中庭
彼といっしょに魔法剣を見ている時間が好きだった。
水晶のように透明な剣身の中を、細い炎が根元から切先まで芯となって通っている。
ちらちらと虹色にゆらめいて、あの爆発的な光と同じものだとは信じられないかぼそさだ。
剣身を支えている柄の部分は、どこにでもありそうな木製の簡素なもので、長さは普通の長剣と変わるところがない。
だが持たせてもらうと、普通の剣よりもずっと軽くて拍子抜けするくらいだった。
飾り物のように思えるこんな剣から、塔の屋根まで届くような炎の帯が噴き出すなんて……わたしが前に構えて力をこめても、炎は大きくなる気配も見せない。
「振りまわさないでくれよ」
と、ラキスが危なそうに声をかけてきた。
「そんなことしないわ」
「エセルならやりそうだから」
「失礼ね……でもどうしたら大きな炎になるの?」
魔物に反応しない限りならない、と彼が答えた。
そして、わたしの横から両手を添えて、剣の構え方を少し直した。
彼がふれたとたん、ゆらめきたった炎がさあっと剣身を駆け抜け、すぐに細い芯に戻っていく。
わたしは感心してほほえんだ。
「持ち手が誰なのかわかるのね」
この剣は、刀鍛冶だった父親が彼のために打ち出した品だという話だった。
はじめてそれを聞いたのは、中庭でいつものようにふたり落ち合ったときのことだ。
中庭は三方を城に囲まれていたが、一方だけはさえぎるものなくひらけていて、ハーブ園や花壇が十分にととのえられる場所だった。
心と技術をつくして庭師が育てた植物を、のんびり眺めてまわることが、幼いころからわたしの楽しみのひとつになっている。
もちろん、ふたりで歩いたおかげでますますお気に入りの場所になったのは言うまでもない。
「巻き上げ機があるんだ」
井戸小屋の中をのぞいて、ラキスがうらやましげに言った。
四角い井戸のふちには頑丈な支柱がたてられて、そこに木製の大きな歯車がふたつ打ちつけられている。鉄のハンドルで歯車を回すと、桶をつないだロープが巻き上がって、小さな力でたくさんの水をくむことが可能だ。
わたしには昔から見慣れた井戸だったが、彼にはもの珍しいようだった。
「これなら楽だな。小さいころ、桶を引き上げるのにすごく苦労した覚えがあるが」
「ご両親のお手伝い?」
「それが子どもの仕事なんだ。とくに農村ではね」
貧しい村で貧しく育った、などという身もふたもない言い方をラキスはしたが、それを慈しんでいるような響きがあった。
小屋から出ると、わたしたちは小道におかれたベンチに並んで腰をおろした。
季節はすでに冬だったが、風もなくおだやかな陽だまりには、まだ秋のぬくもりが残っている。
ふたりの目を楽しませてくれる彩りも、すべてが枯れてしまったわけではなかった。
猫よけをかねて花壇を囲む野イバラの生垣には、つややかな紅色の実が散っている。
夏にまかれたヤグルマギクの、繊細な花びらは青紫。
暗くなりかけた空で光りはじめた星みたいに美しい。
しばらくそれらを眺めていたラキスが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、昔、井戸に落ちたことがあるよ。つかんでいた釣瓶ごと、まっさかさまだった」
六歳くらいのときだったかな、と彼は続けた。
夏の終わりの暑い日に、水が欲しくてのぞきこんだら、あっというまだったそうだ。
「まあ……」
わたしは息を呑んだ。
「大丈夫だったの?」
「父が飛び込んで助けてくれた。といっても、気絶してたから覚えてないんだけどね。目をあけたら血相を変えた両親の顔があって、びっくりしたよ。しかもあとからすごく怒られたし」
わたしは思わず笑ってしまった。
天馬にまたがる勇者さまにも、かわいらしい子ども時代があったことが、これでわかった。
「本当によかったわ、何ごともなくて。ご両親もさぞ安心なさったでしょうね」
「育ての親だ。産みの親は顔も知らない」
あまりにもさらっと言われたので、一瞬意味がとれないほどだった。
思わず彼をみつめると、はしばみ色の澄んだ瞳が、じっとわたしを見返してきた。
実の両親が誰なのかなんてどうでもいいし、興味を持ったこともない。
おおかた、産んだはいいが金がなくて育てられなかった誰かが、しかたなく川に流したんだろう。
そんな赤ん坊を刀鍛冶の夫婦が川べりでみつけて拾い上げ、大事に育ててくれた。
剣まで授けてくれた。
それだけで十分だし、それ以上に大切なものは何もない。
淡々とそんなふうに説明する彼の言葉は、強がりではなく本心としてわたしの耳に届いた。
語り終わると、軽い口調になって言い添えた。
「代々の系譜が全部わかっている姫君には、信じられない話だろ?」
わたしはしばらく考え、そうね、とうなずいた。建国以来の王族の系図はすべて書き残されている。
「わたし、系図を覚えるのが苦手な子どもだったの。文字を覚えた王家の子どもが、一番最初にする仕事は、なんと家系図を暗記することなのよ」
「……」
「そういう仕事をしなくてすむのは、ちょっといいわ」
わたしは、ラキスの瞳をのぞきこんでにっこりした。
もともと苦手な家系図を、このときほど、どうでもいいと思ったことはなかった。
いまここにいる自分がすべてだ。わたしも、彼も。
ラキスは、意表をつかれたように少し黙った。それから、半分あきれながら笑い返した。
「ほんとに変なお姫さま」
剣を見せてもらったのは、そういう会話を経たあとだ。
刀身に封じられた美しい虹をみつめていると、彼の言葉の意味が、あらためて心に沁み入るような気がしてくる。
拾った子どもに託した剣……わたしにさえも伝わってくる、たしかな愛情のかたち。
けれど、その養父母がすでにこの世にはないという雰囲気も、わたしはまた彼の口調から同時に感じとっていた。