買い物もする子犬です
朝ごはんを食べ終え、エンリエが出掛ける準備をするかと立ち上がる。玄関で待っているからいってらっしゃーいと尻尾を振るとそうじゃないと首を振られる。
「お前の服を買いに行くと言っただろ」
そう言えばそうだった。忘れていた。いやー、うっかり、うっかり。
ドロンと煙を立てて子犬から人型になる。煙は全然関係ないのだが何となく変化は煙とセットだろうという勝手な認識で煙も出してみる。
使い魔の人型姿にエンリエはもちろんローレンスも二度目なので驚かない。
「着替えたら出かけるぞ」
「はーい」
行儀よく返事をする。エンリエが着ているような服を自分で形作れない訳では無いのだが、イメージが固まらないせいかあまり安定しない。学生服とか前に着ていた私服のような物なら簡単なのだが。
「私も街へ買い出しに行きますので、お送り致します」
ローレンスの提案に礼を言って、エンリエと共に自分も部屋に戻ろうと足を進める。
「いやいやいや、ちょっと待て!」
ブレルの上ずった声に全員が素直に立ち止まる。
「何だ?」
「何だじゃないだろう。おかしいだろう」
ブレルがこちらを指さす。人を指さすなんて失礼な奴だ。あ、でも人の形をしたモノを指さしてはいけませんとは教わらなかった気がする。
そんなどうでも良い事を考えているとエンリエがこちらに視線を向けるので、大真面目な顔を作って大きく頷く。それに対してエンリエは何だか色々と諦めたようにため息を零す。
「コレは確かに色々変だが、俺の使い魔だ」
大変気持ちが篭ったように色々の所を強調される。やだな、別にそんなに色々なんてしてないじゃないか。人聞きが悪いわー。
「使い魔だと? そんな使い魔――」
「グダグダとうるさいですね。ウィルフ様はウィルフ様でエンリエ様の使い魔です。他に何か説明が必要ですか?」
ローレンスが何を拘っているのだと冷たい視線でブレルを咎める。冷たい視線に晒されて、ばつが悪そうにブレルは口を閉ざすが、正直俺はブレルの反応の方が正しいと思う。得体が知れないモノをエンリエの使い魔というだけで納得できるのは世界広しと言えどもローレンスくらいだろう。
シンとしてしまった空間の中で軽く手を叩く。三人の視線が向けられたので、一つ提案する。
「みんなで出かけよう」
ローレンスに送ってもらい街へと出かける。ちなみに自分たちが着替えている間にローレンスがブレルに何かをしたらしく、街に着くまでブレルがげっそりとしていた。何があったのは怖かったので聞かなかった。
街へついて大通りを歩き出すとあちらこちらから良い匂いがして、意識を持って行かれる。
あ、焼き鳥だ。美味しそう。
「おい、後にしろ。先に用事を済ませるぞ」
エンリエに襟首を掴まれて、引きとめられる。首が絞まってうえってなった。恨みがましい視線を向けると、人型だったことを思い出したのかエンリエが小さく悪いと謝った。
「それでは我々は買い出しに行って参りますので、また後程合流致しましょう」
「は? 俺はエンリエに着いて行くぞ」
ローレンスの決定にブレルが抗議する。それに対してローレンスはブレルを冷ややかに見下す。一気に辺りの温度が下がり、無いはずの尻尾が縮んだような気がする。
「エンリエ様の買い物に貴方は必要ありません。一緒に居るだけ邪魔です」
言葉に棘を含ませた発言に、ブレルがダメージを受け落ち込む。やはりローレンスはブレルに容赦が無い。その憐れな姿にうっすら同情してしまうが、空気を読まないエンリエが更に追い打ちをかける。
「確かに必要は無いな」
自覚が無いからこその強烈な止めにブレルが再起不能になる。あまりに不憫だったので思わず肩をそっと叩いてしまう。
強く生きろよ。
ローレンスに連行されるブレルに合掌。
エンリエと二人になり、道を歩き出すが、周りの誘惑にどうしても気がそぞろになる。何度か道行く人にぶつかりそうになり、その度にエンリエに腕を引かれて難を逃れることを繰り返していたら、面倒になったのか手を差し出してくる。
「掴まれ」
差し出された手を掴めば、緩く引かれて先導される。手を繋いで歩く自分たちに、周りの目が妙に生暖かいような気がするのだが、人に見られることに慣れているエンリエは気にならないらしい。それならば構わないかと自分も開き直ることにする。どうせ普段は子犬なのだから誰に見られても関係ない。
そうして手を引かれながら少し歩き、そんなに広くは無いが落ち着いた雰囲気の衣服屋にたどり着く。
正直一見さんはお断りなお店に連れていかれるかもと心配していたので、普通に入れる店で安心した。
「動きやすい方が良いだろう」
おぉ、流石ご主人様。良くお分かりで。あまり着飾ることに興味が無いので、普通に着られて動きやすい服が一番良い。
中に入ると店員らしき男性が近寄って来る。
「いらっしゃい。どんなのをお探しで?」
「こいつに似合いそうな服を上下で三着ほど」
コイツと指をさされて店員の視線がこちらへ向く。軽く笑顔を向けられてから、サイズを確かめるように視線が上下へと動く。それからさりげなくエンリエの服装を見て、満足げに頷く。上客と見込まれたらしい。
「少々お待ちくださいませ」
店員が一度奥へと戻って行ったので、店に飾られている物を見る。装飾店なのか洋服の他にもアクセサリーが置いてある。その中にドッグタグらしき物があったので手に取って見る。
「何か気になったか」
近づいて来たエンリエが手元を覗き込みながら尋ねる。
「これならどっちの時でも変じゃないかなって」
前に首輪の話をしていたことを思い出して話をふる。首輪は子犬の時なら構わないが人間の時にしていると変な趣味だと疑われかねない。エンリエは確かになと同意して一つ頷く。
そうしていると店員が数着持って戻って来たので、試着することにする。
一通り袖を通し終えて、どれが良かったのか聞かれたので着心地が良かった物を選ぶ。エンリエはその他のも数点買って家に送る様に店員に言づける。店員が終始良い笑顔だったのは、当初の予定よりも多く買って貰えたことの他に多少なりともぼったくっているのだろうと思ったが、金額を提示された時にエンリエが随分と安いなと呟くのが聞こえてしまったので突っ込むのはやめておいた。このボンボンめ。
「さて、何か食べに行くか」
「わん!」
エンリエの提案に待ってましたと思わず鳴いてしまってから口を押さえる。ほくほく顔だった店員が目を丸くし、エンリエも少しばかり驚いたような顔をしている。シンと静まり返った店内でエンリエの溜息がやけに大きく聞こえた。
「阿呆」
呆れたような表情で髪を乱雑に撫でられる。そのまま来た時と同様に手を引かれて歩き出す。我に返った店員も上客の趣味趣向には口を出すまいと何事も無かったかのように笑顔で見送ってくれる。
いやはや癖と言うのは恐ろしい物だ。正直すまん。
目的の買い物が終わり、食道楽だとばかりに食べ物を買占め、広場の一角に置かれたベンチに腰掛ける。美味しい料理屋に入るのも良いが、こうして青空の下で食べるご飯もまた格別だ。
大量に積まれた食べ物を片っ端から食べて行くと、エンリエが呆れたような視線を向けてくる。
「よくそんなに食べられるな」
巨大な肉マンを頬張りながらエンリエも食べるかと差し出してみるが、いらないと首を振られる。
それなら遠慮なくと食べ進めていると、すぐ近くに一匹の猫が現れる。その猫は大分人馴れしているのか、ベンチに上がり、エンリエのすぐ近くでお座りをしてニャーと可愛らしい鳴き声を上げる。
すると既に食事を終えたエンリエは手持無沙汰だったのか、猫の顎あたりを人差し指で撫でる。
「エンリエ、猫好きなの?」
問いかけにエンリエが少し不思議そうな顔をする。
「別に好きでも嫌いでもない」
猫を撫でながらエンリエが答える。確かに猫を撫でるエンリエは特に楽しそうにも嫌そうにも見えない。ただ、猫は撫でられて気持ちが良いのか目を細くしてエンリエの手を受け入れている。
エンリエは余程暇なのか、猫の顎から耳の辺りを撫で、最後には仰向けになった猫の腹あたりをワシワシと撫でている。
そんな風に猫と戯れているエンリエの前を今度は、幸せそうな親子が手を繋いで通り過ぎる。良く見るようなありふれた光景を、エンリエはどこか遠くを見るような目で見つめる。
最後のから揚げを口に放り込み、ごちそう様でしたと手を合わせる。
「話しにくいなら、プレゼントでもあげれば?」
唐突な話題にエンリエが親子から目を離し、こちらを向く。
「行こう」
エンリエの腕を掴んで歩き出す。
撫でてくれる相手が居なくなった猫が、少し残念そうに鳴いた。
買い物を終え、ローレンスたちと合流する。良い買い物ができたのか、ローレンスはどこか満足げな表情をしており、一方でブレルは疲れ果てたような顔をしていた。
対照的な二人に何があったのか好奇心が刺激されないでもなかったが、賢い子犬なので、黙っておく。触らぬ神に祟りなし。
ローレンスが操縦する帰りの車の中で、眠気に耐えていたが、人型で長時間居たことで疲労が溜まったのか、目を開けているのが辛くなる。
別に我慢する必要も無いかと目を閉じ、振動に身を委ねる。ローレンスは操縦が上手なようで、整備された道ではそれほど揺れずに心地よい。
「……なあ、これは本当に使い魔なのか?」
寝たと思ったのかブレルが辛うじて聞こえる音量でエンリエに問いかける。
まだ起きていると主張しても良かったが、今は眠い。エンリエ、対応は任せた。
「使い魔だ。召喚したことは知っているだろう」
「確かにあの子犬がお前の召喚した使い魔だと知っている。使い魔が人型になるのも百歩どころか一万歩譲って、まぁ良いだろう。――だが、これはどう見たって人間だ」
ブレルの指摘に、エンリエの視線が向けられる。目を閉じているのに視線は感じるのだから不思議だ。
「……人間だろうと、何だろうと、コイツは俺の使い魔だ。本人もそう望んでいる」
そっと落ちた前髪をすくい上げられる。子犬の時とは少し違う感覚が不思議だ。やはり毛があるかどうかが大きな分かれ目か。
「これだけ自我があるのに、飼われるのを望むか……。それはそれでどうなんだろうな」
ゆっくりと沈む意識の中で、ブレルのそんな呟きが聞こえた。
家に戻り、子犬の姿に戻る。
いやー、もうこの姿になった時の解放感たるや言葉に表せないものがある。とりあえず、全力で伸びる。体中が伸びる感じがたまらない。
思う存分伸びて、満足した欠伸を零すと、ローレンスが食事の準備を終える。
「それではいただきましょう」
いっただきまーす。
心の中で手を合わせて、目の前のごちそうにかぶり付く。相変わらずローレンスの料理は美味しい。この魚、最高。
「買い物はいかがでしたか」
食事をしながらローレンスがエンリエに話しかける。
「買いたい物は買えた。だが――」
エンリエの眉間に皺が寄る。
付けあわせのニンジンも美味しい。幸せだ。
「コイツが食べ放題の文字につられて串屋に入り、店の品物を粗方食べつくそうとしたり、また違う食べ放題の店に入って、やはり店中の商品を食べつくそうとしたりして大変だった」
ポテトもゆで加減と塩加減が良いのか。舌が大変に幸せだ。
ちなみに、食べつくす勢いで食べてはいたが、実際には食べつくしていないし、店主の顔色を見ながら、倒れる前にはちゃんと止めるつもりで居た。
エンリエがせっかちなのだ。ただ、食道楽にいっぱい付き合って貰ったので文句は無いが。お金も全部払ってもらったし。
子犬なので無一文でも仕方がないのだ。飼い主のすねを遠慮なくかじらせてもらいます。
「やっぱり使い魔じゃなくて、変な生き物なんじゃねーか?」
失敬な。変じゃなくて可愛い子犬です。子犬。そこは譲れないとブレルに抗議する。キャンキャン。
「……まぁ、変ではあるな」
まさかのご主人様からの裏切り。ひどーい。悲しみのあまりやけ食いしてやる。もぐもぐうまー。悲しみは星の彼方へ消え去った。
食後のお茶のタイミングで、エンリエが横に置いていた袋から手のひらサイズの容器を取り出す。
「良く効くハンドクリームだそうだ。いつもローレンスには世話になっているからな」
プレゼントを受け取ったローレンスは驚きながらも感極まったように、目元を潤ませてお礼を言う。
それをブレルがニヤニヤと見つめていたが、急に体を跳ねさせて蹲る。多分、机の下でローレンスに足を踏まれたのだろう。
「あと……」
もう一つカバンから取り出し、今度はブレルの前に置く。
ローレンスとは違う意味で涙目になっていたブレルが、これ以上ないくらいに目を見開いて驚く。
「たまには身だしなみも気を使え」
ブレルに渡したのは持ち運び用の鏡だ。そっけない言葉の割に散々悩んでいたのは内緒にしておいてやろう。食道楽に付き合ってくれたお礼だ。
部屋に戻り、クッションの上で寛ぐ。お腹がいっぱいで幸せだ。このまま寝れる。
「ウィルフ」
うとうとしていたが、珍しく名前を呼ばれて、顔を上げる。
急にどうしたのだろうか。お説教か。いやでも、真面目に説教されるような事をした記憶は少ししかない。
長時間の説教を覚悟して、真面目な顔を作る。だからちょっとは短くして。
「いや、多分お前が考えていることは違う」
なーんだ。じゃあ、真面目な顔を必要はないや。脱力して、クッションに顔をうずめる。
「おい、力は抜くな。顔を上げていろ」
そう言われて顔を上げると首に細い鎖がかけられる。首元に視線を落とせば、昼間に見たドッグタグだった。前脚でドッグタグを持ち上げると、『ウィルフ』の刻印がされているのが見える。
思わずサプライズにふざけるのも忘れてタグを見つめてしまう。
「気に入らなかったのか?」
固まったまま動かないのを不審に思ったのかエンリエがタグに手を伸ばす。そこで我に返り、タグを抱え込んで再びクッションに蹲る。これなら取れまい。ふはははは。
我ながら意味不明な勝ち誇り方をしているとエンリエからも不思議そうに見られる。
「気に入ったということで良いのか? お前はときどき意味が分からんな。昼間も好き放題食べて機嫌が良いかと思えば、急に不機嫌になったり」
えー、何のことー? 子犬だから覚えてないな。
良い子犬なので、もう寝ます。おやすみ。
寝たふりをしていると、呆れたようなため息と共に、少し乱暴に撫でられ、その心地よさに満足して眠りについた。