希望のラッコ
「新年度になり全国の企業で新入社員たちを迎える入社式が行われました。初めて社会に出た新社会人達は新しいスーツに身を包み、緊張した面持ちで……」
目の前にあるドアの向こう側から淡々とした声のニュースが聞こえてくる。ドアを開けると私の幼馴染が真っ白なベッドに横たわりながらラジオを聞いていた。
「ああ、いらっしゃい。よく来たね。」
私がベッドの傍の椅子に腰かけると幼馴染は起き上がろうと上体を起こそうとした。私がそれを止めようとベッドに寝かしつけると幼馴染は苦い笑みを漏らす。
「ごめんね、こんな格好で迎えることになって。お医者さんが言うには快方に向かっているらしいんだけれども、この頃体が重くってね。筋肉が衰えてきているのかな。」
そう言う幼馴染の身体は、以前に最後に会った時よりも一回り細くなっているように見えた。細くなった自分の身体を改めて見回した幼馴染は目を瞑って黙り込んでしまう。そしてゆっくりと目を開けると小さな声を零した。
「ついてないよね。社会人になる一歩手前でこんなことになるなんて。」
ベッドに横たわりながら手探りで傍のデスクに置いてある封筒を取ろうとする幼馴染。代わりに封筒を取ると、差出人欄にはある会社の名前が書いてある。封筒を受け取った幼馴染は封筒から一枚の紙を取り出すと、紙面を文字に沿って静かになぞった。
「憧れていた水族館で働けると思ったのにその直前に病気に、しかも働けなくなるような病気にかかってしまうなんて、ね。」
幼馴染の声は確かに震えていた。
「それで、今日はどうしたの。」
しばらくして気を持ち直した幼馴染が私に尋ねた。それを聞いた私は鞄から綺麗に包装された包みを取り出して幼馴染に渡す。包みを受け取った幼馴染は包みを解こうとするが筋力が衰えてしまったためか中々解くことができない。緊張しながら幼馴染を見守る私。
やがて包みを解くことができた幼馴染は包みを覗くと言葉を失った。そしてすぐに涙ぐみながら私を見つめ、顔をくしゃくしゃにして笑った。
包みに入っていたのは一体のぬいぐるみだった。マリンブルーの帽子とスーツを身に着けたラッコのぬいぐるみ。ぬいぐるみの衣装は幼馴染の働くはずだった水族館の制服を模した衣装だった。
「ありがとう、ありがとう……。本当に嬉しいよ。」
ぬいぐるみを抱きしめながらそう幼馴染が言った。その姿は世界中の新社会人の誰よりも希望に満ちていた。