森、そして
ところどころに岩が露出する斜面が、先ほどからずっと続いている。
ときどき倒木が前をふさいでいるので、面倒でも大きく迂回しなければならない。
またげないほど太い幹も多いからだ。
老木だけでなく、伸び盛りといった感じの幹が大きく裂けて、まだ生々しい姿で倒れているときもある。
あたりの木よりも突出しすぎて、雷の直撃を受けたのだ。
けれどそうして幹が倒れたおかげで、頭上の林冠にぽっかりと穴があき、差し込んできた日光がしっかり地表まで届く。
そこから若芽が顔を出し、新しい樹木が育っていく。
落葉して丸裸になった枝々の先端は、よく見ればかすかな若草色をまとっている。
もう真冬ではない。森はたしかに春の用意をととのえ、明るい季節に向かっているのだ。だから──。
わたしだって大丈夫。
必ず彼に会える。会えるはず。
「……エセル、ブーツ脱いで足を見せて」
わたしがよたよたした足取りで追いつくのを待って、小さな案内人が心配そうに言った。
「嫌よ」
と、わたしは答えた。
「いいから見せてよ」
「薬でも持っているの?」
「……ううん」
「じゃあ、見せたってしかたがないわ」
はき慣れない靴で足が擦れたのか、まめがつぶれたのか。
そもそもまめがつぶれるという現象がどういうものか知らないため、自分では判断できないが、できたところで痛みが倍になるだけだ。
それに、よろよろしているのは、痛みや疲れのためばかりではないのだった。
正直に言ってしまえば、進めば進むほど不安感が増していた。ほとんど恐怖といってもいい。
こわかった。
こんなふうにいくら必死に登っても、何もかも無駄だったら……いいえ、そんなはずはない。大丈夫。
でも、もしも……。
不安感に比例して息切れまでが登り坂だ。
わたしは大きく深呼吸し、気を落ち着けて宣言した。
「平気よ。行きましょう」
案内人も、それ以上さからわずにうなずいた。そして明るい声で同行者を励ましてくれた。
「あとちょっとだよ。もうすぐ平らな場所に出る。そこが村長さんに言われてた目的地なんだ」
結局、ティノは案内人をやめず、いっしょに丘を登り続けている。
説得しようと試みたが、少年の言い分に押し切られてしまった。
エセルといたほうが安全だよ、だって魔法剣のかけらを持っているんだから。
下におりてる途中で魔物に襲われたら、それこそ命取りでしょ。
そう言い返されると、たしかにその通りかもしれないと思えた。
下り坂に魔物がいないとは言い切れない。
どちらにせよ説得する時間も余裕も、メイナと別れたときのように豊富にありはしなかった。
城を出てから丘のふもとの村に来るまでの長旅を、無事に終えることができたのはメイナのおかげだ。
商人から村の話を聞いたあと、すぐに彼女と連絡をとって旅の手はずをととのえてもらった。
メイナの案内なしに、村までたどりつくことはできなかっただろう。
彼女は丘の上までついてくる気でいたらしく、いっしょに行きます、ひとりで行くなんて危なすぎますとさんざん泣かれてしまった。
しかたないので、命令権を行使した。宿で待つ間に泣きやんでくれただろうか。
城を出発するとき、旅に必要な金子を女王陛下に内緒で用意してくれたのは、姉姫たちだ。
引き止めたい気持ちはもちろんだったが、止められないこともまた、わかってくれていたらしい。
陽気が取り柄の妹姫が、一日中部屋に閉じこもって口もきかない様子に、ふたりともさぞ心を痛めていたのだろう。
ひとりで会いに行く、などと言っていても、結局はたくさんの人たちの厚意に助けられているのだ。
「剣士さまとお姫さまがいったん別れたっていう話は、吟遊詩人から聞かせてもらったよ」
と、ティノがあらたな話題を提供して言った。
「どんなふうに伝わってるの?」
「身分違いを気にして、剣士さまが身をひいたって」
「いいお話ね。本当にそうならよかったんだけど」
「でもまあ、目標達成したからとか言われても、歌にはできないよね……」
「同感だわ……」
わたしたちは力なく笑いあった。
ティノによれば、目的地は丘の中腹にある平坦な区域で、旅人が寝泊まりしてもおかしくはない場所らしい。
その先の道は登山という名がふさわしいから、もし剣士さまに会えなくても、先には行かず戻ってくるよう村長に言われているそうだ。
つまり村人たちにとって、わたしたちがいま進んでいる道は登山以前というわけだ。
村育ちのティノが、うらやましいほど身軽に動くのもうなずける。
だが考えてみればわたしだって、王城の螺旋階段の上り下りを日々くりかえしている。
乗馬の訓練だってしている。
ここで弱音をはくほど運動不足ではないと思いたい。
それに、たとえ息があがっていても、気を紛らわすためのおしゃべりを続けることくらいはちゃんとできた。
「とにかく、別れ話が出たまま剣士さまは出陣しちゃったんだね」
足元につもる落ち葉からのぞいている、白っぽい小枝を踏みつけながら、ティノが言った。
木の種類が変わってきているらしく、先ほどから色のちがう枯れ枝が目につきはじめていた。
「ええ。レントール川のほとりの村に、インキュバスがあらわれて」
「ふたりできちんと話をする時間はなかったの?」
「まったく。都と隣りあっている村だったから、一刻の猶予もなく出立してしまって……」
魔物討伐のための出陣はいつもの仕事だったが、インキュバスを相手にするのは、城が襲われて以来はじめてだった。 しかも、いつになく苦戦していて長引くかもしれないという。
そんな戦況を耳にしたときは、自分でもおかしいくらい動揺した。
インキュバスと聞いただけでも恐ろしいのに、苦戦だなんて。
心をかき乱されたあの日の午後、すわりこんだ暖炉の前で、揺れる炎をみつめながら考えた。
そんなに心配しなくてもいい。
南の塔でも北の塔でも魔法炎は圧倒的だったし、ラキスの闘いぶりにはいつも余裕があった。
今回だって、きっと無事に帰ってきてくれる。
帰って……? 帰って来るだろうか、本当に。
闘いが終わっても城には戻らず、そのまま旅に出てしまうのではないか。
報奨金もとらないまま、わたしの知らない遠い異国をめざして。
それは推測ではなく、ほとんど確信に近かった。
だが確信だったとしても、わたしに何ができるだろう。
ため息をつきながら、暖炉の横にそなえられた火ばさみを手に取った。
炎の中に重ねられた蒔をずらして、火の勢いを強める。
そして同じ場所にいたラキスが、やはりこうして蒔を動かして火の具合を見ていたことを思い出した。
竪琴のおさらいをしていたとき。それから、わたしが刺繍をしていたとき。
いい色だと思うけど……そう言ったあのときの、本当に無防備に見えたほほえみ──。
わたしは勢いよく背筋をのばすと、火から離れた。
いつでも庭を散策できるよう部屋においたままにしていたマントを、すばやく取って身にまとう。
あのほほえみが演技だったとは思えない。
目標とやらを達成するためにわたしと過ごしていたなんて、どうしても思えない。
演技だったら、もっと言葉で言うのではないだろうか。
ふたりでいると楽しい、話をしているとうれしい、笑いあうとほっとする。
そんなことを彼が口に出したことは、一度もなかった。
おもてだって表情にあらわしたことも、自分から会いに来たことさえも、一度もなかった。
それでもわたしは、たしかにそれを感じとっていた。
だからこそ、誘われなくても、わたしのほうから近づいていくことができたのだ。
待っているのがわかったから。
ふたりでいることを望む気持ちが、伝わってきたから。
このまま離れてしまうなんて、やはりできない。
もう一度話をして、引き止められるような場所まで行きたい。
どうすればそこまでたどりつけるのだろう。
「でも……リドが迎えにきてくれたんでしょ?」
わたしの話に耳をかたむけていたティノが、口をはさんだ。
わたしは、ブナの幹を支えにして身体を前に押し出しながらうなずいた。
「そうなの。あのときは本当にびっくりしたわ」





