城
彼とともに過ごした日々の中で、もうひとつ、忘れられない時間がある。
そのときも暖炉の前だったから、やはり暖かな火が心をときほぐす役割をはたしていたのかもしれない。
わたしが手にしていたのは竪琴ではなく、その日は刺繍道具だった。
絨毯に腰をおろした彼の横で、丸い木枠にはまった布地を絹の刺繍糸でうめていた。
彼は横目で眺めていただけだったが、興味をひかれたのか次第に真剣になり、わたしの手元を熱心にみつめはじめた。
刺繍の様子を近くで見るのが珍しかったのかもしれない。
竪琴の手元を見られるよりはましだと思ったが、しばらくして、おもむろに彼が口を開いた。
「ひとつ言ってもいいか?」
「いいわ、なあに?」
「針ってのは布に刺すための道具だ、指に突き刺すためじゃなく」
……親切に教えてくれてうれしいが、あまりみつめられると緊張して手元が狂うというものだ。
彼はもうしばらく見学していたが、とうとう険しい顔つきで、見てられない、と呟いた。
腰をあげようとする彼を、あわてふためいて引き止めた。
自分だって討伐でときどき傷をつくっているようなのに、針くらいでそんなに痛そうな顔をしなくても……そう思ったが、手芸の腕を見せるためにわざわざ道具をひろげたわけではない。
針を片づけ、かわりに糸の束がつまった箱を取り出して、彼にたずねた。
どんな色の糸が、リドの瞳にふさわしいかしら?
新しい作品の意匠に天馬の姿を採用したから、意見をきいてみたかったのだ。
そのときラキスが選んだ色は、わたしが選んだ色とまったく同じだった。
濃く深くあざやかな青。澄みきった静かな湖のような青。
わたしはうれしかったが、そのあとに続いた会話が、わたしの心に深い印象を残すことになる。
「湖?」
意外そうにラキスが言い、湖ほどぴったりな表現はないと感じていたわたしは、何げなくたずね返してみたのだった。なんの色に似ていると思うの?
「……夜空かな」
夜空?
「星がたくさん出ているときの」
じゃあ翼の色はなんだと思う?
「雪」
それはわたしも同じ。そう言おうとしたとき、彼が続けた。
「浄化の雪」
同じものを見ていても……星空の下で眠ったり浄化の炎の間を飛んだりする人は、そんなふうに感じている。
わたしには闇としか思えなかった夜空の中に、天馬の瞳の青をとらえる。
なぜかひどく切ない気持ちになったわたしは、話題を変えようとして言った。
リドの目の色にあこがれてるの。お母さまもお姉さまも青い瞳なのに、わたしだけが単なる茶色。青い色がうらやましい、茶色なんてありふれていてつまらない。
「いい色だと思うけど」
と、ラキスが言った。
そう思ってくれる? なんの色に似ているかしら?
すると彼は、おだやかな声で答えた。
「大地の色」
そうして、張りつめた弦が静かに響くみたいに、微笑した。