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不滅の法王  作者: 白神凛子
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不滅のアルタ

 ――ここへ来るのは何年ぶりだろうか。

 ガダスはのろのろと町を見渡した。何十年も変わらない町並みだろうが、以前に訪れた記憶があまりにも薄い。


 ただひとつ覚えているのは今より若かったことと、今とは違い連れが居たことくらいのものか。長いようであっという間にここまで来てしまった。若いころは、なぜか思い出すには息が詰まる。


 不滅のアルタ。この国は昔からそう呼ばれてきた。アルケデア大陸で、もっとも古い歴史を持つ小さな法治国家だった。

 アルタの中枢を占めるのは勿論僧たち。だが階級という階級はそれしかなく、国民であれば誰でも寺院に入り、僧になるための修行を積むことができた。頂点に法王(アルタ・チャガヤ)を頂き、今まで総勢で百にも名だたるチャガヤたちが誕生し、また還っていった。


「こんな……小さな国なのに」

 近隣の諸国たちからみれば、ほんとうに地方の小都市くらい小さい。なのに致命的な干渉もいままで受けてこなかったのは、この国がいわば大陸全土での母親のようなものだからなのかもしれない。

 赤茶けた町、人が三人並んで歩けぬほど狭い、迷路のような路地。路の両脇に建ち並ぶ日干し煉瓦の民家には、信仰を表す経の書かれた乳白色の帯があちらこちらで揚がっている。


 青い空と赤い大地。それが彼ら僧たちの狭い世界のすべてだという。

 若い頃は頻繁に町を訪れ食料を調達したり、こっそり遊んだりとするものらしいが、運搬役の年頃を過ぎてしまえば町に下り来ることは滅多に無い。だから地元の住民たちは、橙色の修行僧衣を纏い毎日荒れ山を駆け下りてくる少年僧たちを、心から持て成し有り難がる。以前訪れたときも、たしかそんな修行僧をちらほら見かけたはずだが――。


「旦那、お宿が入用でしたらお安くいたしますけど」

 きょろきょろと辺りを見回していたため観光客だとでも思われたのか、小柄な男が愛想よく近づきその骨ばった両手を重ねた。

 宿屋の主人だろうが、人との接触はなるべく避けるよう「上」から言われている。ガダスは無愛想な目をさっと主人に向けて、押し黙った。


「ご観光でしょう、違いますか?」

「……ああ、まあ」

 たしかに観光といってもいいのかもしれない。目的は、町向こうの台地にこちらを見下ろす形で建てられたヤァエン寺院に行くことなのだから。

 しかしアルタの町中で宿をとる算段はしていない。長身をすっぽりと包む黒色の外套も、噂に聞く寺院への道のりに吹く砂風のために用意したのだ。なのにここに来ていきなり登れないと、つい先ほど熟練のはずの案内人(ガイド)に断られてしまった。だから予定が大幅に狂ってしまっている。明日にはこの国をもう一回りと考えていたのだ。


「残念ですなあ。今日ほどの天気なら、ガイドに断られたのでは」

「天気が悪いと断られた。だがそんなに悪いようには見えないが」

 空には目を見張るほどの美しい青空。空気は乾き、雨の降る気配は微塵も感じられない。だが宿の主人はわずかに肩を竦ませ、本来寺院が見えるだろう方角の空へ顔を向けた。

「あそこが寺院の建つ山です。といっても台地といったようなものですが、薄茶の(もや)で全く見えないでしょう? その外套で砂や風から体は守れますが、あの通り視界はそうとはいきません。毎日山を上り下りする少年僧ですら、折り返して戻ってくることがあるんですから」


 男がふと目を細めたので、彼もまたその方向へ視線を這わせる。

「ほら、噂をすればですよ」

 言葉どおり、山の方角から橙の僧衣を着た少年が二人、連れ立ってこちらに向かっているのが見える。

「ちょうどいい。案内を断られたのなら、明日彼らと登ればいいでしょう。これはなかなか貴重な体験になりますよ」

 そういって男は、少年たちに大きく手を振った。向こうも気がついたのか、小走りにこちらへ駆けて来る。ほとんど山を二往復しているだろうに、驚くべき体力だ。


「ああ、こんにちは」

 小さい方の少年が、歯を見せる。砂で汚れた薄布を頭から外すと、薄青の大きな瞳が現れた。黒色の髪と目が特徴のアルタ族では、珍しがられる色だろう。鼻のあたりに微かに浮いたそばかすが、実は彼が色白であることを示す。


「イディンバ、もう一晩お願いするよ。とても帰れる天気じゃなかった」

 背の高い方の少年が言った。黒髪黒眼、健康的に焼けた小麦色の肌で、こちらは純粋なアルタ族らしい。その意志の強そうな眼が、真っ直ぐこちらを見据える。

「誰?」

 胡乱そうにイディンバに聞き、背の高い少年は籠織りの重そうな荷をどさりと降ろす。


「お客さんですよ。寺院に登る予定だったそうですが、この砂風ではね。今しがたガイドにも断られたそうです」

「へえ。そりゃツイてねえなぁ、旅人さん」

 まるで興味もなさそうに呟く。

 横で見ていた小柄な方は、腰紐が絡まった背負い荷を降ろすのに懸命だ。

「……お前、何やってんだよ」

「ごめん」

 兄役の手を借りてようやく荷を降ろし、彼は照れてはにかんだ。


「不貞腐れてる方がユース、で小さい方がキトリです。どうでしょう、彼らに明日お願いしては」

 イディンバは自分の店から人手を呼んで、少年たちが降ろした荷を手際よく運ばせている。いつの間にか自分の荷も運び込まれていることに気付き、ガダスは溜息をついた。

「安いと言ったな」

「ええ。お任せください。では…」

「ガダス・アルデンだ」

「承知いたしましたガダス様。宿は食堂と兼営ですので、ご自由にお使い下さい。奥が宿です。先ほど荷を運ばせた者に色々と任せてありますので、お気楽に」


「彼らは?」

 ふと見ると、少年たちの姿はもう無い。イディンバは肩を竦めて苦笑を返す。

「遊びに行ったんでしょう。また会ったら観光でも頼むといいですよ。彼ら少年僧ほどいい案内人(ガイド)は、ほかにいませんからね」





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