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嵐の王様と奴隷姫◆連載版◆  作者: ナユタ


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14/19

*11* 訃 報

ファティマ視点です。



「そこを退くんだ……ファティマ」


 静かに、虚ろに、ヴァシュラム様はそう口を開いた。


 もう何度目かのその言葉に、私の方も、もう何度目になるかの拒絶を示して首を横に振る。


 直後、激しい苛立ちに燃え上がる琥珀色の双眸に見据えられて、私の背筋は動物の本能のままに戦慄く。


 謁見の間でそんな私達を固唾を飲んで見守る城の人間達は、けれど。


 誰一人として私達に近付いてこようとはせずに、遠巻きにことの流れを眺めているだけだ。そんな中でレーフィアだけが飛び出して来ようともがいている姿が見えたけど、他の女官に取り押さえられている。


 ヴァシュラム様から初めてはっきりとした弱音を打ち明けられたあの日から、良くない予感は薄々とだけれど確かにあった。


 けれど私は――そんな風に弱音を打ち明けられたことが嬉しくて、靄のように周囲を囲い始めた悪い予感に両目を塞いだ。


 その代償がこれなのだとしたら“神様”などという耳障りの良い存在は、やはりどこにもないのだと感じた。


 今まで戦場のことなど私の前で何一つ語ったことないヴァシュラム様が、先日二人でお茶を楽しんでいた折にぼそりと、


『……オドネルとジャズからの交代を告げる伝令が遅いな』


 そう、私の身体を後ろから抱きすくめたままそう呟いた時から……こんなことにならなければ良いと、ずっと――。


 あの言葉を耳にした時に、それまで形を持たない靄のようであった“不安”が、身に纏える衣のように私達を覆い隠そうとしているという漠然とした胸騒ぎを感じた。


 きっとそれはヴァシュラム様にしても同じことで、あの日からあまり深く眠り込まれる様子がなかったのがその現れなのだろう。


 いつもならとっくに私の元からヴァシュラム様が戦場に戻り、その代わりにジャズさんかオドネル様が前線から戻ることになっているのに、二月もの間ずっと何の沙汰もないのはおかしい。


 そう感じていながら私やヴァシュラム様だけではなく、城の誰もがそれを口にしなかったのはこれが“何かが崩れる前の静けさ”だと気付いていながら、口にすることで実現してしまうことを恐れた。


 ――その代償がこれだというのなら……世界は何と、何とこの方に厳しく当たることだろうか?


「もう一度だけ言う……そこを退け、ファティマ」


「いいえ、ヴァシュラム様。何度言われようが、私はここを退きません」


 私は金の鎖が滴る両腕を広げてヴァシュラム様を前にしたまま、背後に前線から“あの人”の訃報を持ち帰った優しげな目許の伝令兵の青年を庇って、首を横に振った。


 すでに伝令に来た直後に強かに腹を蹴り上げられた青年は、身体を折って苦悶の声を漏らしながらも、それでも「申し訳ございません……!」と弱々しく詫び続けている。


 けれど謝罪(そんなもの)はヴァシュラム様の怒りをさらに増幅させるだけだと言うことにそろそろ気付いた方が良いだろうに、それでも青年は“自分の罪を自分で赦したい”が為だけに謝り続けた。


「それは何故だ、ファティマ。オドネルも――お前まで、何故ろくに戦えもしないくせにジャズの率いる傭兵部隊に紛れ込んだその無能者を庇う!?」


 目の前で今まで理性的に感情を押し殺していたヴァシュラム様が、一気にその胸の内の感情を爆発させてそう叫んだ。


 背後の青年を“庇った”と思われたことに、怒りにも似た感情が身体の中をのた打つ。その瞬間、私もその激情に怯むことなく叫び返した。


「いいえ、いいえ――お聞き下さいヴァシュラム様! この者が無能者であると仰るのであれば、私とて同罪に御座います!!」


「――何だと?」


 途端にグッと低くなったヴァシュラム様の声音に怯みそうになったけれど、私はそんな自分を叱咤して続ける。


「私は――私は、この静けさが良くないものだと知っていながら、ヴァシュラム様をこの城から出したくなかったのです!! いつもならとっくにジャズさんがヴァシュラム様を呼び戻されに来るはずなのに、一向に現れない。戦のことに疎い女の私ですら、戦場で何かあったのではないかと勘ぐるのは容易で御座いました!!」


 叫んでから、ヴァシュラム様の表情がみるみる失せて。ギラギラと凶暴に輝く双眸だけが、その色の鮮やかさを増した。


 この目の前に立つ方に嫌われるのであれば、いっそこの場で殺されることの方が何倍も良いことに思えた。


 実際周囲で息を呑む気配に紛れて、


「《奴隷女が出過ぎた真似を。それに、陛下も陛下だ……子飼いの女に気を取られて唯一こなせた軍事まで投げ出すとは……》」


「《やだ、嘘でしょう? あんな娼婦のせいでわたし達まで危険な目に巻き込まれるってこと?》」


「《おい、今の言葉が誠なら、あの女がオドネル将軍を見殺しにしたも同然ではないか?》」


「《ちょっとぉ……冗談じゃないわよ。怖い思いしても給金が良いから頑張ってたのに、これじゃあ――》」


「《おぉ……愚王の統治もこれまでよ……》」


 などとさざめき合う醜い言葉がヴァシュラム様のお耳を汚す。私のことなど何と言われようとも構わなかったけれど、ヴァシュラム様に対する侮蔑の言葉には怒りで身体が熱くなった。


 奥歯を噛み締めて怒りを逃がそうとするのに、上手くいかない。喘ぐような呼吸はともすれば、みっともなく怯えているように見えただろう。


 広げた両腕が下がらないように懸命に堪えるけれど――ふと、そんな私を見つめるヴァシュラム様の眼差しが和らいだ。


 訴えを分かって頂けたのだろうかと、内心私がホッとしたのも束の間――。


 ヴァシュラム様はそれまでの和らいだ視線を一気に砂漠の夜ほど冷たくして、無情な声音で私に告げた。


「……この女と、その腰抜けを牢に放り込んでおけ。城に残った武官は戦の支度を整え次第、すぐに俺と共に出立するぞ」


 あぁ……と、漏れた溜息が、自分の物であったのか、それとも後ろの青年の物であったのか――。


 それすらも分からぬまま、駆け寄ってきた衛兵達により乱暴に大理石の床に組み敷かれた私を振り返ることなく――ヴァシュラム様の背中が遠退いていく。


「……鎖に傷を付けないで」


 この四年間の“幸福”のあっさりとした幕切れを前に……私の唇から零れ落ちたのは、そんな滑稽な言葉だけだった。



***



 最初の夜にパンの欠片と水だけの食事を与えられてから、たぶん今日で三日目くらいだろうか?


 幸いにもこの城の牢は地下にあったので、日中の砂漠の熱気とはほぼ無縁といえる構造になっている。灯りという物が一切排されたひんやりとした空間は“私”と“世界”の境目をあやふやにさせるようだ。


 けれどそのお陰で喉の渇きさえ我慢できれば、あと二日は何も口にしなくても大丈夫そう。


 食事と水、光を与えずに精神と肉体を弱らせて殺そうというのだろうけれど、今回この刑罰を考えたのが誰なのか……一人しか思い付かないことの方が私には堪えた。


 あの青年は別の離れた牢に連れて行かれたのか、両側にある空の牢からは何の音も聞こえない。


 ――城に連れてこられてから四年。


 こんなところに入ったのは初めてのことだったけれど、意外にも光のない場所は四年前までの生活で慣れていたので大して苦にもならなかった。


 ……あの青年の方はどうだろうかと少しだけ気になる。見た感じは一般人のようだったから、慣れない暗がりにずっと押し込まれては気が触れてしまうだろう。


 それに――……外に取り残されたレーフィアも心配だ。彼女は命令に従って私の世話を焼いていてくれただけなのに、そのことで爪弾きにされたのでは申し訳がなさ過ぎる。


 せめて彼女には何の咎もないことをここから祈るばかりだ。


 それにしても……背中を壁にもたれかけたまま膝を抱える格好も堂に入ったものだと、独りで笑ってしまった。


 綺麗な服も、


 煌びやかな装飾品も、


 温かで栄養のある食事も、


 柔らかで清潔な寝具と……あの方も。


 全てを失った私だけれど、それでもまだ奪われなかった物がある。


 私は手首に触れて目には見えなくとも、そこにある金属の冷たさに口許を綻ばせた。それは持ち上げるとキャララ、シャララと変わらず涼やかな音色を立ててくれるし、胸元には手折れず枯れない赤い花も咲いたままだ。


 上機嫌……とは言えないまでも、四年前までは大変だった発作も今ではなりを潜めている。だからここにいても最悪な気分には程遠い。


 私は水分の消費を極力抑えるために口を開いて呼吸することを止めて、鼻で少しずつ呼吸をする。そうすることで――このまま身体が牢の冷たい壁に溶け込んでいく夢を何度も見た。


 どうせならあの腕の中に抱き留められる夢を見たいものだけれど、ここに入れられた身には畏れ多い願いかもしれない。


 鈍った頭では段々と纏まった物事を考えていられなくなって、数年前のことと昨日のことが区別出来なくなる。実際のところこの地下牢内で、私はそれが一番恐ろしかった。


 だから私はカサついた唇を舌でなぞり貴重な水気を補給して、エジヒトさんに教わった異国の凱歌を声には出さずに旋律を刻む。その合間に手首に滴る金の鎖でキャララ、シャララとリズムを乗せる。


 今こうしている間にも自分以外の誰かの為に戦場に立つあの方を想って、私は声なき歌を歌う。


 勝利の旋律を刻む、刻む。


 シャララ、キャララと鎖が鳴いて。


 雄々しい姿を歌う、歌う。


 キャララ、シャララと鎖が踊って。


 ――そうすれば、あの方の姿を鮮明に思い浮かべることが出来る。


 ――大丈夫、大丈夫、まだ何も、忘れていないわ。


 なのに不意に……それを心から信じることが出来なくて、焦燥感に堪えられずに声を上げて歌いたくなる衝動。


 ――大丈夫だなんて、嘘、嘘、嘘。


 本当はそれを日に何度も繰り返して、心が捩切れそうだった。“ひゅー”と不自然に喉の奥が鳴って、心細さに身体が震える。


 ――違う、違うの、怖くないわ。


 ――だって本当の私の世界はこっちだったはずだもの。


 そう必死に言い聞かせるのに……あの口付けが、腕の中が、温もりが恋しくて、私はしばらく“いつものように”声を殺して泣いた。


「あーぁ、ヤレヤレ……本当はもう少し上の様子が落ち着いてからと思ったんだけれど。僕の真面目なお弟子さんでヴァシュラムの大切なお姫様は――聞いてた通りとても泣き虫だったみたいだね?」


 暗闇の中でも、不思議な抑揚のある歌うようなその声と、飄々とした語り口を忘れるはずがない。


「……エ、ジヒト、さん……?」


 そうひきつれた情けない声を絞り出した私に向かって、エジヒトさんは心底愉快そうに「大切なお姫様のこんな声を聞かせたら、僕ヴァシュラムに殺されちゃうかも?」と笑う。


 さっきまで冷えていたはずの地下牢の空気が、エジヒトさんの出現で急に暖かくなったような気がして……。


「――ふ、ふふ、ふ」


 たまらず零れた苦笑混じりのぎこちない笑い声に「そうそう、そうこなくちゃ」とエジヒトさんの弾んだ声が重なるけれど……目の前に広がるのは相変わらずの一面の闇で、私はつい自分の正気を疑って手を伸ばす。


「……ふぅん? オマケにお姫様は疑り深くてあらせられるのかな。だったらこれでどう?」


 そう喉の奥で笑ったエジヒトさんの声がしたかと思うと、暗闇に伸ばした手が一回り大きな滑らかな手に包み込まれる。


 ウードの弦を爪弾く指先だけが硬い、あまり体温の高くない掌。


「……エジヒトさん、です」


「うん、正解。ほら分かったなら立てる? それとも僕が背負おうか?」


 おどける声音にクスリとしてしまうけれど――そこでふと今度はもっと気になることが頭をもたげる。

 

「こんなところに私を訪ねて来たりして……ヴァシュラム様の、お怒りを買うのではありませんか?」


 ここに私を連れていけと命じたあの日の冷たい声音を思い出して、背筋が凍る。けれどそんな私の問いかけに暗闇の中でエジヒトさんは大きく溜息を一つ吐いて、こう言った。


「あのさ……ほんと、キミ達って面倒くさいよ」


 ――――と。


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