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不滅の法王  作者: 白神凛子
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約束の時

 「うぁ、おいひい!」

「だぁろぉ? こっそり買ってきた甲斐があったよ」

 口いっぱいに菓子を詰め込んだキトリにチャンギが答える。

「キトリに物食わせたらおもしれえからなぁ」


 大部屋には二十人ほどの兄弟たちが入っているが、その中で特につるんでいるのがキトリとチャンギ、そしてひとつ年下のカイズリだ。

「ねえ、キトリたちなんか変な人連れてなかった? 参拝客?」

 そのカイズリが不思議そうに問う。やはりあの真っ黒ずくめは人目に怪しげにうつるらしい。


「参拝とか何とかって言ってたけど。でもボガラ大僧に呼ばれるなんて何だろうね」

「ボガラ大僧の千里眼はすげえよなぁ」

 しみじみ、チャンギが宙を見据える。

「うん、何でも見えちゃうよね」

 そう答えたカイズリを見て、キトリはふと首をかしげた。

「そういえば本山のレビニタ大僧も視えるって言ってたね」


「ああ、選定? ほんと不思議だったよね、あれ」

 うん、とチャンギも頷く。

「やっぱりあれくらいになると色んなモンが視えるんだろうな」

「新しいチャガヤもきっとすごいんだろうね」

「どうだろ、俺らと変わんない歳なんだろ?」

「さあ」


 そんな話をしているうちに他の兄弟たちも大部屋に戻ってきて、がやがやと三日ぶりの懐かしい騒がしさが戻る。昼前は経をあげたり掃除をしたり、それらが終わればほとんど自由時間に等しい。上の僧たちの目から割と離れた大部屋なので、日によって子供らしい、戦さ場のような騒がしさになる。


「あ、俺の兄役帰ってきたわ。キトリ、隠せ、菓子っ」

 経をあげて来たのだろう、チャンギの兄役がこちらを見て微笑んだ。チャンギに指令を受け慌てて菓子を隠したものの、あの顔は絶対に気づいている顔だ。

「お前たち暇そうだね」

 チャンギの兄役――トルファンは、鼻筋がすっと伸びて、やや下がった目じりが柔和な印象をうける綺麗な人。

 同じ美形でもユースとは正反対の優しい兄役だ。どうせならこういう人がよかったと、何度思ったことか。同時に、やんちゃなチャンギをあしらうことにかけては、この人以上にうまくやれる人はいないのではないかとも思う。


「俺の目を誤魔化そうとしても無駄だけどね」

 そう言って、チャンギの僧衣の中に隠していた菓子袋をすっと取り上げ、にこりと笑う。

「うわぁ、トルファン、頼むから僧上たちには…」

 慌てて立ち上がろうとしたチャンギを柔らかな目で見つめて、「もちろん」と返す。

「お前がこれを買ってたのは向こうで気づいていたよ。でも俺も混ぜてくれると思ってたのに。心外だったなぁ」

 すとん、と輪の中に座って「さあ食べよう」と微笑む。だがふとして気づいたときには、すでに菓子の大半がトルファンの胃袋の中だった。


「だから呼ばなかったんだよ…」

 頭をかかえてチャンギが唸る。これを買うためにきっと彼なりの苦労があったのだろう。カイズリが困惑の目でこちらを向いたが、キトリはあいまいに微笑むしかない。扱いにくさでは、なるほどユースもトルファンも変わらないかもしれなかった。


「そういえば、お残りご苦労さんだったね、キトリ」

「はい。本山って行ったことなかったんで、すごく行きたかったです」

「そんな君におみやげだよ」

 はい、と言って彼が差し出したのは紗織りの美しい布だった。

「うええ、俺には?!」

 即座に身を乗り出したチャンギに、笑顔で「お前は行ったろ?」と返す。

「なんだよ、そんな綺麗なもんお前に買えたのかよ。キザったらしい土産だなぁ」

「きれい…」


 陽の光に透かすと布の色の美しい青が、顔の上に降り注いでくるようだ。両の手のひらを広げたぐらいの大きさだから、これで匂い袋でもつくったらいいかもしれない。魔よけの意味合いもある香木を入れた匂い袋は、修行僧たちにも許された「遊び」のひとつだ。本当は遊びと思ってはいけない重要な神具なのだけれど。


「キトリもキトリだよ、そんなうきうきした顔しちゃって」

「君みたいな弟が欲しかったものだなあ。見てて飽きないし」

 楽しげにそう呟いたトルファンに、大真面目な顔でキトリが頷く。

「私も。ユースなんか、あっちこっちで女垂らしこんで私に尻拭いさせるんですよ。何度あの女たちに怒鳴られたことか…」

 謝りに行くたび、狂気丸出しの彼女たちと対峙させられては本当に気が滅入る。自分もあれと同じ種なのだと考えると、気鬱がしてくるほどだ。


「ならトルファンだって変わんないぜー」

「でも俺は弟に尻拭いさせるより早く切り上げるからね、腕っ節の違いかな」

 ぽかんと口を開けたキトリを見て、カイズリが声を立てて笑っている。

「トルファンさんも、下の町じゃ結構有名だよ」

「そうなの?!」


 ユースは健康なのさ。安心しなよ、あんなに若いうちから禁欲を守ってるなんてヤツは、じき気が振れちまうんだ――今さらながら、ナナサの言葉を思い出す。裏を返せば、彼らの年頃の僧たちは皆が皆、禁欲を破りまくっているということではないか。

「なんだ…トルファンさんだけは、禁欲にも負けない聖人のようなお人だと思ってたのに…」

 がっかりして呟くと、チャンギが面白そうに笑う。


「聖人? こいつが?! まず容姿からしてどう見ても女ったらしだろ、これは」

「お前も失礼なやつだねチャンギ。俺はいつも聖人のような態度で女性と接しているよ」

「あーあー、うそだね。その優しげな顔と言葉で、ふと気づいた時には寝台の上に寝かされてるって、有名だぜ」

「うわあ」

「キトリ、聞いちゃダメだ。あっち行こう」

 カイズリに促され立ち上がってよかった。場を後にするときに耳に入ったのは、赤面してしまうほど下世話な話題の喧嘩だった。


「あー面白かった。何だかんだ言って仲良いんだよね」

「うん。あんな話…兄役と普通しないよね?」

 間の抜けた顔のまま、キトリがカイズリを見る。ひとつ下の彼なら、この複雑な心情がわかってくれるに違いない。そう思ったのだが、

「まあ、俺の兄役もたまに話するけどね」

「ええっ」

「しないの? キトリはよっぽどユースに可愛がられてるんだなぁ」

「子ども扱いの間違いじゃないか」


 そうかな、とカイズリが首を傾げる。同意を求めたはずなのに、逆に自分の首を絞めてしまった気がする。そういう色物の話を、ユースはまったくといってしない。ひとつ下のカイズリでさえ知っているのに、何だか置き去りにされた気分だった。

「トルファンさんは誰にでも朗らか~な印象だけど、ユースさんは普段、なんか話しかけにくい雰囲気でしょ。でもキトリと一緒にいるときのユースさん、何か優しそうに見えるんだよね」

「ユースって話しかけにくいの?」

「話しかけにくいっていうかー…あ、あれ…」


 おもむろに目を見開き、彼が指差した方向から、ここに居るべき人ではない人物がやってくる。

 高貴な色である黒の僧衣に紫の袈裟を付けて、神聖さを感じさせる真っ白な髪を輪をつくって束ねるそのお方。

 ―――レビニタ大僧…。

 部屋の中の誰かが呟く。その呟きにキトリは唖然とした。


 この部屋の中の修行僧たちは、選定の折に目通りしているからわかるのだろう。それまでぼんやりとその高貴な人の姿を目で追っていたキトリは、カイズリに引っ張られ慌てて伏礼するはめになった。

 本山の地位では、法王(チャガヤ)の二番目に値する大変な高僧だ。なぜこのようなところに…。皆が皆同じ疑問を抱えているはずだが、あまりにも上の階級の僧侶に対して、口を開くことができない。


「おや、そんなに気を使わずともよろしいのに」

 思ったよりも優しくて、温和な老人の声。ふわ、と伽羅の香が流れる。ほのかで高貴な香りだ。そう思って目を閉じると、なんだかその香りが目前からしてくることに気づく。

「キトリ」

 しわがれた、でも奥の深い声が頭上に降りそそいだ。

「えっ」

 驚いて顔をあげると、目じりに皺をよせ微笑むレビニタがいる。片膝をついて、キトリと同じ目線に降りる。


「ああ、見つけた」

 固まって、口がいうことをきかない。

 ただその圧倒的な存在感にあてられて、ひゅうひゅうと空気だけが喉の奥に流れ込む。

「さあ、迎えに来たのです。行きますよ」


 すっと差し出されたその手を、困惑して見つめる。

 ざわざわと、周囲が騒ぎはじめるのを感じつつ、ぼんやりとレビニタの顔を見上げるしかなかった。

 一体これはどういうことなのだろう。チャガヤが居ないこの国で、実質現在頂点にいるだろう僧侶が、こんな辺鄙な位置の寺院に、わざわざ罷り来るなんて。挙句下層の大部屋に自ら足を運び、これまた最下層の修行僧にそのお手を差し伸べている。


「さあ、キトリ」

 考えは固まらない。促されるままにその手を握ると、そのまま引かれて立たされる。

「約束の時間ですよ」

 レビニタは微笑み、キトリの手を軽く握り締めた。


 その透き通った黒色の瞳に、涙がにじんでいるように見えたのは気のせいだったろうか。

 だが、そこでキトリはようやく理解したのだった。

 自分がとんでもない事態に、巻き込まれようとしていることを。




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