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不滅の法王  作者: 白神凛子
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五山の召集

 高地に突き刺すように建てられた寺院には、風をよける囲いも無い。吹きさらしの土を巻き上げるように、砂まじりの風がばちばちと頬を叩きつけていく。

 肌は常に風に焼け、ひび割れた唇から血が滲むことが絶えない。太陽が真上に昇れば砂風はいっそう強くなり、その悪天候のせいで出歩くことなど無謀に思えた。


 荒れてかさかさになった唇を指先で摘んで、キトリは砂よけの布頭巾を目深に被り直す。

「……どうする」

 強くなりはじめた砂風の音に混じって、微かな声がキトリの耳に届いた。キトリは風にばたばたと纏わりつく橙色の僧衣を片手で抑え、その声に目を細める。

「どうするって」

 そのまま声の主を振り返ると、同じ僧衣を纏い、頭から乳色の布頭巾を被った少年――ユースが、頭二つほども高い位置からキトリを見おろしている。


「これから帰ったら俺たちは窒息だな」

 すでに砂風の勢いは頂点に達していた。彼の言葉どおり、この風除けもない赤土の台地で砂風に遭遇してしまっては、ひどくなれば呼吸さえままならない状態になる。もはや空も足元も、キトリの背後に寄るユースの姿すらおぼろげにしか見えなかった。


 寺院からふもとの集落へ降りる道のりは、木ひとつない吹きさらしの荒地。赤茶色に干上がった土が、延々下方の街まで続いている。だから一度砂嵐に襲われてしまったら、むやみに歩き回って砂を飲むより、ひとところに身を伏せて行き去るのを待つしかないのだが。


「……とりあえず下りよう。ここで伏せてんのも退屈だし、この砂嵐で俺たちが遅れるだろうことはボガラ大僧も承知のはずだろ」

「そう、だね」

 随分歩いてきたせいで、やはり見上げても寺院は見えない。

 寺院へ向かうより、一度町まで下りたほうが安全だ。閉ざされていく視界の中、じっくり考えている余裕は無い。


「行くぞ」

 体にばちばちとあたっていた砂塵が、突然さえぎられた。背後にいたはずのユースがいつのまにか前方にいたせいらしい。ほら、といって彼が差し出した手を握り返し、キトリは顔を伏せて斜面を駆け下りていった。



   *



 寺院の建つ荒山の頂上は、大地の乾燥がひどく作物を育てることが出来ない。

 自給自足が僧侶の美徳とこの国では言われるが、キトリがいるヤァエン寺院で、それは不可能なことだった。だからその代わり、寺院の付近にぽつぽつと生える香木を切り売り、そのわずかな収入で麓の集落から食料を分けてもらっている。だから毎日三時間も駆けて低地の集落まで若年の僧たちが調達しに下りているのだ。


 だが今日は、荷を運ぶ若衆が圧倒的に不足していた。百余人もの一日分の食料を、年端もいかない子供たち二人で運び上げるには限度がある。自分達ふたりを送り出したボガラ大僧でさえ、あまり無理をするなと仰った。


「くっそ……アルタ・チャガヤが見つかりさえすればなぁ」

 砂風から守るようにキトリの前方に回りながらも、ユースが忌々しく呟く。頭ふたつ分も高いその「兄役」を見上げて、キトリは苦笑した。

「見つかればいいと思う?」

「……んなの当たり前だろ。チャガヤを見つけるために若いやつらが総本山に連れていかれて、人手がなくなった所為で俺ら二人がここで砂嵐に巻き込まれてんだ。いつもならもう寺院ん中で経典読んでる頃合だぜ」


 どうしてそんなことを聞くのかと言わんばかりにユースは返す。彼の形の良い黒眉が、右だけ吊り上っていた。そこにいつもの癖を見つけて、キトリは首を振る。

「でも、食料は保存できないし。早く帰らないと僧正たちが飢えちゃうよ」

「こんな重いもん背負って、日が昇りきる前に帰って来いだなんて苛めだっつうの」


 背負っている大きなかごには、子供一人が背負うには重過ぎる荷が詰められている。先ほど集落に降りて調達してきた、生野菜や米などが大半だ。ふらついてきた足取りを何とかもたせながら、寺院への帰路を引き返して麓に逆戻りしている。

「チャガヤが居なければアルタは不滅(アルタ)じゃないんだからな。それにしても……、俺は十七だから仕方ないけど、十三のお前がなんで呼ばれなかったんだろうなぁ」

 キトリは困ったように小さく笑った。

「さあ、なんでだろうね」


 寺院にいる少年僧の年齢は、十二歳から十七歳。二人のいるヤァエン寺院には二十人ほどで、この国の寺院全体の十分の一になる。そのうち十五歳までの少年僧たちは今、ギャダ総本山に呼ばれていた。先年亡くなった法王(チャガヤ)の、新たな選定、それが少年僧たちの召集された理由。

 ヤァエン、ソナル、ティク、シャム、ヤヤター――国中に散らばる五山の寺院すべてから、二百人もの子供たちが一斉に本山のある王宮へと集められるのだ。


 チャガヤの魂は死して天上に一度昇り、よりしろを新たにして再び地上へと蘇るとされている。だが先のチャガヤ崩御より一年、その魂を宿した少年は、未だ見つかってはいない。たいていが崩御から月を改めぬうちに見つかるため、これは歴代でも長いほうだった。さすがの王宮も焦り始め今回の召集を一斉にしたらしいが、そのせいで若い人手がなくなったと老僧たちから非難が飛び交う始末。


「チャガヤの魂は神と等しく、永遠の輪廻を繰り返す。だが一から始まる赤子ではなく、学と知識と勇気を身につけた十代の少年をよりしろとして、新たな生を受けると語られている……ってえくらいだから、お前にゃ知恵やら学識やらが足らないのかもしんねえな」

「失礼な」

 本来なら今ごろ、その十代の少年たちの中にキトリも含まれているはず。というのが結局はユースの言いたいところらしかった。


「ユースが山を下りるたび肉とか魚とか食わすからだよ」

 本気なのかからかっているのか。キトリは拳を振り上げユースの背中を小突いてから、彼の横に並び付いて布頭巾の隙間からその黒い瞳を覗いた。

「そうだったか? 聖職者は肉は食わねえんだぞ」


 目線をこちらに返されて、キトリは苦笑する。この不良の兄役だからこそ、自分はこれまでここに居続けることができたのだ。

 彼は知っているはずだった。

 六歳という異例の年齢で入山し、それから今までずっと、ユースはキトリの兄役だったのだ。知らないはずがない。



 ――キトリが女であるということを。



 キトリが本山に呼ばれない理由は紛れもなく「女だから」。その事実はヤァエン寺院の頂点に座するボガラ大僧や、その他一部の上層たちしか知らないことであった。

「そうだ。どうせ明日まで寺には戻れねえし、豚汁食いに行こう」

「え、牛がいい」

 返す言葉にふと笑みを返して、ユースは首を横に振る。


「ばか言え、高いんだ牛は。山羊か豚にしとけ」





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