*** 王の剣
前半オドネル視点です。
後半は歴史上の視点となっております。
優しげな目許をした、傭兵には些か向かない青年の瞳が驚愕に見開かれている。そんな場合ではないにも関わらず、わたしは過ぎ去りし日のことを思い出していた。
しかしそれもほんの一瞬で、わたしは目の前で敵の一撃に落馬しそうになっていた青年の肩を、力任せに引っ張り上げて再び手綱を取らせる。
しかしそうすると情けないことに今度は馬上の自分の身体が少し傾ぐ。
若い時分であればこのように無様なことになどならなかったものをと苦々しさを覚えつつ、股でしっかりと馬の腹を挟み込んでその背に老いさらばえた身体を固定する。
長年共に戦場を駆けた愛馬はわたしの意を汲んで、即座に馬体を傾ぐ上体と反対側に倒す。
しかし皮肉なことに、そのせいで青年を庇って背中に受けた鏃が引き締めた背筋に深く食い込み、その灼けるような痛みに額に脂汗が浮く。
「――むぅ、ぅ」
引き抜こうかと手を伸ばすも、下手に周辺の筋を傷付けて出血する可能性を考えてそのままにしておくことに決める。心臓の位置が移動したのではと錯覚する熱と疼きが背筋を貫く。
同時に長年この手に数多の戦場を駆けた自分の得物が、急にその重みを増した気がして老いた骨身に堪えるものの、無様に取り落とす真似だけはしないように握る手に力を込める。
「オラオラ、お前ぇ等、邪魔だ退け!! 死にたくなきゃ散りやがれこの雑魚どもが!!」
聞き慣れた濁声が周囲の空気を震わせ、統制の取れた馬蹄が響く。鈍く肉を断つ音と断末魔が上がり、直後に敵と味方が入り混じった乱闘が近くで起こった。
わたしはその声のする方角へと、怯えきって口の端から泡を飛ばし暴れる青年の馬の手綱を引いた。背中に乗った青年は馬に翻弄されてしがみつくのもやっとの様子で、最早自身で御せる状態ではない。
愛馬は尚も背中に乗る青年を振り落とそうと暴れる若い馬の胴体に体当たりを食らわせ、その勢いを殺す。機転の利く愛馬の鬣を荒くかき混ぜて労をねぎらいながら、わたしは狭まる視界のやや離れた場所に大柄な傭兵隊長を認めて愛馬の首を巡らせた。
しかし鼻息も荒く嘶く若い馬に押し負けまいとその身をぶつけて、こちらもまた上に乗る主人と同じく老いに僅かにその足許がよろめく。
「――あ、ああぁわ、わぁぁっっっ!!!」
老馬に苛立ち立ち上がった若い馬の頭を、敵が放った矢が正確に射抜く。一瞬棒立ちになった馬体が、次の瞬間後ろに倒れ込み始め、馬上でパニックになった青年が手綱を離した。
(――拙い、このままだと馬体の下敷きになるっ……)
そう思ったわたしは右側に大きく乗り出して、青年の首根っこを力任せに掴んで自分の愛馬の方へと引き寄せた。“ブヅンッ”と嫌な音を立てて右足を乗せていた鐙が千切れたものの、何とか青年を愛馬の後ろに移動させることに成功する。
ついでに背に受けた鏃は更に肉に深く潜り込んで骨と神経を削り、先程までの非ではないほどにその痛みを増した。
その隙を突こうと入り混じった戦況の中から繰り出される敵の刃を、後ろに乗せた青年を庇いながら捌く。
身軽とはいえない状況下の中で、しかしそれでも一振り、二振りと手にした得物を振るって敵の“一部”を斬り飛ばすたびに言いようのない興奮が湧き上がる。
「おぉ、おぉ、若いとは何と愚かで、そして勇ましいものよ……なぁっ!!」
断末魔が、噴き上がる血が、砂塵舞う戦場で赤く渦巻いて空を染めると。まるで老いさらばえたこの心が、身体が、一時でも若返るかのような……何とも愉快な気持ちになった。
愛馬の方も主人のわたしの狂気が移るのか、近寄る敵の馬の腹を蹴り飛ばして破裂させ、落馬した敵兵の頭を踏み潰し――いつしか足許の砂は赤い水を吸いきれなくなったようで、その場に赤い水溜まりを作る。
「……さて、どうした? 次は誰がわたし達の相手をするのだ?」
グズ、ジュブ、と足許の砂を愛馬のひずめが捉えて鉄臭い水音を立てると、腰の引けた若い敵兵達は一気に及び腰になった。
「見苦しく震えて相手をせんというのなら――この戦場から疾く失せろ、小僧共。そしておめおめと逃げ帰って貴様達の主に告げよ。我が名と、我が主の名を」
やや遠巻きになった敵兵の一人一人の視線をグルリと見やり、わたしは砂漠の神に捧げるように恭しく。我が唯一の王と崇めたかつての少年の名を告げると、敵兵達は一目散に馬を駆り立てて陣へと引き返していく。
――戦を愛する“嵐の王”と、鞘を持たないその“剣”。
その称号のままに人生を演じる“わたし達”は長く主従でありながら、師弟であり、同士であり――“親子”のような、ものでもあった。
思えば――あの塔での出来事から、わたし達の有り様は決定したのだ。
かつて父や兄弟から疎まれるだけの存在だった少年の、身分の低い哀れな母親が身を投げた。
美しく、聡明で――別け隔てなく優しく、儚い“彼女”の忘れ形見を……あの頃はわたしも疎んじていた一人だ。
――それが、あの日。
塔の上から身を投げた母を見下ろしたまだ五歳の少年は、その後騒ぎを聞きつけて集まった城の人間を押し退けてその傍らに膝を突き……、
『かあさまは、これでもう、なかずにすむのだな』
そう言って柘榴のように飛び散った“母親だったもの”にぎこちなく微笑みかけて、まだ温かく蠢いてすら見える肉塊に口付けた。
『かあさまの、あらたなたびのよきひに、しゅくふくあれ――』
大人ですら気を失い、胃の中身を堪えきれずに吐瀉する中で……涙すら流さずに、口と言わず顔中を真っ赤に染めた少年はそう宣言した。
――そんな、あの日から。
わたしは誰よりあの方の味方であろうと決めたのだ。
ここ四年でわたしの他にも――あの方の味方であろうとする、可愛らしい娘がそこに加わった。
あの日から誰も愛さないと決めたようであったかつての少年が、よもや誰かを必要とし、必要とされる日が来ようとは夢にも思わなかったが……喜ばしいことに変わりない。
――なればこそ、帰らねば。
「……しかし……は、情けないが……それも、歳には勝てんか……」
ずるずると愛馬の首筋に上体を預け、その鬣に顔を埋める。後ろに乗せた青年は気絶しているのか、ぐったりとしたまま動かない。情けないが下手に騒がれるよりはマシだろう。
「……やれやれ……少し、休むと……しよう。なに、心配、すぐに……起き、」
ふと愛馬に語りかける傍ら、霞んでいく視界の中に柔らかな輪郭の白い手を見たわたしは――手綱を握っていた手を離してその手に自分の手を重ねる。
触れてみて分かった。これは、かつての想いの名残。
皺だらけのわたしの手を握り返して微笑む黒髪の――美しい――、
「……サ、ラフィー、ア……」
得物を握っていた手から最後の力が抜けて……初めてわたしは戦場で何も持たない、ただの男になる。
「……わたしは……わたし、も…………」
――。
――――。
――――――。
***
「こっちの救援が遅くなってすまねぇ! 敵さん、今回は意外と数を揃えて来やがってよ。こっちは無事だったか? オドネルの旦……那……」
***
戦が好きな“嵐の王”には鞘に納まらぬ剣があった。
いまもどこかの古戦場に墓標のように突き立つというその剣。
――――剣の名前は、誰も知らない。




