食欲旺盛な子犬です
家に帰るとエンリエは部屋に戻ってベッドへと倒れ込む。分かりやすく疲れているらしい。
軽く跳躍してベッドに着地し、横になるエンリエの顔を覗き込む。すると薄く目を開けたエンリエが乱雑に頭を撫でる。
「窓を開けてくれ」
エンリエの頼みにお安い御用だぜと窓枠の狭い幅に乗り上げ、身体を限界まで伸ばして鍵を外す。そこまでは良かったのだが、外開きの扉だったので自分の体重で扉が開き危うく外へ落下するところだった。ワタワタと寸での所で踏みとどまり、部屋の中へボトリと落下する。
フィニッシュまで華麗に決めるつもりだったのに失敗したと後ろを振り返ると、顔を上げたエンリエと目があった。しばし見つめ合い、てへと前脚で額を叩くと呆れた視線が返される。最近は人間じみた仕草をしても何も突っ込まれなくなってしまった。おかしいな。
「少し寝る」
目を閉じるエンリエを少しだけ眺め眠りに入ったのを確認してそっと部屋を出て下へ降りる。
暇だからローレンスにおやつを貰おう。
丁度台所に居たローレンスの足元へ近づく。
「おや、ウィルフ様。エンリエ様はお休みですか?」
「わん」
そうなのー。暇なのー。構ってーとローレンスの足元に纏わりつく。
「おやおや危ないですって」
困ったように言われるがその声音がどこか嬉しそうなので本気で困っている訳では無いのだろう。見た目は可愛い子犬だしな。何か一部の人間には受け入れられなかったけれど。まぁ、犬派も居れば猫派も居るのは世の習わしだ。
「元気が無いですね」
おぉ、体調を一発で見抜かれた。いや、でもどちらかと言うとエンリエの調子が悪そうだから使い魔も影響を受けていると考えたが正解か。
「エンリエ様と一緒に居てくださってありがとうございます。ウィルフ様が居てくださって良かった。旦那様との対面に私は同席することが出来ませんので」
そっと優しく頭を撫でられる。ローレンスは随分とエンリエを大事に思っているようだ。付き合いも長そうだからエンリエがもっと小さい頃から一緒に居るのかもしれない。
小さなエンリエは美少年だったのか、それとも美少女と見間違える容姿をしていたのか。どちらにせよ整った容姿をしていた事は容易に想像できて何となく嫉妬めいた感情が芽生える。
「そうだ。美味しい物好きなウィルフ様に良いモノがあります。今、丁度遠方から大きな商団が来ていまして――」
美味しい少し風変わりなお菓子を食べながら、ローレンスの話に耳を傾けた。
エンリエが起きて下に降りて来たと同時に胸元へ突撃する。エンリエは驚いたようだが、見事な反射神経で抱きかかえてくれた。
「キャン!」
「何だ? 何をそんなに興奮して」
「きゃん、キャン!」
エンリエが落ち着けと態度で示すが、尻尾がパタパタ動いてしまって止まらない。
「すみません、エンリエ様」
ローレンスがそんな姿を見て、少し困ったように声を掛ける。
「何があった」
「それが、今街に来ている商団が宣伝を兼ねたパーティを開催するようでして」
「パーティ?」
起きたばかりで気怠いのか、少し乱れた前髪をかき上げながら横目で確認される。それにコクコクと首を振って応える。
「えぇ、何でも各地から集めた選りすぐりの食材を使用して豪華な料理を用意するとか」
「ワン! ワン!」
期待を膨らませて尻尾を振り、上目遣いでお願いする。エンリエは少し面倒くさそうな顔をしたが、こちらが折れないと悟ったのか仕方がないと諦める。
「そのパーティはいつだ」
「明日です。招待状が来ていたのですが、エンリエ様は興味が無いと判断しお伝えせずに申し訳ございません」
どうやらエンリエはこの手の招待は読みもせずに捨ててしまっていたらしい。確かにエンリエは興味なさそうだ。良いモノを食べているくせに、いや良いモノを食べている弊害なのか、食事は腹に溜まれば良いと思っている節がある。けれど、俺は興味ある。物凄くある。美味しい物が食べたい。
「きゅーん」
「分かった、明日連れて行ってやるから」
「ワンっ!」
やっほい、食道楽だ食べ放題だとエンリエの胸元から抜け出し喜びを表現して空中で二回転半をして華麗に着地する。今回は無事に決まった。あまりの喜びようにエンリエが若干引いたのが伝わってくるが気にならない。
わーい、何が出るのかな。お肉も良いけどお魚も食べたい。野菜も美味しいよな。
陽気に浮かれる俺にローレンスの困ったように言葉を続ける。
「――あの、使い魔を連れて行くことは出来ないかと」
何だとっ!
ローレンスの言葉に衝撃を受ける。
「食を中心としたパーティですので、使い魔の連れ込みは禁止されているはずです。その、中には食べ散らしてしまう使い魔も居りますので」
ローレンスが心底申し訳なさそうに残酷な事実を伝える。
酷い。俺は食べ散らかしたりなんてしないのに。綺麗に食べ尽くすのに。酷い、偏見だ。使い魔差別反対!
「す、すみません」
あまりの落ち込み様にローレンスが思わず謝るが、ローレンスが悪い訳では無い。ただ、尻尾も耳もひげも全て垂れ下がり、気にするなとアクションを返せる元気が無い事を許してくれ。
「そんなに落ち込む事か?」
エンリエにこの絶望は理解できないのか一喜一憂する自分に不思議そうな顔をする。
「人間なら行けるぞ」
そりゃそうだろう。だから何だ。エンリエが代わりに食べて来て感想でも教えてくれるのか。そうか、そうか。それは嬉しいや。ははは。
完全にやさぐれモードでしか対応できない。
「だから、人型なら問題ないだろう」
ピッと耳が立った。人間、人型なら問題ない。確かにそうだ。
「わん!」
ドロンと子犬から人型になる。エンリエとローレンスが驚いて動きを止めるが、エンリエはすぐに落ち着きを取り戻す。
「やはりか」
狼になった件から人型にもなれると予想していたのかエンリエは納得したように呟く。
「その姿なら問題なく入れるだろう。ただ、服は……俺ので良いか」
エンリエがサイズを測るように上から下まで見る。いやーん、そんなにジロジロ見られると照れちゃう。なんてな。
ローレンスはまだ驚きから立ち直れていないようだが、大丈夫だろうか。
次の日、エンリエと一緒に街へと向かう。パーティ会場まではローレンスに送って貰った。
ちなみにローレンスはあの後しばらくしてから立ち直り、流石はエンリエ様の使い魔ですねと無理やり納得したようだった。何かごめん。
「招待状を確認致します」
受付に居た男性に招待状を渡す。宛名を確認して男性が驚いたように一瞬だけ僅かに動きを止めたが、その後は何事も無かったかのように笑顔を向けられる。
「確認致しました。どうぞ素敵な時間をお過ごしください」
その反応を見てエンリエが乗り気では無い理由を垣間見た気がした。面倒な感じはあったが、強い拒絶や嫌悪では無かったのでごり押ししてしまったのだが悪い事をしただろうか。
「気にするな」
余計な事を考えたのを見ぬかれ、先手を打たれる。感情しか共有していないくせに心を読み過ぎだ。
「それよりお前は良いのか」
良いも何も自分のごり押しで此処に来たのだが。今もエンリエに悪いと思いつつも美味しい物を食べられる目先の誘惑に負けてしまいそうなのだが。
「その姿、嫌だったんじゃないのか」
あぁ、そっちね。幻想の間で取り乱してしまった事を言っているのだろう。何だ気にしていてくれたのか。デレか、デレなのか。……止めようむしろこっちが恥ずかしい。
「大丈夫」
どんな姿であってもエンリエの使い魔であることは揺るがない。それが分かったから姿形はどうでも良くなった。どんな姿であっても受け入れてくれるエンリエってば懐が広い! だから、おやつを食べすぎるたびに怒るのは止めてほしい。
会場に入ると広い部屋に大勢の人と大量の料理。美味しそうで尻尾を振ろうとして無い事に気付く。何だか変な感じだ。食べて良いかエンリエに目線で問う。
「どうした?」
え? 珍しく察しが悪い。不思議に思いながら目線で料理を示す。
「あぁ、そうか。料理か。食べ尽くすなよ」
注意されながらもエンリエから許可を貰う。疑問が残りながらも目先の誘惑に負けて料理の取り皿を持って、盛り付ける。綺麗に盛り付けられた事に満足して、食べ始める。お肉柔らか。甘辛いソースが堪りませんな。
モグモグしているとエンリエがじっと見つめてきて、やはり変だと思う。不快な感情は伝わってこないが体調でも悪いのだろうか。
首を傾げると、怪訝な顔をして口を開く。
「美味しいんだよな?」
「うん。食べる?」
牛肉も良いが、豚肉も良い。添えてあるポテトもホクホクで美味しい。
何故そんな事を聞かれるのか不思議に思いながら差し出してみるが、要らないと断られる。
「……どのみち視覚との乖離は消えないのか」
エンリエの独り言に首を傾げるが、何でも無いと首を振られる。
「少し席を外すが、お前は此処に居ろ」
えー、エンリエは食べないの? 一人でどっか行くなんて薄情な奴。
食べながらじと目で見つめると呆れた視線とため息を返される。最近扱いが酷い。いや、よく考えなくても最初からか。
「どうせ一通り食べるのだろう」
それなら、大人しく食べて待っていろと言われてしぶしぶ頷く。
「良いか。食べ尽くすな。盛り過ぎるな。がっつき過ぎるな。後は――大人しくしていろ」
最後の部分をやけに強調して、何だか不安そうな顔をしてエンリエが立ち去る。そんなに心配なら見張っていればいいのに。エンリエのおたんこなすーと心の中で呟いて気持ちを入れ替え再び料理へと向かう。
パスタや魚のムニエルもあって、取り過ぎないように盛っては食を進める。どれも絶品だ。
「やぁ、良く食べるね」
唐突に話しかけられ、顔を向けると爽やかな笑顔の青年が立っていた。客の一人だろうと見ながら、口の中の物を飲み込む。
「少し前から見ていたんだけど、あまりに食べるからつい声を掛けたくなって。その小柄な身体のどこにそんなに入るんだい?」
確かに我ながらこの食べた量はどこへ行っているのか不思議に思う。絶対質量保存の法則を無視している。消化が早いのか、胃がブラックホールなのか。
子犬の身体は不思議でできているのです。あ、今は子犬じゃなかったか。
「私はラッグス。商家の息子だから特に礼儀とかは気にしないで。君も貴族では無いのだろう?」
問いかけに頷いて応える。貴族はこんな欠食児童のようにパーティの料理をがっついて食べたりしないだろう。どちらかと言うと挨拶周りが中心そうだ。今も部屋の至る所で食えない狸連中やコネを作ろうとギラギラしている人たちが胡散臭い笑顔を振りまいている。
多分、エンリエもそういった輩の相手をしているのだろう。時々抑えきれなかったかのように不快な感情が伝わって来る。それなら、せめて一人で行かなければ良いのに。
「そう、良かった。良い服を着て綺麗に食べるから少し迷ったんだけど、貴族はそんなに豪快に食べないからね」
爽やかに笑われてエンリエと違った意味でモテそうだと思う。エンリエはどちらかと言うと敬愛と畏怖を同時に抱かれるタイプだからな。
その後、商家だという彼の話を聞きながら食を進める。絶えず食べ進めていた為に時々相槌を返すくらいだったが、彼は特に気を悪くすることも無く面白い話をしてくれる。
「それにしても君、ここの料理はあまり口に合わないのかな」
その一言に思わず手が止まる。何故そんな事を言われるのか首を傾げると、向こうもおやと不思議そうな顔をする。
「無表情で食べ進める物だからてっきり口に合わないのだと」
違ったのかと問われて首を振る。物凄く美味しいです。何ならパックに詰めて持ち帰りたいくらいで、保存が利かなそうなのが残念と思うくらいには。
「そうか。じゃあ、私の話が詰まらない訳でも?」
再び首を振る。詰まらないどころかむしろ面白かった。特に南の島で鳥に求愛された話なんて誰かに話したくなるくらいだ。
否定したことにラッグスは心底嬉しそうに微笑む。その笑顔を見て、アレと思う。
「良かった。君に詰まらないと思われていたらどうしようかと。もし良ければ君の名前を教えてくれないか」
頬を少し染めながらフォークを持った手をそっと握りしめられる。
あれ、いつの間にこんなフラグが。どこにもそんな要素は無かったと思ったのだが、世の中不思議だ。
どうするべきかと考えていると、急に後ろに引っ張られる。その犯人が分かるから抵抗せずに大人しく腕の中に納まる。
「私の連れが何か?」
用事を終えてエンリエが戻って来たらしい。至近距離で覗き込んだ瞳には、ありありとまたお前はと咎める色があったが、今回は完全なる不可抗力だ。こんな展開になるとは予想して無かった。少なくとも子犬相手に熱っぽい視線を向けてくる業の深い奴には会わなかったからな。
「連れ、と言う事はもしかして二人は恋人なのか」
「恋人? 何を言っている」
話の流れを聞いていたわけでも無く、この手の話題に鈍いエンリエに察することができるはずもなく、正直に意味が分からないと怪訝な顔をする。それを相手ははぐらかしていると感じたのか少し苛立ちを見せる。
「違うのか? それなら邪魔をしないでくれ。私は本気で――」
ヒートアップする相手の目の前で、エンリエの頬に口付ける。突然の出来事にラッグスが驚いて言葉を詰まらせ、横からは物凄い視線を感じるが今は無視する。
「俺の大切なご主人様なんです」
エンリエの腕に自らの腕を絡めて、少し恥ずかしそうに俯く。決してエンリエからの視線が痛くて目を逸らしている訳では無い。
ラッグスは衝撃から立ち直ると、悲痛な瞳を向けてくる。
「……そう、なのか。もし今のご主人様が君を手放すのならいつでも頼ってくれていいから」
真摯な表情で訴えられ、この短時間でよくもそこまでと思わないでもないが、何だか申し訳ない気持ちになる。だが、ここで情を掛けるのは違うだろうときっぱりと首を横に振って断る。
「手放す? そんな予定は無いぞ」
使い魔だからね。それはそうだ。エンリエの放ったある意味当たり前の一言が止めになり、ラッグスが悲しそうな顔でどうか君が幸せでありますようにと残して去って行った。
「何だアレは。情緒不安定なのか?」
うーん。そんな人には見えなかったが。あ、でも妄想力は豊かな人かもしれないな。ご主人様発言から金で買われた少年を連想するくらいには。ははは、世の中勘違いなんて日常茶飯事ですよね。
「それで?」
エンリエがこちらに向き直って聞いて来る。
先程の男の話か、それとも頬に口付けした件か。何と話した物か悩むが、エンリエの主語は違ったらしい。
「満足したのか?」
料理を指して言われて、思わず笑う。
突然笑われてエンリエが憮然とした顔をするのにまた笑ってしまった。
「帰るぞ」
意味も分からずに笑われて不機嫌そうな顔をしたエンリエが踵を返す。
その後に続いて、会場を後にする。中庭に面した廊下は夜風が心地よく入り込み、火照った身体を程よく冷ます。
「エンリエ」
前を歩くエンリエに呼びかける。エンリエは立ち止まって振り返ってくれた。その顔が少し驚いているのは、初めて名前を呼んだからだろうか。
その顔を真っ直ぐに見つめて、右手を差し出す。
「使い魔のウィルフです」
エンリエは少しだけ目を見開き、短く頷いて差し出した右手を握りしめる。その顔は見間違えで無ければ少し笑っていたように思う。
繋いだ手を左手に持ち替え、そのまま歩き出す。
エンリエの温もりを手のひらに感じながら、これは子犬じゃできないなと思って、また少しだけ笑った。