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嵐の王様と奴隷姫◆連載版◆  作者: ナユタ


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*3* 金の鎖

ファティマ(女性主人公)視点です。



 あの夜の出来事が夢でないと確信する為に、私は今日も肩の鬱血痕が極々薄くその跡を残した裸身を姿見の前で晒す。


 与えられた広い私室はもとはあの方の執務室の一部であったらしく、華美な装飾は排されたいたって簡素な設えで、そのお陰でまだ何とか私のような人間にも生活が出来る。


 正直これでも息苦しいほど過分な扱いなのに、この上華美な装飾の部屋をあてがわれたりしたら溶けてなくなりそうだ。


 気を取り直して薄い紫の残る肩口から右胸の上に指を滑らせれば、赤く腫れた大輪の花に触れる。適切な処置で化膿は免れたものの、まだ完成して間もない紅の花弁は本物のように艶やかだった。


 ……焼印の数字を嫌った嵐の王様の指示により、翌日から一月もの時間をかけて彫られた刺青は、象牙色の肌により鮮やかに艶やかに咲き誇る。


 盛り上がっていた焼印の痕は花の花心部分に見えるように巧みに彫り込まれ、醜い数字を封じ込めてしまった。


 私は満足してかつて自分の身体で一番醜いと嫌った場所に咲いた、その大輪の花を優しく撫でる。


 痛みに慣れてはいても、さすがに最初の晩は刺すような痛みに喘いだ。初めて焼印を押し当てられた時の恐怖を思い出して鳩尾の辺りが冷たくなる。


 肌触りの良い絹のシーツは痛みと恐怖に悶えて暴れる私のせいで、水面のように幾重にも波紋を作った。身体に触れるもの全てを痛みと捉える肌は、絹のシーツすら嫌って私を苛んだ。


 店にいた時は嗜虐的な行為を喜ぶ客も多くいた。あの方もそうであったのだろうかと、一瞬哀しみとも憎しみとも付かないモノが胸の内を過ぎる。


 はくはくと口で痛みを和らげようと息を吸うけれど、まるで水から引き上げられた魚の気分を味わうだけで。ついぞ甘い空気を肺に送り込むことは出来なかった。


 けれど深夜に差しかかる時間になって部屋を訪れたあの方が、私の前髪を掬い上げて「辛いか、ファティマ」と低く訊ねる声を聞けば、もう憎しみも弱音も吐く気にはなれなかった。


 額をなぞるように撫でる指は大理石のように冷たく、そう訊ねるあの方の声の方が私よりも何倍も疲れを滲ませていたからだ。


 ゆるゆると首を横に振ると、あの方は「そうか」と呟いたきり、寝台に腰掛けたまま私が眠りに落ちるまで額を撫で続けて下さった。


 夜明けと共にあの方は再び戦場へと立たれ、一月も経つ今日に至るまで私はそのお顔を見ることも、あの夜の優しさにお礼を述べることも叶わないままだ。


 あの日から毎日届けられる奴隷が身に着けるにはおよそ相応しくないような絹の服や宝飾品で、衣装箱の中は溢れている。


 姿見の前でもう一度胸に咲く大輪の花を撫でた私は、衣装箱から肌に咲く花の色に合う服と宝石を取り出して身に纏う。


 最初の内は誰かしら手伝いの女性が付いてくれたのだけれど、その誰もが私の肌に触れる度に眉をひそめるのが姿見の中に写り込むので、一人で出来るからと断ることにした。


 彼女達の苛立ちも蔑みも当然のことで、例え下働きでもここはあの“嵐の王様”が住まう宮殿。奴隷女よりも身分の低い人間がいるはずもない。


 かえって汚い者に触れるのを厭う気持ちはとてもよく理解出来る。私が店の客の相手をする心境に似ているのだろうと思う。


 それにこういった身支度は、仕事柄私の方が上手いのではないのだろうかと密かに自負している。


 そもそも髪をとかすだけだというのに何人も取り付いて作業をするなんて馬鹿げているし、衣装を着るにしても、身体を清めるにしても――この城の中は私にとって無駄が多すぎた。


 実際こうして考え事をする間にも、姿見の中の私は着々と別人に作り替えられていく。けれど……どれだけ上等な物で飾り立てた所で、私は高級娼館の女にしかなれない。


 鎖骨の下、胸の膨らみの上辺りで波打つ絹のドレスの間から、赤い花弁がチラリと覗く。私は姿見の自分に怯まないように花弁を撫で、胸元を大振りな首飾りで飾って身支度を仕上げた。


 姿見の前で何度も何度も回って全身を確認する。髪は少しでも品良く見せるために緩く一本の太い縄状に編んで後ろに流した。――が、やっぱり横に流した方が良いのでは、と左に持ってきてみる。


 朝から私がこんなに気合いが入っているのは、昨夜廊下で女官達が「王がご帰還なされるそうよ」と恐ろしそうに語っているのを耳にしたからだ。


 勿論、城の中を自由に歩き回る権利のない私はほぼ一日中この部屋にいるのであの方の情報は何も届かない。一番よく接する食事を運んでくれる女官は口をききたくないと全身で物語っているので、私から声をかけることはなかった。


 だから昨夜、偶然とはいえその情報を手に入れた私はこうして奮い立っているのだけれど……。


 お忙しいあの方が、気紛れで拾った奴隷女に割く時間がないであろうことは容易に想像が付く。ここは宮殿なのだからあの方の為に用意された後宮(ハレム)があるのだろうし、正妻様や側室様もおられるはずだ。


 なので――これはただの私の自己満足だ。贈られた物を上手く着こなし、大輪の花を胸に刻んだ私を慰める為の、馬鹿げた自己満足。


 私はもう一度最後にクルリと姿見の前で回って、精一杯優雅に見えるようにお辞儀をする。……正しいお辞儀の仕方を知らない私の動きは、みっともなく媚びるような動きになった。


 ――それが何とも虚しくて。フッと、自分で自分を嗤った私はそのままの格好で寝台に倒れ込む。そしてきつく目蓋を閉じて、あの方が「まだいたのか」と冷たく自分をあしらう様を思い浮かべる。


 この一月の間に随分と鮮明に吐き捨てるあの方のお姿を思い浮かべられるように努めた甲斐もあり、胸はジクリと痛みこそすれ哀しいとは思わないまでに鍛え上げられていた。


 それに店に戻されることになったとしても、私にはこの胸の花がある。鮮やかなこの花のお陰で箔が付けば、以前よりは高い客の席に呼ばれることが増えるだろうからほんの少しは待遇もマシになるはずだ。


 そんな仄暗いことを考えながらもここに来てから日課にしている、拾ったことを忘れて叩き出されるシーンを何度も、何通りも思い浮かべている内に――私は再び眠りに落ちた。



***



 ふと頬に冷たい物が触れ、私は重い目蓋を持ち上げる。けれど目蓋を持ち上げた先に広がる暗闇に驚いて目を瞬く。どうやら私はいつの間にか、だいぶ深く眠り込んでしまっていたらしい。


 仕事柄薬を多用された身体は疲れやすく、少しでも時間が空いた時に座り込みでもすればこうして昏々と眠り込んでしまうことはこれまでもあった。


 けれどさすがに朝から眠り続けたのは初めてのことだと――。


「ここではお客を取らないでいいから――寝過ぎたんだわ……」


 口にしてから、本当に今までそれ以外の何もしないで生きていた自分の爛れきった生活に呆然としてしまう。何だか泣きたい気持ちになりながら、寝台から起き上がろうとした私のすぐ近くで空気が震えた。


「あぁ、確かに――よく眠っていたな」


 そう、低い声と共に冷たい物がまた私の頬に触れた。その冷たい物は私の頬をゆっくりと撫で上げ、目の下を乱暴に拭い、すぐに離れる。


「……良い夢見ではなかったようだが」


 私は苛立たしげな声の持ち主を探して暗闇に手を伸ばす。すると、すぐにまた冷たい物が私の手に触れて、力任せに引き寄せられた。


「俺の留守の間、息災だったか……ファティマ」


 低く耳許で囁かれた言葉に、私は小さく頷いて恐る恐るその首筋に顔をうずめた。


「――ファティマ?」


 相手の予想していなかった行動に出てしまったことは分かっているけれど、私は追い出される前に一度こうしてみたかったのだ。


 あの夜、無理やり抱くこともせずに、ただ寝台に腰掛けたまま額を撫で続けてくれたこの方に。


 すぐに突き放されると思っていた私の不躾な抱擁は解かれることもなく、腕の中の冷たい肌の持ち主は私を強く抱き返してきた。一瞬自分の身に何が起こっているのか分からず、抱擁が緩む。


 するとまるでそのことを責めるように、相手の抱擁が強くなる。私は大理石の肌に自分の体温を馴染ませようと抱擁を強めた。


 どれくらいの間そうして抱き合っていたのか分からないけれど……朝の二度寝よりはずっと短いはずだというのに、私にはそれが永遠のようにも思えてしまう。


「……ファティマ、何故俺を出迎えに来なかった?」


 それは囁くような声だった。しかし私は思いがけないその言葉に戸惑いを感じて「私のような身分の者には畏れ多いことでございます」と答えるだけで精一杯だ。


「ではお前は誰に見せるつもりでこのような格好をしていたのだ?」


 不意に訝しむような声音に変わった相手は私を引き剥がすと、胸元の首飾りと剥き出しの肩を撫で、乱れた髪をその指で梳いた。このような格好と揶揄するからには、私の装いを見られる時間帯にここへ訪れていたの?


 私は浅ましい心を見透かされた気になって顔に血が上る。


「これは……あの、自己満足でございます。貴方様に、少しでも……」


 少しでも……私は、何と言うつもりなのだろう?


 続けかけた言葉をそのまま吐き出すのはあまりに愚かなことに思えて、慌てて喉の奥に押しとどめる。


 目に留まりたかった? 


 褒められたかった? 


 そのどちらも、馬鹿げている。


 たかだか奴隷の分際で思い上がりも甚だしい。


 結局それ以上言葉を続けられずに、私は細く吐息をつく。


 暗闇で鋭い舌打ちが聞こえたかと思うと寝台が軋み、隣から立ち上がる気配がした。靴音が遠ざかり、後は扉の開閉が聞こえるのを待つばかりだと気落ちしていると――“シュッ”と何かが擦れる音がして微かに空気が焦げ臭くなった。


 そしてほんの少しの間を置いて、暗闇の一部が淡く溶ける。


「――やはり暗がりでの会話は不便だな」


 そうランプを片手に不機嫌そうな声をした甘い琥珀色の瞳が、こちらを見据えていた。一月ぶりのその姿を前にぼうっとしている私を見た琥珀色の瞳が怪訝そうに揺れる。


 しかし何を思ったのかランプを掲げて周囲を照らし始めたその姿に、私もつられてキョロキョロと暗闇を見回す。その時、狭い範囲を照らしていたランプの灯りが何かによって弾き返された。


 すると「あぁ、これだ――」と言って琥珀色の瞳が冷たく眇められる。


 そうして再び淡い光を放つランプを片手に寝台に近付いてきた相手は、ランプを足許に置くと私の手首をやや乱暴に掴んだ。頼りないランプの灯りに照らされた何かがその手許に輝く。


 私の視界を遮るように大きな手が手首を覆う。その手の覆いが離れると、そこには金色に輝く腕輪があった。


 何が何だか分からないまま腕輪のはめられた手を持ち上げると“シャララ”と涼やかな音がして、滴るような金の筋が腕輪の端から伸びている。


 そして私がそちらに目を奪われている間に、もう片方の手首にも同じ物が取り付けられていた。両手を肩の高さまで持ち上げてみる。金色のそれの正体は細い鎖だった。


「……え……?」


 別にそれ自体は見慣れない物でもなかったし、華奢な金鎖はまるで装飾品 のようだ。けれど何故これをはめられたのか、意味が分からない。


 取り敢えず右に、左に持ち上げて“シャララ、キャララ”と涼やかな音を立ててみる。長さを確認しようと手繰ってみると、日常生活に何ら支障のでない長さで、これではこの道具の本来の役目をなさないだろう。


 どういうことか本気で悩んで琥珀色の瞳を見つめれば、相手は酷薄に歪んだ笑みを浮かべて私を見ていた。


 あぁ、まるであの日の再現のように――その獰猛さを滲ませた瞳に私は魅入る。


「ファティマ、お前はもうここから――俺から逃げられぬと心せよ」


 そう口では傲慢に言いながら、近付いてくるその琥珀色の瞳はどこか孤独の色を湛えて揺れている。


 ――耳許ではザァザァと、砂嵐のような音が頭に響いて。


「……仰せのままに、嵐の王様」


 触れる程度の口付けは、私をどこまでも痺れさせた。



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