表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嵐の王様と奴隷姫◆連載版◆  作者: ナユタ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/19

*12* 懇 願

ヴァシュラム視点です。



「あの、ヴァシュラム様……私、もう自分で食事がとれますので……」


 胡座をかいた膝の上に乗せたファティマが往生際悪くそう言うものの、俺は気にせず新しく剥いた梨をその口許に運んだ。


 するとほんの一瞬、ラピスラズリの瞳が困惑したように俺と梨の間を行き来する。


「――それはもう聞き飽きた。ファティマ、諦めて口を開けろ」


 わざとぶっきらぼうにそう言えば、肩を震わせたファティマが僅かに血色の悪い唇をキュッと引き結ぶ。妙なところで強情なのかと思っていたら、おずおずと口を開けて、俺が差し出した梨に歯を立てた。


 シャクシャクと咀嚼する音に心が和む。その頭を抱き寄せて口付けると、ファティマは無意識なのだろうが……身体をすり寄せるようにして先ほどよりも密着してくる。


 しかし丸みを失った肩や首筋がドレスから覗いて俺を苛んだ。両腕の手首にはめた金色の枷は、優に俺の指が一本軽く入りそうな隙間が空いている。


 ほっそり――どころか、かなりやつれたその痛々しいファティマの姿に、俺は二週間前に取った自分の選択を悔いた。


 “敵を欺くにはまず味方”は俺やジャズ達のように、常に戦を生業にしているような連中からしてみれば常道でも、ファティマのような育ちの者にしてみれば相当恐ろしい思いをさせてしまったはずだ。


 いくらオドネルの死に動揺し、ジャズ達の救援に急がなければならなかったとはいえ……何と愚かで早計な真似をしたのだろうか。


 あの場で怒りに狂った“嵐の王”に向かい、ファティマだけが“俺”を思って進言したというのに。


 いや……そもそも、ファティマの面倒をエジヒトに任せたのが大きな間違いだった。あの男の人格破綻ぶりは長年目にしていながら――これで城に戻ってまだ“ゴミ処理”が終わっていなかったら叩き斬れたものを……!


『いや~、どこからまだ“ゴミ”がわくか分からないじゃない? だから完璧に“処理”しきってからでないと、この城の中で誰も行きたがらない“安全な地下牢”から出しちゃ拙いかな~なんて』


 ――と、全く悪びれずに飄々と抜かすからさすがに一発思い切り殴ったが、俺は悪くないはずだ。とはいえ、ここまでやつれたファティマを見えないあいつにそれを説くのも酷というものか。


 あんな最悪な環境の中でファティマを一週間も放置したのかと思うと、まだ殴り足りない気分だ。始めの二日はほとんど眠っていたと言っていたが、それでもたった二日だ。あとの四日はさぞ心細かっただろう。


 しかし何より――つい咄嗟に他に頼れる人間を思いつかなかった俺も悪い。こういった時に周囲に頼れる人材の確保が出来ないのは、俺の不徳のなすところだ。


 いや、一瞬あの場で取り乱していたファティマ付きの女官……レーフィアに任せることも考えたのだが、あの娘に謀は出来ない気がしてつい無意識に弾いてしまったのか。


 その結果が目の前のやつれたファティマであるのなら、どの道――己の人選ミスと人望のなさに今さらながらうんざりする。


 ふと膝の上に乗せていたファティマが、知らず梨を握り潰しそうになっていた俺の手に触れた。暗く重苦しい気配を察したのか、ラピスラズリの瞳が心配そうに揺れている。


「ヴァシュラム様……心配ごとが?」


 か細い声でファティマにそう名を呼ばれると、罪悪感とはまた違った疼きを感じるのだから――俺は度し難い外道かもしれんな……。


「――大丈夫だ、ファティマ。何でもない」


 俺はそう言ってまた、何でもない顔でファティマに嘘を吐く。しかしそう答えても納得した様子を見せないファティマは、膝の上で向きを変えて俺と向かい合う。そしてそのまま両手を伸ばして、俺の頬を包み込むように挟んで甘く微笑む。


「……ヴァシュラム様、もう私に隠し事はなさらないで下さいね? ファティマをいつも、どんな時でも、ヴァシュラム様のお傍に置いて下さいませ」


 こちらの気も知らないで……ファティマはそう言うと梨の蜜で濡れる唇を寄せてきた。避けることも逆らうこともせずにその口付けを受け入れると、背中がゾクリと粟立つ。

 

 ファティマからのどこまでも甘い口付けを受け入れ、途中からはその柔らかい唇に食らいつくように自分の唇を重ねる。


 腕の中で溺れるように苦しげな吐息を漏らすファティマに、俺は一切手加減をせずに口付ける。


 時折ラピスラズリの潤んだ瞳が俺を捉えて……俺の瞳もそれを捉えた。


 角度を変えて、重ねて、溺れるように。


 ――ファティマ、


 ――ファティマ、


 出来ることなら全てを棄てて、


 このままここからお前と共に……。


 そんなことを言ったら、ファティマ、


 ――――お前は、俺を、(ころ)してくれるか?



***



 ファティマの部屋から自分の執務室に戻ると、そこにはすでに呼び出しに応じて待っていたジャズがいた。


「――おぉ、旦那……もう良いのか? あの嬢ちゃんとこでもう少しゆっくりして来たって良いんだぜ?」


 いつもの砕けた風を装いながらも、俺とジャズは長い付き合いだ。その表情と声音を鑑みれば、ジャズの率いる傭兵部隊の斥候に探りに行かせた戦況の拙さが嫌でも分かる。


「ふん……妙な気を回すな馬鹿が。もう斥候に粗方探らせて来たのだろう? 戦況はどうなっている?」


 まだファティマの甘さが残る唇を指で拭い、机に広げられた地図に視線を落とす。机上の空論でもやらないよりはマシだ。


「おぅ、こっちの思った通り現状は最悪だ。前線がもうガッタガタ。これ以上は守る意味もねぇし、部下を犬死にさせんのは性に合わん。悪いがしっぽ巻いてここまで下がれって言っといたぜ?」


 そう言ったジャズが地図の上にあった騎馬の駒をこの国の方へ下げ、前線の柵と塔を倒す。途中にあるこちらの拠点を現す篝火の駒を倒して、敵国の騎馬兵を模した駒とそれに合流する騎馬の駒が並ぶ。


「途中で傭兵の数が足りねぇで入れた奴等の中に、敵さんの息がかかった奴が数人いた。ま、そいつ等はぶち殺して途中の柵に引っ掛けてきてやったがな。あぁ、だが幸い――オドネルの旦那が庇ったガキは違う。アイツはただの一般人に毛が生えた程度だ。まだ牢にいんのか?」


「いや……いまはもう出して、別の仕事を頼んである」


「ふぅん? まぁ、良い、旦那の好きなように使えや。何かあったら俺達がどうにかしてやらぁ」


 篝火と柵の上に騎馬の駒の一部を放り込んでジャズが楽しそうに笑った。俺はこういうところが気に入って重用しているのだが、ジャズを気の良い中年男だと思っているファティマやレーフィアが見たらさぞ怯えるだろう。


 オドネルの遺体は貴人と同じように真白い絹に包み、砂漠の神に祈りを捧げて砂漠の下に葬った。


 戦士の魂である剣は、ジャズがどこからか運ばせてきた大きな岩に大上段から振り下ろして、刃の半分程を岩に咥えさせてから墓標代わりに傍にうずめてやる。


 俺が振り下ろしてもああはならんだろうから……ジャズの膂力がどれほどあるのか少し気になったほどだ。あとで場所をファティマとレーフィアに教えて、この騒ぎが治まった時にでも行ってくれるように頼むか……。


「んで、例の義勇軍のことだが、もうこの辺り一帯の小数部族も抱え込んじまってるわ」


 この国の周囲に散らばる小さな点を繋いでいくと、この国に大きな恨みを持つ、それなりの規模の義勇軍になった。父や兄の代から受け継いだ物と言えば、この膨れ上がった怨嗟だけだ。


「あっちの連中はまだこの国に価値があると思っていやがる。ここの井戸(オアシス)の底が抜けるのも時間の問題だってのに。情報をろくに精査もしねぇで……バカな連中だぜ」


 珍しく本気で呆れているのか、ジャズが人の悪い笑みを浮かべる。この男は顔の割に斥候を重用する用心深いところがあり、兵を指揮する上で情報を持たない人間を殊の外嫌うのだ。

 

「――そう言うな。まだあと二十年……いや、十五年位なら価値もある。その間に民ごと売りつけてしまえば良い」


 この数字も人口が減った現段階でのことなので、新しく民を受け入れることになったとしたら、実際の井戸(オアシス)の寿命は恐らくもっと短くなるだろう。


 ジャズの顔に負けず劣らずな俺の人の悪い提案に当の本人は「違ぇねぇな!」と豪快に笑った。


「――なぁ、おい、この万に一つの勝ち目もない遊戯(ゲーム)。オマケに賭けるのが自分の安い命とは――……最っ高に楽しいな、旦那? やっぱオレ達はあんたについて来て正解だったぜ」


 ジャズの率いる傭兵部隊は、誰一人欠けることもなく今日までついて来た。それは彼等が罪人の一族であり、その迫害を逃れる為に身を寄せ合った一つの大きな“家族”であったからだろう。


 ひたすら享楽的に、ひたすら破滅的に。


 食い荒らして、食い荒らされた。


 家族を持って定住出来ない(カルマ)を産まれた時から背負わされた、どこにも行き場のないジャズの率いる傭兵部隊は、まさに正しく俺の長年に及ぶ仲間であった。


「一丁派手にやろうぜ、旦那。アンタを長年飼い殺したこの国の喉笛を、食いちぎってやろう」


 ギラギラと獣めいた光をその瞳に宿したジャズが野蛮に笑んだ。きっと俺も同じ表情になっているのだろうと確信していた。


 なのに……最後の一片残った“ただの個人(オレ)”が叫び出すのだ。


 ――ファティマ、俺は、


 ――お前と、生きたい……と。



***



「――嫌です」


 “お前とレーフィアだけで今宵城を発て”


 そう告げたあの尖塔の上で、案の定――ファティマはキリリと眉を寄せて、意図も簡単に俺の懇願と言っても良い提案を蹴った。


「……逃げ切れるかが心細いと言うのなら、護衛の代わりにエジヒトを付ける。今のうちであれば用意した退路も安全だ。だから……頼む。どうか俺の願いを聞き入れてくれ」


 未だ俺達の眼下には四年前のあの日と変わらぬ夜景が広がって、鮮やかに大気に瞬くのに――。


「……嫌です」


 俺の目の前ではラピスラズリの瞳を持つ女が、その双眸を怒りに燃やして立っていた。


「今朝お傍に置いて下さいませと、そうお願い申し上げたばかりです」


「……だから、隠し事はしなかっただろう……」


「今朝私が願わなければ、それすらも守っては頂けなかったと――そう仰るのですか?」


 いつも柔らかなファティマの声は、今ははっきりと硬質な響きを持って俺をなじる。


 砂漠の夜風は、昼のそれとは比べものにならないほど冷たく……だからこそより一層、ファティマの声に含まれた怒りの色を鮮やかに引き立てた。


 シャララ、キャララと華奢な金の鎖が風に揺すられて奏でる聞き慣れた歌に耳を傾ける。結い上げられないファティマの金の髪も、風に遊んで月明かりの下で眩いばかりに光を掬う。


「どうしても逃げろと仰るのであれば……ヴァシュラム様もご一緒でなければ絶対に嫌です」


 その一言に怒りの色が薄まり、代わりに懇願の色が滲んだ。


「今宵であれば安全な退路があると言うのでしたら――どうか、ヴァシュラム様も一緒に逃げ、」


 ファティマが最後の言葉(ねがい)を言い切る寸前、俺は一息に距離を縮めて奪うように口付けた。


 ……言わせてしまえばそうしたくなる。だからこそ、最後まで言おうと腕の中でもがくファティマを無理矢理押さえつけて――深く、深く、貪るように口付けを交わす。


 躍起になったファティマが俺の唇に歯を立て、鉄の味が口内を占めても。まるでファティマに自分の命を預けるように無我夢中で口付ける。


 鼻にかかる甘く切なげな吐息と、荒々しく求めるだけの野蛮な吐息が、一つになったり、離れたり。


 あぁ――……脳が、痺れて、眩暈がする。


 そんな俺を押し返そうと腕を突っ張っていたファティマの腕が……ついに諦めたようにダラリと下げられた。その眦から零れた涙が象牙色の頬を滑り落ちる。俺は堪らず唇を寄せ、次に零れようとする涙を吸い取った。


「ど、して……どうして、ヴァシュラム様だけが――、」


 そう声をかみ殺して胸にしがみつくファティマの身体を抱きしめ、金の髪に顔を埋める。そうすることで微かな香油の香りとファティマの香りが胸に広がった。


「国が滅ぶ時、そこには必ず王が居なければならない――」


 ”どうして”と泣く腕の中のファティマを慰める為、そうして自分を納得させる為に俺は言葉を続ける。

 

「なぁ、ファティマ――こう考えてみてはくれないか。もし後の世に語り継がれる愚王の名がなければ、そこに国があったことも忘れ去られてしまうだろう?」


 腕の中のファティマはジッと息を潜めたまま動かない。俺はさらに言葉を続けた。


「後の歴史書のほんの一行でも良い。“ここにかつて国があった”と、それだけで良い。俺はその為の礎になる、この国で……最後の王だ」


 俺がそう金の髪を指先で梳きながら囁くと、急に大人しかったファティマが勢いよく頭を上げて……言った。


「でしたら……こうして(まみ)えるのが最後になると仰るのでしたら、どうか、どうか、お願いですヴァシュラム様――私にお慈悲を下さいませ……!」


 そう切なく声を絞って絶えず流す涙が、ファティマのラピスラズリの瞳を溶かしてしまうのではないかと、一瞬馬鹿な心配をしている自分がおかしくなる。


 ――それに、その言葉をファティマの口から聞けただけで。


「大変に魅力的で嬉しい誘いではあるが……駄目だ。ファティマ、お前と肌を重ねれば、俺はきっと生きたくなる。最後の王族として――それは出来ない」


 絶望感を滲ませて見上げてくるファティマの前髪の生え際に指を滑り込ませて優しく梳きながら、そのラピスラズリの瞳を一心に見つめる。そうすることでこの無念さが伝わってくれると良いのだが。


「何よりも――ファティマ、俺はお前の未来の枷になりたくはない。だから、すまん……俺にはお前を抱くことは出来んのだ」


 前髪を梳き上げた指をそのままゆるりと輪郭線に落として、なぞる。


 やつれた頬と顎を撫でた指が最後に辿り着くのは、いつも。


「……ファティマ……」


 下唇に触れた親指の腹に、溢れる涙を堪えようと唇を噛み締めるファティマの歯が触れる。その歯が唇を傷付ける前に俺は親指でファティマの唇を薄く開かせ、続く言葉を口移す。


「………………愛している」


 俺がこの世に生きた最初で最後の囁きに、ファティマは一度重なった唇を離して小さく「私もです」と言って微笑んだ。


      

          

           金、銀、珊瑚、瑠璃に玻璃。



           この腕に抱くは、最後の妃。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ