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不滅の法王  作者: 白神凛子
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消失

 ボガラ大僧の部屋の入り口は大人三人が横に並んだより広く、幾重もの紗布の仕切りで目隠しされている。

 ユースは一番手前の仕切り布の前に立つ侍従に会釈した。ボガラから呼び出したとあれば、これだけで入れてくれるはずだ。


「お待ちしておりました」

 案の定、侍従もすんなりと仕切り布を捲る。

 紫色の禁色で織られた、手触りのよさそうな布をするすると通り抜けて、そこにいるであろうボガラ大僧の目前で片膝をつき頭を垂れた。隣にいて戸惑い気味だった様子のガダスも、ユースにならって膝を折る。


「まずはお客人、ようこそおいでなさった」

 ボガラ大僧の、まだ若々しい朗とした声が鳴り響く。老齢に近いであろうに、白髪の混じった頭髪を除けば五十余歳には見えぬ容姿をしている。だが、幼少の折に失明してからは、ボガラの両目はいつも閉じられたまま。それでいて周囲の出来事を逐一察知するのだから、もう人間の力の範囲を超えているとしか考えられないお方だった。


「お初にお目にかかります。私は、」

「みなまで言わずともよい、わかっておる」

 柔らかい声でそう答えて、ボガラは二人に顔を上げるよう促す。

 顔を上げると、目をつぶり、和やかな表情でかのお方は座していた。

「さて、お客人。そなたは何かを探しているようだ」

「…はい」


 面食らったようにガダスが答えた。ボガラに心を見透かされれば、誰でも初めは戸惑うものだ。見えていないはずの目から、様々なものを映し視てしまうのだから。聖職者特有の威圧とわけのわからない焦燥に、今頃内心ぶるぶる震えているに違いない。

「そなた、もう探しものは見つけていように」

「見つけて…?」


 深くうなずいた後、ボガラは静かな声で続けた。

「ただ、見えぬだけ。――ユース、お前もよく聞きなさい。私はたくさんの物が視える。今日の空の色も、人の心も、この国で今なにが起こっているのか、もな。じゃがそれは私自身が特別優れているからというわけではないのだ。例えば、お前は二つのまなこを持っておる。それでお前は、私よりも多くの物が視えているはずじゃ。ただふいなことで見落としをしたり、疑心になったりして視えるはずのものを視えぬようにしているだけ。わかるか?」


「…わかりません。…私のように凡人では、見ようとしても見えないものも、あります」

 ユースの返答に微笑みながらも、やんわりとその首を横に振る。

「お前は今すぐにでもわからねばならない。考えず、『視る』のじゃ。人に平凡も非凡もない。必要な場所に行ける鍵が見つかるかどうか。視界が邪魔なら目を閉じればよい…――そうじゃ、何が視える?」

「――…暗闇です」

 目を閉じても、光が遮られた上での暗闇が感じられるだけだ。ボガラの言葉が理解できないのはいつものことだったが、今日は輪をかけてわからない。


「ほっほ、暗闇か。お前らしい素直な解答じゃ。…お客人は、どうやら考えておるようじゃの。先ほどの答えは出たか?」

「…はい、いえ、しかし…」

 ガダスの曖昧な返答に声を立てて笑って、ボガラは息をついた。

「私に言えることはここまでだの」

「…さっきの意味がどうしてもわかりません。『今すぐにでもわからねばならない』とは…」

 退出を促されてもなお食い下がったユースにふと慈悲の目を向けて、ボガラは頷いた。

「そうじゃな…必要に迫られたとき、わかるはず。私はお前には出来ると信じておる」


 それきり、ボガラは口を閉ざしてしまった。仕方がないので目深に礼をとり、来たときと同じように仕切りの紗布をたどって戻る。

 部屋を出て回廊をしばらく無言で歩いていると、隣から深いため息が聞こえた。

「あんなに威圧的なお方だとは」

「…まぁな。探してるもんって何なんだ」

「私が…どこの国の人間に見える」

 おもむろに問うたその質問に内心首を傾げながらも、ユースは「さぁ」と答える。ガダスが吐息を漏らしたのがわかった。どうやら笑ったらしい。


「私はイクパルから来た」

「…イクパル? って、あの砂漠の国だろ」

 アルタから遥か西。前帝が死に、歳若い新たな皇帝が玉座の上に腰を据えてから、かれこれ二十年近く経つらしい。元はアルタの山岳民族が西に渡り、遊牧をしながら土地を治めていった国だったはずだ。アルタは大陸全土の母。だが距離が遠く付き合いも浅いため、あまりあちらの内情が流れてくることはない。


「知り合いが、この国にいると聞いた。…だが見つからない」

 感情を含めない、ぶっきらぼうな言い方だった。だがふと横を見れば、焦りに顔を歪める白い顔がある。

「名前は」

「わかっていたら苦労はない」

「…名前もわかんねえのに、知り合いかよ」

「正確には知人の子だ。歳の頃は十三、青い目に黒髪で……」

「それってまるで、」

 キトリそのものじゃねえか――そう言いかけたユースを見やって、ガダスが微かに頷く。


「最初はそう考えたが、何より性別が違う。私が捜しているのは少年ではなく少女だ。戒律の厳しいアルタで女の入山は許可されていないはずだろう。加えて修行僧の身なりをしているとなれば、確実に男。そうなればキトリは他人の空似としか言いようがない」

 たしかに、青い瞳というだけで、この国の中では大きな特徴になるだろう。アルタ族は黒髪黒目。西の人間よりわずかに濃い小麦色の肌――。他民族の混合をよしとしない閉鎖的なアルタでは、変わった容姿に敏感だ。だから青い目の少女を見たかというそれだけの質問で、信頼における情報がいくつも入るはず。だが…。


「俺が持っている…、ボガラ大僧は、確かそう言わなかったか」

「言って…いた」

 ふと、ガダスがこちらを見つめたのがわかった。足は自然と大部屋に向かう。確かめなければならない。いや、その前に、このどこの者とも知れない男に、『お前の捜しているのはキトリだ。なぜならあいつは女だから』などと言ってやるわけにはいかない。


 キトリ自身がガダスの話を聞いて、『それは自分のことだ』とうちあけない限り。

 客人を修行僧たちの私室である大部屋に通すことは本来認められていない。だが、今回くらいボガラは多めに見てくれるはずだ。そう思いながら、大部屋のふすまを開けた。

 突如、しんと部屋が静まり返る。

 客を連れ込んだせいか。そう思ったが、何だか様子がおかしい。皆、呆けたように方々をぼんやりと眺めている。まるで、今さっき起きた出来事を消化しきれぬような顔だ。


「ユ…ユースさん?」

 一番最初に自分たちの存在に気づいたのは、キトリと仲のいいチャンギだった。何事が起こったのか…そう問いただすより前に、ユースはその部屋の中にキトリの姿がないことに気づいてしまった。

「キトリは」

「そ、それが」

 チャンギが怯えたように肩を竦める。こんなときに、俺を怖がってどうする? 眉根を寄せ頭二つも小さい少年を見据えると、彼の兄役がその華奢な肩を掴み後ろへと下がらせる。トルファンだ。


「連れて行かれたんだ」

 いつも忌々しく感じていたはずの、あの朗らかな微笑が全く無い。ただ真剣で、困惑した表情がそこにあった。

「連れてって、誰が…」

 トルファンは、答えない。周囲の修行僧たちも、口を閉ざしたまま。

 どうして誰も答えない。どうして皆怖れた顔をする。


「お…前っ、見てたんだろが?! 何とか言えよ、黙って連れ去られんのを見てたってのか!!」

「落ち着け、ユース」

 ガダスに肩を掴まれて、拳を固く握り締める。

 なんだって、今日に限って…!

「レビニタに、連れて行かれたんだ」


 ぐらり、視界が揺らぐのを感じた。寸でのところで堪えなければ、そのままトルファンに拳を叩きつけていたかもしれない。

 レビニタ…。

 聞き覚えのあるその名が、焦点を結ぶのに時間はかからなかった。

 本山の大僧。アルタで二番目の位置にいる、普段は目通りも叶わぬような高僧中の高僧――。


「キトリは、法王(チャガヤ)なのかもしれない」

 トルファンの口からその言葉が吐き出されるや否や、ユースは既に駆け出していた。

 何もかも『視えていたはずの』ボガラ大僧の元へと。




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