予想外な子犬です
そよそよと心地よい風が吹いてくる。閉じていた目を開けて、大きな欠伸を一つこぼす。そのまま、前足を伸ばして身体をほぐしたら、机で本を読んでいるエンリエのもとへ向かう。
エンリエは本に集中しているのか、こちらに気づいていないので、足元にすり寄ってみる。
「……なんだ?」
こちらには気付いたようだが、本に集中しているのか、どこか生返事だ。
今度は机に飛び乗り、エンリエの読んでいる本を一緒に覗いてみる。それでも、意識がこちらに向かないので、本の上に身体を乗せて物理的に視界の邪魔をする。
顔を上げてエンリエを見上げると、こちらを見下ろすエンリエと視線が合う。しばし無言で見つめあい。
「後でな」
首根っこを掴まれ足元に下された。
おい、こら、無視するとはいい度胸だ。せめて何かリアクションくらい寄越せ。
不満を込めて、エンリエの足を前脚でテシテシと叩くが、今度は全く反応がない。不満は消えないが、これ以上は粘っても仕方ないかと、素直に部屋から出て一階へ降りることにする。
一階に降りるとローレンスが居たので、足元に纏わりついて、構ってほしいとアピールする。ローレンスはじゃれてくるのを少し嬉しそうにしながらも、困ったように眉根を下げる。
「ウィルフ様、すみません。これから昼食と夕食の支度をしなくては」
ご飯の準備と聞いて慌てて離れる。
どうぞ、どうぞ。ご飯の準備を進めてください。是非とも美味しいご飯をいっぱい作ってください。お願いします。
さて、本格的に暇になってしまって外へ出る。さて、どこへ行こうか。
当てもなくフラフラしていると、後ろから声を掛けられる。
「おい」
振り向いて目を上に持っていくと難しい顔をしたブレルが立っている。少し考え、そのまま歩き出す。
「お、おい! 無視するな! お前だ、お前」
あ、何だ。難しい顔しているから人違いならぬ犬違いかと。ごめんごめん。決して面倒くさそうだから無視したわけではないのだ。本当、本当。あれ、嘘っぽくなった。
「全く、お前は……」
ブレルが疲れたように盛大なため息を吐く。やれやれエンリエといいそんなにため息を吐いていると幸せが逃げるぞ。
「まぁ、良い。ちょっと付き合え」
「わんっ!」
暇人同士の親睦会第二弾だな。付き合ってやるぜ。
「お、おう、いい返事だな」
「わふっ!」
「えっと……? 呼び出し的な意味だって分かってるよな?」
「わぉーん!」
エンリエ相手には滅多にしない良い返事をしたのに、何故かブレルは不安そうな顔になってしまった。不思議だな。ははは。
ブレルの後を素直に付いていくと、庭の端にある木陰へ案内される。ブレルが木の根あたりに腰を下ろし、こちらにも促してくる。ブレルの横に大人しく腰を下ろし、丸くなる。
さて、おやすみなさい。
「おいこら、欠伸をして寝る体勢に入るな」
あ、駄目なの? 絶好のお昼寝場所だったからつい。
「お前は本当に……。最初見たときは主人想いの良い使い魔だと思ったんだけどな」
「ワンっ」
あってる、あってる。ボクよいツカイマ。ホントウだよ。
いよいよ嘘くさくなってきた。
「エンリエもずっと使い魔を召喚しなかったから、やっと召喚したって聞いて嬉しかった。しかも呼び出した使い魔が可愛さ満点の子犬ときた。……正直、心の底から安心した」
ブレルは遠くを見ながら続ける。
「お前は、エンリエが何で長いこと条件を満たしているにも関わらず使い魔を召喚しなかったか知ってるか?」
問いかけられるが答えを持っていないので、沈黙で返す。
「あいつは――」
「いい」
ブレルの言葉を遮る。
「本人が話さないなら、いい」
自分のことなんて話したければ話すだろうし、話したくなければそれはそれで良い。それで何かが変わるわけではない。エンリエは俺の主だし、エンリエの使い魔は俺だ。
話を遮ったことにより沈黙が落ちる。どちらも口を開かずにいると、唐突に頭を掴まれる。
突然のことに驚いて毛を逆立てるが、そのまま乱暴にワシャワシャと撫でられる。
「そうか。……お前は傍に居てやってくれ」
エンリエをよろしく頼むと言い残して、ブレルは去っていく。
うーん、なんかしんみりしてしまった。まぁ、使い魔ですからね。ご主人様にどこまでもついて行きますよ。
と、思ったのがつい数刻前のことですが、現在、何故かご主人様と離ればなれです。
原因は目の前にいるでっかい鳥。
あの後、読書を終えたエンリエと庭で遊んでいたら、このでっかい鳥がいきなり急下降して俺を咥え、そのままここまで運んで来てしまった。
「クエ―」
でっかい鳥は、何とも間の抜けた声で鳴き、木の実を差し出してくる。どうやら害意は無いらしい。むしろ保護されているような。
そこまで考え、連れてこられたときの様子を思い出す。
あのときは確か、エンリエが魔法の訓練を行っていて、一緒にやれと言われたのを無視していたら、怒ったエンリエが攻撃してきて……
はたから見えると虐待しているように見えたかもしれない。
いや、まさか、そんな。
そっと鳥の巣から出ようとすると嘴に咥えられ、元の位置に戻される。そして暖かい羽毛にそっと包み込まれる。
「クエ―」
それが何だか、もう大丈夫と言われているように感じてしまう。
え、どうしよう。
「あ、あのー、鳥さん?」
とりあえず意思疎通を図ろうと声を出す。子犬の姿になって以来こんなに意思疎通を目指して発言するのは初めてな気がする。
「クエ―?」
声をかけると鳥は首を傾げる。
「えーと、あれは俺のご主人様で、虐められていたわけでは決してなく、何というかスキンシップの一環で……」
「クエ―?」
鳥はますます首を傾げる。これは果たして通じているのだろうか。
「一応あの攻撃も痛くない程度には制御してて、ああ見えて結構こっちのことも想ってくれてて」
鳥を相手に俺は何を言っているのだろう。鳥に話しかけるイタイ子犬になっているのではないだろうか。イタイ子犬ってもう訳わからん。
「確かに短気だし、どちらかというと暴力的だし、デリカシーというか情緒に欠けるところがあって、他にも――」
「ほお、お前の気持ちはよーく分かった」
鳥を相手に必死に話していると背後から声が聞こえて飛び跳ねる。驚きすぎて本当に一センチくらい浮いてしまった。
「人が迎えに来てやれば、随分と言いたい放題だな」
ドスがきいた低い声に恐る恐る振り返れば、エンリエが口角を上げながら額に青筋を立てるという高度な技を繰り出していた。
向かってきているのは分かっていたが、どうやら鳥相手に話すのに必死になってすぐ傍まで来ていたのに気づかなかったらしい。
「く、くぅーん」
子犬だからわかりませんと可愛く鳴いてみるが、エンリエに通用するわけもなく、額の青筋が増える。感情を共有しなくても怒っているのが如実に伝わってくる。わ、分かり合えるって素晴らしいなー。
ほら、鳥すらもエンリエの怒気にビビッて毛羽立てながら震えているぞ。
「ク、クエ―!」
それでも鳥は俺を守ろうとしてくれたのか、必死にエンリエを威嚇する。その姿に涙が出そうだ。どう頑張っても迫力の差で鳥が勝てる気がしない。
鳥よ、お前は良い奴だ。強く生きろよ。
完全に腰が引けている鳥の羽のあたりを前足でそっと叩いて、エンリエのもとへ向かう。そのまま飛びつくと、危なげなく抱きとめられる。
「全くお前は」
何だろうブレルにも同じ口調で言われた気がする。デジャヴか。
気のせい気のせいとエンリエの腕の中でウゴウゴして落ち着く位置に移動する。
その姿を見て、鳥も勘違いに気付いたようだ。警戒の意思はなくなり、毛づくろいを初めてしまう。
「……帰るか」
「ワフッ!」
家に帰るとローレンスとブレルが待っていてくれた。事の顛末をエンリエから聞き終えると、ローレンスは困ったように笑い、ブレルは呆れたようにため息を吐いた。
「お前は予想外の塊だな」
ブレルがそう称するが、今回の件は完全に不可抗力だ。どちらかと言えばエンリエが悪いのではないだろうか。
もっと使い魔に優しくしろ。例えばおやつを倍増とか。
「まだ何か文句があるとでも?」
いえ何も。
エンリエが笑顔で圧力をかけてくる。どうやら怒りはまだ完全にとけていないようだ。しばらく大人しくしまーす。たぶん。きっと。
「さてと、夕飯の支度が済んでいますからみんなで食べましょう」
ローレンスの一言で食卓へ向かう。
「そういえばあまり話せない訳じゃないんだな」
鳥相手に悪口を言っていたところまでエンリエが怒りを込めて細かく説明したため、ブレルが疑問を口にする。
まぁ、確かに心の中では必要以上に話しているからな。
ブレルの疑問にエンリエがこちらを一瞥する。
「ただ単に面倒くさがりなだけだろう」
エンリエの回答にブレルがそんな理由なのかと驚いている。
うーん、さすがご主人様。大正解。花丸あげちゃう。
ふざけたことを考えていると、エンリエがため息を吐きながら頭をワシャワシャと撫でる。その撫で方も昼間に木陰の下で感じたような気がするが、エンリエに言ったら嫌がりそうなので、気のせいってことにしておこう。