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子犬ですが空気が読めます

 迷子の兄弟を家まで送り届けるというハートフル活躍をした帰り道、ずっとエンリエに説教をされながら耳を伏せ、家に戻ると家人が増えていた。


「よ、遅かったな」


 軽く挨拶をする人物に既視感を覚える。いや、違う。本当に会った事がある。エンリエの眉間に皺が寄るのを見て思い出した。他人にあまり興味の無いエンリエが愛想を振りまく人間は知らないが、露骨に嫌そうな態度を取る相手を一人だけ知っている。

 学校に居た養護教諭だ。白衣を着ていなかったので一瞬誰だか分からなかった。


「エンリエ様、お戻りに気付かずに申し訳ございません」


 奥からローレンスが慌てた様子で姿を現す。その手に焼けたばかりの菓子があるのを見つけて腕の中から飛び出そうするがエンリエに首根っこを掴まれ阻まれる。


「キュウ……っ!」


 エンリエに掴まれた首を支点にブラリブラリと身体が揺れる。痛くはないが少しばかり息苦しい。


「お前は先に風呂だ。何のために抱き上げていると思う」


 呆れたように言われて自分の状態を思い出す。森を自由気ままに散策したおかげで身体中が泥だらけだ。流石にその状態で家に上げるのは掃除が面倒なためエンリエに抱えられていたのだった。ちなみにエンリエは最初に飛びついたせいでしっかり泥が付き、諦めの状態だ。その割には小言を十分過ぎるほど頂いたが。


「確かにその泥を先に落とした方が良いな。その代わりに俺が食べておいてやる」

「キャウ!」


 何だと! 俺より先に食べるとは何たることだ、許せん。

 小さな牙をむき出しにして精一杯唸って見せる。養護教諭はそれを見て笑った。子犬の努力を笑うなんて失礼な奴め。ちなみに俺が養護教諭ならウケるーとか言って指さして笑うと思う。子犬は可愛さでは百点満点だが迫力では赤点必至だ。

 ジタバタと不満を表現してみるが、身体が左右に揺れるだけで何の効果も無い。虚しくなって素直に垂れ下がった。その間に養護教諭はローレンスが持つ皿へと手を伸ばす。


「いけません」


 ローレンスが笑顔で養護教諭の手を払う。ただの笑顔なのに子犬の精一杯の唸りより余程迫力がある。ちょっと尻尾が丸まった。


「ブレル、貴方に作った訳ではありません」

「別に少しぐらい良いだろうが」

「いけません。不満があるのなら今すぐに出て行きますか?」

「来たばっかりなのに追い出すなよ。分かった、分かった。大人しくしてるよ」


 降参と養護教諭は両手を上げる。ローレンスに白旗を振りたくなる気持ちは良く分かる。逆らっちゃいけないと本能が訴えるのだ。野性味あふれる子犬の本能がな。

 エンリエに無言で左右に振られた。やめてー。


「分かって頂けて幸いです。ただし、滞在の可否を決めるのはエンリエ様ですが」


 朗らかにローレンスが今すぐに叩きだしますか? と問いかける。それに養護教諭が容赦ねぇな! と抗議の声を上げる。養護教諭はローレンスに一体何をしたのだろうか。

 エンリエはそのやり取りに深いため息をひとつ吐く。


「好きにしろ」


 それだけ告げて、もう興味が無いとばかりに浴槽へと足を向けて歩き出した。




「……くーん?」


 少し悩みながらも何だったのか問いかければ、一瞬口を閉ざすが、ため息と共に答えてくれた。


「ブレルは俺の主治医だ。昔からよくこの家に来ていてローレンスとはいつもあんな感じだ」


 なるほど、主治医か。通りでエンリエが体調を崩した時の対応が慣れていると思った。

 その後は何となく無言で浴室まで連れていかれる。タイルの上に降ろされ、上から見下ろされる。


「さて、今度身体を拭く前に水を飛ばしたら――わかっているな?」


 静かに凄まれガクガクと頷く。静かだが強い怒気が伝わってきて、本気で頭に来ていたらしいことが分かる。身体の水気を振り払うのは本能的な反応だが我慢できるだけは我慢しよう。だから睨むな。尻尾が縮こまって出てこられない。


 その後、身体をブルブル振りたくなる衝動を必死に抑え、エンリエに綺麗にして貰って浴槽から出る。今回は大人しくしていたせいか、それともエンリエも汚れを落としてさっぱりしたせいか怒気は収まったようだ。良かった、良かった。

 安心したら眠くなって来た。ふわふわの毛並が復活して大満足だし寝よう。

 ポテポテとソファの所まで歩いて軽く飛び上がり、クッションの上に丸くなる。おやすみなさい。


「寝るな、阿呆」


 べしりと頭を叩かれる。小さな身体で大きな冒険をした勇者になんて扱いだ。ただ単に迷子になっていた事実はすでに忘れた。

 ねむい、ねむーいと不満をぶつけると呆れた溜め息が一つ。


「飯の時間だぞ」

「ワフっ!」


 耳としっぽを立てて勢い良く起き上がる。眠気はログアウトしました。





 下に降りると食事のセットがされ、ブレルが座っていた。そのことをエンリエは気に掛けた様子も無く、自らも椅子に座る。そのタイミングでローレンスがメインの料理と温かいスープを運んでくる。


「ウィルフ様、今日は招かれざる客人が居りますがお許しいただけますか?」


 ローレンスが笑顔で毒を吐きながら問いかけてくる。これほど邪険にされるとは本当に一体何をしたのか。好奇心が刺激される。

 同席することに関しては特に不満も無いので、ワンと賢く一鳴きする。子犬の可愛さと賢さに心打たれたのかローレンスの右手が伸びかけるが、途中で止まる。そして、そのまま何事も無かったかのように微笑んだまま手を引いたのを見て、はて? と疑問に思い、すぐに答えにたどり着く。そして、引いたローレンスの手に突撃し、全力でじゃれる。撫でて、撫でてー。


「これは、これは。大変失礼致しました」


 少し驚いた顔をしたローレンスが笑顔になって、大いに撫でてくれる。

 そうそう、もっと撫でてくれて良いのよ。可愛い子犬を存分にモフるが良い。時々人型になったり喋ったりするが、基本は人畜無害な子犬です。

 エンリエの呆れた視線が突き刺さる。


「おーい、冷めるぞ」


 ブレルのもっともな言い分をあなたは黙っていてくださいとローレンスが笑顔で一蹴した。




「学校はどうだ?」


 食事を進めながらブレルがエンリエに話しかける。エンリエは食事の手を止めず、顔も上げずに淡々と答える。


「勉強なら問題ない」

「そりゃ知ってるけど。友達は?」

「話をする人間くらいは居る」

「それは友達って言うのか……? まぁ、いいか。何か困ってることは?」

「ない」


 エンリエは普段から決して愛想の良い人間では無いが、これは意図しての態度だろう。大抵の人間なら心折れてしまいそうだが、ブレルは会話を続けようとする。


「じゃあ、最近楽しかったことは?」


 その問いかけに一度エンリエの視線がこちらに向く。きゅるんと上目遣いで目をパチパチさせれば、呆れた様子で視線を逸らされる。どうやらお気に召さなかったらしい。やれやれ可愛いより綺麗が好きなのか。贅沢な奴だ。


「……別段話すような事はない」


 取り付く島も無い態度に、ブレルが困ったように頭をかく。難攻不落な要塞を攻略することに喜びを覚えるような人間でなければ、なかなかに苦しいものがある。協力してやりたい気持ちはあるが、状況が掴み切れていないのでとりあえず様子見で。頑張れブレル。


「体調はどうだ? 薬はちゃんと飲んで――」


 ガタンとエンリエが席を立つ。手元を見るといつの間にか食事は終わっていたらしい。


「……部屋に戻っている」


 顔も上げずにそれだけを告げてエンリエが部屋を出て行く。自分も慌てて残ったご飯を飲み込んで追いかける。


「……勝手に居なくなったのですから、自業自得です」


 部屋を出て行く直前にローレンスが小さな声で呟いたのが聞こえた。



 急いで走るとエンリエに追いつく。エンリエは無言のまま歩を進め階段を上がり、自室に戻るといつもよりも乱雑な仕草で扉を閉める。

 俺の目の前で!


「わんっ、わん!」


 おい、こらふざけるな。人、じゃなかった子犬を締め出すとはどういう了見だ。一人で寛ごうったってそうはいかないんだからな。俺にも寛がせろー!

 前脚で閉まった扉を猫みたいにカリカリしてみるが、扉は開かない。


「……わふーん」


 こりゃ駄目だ。完全に意識の外に追いやられてしまっている。まぁ、これだけ感情が乱れていればこちらに意識を向けられるはずもないか。

 はてさて、どうするか。閉まったままの扉を一瞥する。扉を開けて入るのは簡単だが今はそっとしておいた方が良いだろう。少しすればある程度落ち着くだろうし。




 とぼとぼと下に戻ると、食事が終わったのかブレルが一人で座っているので、近くにあったボールを咥えて近づく。

 暇な者同士親睦でも深めようでは無いか。


「何だ、遊んでほしいのか」

「ワン!」


 かまって、かまってーと尻尾を左右に揺らす。ブレルは笑いながら少しだけ乱雑な手つきで頭を撫で、ボールを軽く放る。それを空中で華麗にキャッチ。ブレルの所へ持って行くと今度は先程よりも遠くへボールを飛ばすので、こちらも少し高く飛び上がって空中でキャッチする。単純な動きだが思ったよりも楽しい。



「……何をしているのです?」


 いつの間にやってきたのか困惑したようにローレンスに話しかけられて我に返る。ブレルも同じく、ハッとしたような顔をしている。

 普通にボール遊びをしていたはずなのに何故か今は大きめのボールに乗り、首には良く分からない木で出来た首飾りを付け、頭の上に小箱やらボールやらを乗せて絶妙なバランスを取っている。そしてブレルの手には更に重ねて乗せようとしていた本やら瓶やらがある。

 おかしい。何故こうなった。


「ウィルフ様に変な遊びを教えないでください」

「俺のせいか?」


 ローレンスが俺の上に乗った諸々を下ろしてくれる。身軽になったので乗っていたボールから

後方に一回転して地面に着地する。ブレルが拍手をくれた。どうも、どうも。


「芸達者だな。使い魔であってもここまで器用な奴は滅多にいない」

「エンリエ様の使い魔なのですから当たり前です。ですよね、ウィルフ様」


 同意を求めながらローレンスが顎下を絶妙な力加減で撫でてくる。しかもどこからか甘い匂いがすることを考えるとおやつを持っているらしい。なんという策士。これはもう頷かざるを得ない。


「おー、本当に言葉が分かっているようだな」

「ようでは無く、本当に理解されているのですよ。ねぇ?」


 またも同意を求められ、首ふり人形のように頷く。あぁ、そこそこ気持ち良い。


「……ただ単に躾けられているだけか?」


 あながち間違っていないだけに否定し辛い。美味しいご飯をくれる人には逆らえないのです。

 従順な様子にローレンスが頭を撫でてくれて、ポケットからおやつを取り出してくれる。わーいと袋ごと貰って咥え、ブレルの前に持って行く。一瞬不思議そうな顔をしたが、丸い一口大のおやつを見て、ブレルが一つ頷いた。



「これは食べ物で遊んではいけませんと怒るべきなのか、流石ですと褒めるべきなのか悩むところですね」


 投げられたおやつを空中キャッチして遊んでいるとローレンスに苦笑される。確かに食べ物で遊ぶのは良くないか。美味しく味わえば良いという物でも無い。それに作ってくれたのはローレンスだからな。耳と尻尾を下げて素直に反省する。


「固い事言うな。結構面白いぞ。お前も投げてみろ」


 ブレルはそう言って丸いおやつを一つローレンスに渡す。


「……ではせっかくですので」


 意外にも乗って来たローレンスを交えておやつが無くなるまで遊んだ。



「なぁ、お前のご主人様は寝ているのか?」


 ローレンスが仕事に戻り、二人きりになったタイミングで尋ねられる。どうだろう。今は感情も落ち着いているようだから寝ているのかもしれないし、起きて寛いでいるのかもしれない。

 分からないと首を傾げるとワシャワシャと撫でられる。


「本当に言葉が分かっているみたいだな」


 まぁ、分かっているからな。何なら小さな独り言までばっちり理解できるぜ。ただ聞きたくない話は聞かないが。


「使い魔は感情を共有できるんだろう? それなら教えてくれないか。アイツは俺に怒っているのか? それとも嫌っているのか?」


 本当に答えてくれるとは思っておらず、ただ単に心の内を吐きだしただけなのだろうと思う。

 自分が好かれているのか、嫌われているのか。はたまた興味すらないのか。それは人と付き合っていくのなら多かれ少なかれ誰しも不安になることだろう。

 何となくだが、ブレルの気持ちは分かる。分かった上で行動しよう。


 華麗に跳躍して、ブレルの顎に頭突きを喰らわせる。

 見事に急所に入ったため、ブレルがそのまま後ろの背もたれへ倒れる。背が無いタイプだったら悲惨だった。


「な、何だ?」


 衝撃から立ち直ったブレルが困惑したような声を上げるが、頭を抑え蹲った体勢のまま動けない。

 地味に痛い。綺麗に決まり過ぎた。頭突きじゃなくて子犬パンチにすれば良かった。


「……大丈夫か?」


 心配されてしまった。

 ちょっと診せてみろとそっと抑えている手をどかすと優しく触れられ、こぶになってるがすぐに痛みも引くだろうと診断される。そういえば養護教諭だった。白衣を着ていないとすっかり忘れてしまう。そんなブレルに一言。


「阿呆」


 はっきりと告げればブレルが驚きに固まる。本当はもっとバーカとか言ってやりたかったが勘弁してやろう。エンリエの態度にも非があるからな。だから、俺から言えるのはそれだけだ。好きでも無い、どうでもいいような相手にエンリエがあそこまで感情を揺らすことなんてあるはずが無い。

 硬直が溶けたブレルが幻聴を疑っているが、大きな欠伸をして知らん顔をする。




 次の日、朝ごはんを食べに来たエンリエにブレルが突撃する。


「俺の事嫌いか?」


 朝の挨拶もなしに突然尋ねられエンリエが怪訝な顔をする。


「唐突に何だ」

「いいから答えろ。ちなみに俺は目に入れても痛くないと思うくらいには愛している」

「誰も聞いていない」


 エンリエが冷静に突っ込みを入れるが、ブレルは止まらない。昨日の頭突きが変なスイッチを押してしまったらしい。


「それでどうなんだ。俺の事嫌いか?」


 エンリエが珍しく言葉に詰まって視線を泳がせる。そして逸らした視線のまま、微かに聞き取れるくらいの音量で呟く。


「……嫌いじゃない」


 ほとんど聞き取れないくらいの音量だったが、ブレルの顔が分かりやすいくらいに輝く。誤解は無事に解けたらしい。やはり本人のことは本人に聞くのが一番だ。それが大切なことなら尚更。


「じゃあ、朝ごはんを食べたら久しぶりにキャッチボールでもしないか」


 嬉しそうに誘いかけるが、そこは空気の読めなさに定評のあるエンリエだ。


「いや、この後は出掛ける予定がある」


 ばっさりと切り捨てた。ブレルの表情が面白いくらいに一気に沈む。まぁ、嫌われていないって分かっただけ良かったじゃないか。どんまい。


「コイツの服を買っておいた方が良いからな」


 え? 俺の服?


「要るのか?」


 ブレルが不思議そうに尋ねる。まぁ、見るからにフワフワの白い毛皮がありますからね。普通はいらないな。普通は。


「無いよりはあった方が良いだろう」

「それはそうかもしれないが」


 噛み合っているようで噛み合っていない会話が成立する。深刻な突っ込み不足だが、俺は子犬なので知らない。くわりと大きな欠伸が出た。



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