迷子の子犬です[閑話]
どうも子犬です。そして迷子です。
右を見ても木、左を見ても木、さらに前後のどこを見ても木しか見えません。どう見ても森の中です。ありがとうございました。
遡ること二時間前、エンリエに例によって例のごとくどうでも良い事で怒られ、ほとぼりが冷めるまで避難しようと庭に出たのがいけなかったのか。そこから珍しい蝶々を見つけて追いかけ、大きな蛇と出会って逃げ、熊に襲われて逃げ、そして気付けば森の中。
「くーん……」
とりあえず切なく鳴いてみる。予想以上に雰囲気が出て本当に悲しい気持ちになってきた。
さ、寂しくなんかないやい! ……やめよう。非常に虚しい。
結論から言えば迷子ではあるが帰ることは出来る。おおよそだがエンリエの居る方向は分かるのだ。ただ、その方向へ真っ直ぐ進もうとすると切り立った崖が立ちはだかるが。
本当に何故こんな事になったのか。やはりエンリエが怒り過ぎなのがいけない。身体を洗われ、びしょ濡れになったらブルブルと身震いしたくなるのは本能なのだから仕方ない。まぁ、確かにタオルを持った状態でびしょ濡れになったエンリエを見た瞬間はしまったと思ったが。
はてさて、どうするか。崖をよじ登るか、それとも遠回りするか。どちらが面倒ではないか立ち止まって考えていると、人の気配を拾う。
これは道を教えて貰えるかもしれないと木々を避けながら一直線に走り抜ける。子犬の身体能力ならば飛び出す枝などは障害物走くらいの感覚だ。
ガサガサと草を掻き分け、人の気配のすぐ近くに顔を出す。
その瞬間、鼻先数センチに木の棒が勢いよく振り下ろされる。
「い、犬!?」
木の棒を振り下ろした少年がこちらを見て目を丸くしている。こちらはびっくりして尻尾が丸くなった。
「な、なんだ驚かすなよ」
「犬? あ、可愛いー」
木の棒を振り下ろした少年の後ろから更に小さい子が怯えたように顔を出すが犬が好きなのか満面の笑みになる。
どうやら獣か何かと勘違いされたらしい。確かに森の中で藪からいきおい良く出て来れば勘違いされても仕方ない。いや、そもそも狼だから勘違いでも無いのか。悪い事をした。
ごめんねの意味を込めて、きゅるんと上目遣いで挨拶する。木の棒を持った少年も可愛さにグッと来たらしい。
「僕、チョコ持ってるよ。あげるね」
「バカ! 犬にチョコあげちゃいけないんだぞ」
おお、少年よ正解だ。だが、今はいらない助言だった。俺はチョコでも何でも食べるぞ。ただ、ここで食べて少年二人に間違った知識がついてはいけないので自重する。
待てが出来る偉いワンコなのだ。えっへん。……駄目だ、突っ込みが居ないと虚しい。
ところで少年二人は何故森の中に居るのだろうか。明らかに二人きりで森の散策が許される年齢では無い気がするのだが。何か嫌な予感がする。
「兄ちゃん、ねぇ連れて帰って良いかな?」
どうやら兄弟らしい。弟の方が俺を持ち上げて兄に訴えるが、兄は渋い顔をする。快諾されたら困るが渋られるとこの可愛い子犬に文句あるのかこのやろうと言いたくなる。猫派か? 猫派なのか?
「母さんが犬アレルギーだからな。無理だろうな……」
そっちか。そりゃ無理だ。外で飼うにしても全く接触しない訳には行かないだろうし。接触する機会が増えると悪化する場合もあるらしいしな。というか、飼われては困るのだが。野良では無い。
「それにこれだけ毛並がキレイってことは飼い犬だろう? こいつにも家があるはずだぜ」
兄は中々の観察力を持っているようだ。そうそう、この毛並は毎日エンリエに梳かして貰っているのだ。ほーら触ると気持ち良いぞ。
「ふわっふわだ。気持ち良いー。でも、周りに飼い主なんて居ないし……もしかしてキミも迷子?」
あ、やっぱり迷子だった。ですよねー。明らかに家の周りをお散歩といった雰囲気では無かった。
「……迷子じゃない。ちょっと道が分からなくなっただけだ」
世間一般はそれを迷子と言うのだ。潔く認めろ少年。俺は潔く認めるぞ。現在進行形で迷子だ。えっへん。
「……きゅん」
「どうしたの? 急に耳も尻尾も下がっちゃったよ?」
何でもないやい。帰れるもん。帰れるもん。たぶん、きっと。たぶん。
だが、まぁその前にこの子たちをどうにかしないとか。
フンフンと弟と匂いを嗅ぎ、弟の腕から降りて兄の匂いも嗅ぐ。
「何だ?」
うん、何とかなるだろう。
「わんっ!」
一鳴きして二人の匂いを辿って歩き出す。
子供二人の足だ。大した距離は歩いていないだろう。すぐに親元に返してやるさ。
と思っていた時もありました。はい。
この子たちかなり歩いてきたらしい。感覚的に一時間以上歩いているが人の気配が全くしない。匂いは途切れていないから引き続き辿ることは可能だが、弟の方が限界だ。兄も気丈に振る舞っているがかなり疲れているらしい。
近くから水の流れる音がするので、そこまで行ったら休憩にしよう。
小川で喉を潤し、少し休憩と腰を下ろしたら弟の方は寝てしまったらしい。兄も眠いようだが、落ちそうになる目蓋を擦って周りを警戒している。良い兄貴じゃないか。
どれ、眠気覚ましに付き合ってやろう。
「くーん」
兄の手のひらに額をぶつけて擦り付ける。すると優しく撫でられた。しばらくじゃれ合って眠気を飛ばす。
「ぅ、……にい、ちゃ……」
弟が寝言で兄を呼ぶ。兄はそんな弟の頭を優しく撫でてやる。
「帰んなくちゃな……」
寂しそうに目を細めて兄が呟く。どうやら事情があるようだ。ほれ、話してみろ。大丈夫、ここにはただの子犬が居るだけで、弱音を吐いたって誰も聞いちゃいない。
じっと見つめると兄がゆっくりと口を開く。
「両親が、リコンするんだ。俺は父ちゃんと一緒に行くけど、こいつは母ちゃんと一緒に行くから、帰ったら……」
膝を丸めて顔を伏せる少年の頬を舐めてやる。伸びてきた小さな腕にギュッと抱きしめられ、毛並が水分を含んだが、ブルブル身震いせずにじっとしていることにした。
しばらくして弟が目を覚ます。
「……! 兄ちゃん、ごめん。僕寝ちゃってた」
「いい、気にすんな」
すっかり落ち着いた兄が慌てる弟の頭を撫でてやる。よく見ると少し目が赤いのだが、痒くて掻いたと言えば誤魔化せるレベルだろう。
兄ちゃんはいつでも見栄を張りたい生物なのだ。一人っ子なので良く知らないが。
「さて、行くか。また頼むな」
「ワン!」
おう。任せんしゃい。
そこから更に一時間、ようやく近くに人の気配を感じられるようになった。
本当にこの兄弟は大分長い事歩いたらしい。それほどに別れが嫌だったのだろうと思うと何とも言えない気持ちになる。
「兄ちゃん」
疲れのせいか足がもつれて転んでしまうため兄と手を繋いだ弟が呼びかける。
「何だ?」
手を引いて前を向いたまま少し弾んだ息で兄が応える。
「僕ね、兄ちゃんのこと大好きだよ」
突然のことに兄が立ち止まって弟を振り返る。
「だからね、何年経っても兄ちゃんに会いに行くから」
笑顔で告げる弟の言葉にこみ上げる物があったのか兄が唇を噛みしめる。泣くまいと必死なようだ。
「……お前、聞いてたな」
「うん。ごめんね」
少し涙声になりながら兄が恨めしそうに弟を睨み付ける。それに弟は朗らかに笑う。中々肝が据わっているようで。
いやはや、河原での会話を聞かれていたとは。子犬だけじゃなかったな。すまん、すまん。寝ていると思ったからさ。まさか起きていたなんて。偶然もあるもんだ。
兄弟愛が成せる業か。羨ましいぜ、ヒューヒュー。
「何年経っても、例え大人になるまで会えなくても、絶対に会いに行くから」
弟が兄に一歩近づき、もう片方の手も取る。
「その時はお嫁さんになってね」
ちゅっと音がして、兄が固まった。
あれ? あれ? あれー? そう来たか。
「ば、バカ! 俺は嫁になんかなんねーよ!!」
兄が真っ赤な顔で言い返す。きっと怒っているのだ。羞恥ではない。嬉しがっている訳でも無い。無いったら無い。
「えー? だって僕ずっと前から兄ちゃんをお嫁さんにするって決めてたもん」
うん、よくあるよくある。大きくなったら母ちゃんと結婚するーってヤツだろう。男の子なら大抵一度は言うもんだ。意味は良く分かってないんだ。分かって無い、んだよな?
「覚悟してね」
弟がもう一度兄に口付ける。
子供ながらに本気の響きを感じて思わず視線を泳がせる。いや、気のせいだ。気のせい。ははははは。
……兄ちゃんよ、今度会ったら弟に守ってもらったら良いと思うぞ。弟からはきっと誰も守ってくれないからな。
「帰ろう、兄ちゃん」
弟が固まっている兄の手を引いて歩き出す。少し前から知っている道に出ているらしい。人の気配も近くにあるし、二人はもう大丈夫か。
「ワン!」
一鳴きして尻尾を大きく振る。そうして二人に挨拶をして来た道を引き返す。後ろから、ありがとうバイバイと聞こえた。
そのまま一直線に駆け抜け、歩いて来る人物へ突撃する。
危なげなく抱き止められ、呆れたようなため息が降って来る。
「使い魔のくせに何で迷子になるんだお前は」
いやーごめん、ごめん。ついうっかり。色んな事に気を取られ過ぎちゃって。
「来る途中で巨大ヘビが丸焦げになっているのを見つけたが?」
えー? 誰だろうね。そんな野蛮な事をするのは。怖い、怖い。うっかり会ってたら危なかったね。
「ついでのようにビックベアも倒されていたが」
こっちの熊さんは凶暴だから、誰かに正当防衛で倒されたのかもしれないな。悲しいが自然の摂理だ。仕方ない。
「目立った外傷は無かったから雷系か……炎に雷、じっくりと話すことがあるようだな」
エンリエが笑顔で話し掛けてくる。途端に寒気が走った。色々お話する前に笑顔の練習が必要なんじゃないのか。あの兄弟を見習え。……いや、やっぱり見習わなくて良い。特に弟が兄をロックオンした時の笑顔は駄目だ。
「くーん」
まぁ、エンリエに爽やかな笑顔とか朗らかな笑顔とか似合わないからな。仕方がない。その分は子犬の愛くるしさでカバーしてやろう。どうだ、中々良いコンビだと思わないか?
語り掛けるように見上げ、見つめ合う。
「……良く分からんが、とりあえず馬鹿にしているだろう」
両方の頬を掴まれて限界まで伸ばされる。
良くお分かりで!