再会
目が覚めると、ユースの寝顔が横にあった。
どうしてこんなところに彼がいるのだろう。
日に焼けた蜂蜜色の肌と、伏せられたまぶたに乗る長い睫毛、整った眉、綺麗な形の顎、唇…。
まじまじと見つめて、キトリは考える。
――私、死んだんじゃなかったっけ。
恐る恐る指先をのばし、ユースの頬に触れてみる。頬は確かな感触を持ってキトリの手のひらに温かさを伝えた。
「わたし…生きてるんだ」
キトリは、その頬に触れたままだった手を引っ込めて首を傾げた。
ユースの寝顔なんて、初めて見たかもしれない。
寺院にいたころ、キトリが目覚める頃にはいつも彼の寝台はもぬけの殻だった。いつも女のところか、仏殿で早々と経をあげているか。
それに比べて、朝に弱いキトリが起きるのは、いつも読経がはじまるぎりぎりの時刻だ。
朝帰りをするくらいだから、「女たち」はこの寝顔を見たことがあるのだろうな…。そんなことを考えて、キトリはため息をついた。
アーヴェに小さな宿まで運ばれ、そこで会った見ず知らずの男に最期の言伝てをした記憶は残っている。
あんなにも懸命に気力を保っていたから、確かだ。ならばあの男が、実はユースであったということか。
――そういえば名前を呼ばれた気が…。
ふとユースが寝返りをうってその瞳をぼんやりと開ける。
一人用の寝台に寄り添うように寝ていたため、距離が近い。すぐさま視線が合わせられたユースの瞳を見て、キトリは悲鳴をあげた。
黒い右目、薄青の左目――異色の瞳がまっすぐにこちらを眺めている。恐ろしさに身が竦み、逃げようと後じさるが、がつんと背にあたった壁のせいで逃れられない。
「…キトリ」
「…ユース、それ」
ユースの両の目は開かれたまま。呆然とそれを見つめて、キトリは気づく――自らの左目が開かないことに。
ユースの左目は、薄い青色のこの瞳は…まるで鏡に映った自分の目のようだった。
「覚えてないってのか」
腕の中に何もいないことに気づいたのか、ユースはのろのろと身体を起こす。
「…ああ、俺いつの間に寝てたんだ」
眠そうな顔で寝台の上に胡坐を組み、ぼんやりとキトリを見つめる。
「お前、大丈夫か」
「う、ん、なんともない」
思わず声が裏返る。起き上がったユースは、僧衣を着ていなかった。鍛えられた上半身を、否応なしに見つめてしまう。
「…よかった」
長いため息とともに、ユースが呟く。
「…え?」
「お前がお前じゃなくなってたら、どうしようかと思ったぜ」
そうして寂しげな顔で笑う。
いつの間にか抱きしめられていることに気づいて、キトリは困惑した。
ユースが好きだと――「死ぬ前に」気づいた…。飛び上がりそうなほど心臓が早鐘をうっている。さっきだって。
けれど、ユースはそんなキトリの想いなどわからない。弟分が生きていたことが余程うれしかったか、心配していたかで、抱きしめているのだ。ユースにあるのは親のような家族のような感情でしかない…。
「…は、離してってば、苦しいよ」
「ああ、わりい」
腕の中から逃れ出たものの、ユースの顔がまともに見られない。俯いて、小さなため息をこぼした。
「なんでここにいるの」
「…なんでって、お前を追って本山行く前に、ここに泊まってたんだよ。そこにお前がふらふら瀕死で戻ってきて…本当に死んだかと思ったぜ」
「私…確かに死んだはずだった」
ユースは呆れた顔をして、キトリの頰に手を充てる。
「ほら、お前は生きてる。触れるモンが死んでるわけねぇだろ」
「じゃあ、昨日会った男は、ユース?」
「ああ、馬を逃がせだの屍を灰になるまで燃やせだの言ってたっけな。お前…あの怪我誰にやられたんだよ、本山でなにがあった? 怪我と関係あるのか」
「本山――? そうだ。私、」
レビニタに言われたのを忘れていた。ユースに会わぬよう、イクパルへ戻れと。
思い出したように立ち上がって、扉の前に走り行く。左目が開かないせいで見えづらい。勢いあまって扉に頭をぶつけてしまうはめになった。
「うう…」
額を押さえてうずくまっていると、よこにユースが屈み込む。
「何やってんだよ」
「…ユースは本山に行かなきゃいけないんだよ」
「ああ? 何でだよ、俺はお前迎えに来ただけなんだぜ」
ふと、ユースの顔を見上げる。アルタ・チャガヤだから――そう言ってしまっていいのだろうか。レビニタはユースに自分で気づかせようとしていたようだった。ならばここでキトリが言ってしまっては、いけない気がする。
「とにかく、レビニタ大僧がお待ちしてるんだよ、ユースを」
「俺を? お前あの傷、レビニタにやられたんじゃねえのか? お前が竜だって知って、懐柔しようとしたんだろ」
「私が…竜って…、なんで知ってるの…」
ユースは眉をひそめた。
「覚えてないのか」
「覚えてって、何を…」
ユースが右目を瞑って見せた。何をふざけているのか…そう思ったが、何かがおかしい。開かぬはずの左目の奥で、何かがもぞりと動いた。
「っぐぅ…」
気持ち悪い。思わず吐きそうになって、両手で口を押さえ込んだ。
ドクン、ドクン…さっきにも増して、心臓が粟立っていく。皮膚を切り裂くような、じりじりとした痛みが全身を覆った。
「キトリ?」
「あぁあ…」
――これは…。
『皮膚が引き連れるような、切り裂けるような痛みじゃ』――レビニタの言葉を反芻して、思い立つ。これは…、
変化。
「ぐああぁ!」
その想像を絶する痛みに獣に似た悲鳴をあげて、床の上に突っ伏した。耐えられない…幼い頃、何度も変化していたはずなのに。
「キトリ!」
ユースに抱き上げられて、ふと目を開く。驚いたことに、彼の身体に触れた途端、皮膚を引き裂く痛みも竜への変化も止まってしまった。
「ユース…それ、私の目なんだね」
覗き込む彼の瞳を見上げて、切れ切れに呟く。
「大丈夫か」
キトリはただ、黙って頷いた。
自分の目を、ユースが持っている――ということは…。
「お前が竜だというのはアラド…ガダスに聞いた」
「アラド?」
その名前が記憶を呼び覚まそうとする。何かがそこまで来ているのに、何だったのかが思い出せない。ただ、アラドという名がどこかで耳にしたことのあるものだというのは間違いない。
「ガダスって、あのガダス? 本名がアラド?」
「ああ。それとナナサにも。ナナサは本当の名前をワルターだと言ってたけどな」
「ワルター…ああ…!」
――どうして最初に、気づかなかったんだろう。