貫く短刀
(※ 流血、暴力的な表現を含みます。)
隙を探しているのに、その隙が見つからない。もう限界というほど近づいてから、キトリは思い切りアーヴェの尻を叩いた。
「おい! その馬逃がすな!」
山賊の頭らしき男が怒鳴ってその尻を追いかけるが、人間が馬に勝てるはずがない。呆気なく撒かれて、アーヴェの背中は見えなくなった。
「…嬢ちゃん、お馬が逃げちゃったよぉ、どうすんだ?」
「何とか言ったらどうだよ、え?」
「…きゃ!!」
突如、男のひとりが短刀を突きつけてくる。
身を反らしたお陰で体を貫きはしなかったが、その尖った刃に引っかかった橙色の僧衣が、びりりと音を立てて裂けた。
「おっと、裂けちまったな。なんだぁ? そんなもんでぐるぐる巻きにしてんのか」
わずかに膨らんだ胸――を隠すために、薄手の布を何重にも重ねて胸に巻きつけている。刃はそれには触れずに、上の僧衣だけを裂いていた。
「どこかから逃げ出して来たんだな? そんなもの着て、誤魔化せる筈ないだろう。この辺は俺らの縄張りだって、地元の奴らはみんな知ってるってのになぁ」
アーヴェはどのぐらい逃げられただろう。ここで捕らえられてしまうよりは、うまく逃げ切ってくれたらいい。野性に還るにも、寺院に戻るにもアーヴェ次第だ。
「私を殺すの?」
「ひゅううう、可ぁ愛い声。殺して金をぶんどろうと思ってたが、その前に可愛がってやるのも、悪くねぇかもなぁ」
キトリはずっと、男たちを睨み付けていた。隙を見せないように、そして相手の隙を見逃さないように。
けれどここで、何も言わず殺してくれるなら、それに任せてもいいかもしれない。
…どうせ死ぬのだ――ふとそう考えて、首を横に振った。
「ああ…だめだな」
「は…?」
苦笑交じりに呟いたキトリを見て、男たちは呆気にとられた顔になる。
瞬時に棒をぐるりと回して、男の腹に叩き込む。ぐふっ、と呻いてその男が突っ伏した。
「…ひとり」
「な、なんだ? こ…んのォォ!!!」
男たちが一斉にキトリへと飛びかかる。
その瞬間を待ってしゃがみ込み、キトリは一気に棒を振り回した。
「ぐふぉっ…」
「はがっ!」
「ひぎぃっ!」
まるで絡めとるような動きで、一人、また一人と叩きつけていく。すべて急所を狙ってあるから、食らったらしばらくは眠ることになる。
「…八人」
ぐるりと一周、男たちが地面の上に伸びている。対複数棒術…だったか、教えてくれたのはナナサだ。久々にその顔を思い出して、初めて感謝する。
だが、安心するのはまだ早かった。
「…っあ!?」
棒を握っていた腕を強く掴まれて、キトリは息を吐いた。
「…っくしょ、胃ン中がムカムカするぜ」
甘かった。一人、気を失わなかったのが残っているとは。
「油断…したぜぇ、お嬢、ちゃん。その、棒っ切れが、飾りじゃねぇ…とはなっ」
「はっ、離せ!」
男の腕を握る力があまりに強く、武器である棒を取り落としてしまう。
「…っ!!!!」
刹那、焼けるような痛みが背中に走る。油断、した。
「ふん、ざまぁ…みやがれ…」
どさり。ようやく気を失った男を踏み越えて、キトリは駆け出した。