*6* 地 図
ヴァシュラム視点です。
「よぉ大将、レーフィアから伝言だぜ。今夜はあの嬢ちゃんの体調が悪ぃから、夜の渡りは止めてくれってよ」
ノックもなしに王の部屋に入ってきたジャズが、髭を蓄えた顎を掻きながら開口一番そう言った。
俺は広げていた地図に落としていた視線を少しだけ入口に立つ大男に向け「そうか」と答えてすぐにまた地図上に落とす。
そうでもしなければ、その報告を持ち帰っただけのジャズの顔面を殴りつけたくなる気分だったからだ。
数日前の件から職務の合間を見つけては、夜にファティマの部屋を訪れるようになった。しかしその矢先からファティマの体調が崩れ始めたのは偶然にしては出来過ぎだと思っていたのだが――。
その本当の理由を知ったときは、己を殺したくなるほど腹が立った。
「どうにもまぁた薬の発作が起きたらしい。何つっても大将のとこにいるあの爺様が手を焼くぐらいだ。だがま、ああいうトコで使うヤツはそこらの阿片窟のよりもさらにキツいらしいからなぁ……」
この一見すれば賊のような風貌をしつつも、その辺りは一般的な思考の持ち主であるジャズは不快そうに顔を歪めた。常々戦利品として「薬漬けにした女を買うような野郎は極刑もんよ」と吐き捨てている。
気っ風と面倒見の良さから俺よりも余程慕う者の数が多い。傭兵のくせに人徳のある男だ。
それを一人で一月半、レーフィアという女官を傍に付けてからも一週間堪えていたのかと思うと、怒りで背骨が軋んだ。
戦場に出て傷を受ける度に世話になっていたせいで、王家では一番付き合いの深い宮廷医師の老医師の顔が浮かぶ。
大抵のことは「この程度、唾でも付けときゃ治りましょう」と曰うあの老人がそう言うなら余程のことなのだろう。
砂漠地帯が広がる地図の上に、我が国よりも大きな標は、もうほとんど見当たらない。全て潰して来たからだ。頭を垂れれば属国とし、そうでなければ完膚無きまでに滅ぼし尽くした。
いつの時代であっても戦に情けは無用だ。一度振り上げた拳は振り下ろさねばならない。宙空に留め置くことは出来ないと、権力を握る者の誰もが分かっている。
パラパラと点在する遊牧民の土地をすり抜けて、空白地点をなぞっていた指先が地図上ではやや大きめの染みに過ぎないある都市で止まった。
色々な国と友好関係を築く為に貢ぎ物として、見目麗しい奴隷を輩出することで知られている、大規模な奴隷市場を持つ卑しい商業の街だ。俺は数度、神経質にその染みを指で叩いた。
前回の軍議の斥候の報告では、もう次の戦線が動き始めている。放置すればせっかく押し返した前線が逆に押し込まれるだろう。そうなる前に戻らなければならない。
遊牧の民の一部は数こそ集まれば面倒ではある。ただ数が揃わなければそれはただの地図上の点に他ならない。こまめに間引いてさえいれば大きなうねりにはなり得ないからだ。
しかし……街として機能しているこの地は、ここから恩恵を受けていた父や兄のいない今、必要とは思えない。くるくると良い風の方にはためく旗は目障りだ。むしろこの際だから根元からへし折ってしまうか――。
「――ファティマのいた奴隷娼館を有しているあの街の息の根を止めろ」
静かにだが、信頼する傭兵隊長にはっきりと聞こえるようにそう命じる。
「あの娼館窟でなりたっている街は以前から目に余ってはいたが――そろそろ目こぼしも止めだ。館主は全員首を晒して、娼婦は無事な者はこの国内に居住区を割り当て、駄目な者は……一刻も早く死を手向けてやろう」
コツコツと、叩き続ける地図の上。今回の戦闘が私欲の為なのか、そうでないのかは――ここにいるジャズしか知らない。
「……今回の戦、戦利品として奪える物は一つ残らず奪い尽くすように部下共に伝えろ。奴隷を使って栄えた者の身内に若い女がいれば、お前達の好きに扱え。逃げ散る者の始末も怠るな。害虫というものは逃げ延びた土地ですぐに増える」
ゴツゴツと、叩き続ける地図の上。今回は何ヶ月この宮殿を空けて、その傍を離れることになるのだろうか。
ラピスラズリの瞳と、赤い花。
まるでこの世の人間ではないかのような足りない女。
チラリとジャズの立つ方から微妙な気配が漂ってきたが、無言のままでそれを突き放す。
「遅かれ早かれ――怨みの焔に灼かれるのは俺も同じだ。ただその熱量を知るのが今ではないというだけだ」
興味がないから跨いだ街は、目障りだから消すことにした。立地も悪くない。叩いた後に整備し直して傭兵の駐屯地として活用すれば良いだろう。
あの街に戦力になりそうな者はほとんどいない。あの街に食い潰される者達がいるだけだ。
「あぁ……そうだな、ジャズ。どうしても理由が必要ならこう思えば良い」
意外にも浪漫主義者なこの賊と見紛う傭兵隊長に、俺は分かり易く、尚かつ胸のすく命令を下すことにした。
「――悪い魔術師に捕まった姫君達を、我等の手で助けに行くのだ。そうなればお前達は物語の王子だぞ?」
言いながら、軽い言葉だと内側から嘲る声がする。王でも……ましてや王子ですらない自分の存在に一体何を当てはめれば良いのだろうか?
グゥッと地図に押し付ける指先が“ミヂリ”と嫌な音を立てて軋む。
あぁ、まただ。また――どこか大切なところが欠けて壊れたラピスラズリの瞳と、暗い欲求に不釣り合いな輝く金の鎖が脳裏を過ぎる。
無意識に手を伸ばして弄る黒髪に、何となくだがあの指先が絡められた気がした。
「へいへい、分かったよ大将。ちゃんと金が払われ続ける限りは、オレ達はアンタの手駒だ。好きに使って、動かして、破壊させろや。うちは戦闘狂の傭兵しかいねぇからな!」
“ニカッ”と音が付きそうないつもの野性味溢れる笑みを浮かべるジャズに、俺も人の悪い笑みを浮かべて頷き返す。攻め込まれれば打って出て、進軍すれば勝ちを納め続けることこそ戦の理。
苛烈極まる攻めの一手から“戦神”と呼ばれる裏で、戦狂いの俺を揶揄して一部の汚職文官達から“嵐の王”や“鋼の王”と呼ばれていることは知っていた。
けれど、今さら違う道は辿れない。
そして、望んだところで許されない。
スペアとしてすら見られてはいなかった、ただの使い捨ての駒だった俺に王としての教養はなく――国の統治が出来るはずもない。
ならばせめて、駆け抜けて、その勢いのまま燃え尽きよう。
『嵐の王様も素敵だと思うのですが……』
馬鹿な女だ。
愚かな女だ。
こんな男の手に堕ちて、その身の不幸にも気付けぬ女だ。
「――前線にいるオドネルを呼び戻せ。あれに代わって俺が前線に出向く」
誰かの為の戦など、ない。
俺が生かされる意味の戦があるだけだ。
襲い、奪うことに意味などない。
ただ、襲われる前に屠るだけだ。
「あぁ? そりゃあ流石に拙かねぇか? いま張り出してる前線は食い破られると面倒だろう。オドネルの旦那はあの前線の要だぜ?」
地図の上にある砂漠が果て、草原の始まる地に位置する小国に指を置く。
「カシダールか……あの国の王は俺と違い、賢王だと聞く。オドネルも良く睨み合いを続けてくれているが、あれも良い歳だ。時には休ませてやらねばなるまい。それに使える数少ない部下を酷使するのは忍びないだろう?」
我が国きっての猛将であり、師でもある厳めしい武人を思い出して、ほんの少し口許が緩む。
「オドネルならば、この宮殿のあらゆる悪意からあれを護れるだろうからな」
――――さぁ、戦をしよう――――。
ありとあらゆる縛りを喰い千切って、傷付け、傷付き、殺し合おう。
「……日の出と共に前線へ向かう。装備を整えるようにお前の部下達にも振れを出しておけ」
ラピスラズリの……しい女。
――ファティマ、お前の怖れるものを屠れば少しは……。
「道中の害獣駆除も兼ねて……久し振りに派手に暴れてやろう」
生まれて初めての私欲の戦に胸が沸き立つ。
地図の上、指を離したそこには赤く。
赤く、赤く、血の花が滲んだ。




