおのことだ。


「私が欲しい物は――貴方様のご無事なお姿にございます……」


 発作の回数が減ったとはいえ、眠りが安らかな物になったわけでもない。むしろあの方の不在で闇は一層深さを増して私を引きずり込もうとした。


 無意識の内に鎖骨からユルユルと胸元まで指先を滑らせて暗がりでは見えない花弁にソッと触れる。


 ――キャララララ、


 胸にヒヤリと細い鎖が蛇のように這う。その冷たさにほんの少し身を竦めて、すぐにその冷たさを恋しく思った。


 ――シャララララ、


 私の心の虚ろな部分を補うように、金の鎖は優しく謳う。


 酷くがっかりした気分のままノロノロと寝台の上に起き上がり、中庭の一部を見下ろせるバルコニーに移動する。


 けれど薄暗い中庭からは時折微かに吹く風で葉擦れの音が聞こえるだけで、明かりの少ない回廊には人影の一つ見当たらない。


 ただ、柔らかく輝く月は淡く金の鎖に纏わりついて、そこにありもしないあの方の体温を感じさせてくれる気がした。


 ――キャララララ、


 ――シャララララ、


 足許に金色の雫を滴らせて、右に、左に、クルリと回る。


 ――シャララララ、


 ――キャララララ、


 私の動きに合わせて紡がれるその繊細な音色に耳を傾けていると、控え目に、けれど妙なリズムをつけて部屋の扉を叩く音が響いた。


 ――コ、コ、ココ、コ、コ、は《起きてる?》の合図。

 

 ここ最近ですっかりお馴染みになった真夜中の訪問者に私は微笑み、寝台の上から身体を起こして扉に近付く。


 私は扉に耳をつけて外の来訪者に合図を送る。


 ――ココ、コ、コ、コ、は《いま開けるわ》の合図。


 念の為に取り決めておいた合図だけれど、残念ながらこんな時間帯にこの部屋を訪れるのはヴァシュラム様を除けば一人しかいないので、この合図の真価が発揮されることは恐らくない。


 私が扉から離れるとすぐに細く開いた隙間からレーフィアが滑り込んできた。ほんの少し私より視線が低い彼女は、私を見上げて「へへ、待った?」と人懐っこく笑う。


 レーフィアを室内に招き入れながら、私もつられて思わず「ほんの少しだけね?」と微笑む。


 左手には小さなランプ、右手には素朴な木のトレイ。トレイの上には良い香りのするぽってりとした形の大きめのカップが二つ。


 カップからは今まで嗅いだことのないような甘い香りがする。熟れた杏の香りにも似ているけれど……?


「ありゃ、やっぱ待たせちまったか。でも今夜はどーっしてもこの時間じゃねぇと駄目だったんだぁ」


 私が香りの正体に思いを巡らせていると、レーフィアが机の上にトレイを置きながら申し訳無さそうに眉を下げる。


 ヴァシュラム様が戦に発たれてすぐの頃から、発作を起こす私を心配したレーフィアがこうして毎夜のようにお茶を持って部屋を訪れてくれるようになった。


 その気遣いだけでもありがたいのに、私の世話の他にも宮殿内の仕事があるレーフィアに文句などあるはずもない。


「んでもその代わり、今夜のお茶は特別製なんだよ」


 そう言ったレーフィアはパッと今までの翳りを脱ぎ捨てて、部屋の空気が明るくなるような笑みを浮かべた。自慢気な表情になってくれて私もホッとする。

 

「今夜は……なんと、カロカの花が手に入ったんだぁ! ファティマが知ってっか分かんねぇけど、これアタシの故郷では高級品なんよ。ここの庭園に植樹されてんのにこないだ気付いてからよ、ずぅっと目ぇつけてたんだ」


 よほど嬉しいのか、レーフィアは私に「熱いから気ぃつけんだよ?」と注意しながらカップを手渡してくれると、さらにカロカの花について熱弁し始めた。


「カロカの花っちゅうのは、捨てるとこなしでな? 花も実も種も、全部に薬効があんだよ。花は美容効果があるし、実は弱った胃腸にも良い、それに種の核には……さ、催淫作用があるらしいって話さ!」


 最後だけ早口にまくし立てるレーフィアが微笑ましくて、思わず笑ってしまった。それに種の核は私にはもう必要のないものに思える。


 あの方は何度か夜に通って下さったものの、いつもすぐに寝台の隣に潜り込むと眠ってしまう。たまに子守歌を所望されるくらいで、それとて最後まで聴かずに眠られてしまった。


 私が発作を起こしたことをレーフィアが話してしまってからは、足も遠のいて……恐らくこの先も私をそういう存在として見てくれてはいないだろうと思うと、伽の相手以外に何の役にも立てない私はこの宮殿内で一層肩身が狭い。


 とはいえ、カロカの花なら私も色と形くらいは知っている。薄い薄い桃色の花弁を幾重にも要した、成人女性の掌くらいの大きさの可憐な花だ。


 香りも姿も極上ではあるけれど栽培がとても難しいそうで、市場には出回らない。一輪でも大変に高価なカロカの花は、私達のような職の女達からは“(まこと)の花”と呼ばれている。


 この花を馴染みの男からもらえれば――この世の地獄から抜け出せると。馬鹿みたいに、信じて憧れた、そんな夢物語の中の花。


「カロカの花茶は摘みたてのが断然味も香りも良いんだよぉ。しかも咲く寸前のが一番いいけど、なんせ高ぇから。この宮殿内の庭園には一杯あんのに、みんなあんま興味ねぇのかね?」


 ふぅーと、息を吹きかけて冷ましながら、二人並んで寝台に腰掛けながらカロカの花茶を冷ましながら一口飲んだ。足許で揺れるランプの灯りで照らされたレーフィアの表情は慈愛に満ちて美しい。


 鼻から抜ける甘い香りにほぅっと溜息が出る。柔らかくて丸みのある舌触りの花茶はトロリと甘く、底に残る花弁は湯の熱で解けてそれがお茶にこの甘味とトロみを出しているらしい。


「しつこくない甘さでとっても美味しい……!」


「んふふふ、気に入ったみてぇで良かったよぉ。このところ落ち込んでたみてぇだったから、ファティマが笑ってくれて嬉しいや」


 私が初体験のカロカの花茶の味に驚いて声を上げれば、隣でレーフィアがカロカの花精のようにそう微笑む。その美しさは同性であっても見惚れてしまうほどだ。


「あ、そうそう、忘れるとこだった。朝の散歩だけど――アタシまぁたポカやらかして、雑用で遅くなるってオドネル様にお伝えしたら、じゃあ自分が迎えに行くからって。アタシも用が済んだら庭園に行くからよ」


「あら、オドネル様が? 貴女といい、オドネル様といい……何だか申し訳ないわ……私一人でも散歩くらい出来るから大丈夫なのに」


 オドネル様とは、一月と二週間ほど前にヴァシュラム様と入れ替わる形で前線から戻られた武官様で、五十七歳とは思えないほど若々しい御方だ。


 おまけにとても紳士的な方で私のような出自の者にも、淑女に対するように接して下さる。初めてお会いした日のことは今も鮮明に思い出せるほど。


 少しくすんだ銀髪に、口許で品良く整えられた同色の口髭。瞳は深い空の色をしていて……どこか寂しげな印象に映った。鍛えられた踊り子のように滑らかな体捌きをされる。


 ――その動きに少し胸がときめいた。それというのも、ヴァシュラム様の動くお姿にそっくりなのだ。


 私がうっとりと寝台から立ち上がったままの姿で眺めていると――、


『――おぉ、貴女がファティマ様ですかな? これは若がご執心召されるのも頷ける。実にお美しい。わたくしはオドネルと申します。以後お見知りおき下さいませ、ファティマ嬢』


 そう言って、私の前で跪いて手の甲に口付けを落とされた。


 私の手を取ったゴツゴツした指先にヴァシュラム様の影を重ねて頬を赤らめた私を『おやおや……若にはご内密にお願いしますぞ?』とからかうように持ち上げられた口角も……。


「ファーティマ? 何考えてっか、当ててやろうかぁ?」


「え!?」


「王様のこと考えてたんだろ~? 顔がそう言ってるよ」


 そうカップを持っていない方の手で私の頬をつつくレーフィアに嘘をついても仕方がないので「そうよ」と答えれば、彼女はうーんと唸るとカップの中に視線を落とす。


 クルクルとカップを回す横顔にどうしたのかと声をかけようと思っていると、レーフィアが口を開いた。


「きっとな、王様は大丈夫だ。もうすぐ帰って来られるよ。ファティマに会いに――飛んで帰ってくるよ」


 考えながら一言一言を噛みしめるように話すレーフィア。私はその美しい横顔を眺めて続きを待った。


「嵐の王様な、どんな時でも滅茶苦茶な戦い方をなさる方なんだって、オドネル様が。でもな、今回からはファティマがいるから、そう無理をしないんじゃねぇか、って。アタシもそう思うよ。王様は、初めて戦から無事に戻りたくなったんじゃねぇのかなって」


 いつも弾けるような笑顔を見せてくれるレーフィアのこんな横顔を見るのは初めてだったので、私は何と答えて良いのか分からず――けれど、とても胸が一杯になって……。


「ファティマ、ファティマ、大丈夫。王様きっとご無事だぁよ。あのお方は嵐の王様だ。お強い、厳しい、戦神様だ。ファティマは……そうだな、神官かなぁ? 皆から怖れられる戦神様に仕える、お優しい神官様だ。ホントは優しい戦神様を、たった一人で慰める神官様だよ」


 私の手からカップを取り上げて頭をその細い肩にもたれかけさせてくれるレーフィアの掌は温かくて。


 この汚れきった身体では、あの方の神官になどなれないと小さくかぶりを振る私の頭を優しく撫でた。


「ファティマ、この宮殿は嵐の王様の監獄みてぇなもんだって、オドネル様が仰ってたよ。だから、ファティマ。ファティマがいれば、ここはあの方の神殿になるんだよ」


 優しく、優しく、幼い子供をあやすように繰り返される「大丈夫」に。


 私はこの夜ヴァシュラム様が戦に発たれてから、初めて。


 初めて声を上げて泣き続けた。

 


***



 朝になり約束通り私を迎えに来て下さったオドネル様は、私の顔を一目見るなり「今朝はいつにも増してお美しいですな」と仰られた。


 昨夜のレーフィアとの話をすると、オドネル様は穏やかに微笑みを交えて聞いて下さった。その間も私の手首から滴る金の鎖がキャララ、シャララと涼やかな音を立てる。


 数人の使用人の方達とすれ違う際に俯きそうになる私の背を、オドネル様がそっと手を添えて伸ばすように指示をされた。


「ファティマ様は若の選ばれた唯一の女性ですからな。下賤な輩共のお言葉に耳を傾けられてはなりませんぞ。それともファティマ様は我が君のことが信じられませんかな?」


 そうオドネル様が仰って下さると、自然と背筋が伸びる。するとオドネル様は「それで良いのです」とあの口角の持ち上げ方をして私を甘やかした。


 ――ふと、回廊を歩いているとどこかから弦楽器を爪弾くような音と、不思議な抑揚の歌声が聞こえてくる。


 私が興味を惹かれて辺りを見回していると、オドネル様が悪戯っぽく庭園にある四阿の一角を指差された。


「今日は若から散々歌がお上手だとお聞きしておりましたので、少々このオドネル、お節介かとは思いましたが是非ファティマ様に会わせたい人物がおりましてな」


 キャララ、シャララと引き摺る金の鎖を歌の邪魔にならないようにソッと持ち上げて四阿に向かうと、そこには――。


 目許を白い布で覆った若い中性的な男性が胡座をかいて、ウードを抱えこむようにして歌っていた。髪も肌も、全てが白く自ら発光しているように見える。私達の来訪に気付くと、その歌と音楽は空に溶けて消えた。


「おや、お待ちしておりましたよ、オドネル様。そちらの涼やかな音を奏でられているお方が金の鎖のお姫様ですか?」


「おぉ、そうだエジヒト。このお方が我が君の愛しいお姫様だ。くれぐれも失礼のないようにな。ファティマ様、この優男はエジヒトと言う吟遊詩人でございます。盲目なれどその歌声とウードの腕前はこの国でも随一ですぞ」


 突然始まった自己紹介とその内容に頭を悩ませる私に、エジヒトと呼ばれた盲目の吟遊詩人が手を伸ばしてきたので慌ててその手を両手で握る。


 隣でオドネル様が「くれぐれも、分かるな、エジヒト?」と少し低い声を出されたことに驚いていると「勿論、心得ておりますとも」と歌声とは違った軽い声で吟遊詩人が答えた。


「それじゃあ、警戒心の薄いお姫様? この僕と今日からお歌の練習をしましょうか」


 握っていた両手をいつの間にか握り込まれていたことにも驚いたけれど、その会話内容にも驚く。


「なに、ファティマ様、そのお上手な歌声をさらに昇華させて頂いて、若のお心を和らげるお力添えをして頂きたく思いましてな」


 と、オドネル様がサラリと事も無げに仰られた。


「まぁ、そう言うことですからお姫様。綺麗に(さえず)る練習しましょうか?」


 呆然としたままの私を差し置いて、二人はニヤリと楽しそうに笑った。



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