恋の目覚め
背中が痛い。燃えている。
けれど、この場所は離れなくてはならない。万が一ここで力尽きてしまったら、身体が変貌してしまう筈だった。
……竜へと。
「アーヴェ?」
森を突っ切って道路に出ると、他でもないアーヴェが自分を見つめている。
「アー…待って…て…」
熱い。背中が。足首を伝う生ぬるい感触に気づいて見下ろすと、おびただしい量の血が土を濡らしている。
「…せなか…」
見える限り見ようと、首をひねって背中を見下ろす。アーヴェが不安げに嘶いた。
「ああ」
短剣だ。短剣が背中に、――深々と突き刺さっている。
アーヴェが首を下げる。
「乗れば…いい、の…」
返事をするように嘶いて、アーヴェは尾をはたりと振る。
キトリはその背に死に物狂いでよじ登って、たてがみを握り締めた。
アーヴェがゆっくりと走り出す。揺れないように、揺れないように――まるでその声が聞こえてくるみたいだ。
気を失っては駄目。背中の痛みに意識を向けて、自分の気を奮い立たせる。
アーヴェが足を止めたのは、小さな宿のようだった。灯かりはすでに消えていて、店の主人の姿も無い。どちらにせよ、もう寝入っている時刻だ。
「だれか…」
背中の痛みが薄れてきた。だめだ、このままだと気を失ってしまう。
宿の中に身を滑り込ませて、床に膝をついて突っ伏す。足ががくがく震えてしまって、もう歩けそうにもない。
「い…っ」
ずり、立とうとして、自らの流した血だまりに足をとられる。
どこかにつかまらなければ。壁越しに立ち上がると、ちょうどいいところに椅子を見つけた。手をついて体を支えようとするものの、力が入らない。椅子ごと床に崩れ落ちると同時に、大きな音をたててしまった。
「誰かいるのか?」
客室の扉が開いて、男が顔を出す。陰になって、顔は見えない。
また男か――。先ほどの恐怖を思い起こし、キトリは震えた。
「さむい」
気を保っていられるのもあと少しだ。随分血を流したから、どう考えても自分は死ぬ。
なおも周りを浸していく生ぬるい血。暗くなかったら、きっとそこにいる男は嘔吐しているだろうな――などと考えつつ、ここまできて冷静でいられる自分に苦笑した。
「おい…大丈夫か!」
キトリの存在に気づいて、その男が駆け寄ってくる。ぐったりと椅子に身をもたげていたキトリを抱き起こし、覗き込んだ。
なんて綺麗な目。夜闇…だけどけして冷たくはない。暖かい闇の色。懐かしい色だ。
男はキトリを見て何かを言ったが、もうそんなことはどうでもよかった。
「お願い…」
キトリの擦れた声に、男が頷く。いい人なのか、そうでないのか。だが、最期に出会った男なのだ。信じさせて欲しい…。誰ともなしにそう願って、キトリは口を開く。
「馬を、さしあげます、だいじな…、だいじに…して、ください」
夜闇色の瞳が驚いたように、もしくは怒ったように…見開かれている。
「私が…死…んだら、火で、灰になるまで…お願い、おねがい…」
我侭をごめんなさい。けれど、この体が不死に効くと知れてしまったら――。
「――ユース…」
ふと顔が浮かんだ。そばにいたのに、孤独だった。
気づけばいつも知らない女の人の所。町に降りても、食事のときしか顔を合わさない。
夜中遅く――悪ければ朝方に帰ってくることだってあったのだ。
それがたまらなく嫌だった。どうして嫌なのか、それはずっと後々の尻拭いのせいだと思っていたのだけれど…。
「わ、たしは…」
ユースが好きなのだ。
今更になって気づいた感情。
レビニタの言ったことは、本当だった――。