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中庭、そして城

両手で顔をおおったまま動けずにいるわたしの横で、ラキスがもてあましたように立っている。


「結局、泣かせたことになるのか……」


 いかにも困惑した口調だったが、それでもなぐさめる気にはならないらしかった。


「あのさ……悪いけど、あんたが反対しても、もう遅いんだ。今頃、中の奴らは全員インキュバスにやられて」

「やめて」

「僕ならまだしも、たぶん接近しすぎて取り込まれていると……」

「やめて!」


 彼はやめたが、やめると間がもたないと判断したらしく、ため息をついて続けた。


「変なお姫さま……罪人のためなんかに泣くなんて」

「……だって、わたしのせいだわ」

「え?」

「わたしのせいなの。わたしがあのとき、メイナに甘いことを言ってしまったから」


 メイナが抱きかかえてきた、小さな小さな魔物。

それを見たとき、はじめは野生のイタチか何かだと思った。やせっぽっちで色艶もなく、大きな目を潤ませて、ぶるぶるふるえている。


 メイナがぎゅっと抱き直しながら、それの耳元でささやいた。

 大丈夫よ、チル。姫さまはこわくない。安心していいの。


 こわくないと言った彼女自身は、恐れのために青ざめている。禁忌を犯したことがわかっているのだ。

 申し訳ありません。怪我をしてるんです。治ったらすぐに返しますから。


 彼女が腕をどけると、イタチに見えた生き物のひたいから突き出た角が現れて、その生き物がどこから来たのかを教えた。


 わたしと彼女が都に立った市を見て回ったのは、その数日前のことだ。

 もちろんお忍びだった。ひそかに市を見に行ったことは以前にもあるのだが、その日はあまり馴染みのない異国の商人たちが多数出店していて、王族の娘が歩くにはいささか猥雑だった。


 そんな場所で好奇心が先に立つような姫は、レントリアの末の姫君くらいのものだろう。

困ったことに、わたしは舞踏会よりも、そういう珍しいもののほうに心惹かれるたちだったのだ。


 そのとき、たまたまのぞいた見世物小屋で出会ったのが、二股に分かれる角をひたいから生やしたチルだった。

角はかぼそく、本当にとるに足りない魔物に思えた──インキュバスのような名称をもたない、いかにも無力な雑種の魔性。

 もちろん誰もがそう信じたからこそ、見世物にされていたのだ。


 そんな魔物の子であっても、この国では討伐するのが建前になっている。異国の大道芸人たちがそれを知っているのかいないのか。

 とにかくちらりと中を見たわたしの感想は、見世物小屋をのぞくのはやめようという、ただその一点につきた。


 どんな生き物であれ、的当ての標的にされるなんて我慢できる光景ではない。

 客も入っているが、かりにも王都でそんなものを喜んでほしくない。

 小屋を取り締まるべきだろうか……だがこの場合、通告したりすれば処分されるのはチルのほうだ。


 結局、見ないふりをして城に戻ったわけだが、侍女のほうは主人に無断で再度小屋に行ったらしい。

 そして帰ってきたとき、小さな魔物は名前までつけられてメイナの腕の中におさまっていた。


 あんなに小さかったチルが……いまはそう呼んでいたことさえ忌わしく思えるが、あれこそがインキュバスだったのだ。

 インキュバスの幼生体。

 ほかの魔物の姿に擬態して城の奥にかくれ、ひそかに繭をつくり、何日もの時間をかけてついに成体に変わった。


「治るまでなんて待てないと、メイナに言ったわ。かわいそうだけど、いますぐ返していらっしゃいと」

 顔をおおったまま、わたしはうめいた。


「でも……まちがっていた。その場で殺すべきだったのよ。生かしておいちゃいけなかったんだわ」

「まったくだ。馬鹿なことしたな」


 遠慮のない言葉でラキスが応じる。


「メイナを助けて」

 無慈悲な声の主を振り仰ぐと、わたしはその腕にすがりついた。


「あの子はきっと北の塔に入ったの。責任を感じて……自分ならチルを止められると思ったのかもしれない。とても……なつかれていたようだから」

「くだらない」

「お願い、助けて」

「どうやって?」

「どうやってって……中に……」

「入れって? おれに?」

「……わたしを中に入れてくれれば……」

「くだらないにもほどがある」


 心底あきれたように、彼が言った。

「そんなことをさせるために、あんたを助けたわけじゃない」


 けれど彼は話を打ち切ることはせず、何やらじっと考えているようだった。それから、おもむろに口を開いた。


「何くれる?」

「え?」

「言うとおりにしたら、何をくれる?」

「あ……もちろん好きなものをなんなりと」

「じゃあ、接吻と抱擁」

「………」


 剣士はふいに、わたしの顔をのぞきこんだ。のぞきこみながら、にっと笑ってこう言った。


「キスしてよ。無事に助け出してからでいいからさ」

 



 翌朝、焼き討ちと剣士が呼んだ攻撃が、北の塔に対して実行された。

 そのかん、わたしたち、いわゆる女こどもが部屋から出ることを禁じられ、すべて終わるまで待っているよう指示されたのはもちろんのことだった。


 といっても、それを伝えた側近たちがさっさと部屋を出て行ってしまったため、指示はあまり効力を発揮しなかった。

 北の塔に閉じ込められたインキュバス本体の息の根を、いまから勇者さまが止めてくださる。これでもう安心だ。

 そんな楽観が城内にはただよい、部屋を移動して現場が見える一室まで足をのばせるくらいの大胆さを取り戻していた。


 王城には、低い側塔や壁塔のほかに三基の高い塔があり、東西そして南の塔は城の一部となっている。

 だがもうひとつ、高さとしてはそれほどでもない北の塔が別個の建物として隔離され、用がある者しか訪れない北壁近くに位置していた。


 移動した一室に開いた大きな窓は、広大な敷地をへだててそびえる北の塔を、正面に見ることができる場所だった。

 塔との間に見渡せるのは庭園や木立、ところどころに散った庭師の吾妻屋や倉庫。

 厩舎や馬場──馬の姿は見当たらないが──それに兵舎などだ。


 こちら側の窓に近づく機会はあまりないのだが、のぞいてみれば秋のおわりの木々が黄色や赤に染まりきり、北の塔がいささか邪魔になってはいても、やはりみごとな眺めだといえる。


 窓ぎわのベンチには先客がいて、指示を出した側近たちや召使いなどがあわてたように振り向き、姫たちのために場所をあけた。

 気楽といえば気楽なものだが、要するに皆、憎むべき魔物が討伐されるところをひとめだけでも見たかったのだ。


 そんな見物人たちの中、わたしはただひとり緊張して、食い入るように塔のほうをみつめていた。

 塔の下部付近は木立の陰にかくれて見えず、大勢いるはずの討伐隊の姿も確認できない。

 メイナはどうなっただろう。もう助け出してもらえただろうか。


 火をかけるといったまわりくどいことをせず、魔法剣で一気に解決できないものなのかと、わたしはいまさらながら訝しく思っていた。

 目の前で見た魔法の炎があまりに圧倒的だったため、どんなに凶悪な本体であろうと十分退治できそうな気がしたのだ。


 のちにこの話をラキスにしたら、おれを殺す気なのかとまたもやあきれられてしまった。

 魔法炎を放てば放つだけ体力を消耗するので、そうそう気前よく使うわけにはいかないし、距離にも限度がある。

 たったひとりでインキュバスを叩くなんて冗談じゃない。


 おっしゃる通りなのだが、このときのわたしはメイナの救出のことばかりを考えながら、そそり立つ塔のほうをみつめていた。

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クリックで前日譚に飛びます。ラキスの幼年時代のお話です。星の下の晩餐会
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[良い点] >じゃあ、接吻と抱擁 いいですね、要求がストレートで(笑) でも善意だけでは人助けなんて出来ないですよね。 妙に人間臭いこの台詞がツボにきました♪
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