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タビサとアーサー  作者: 奈良沢水城
第一章 新しい生活
8/13

【閑話】チョコレートケーキテロ

 アンジュとの交渉の後、側近と護衛官たちに渋面を向けられるのも無視して行きつけの店に寄ってから屋敷に帰ると、ちょうど夕食の時間だった。


 ディーンを伴って食堂に行くと、自分が帰って来たことを聞いたフレイアが、定位置に座って待っていた。フレイアの唇が「おかえり」と動いているのを見て、嬉しくなる。この数日で、挨拶程度ならフレイアの唇の動きを読めるようになり、それだけで随分とコミュニケーションをとれるようになった気がした。

「ただいま、フレイア。午後も文字の勉強をしてたの?」

問いかけると、開いたノートが差し出された。

〈ピーターが辞書をくれたの〉

「じゃあ、勉強がはかどるね」

うん、と嬉しそうに頷くフレイアを見ていると、本当に文字の勉強が楽しいのだということがわかる。

 やっとカトラリーの基本的な扱いに慣れてきたのか、フレイアの食事のスピードが少し早くなった。それでもまだ食事には時間がかかった。

(しばらくは食べにくそうな食材は避けるように言わないとな)

厨房への伝言内容を考えつつフレイアを観察していると、ディーンからマルサス公爵からの非公式の面会申し込みがあることを伝えられた。マルサス公爵の用事には心当たりがあったから、面会時間を確保するように言う。

 話しているうちにフレイアが夕食を食べ終えたので、ディーンに今日はもう下がるように伝え、フレイアと自室のあるフロアに戻った。


 風呂から出て、急ぎではない書類に目を通していると、書斎の扉がノックされた。

「フレイア様をお連れしました」

「入れ」

アンナがドアを開けて、フレイアを中に入れる。

「アンナ、お茶とさっきのケーキを持ってきてくれ」

「かしこまりました」

アンナと入れ替わりで近衛兵が一人入ってきて、部屋の隅に立った。現状では仕方のないことではあるが、鬱陶しいという気持ちが先立つ。

フレイアを先にソファに座らせると、机に置いておいた箱を持ってフレイアの隣に腰を下ろす。

「はい、どうぞ」

箱を差し出すと、フレイアはきょとんとした顔で首を傾げた。洗いたての髪がふわりと揺れ、爽やかな花の香りが漂ってきた。

「お土産その一」

「いいの?」と言いたげにフレイアは少し眉根を寄せた。

「フレイアに似合うと思ったんだ」

そう言って箱の蓋を取ると、中にはカットが施されたビーズでできたフレイアの手のひらほどの大きさの髪飾りが入っていた。フレイアの目がパッと見開かれた。

「今、街の女の子たちの間ではこういうデザインが流行ってるんだって。・・・気に入ってくれたかな?」

じっと見ていたフレイアが「もちろん」と首を縦に振ったのを見て満足する。

「今、つけてもいい?」

尋ねると、うんと頷いた後に「つけて」とこちらを向いていた顔を正面に向けて、頭を少し差し出してくる。柔らかい髪を掬って髪飾りを付けると、フレイアの髪によく映えた。

「似合うよ」

こちらを向き直ったフレイアに言うと、「ほんと?」と言いたげに口元に笑みを浮かべたまま、また首を傾げた。

「ちょっとまってて、鏡を持ってくるから」

そう言って手鏡を持ってきて手渡すと、何回か角度を変えながら髪飾りをつけた髪を見ていた。それからノートに文字を書き付けて差し出す。

〈ありがとう。毎日つける〉

「そんなに気に入ってくれたの?」

⦅きれい⦆

今度は唇を動かして、話しかけてくる。


 そんなやり取りをしていると、お茶の準備を整えたアンナが戻って来た。アンナはお茶をサーブして、ケーキの乗せられた皿をそれぞれの前に置くと近衛兵の側に立った。

「これは俺のお気に入り」

皿に載せられたケーキは小ぶりな円筒形で、チョコレートでコーティングされていて、天辺に金粉が散らされていた。

「食べてみて」

促されてフレイアはケーキを小さく切って口に入れると、とても驚いた顔をして隣にいるアーサーを見上げた。金色の瞳がきらきらと輝いていて、宝石のようだ。

「美味しい?」

⦅おいしい!!⦆

声にならない声が言う。

アーサーもケーキを口にすると、チョコレートとサクランボの風味が口の中に広がった。サクランボのリキュールが良くしみ込んだスポンジとチョコレートが何層にも重ねられ、それを更にチョコレートでコーティングしたケーキは、大きさの割に重たい。けれど、この濃厚な味は何度も食べたくなる。他にもオレンジリキュールや違うリキュールをしみこませたものがあるが、アーサーはこのサクランボリキュールのものが一番好きだ。

 フレイアを見ると、すぐに食べてしまうのが惜しかったのか、ちまちまとケーキを口に運んで味わっていた。

「他の味のもあるんだけど、食べてみたい?」

そう尋ねれば、「うん」と肯定が返って来る。

「そっか。じゃあ、今度出かけたらまた買ってくるよ」

⦅たのしみ⦆

一音一音をはっきり発音するように唇を動かす様が可愛らしい。


「ねぇフレイア」

⦅なに?⦆

「明日の夜もお茶しない?」

フレイアと一緒にいてたくさんしゃべるわけではない。でも、沈黙しているわけでもなく、同じ時間を共有することがただただ心地よかった。幸せそうにケーキを口にする様子を眺めているだけでも楽しかった。

〈いいよ。アーサーといるのは楽しい〉

ノートに書かれた歪な文字が愛おしい。その文字の主はもっと愛おしい。出会ったばかりで、まだまだ知らないことばかり、言葉も多くは無いけれど、アーサーが欲しいと思う言葉と笑顔をくれる。

「じゃあ、毎日夜はお茶をしようか」

⦅うん⦆

「アンナにいろんなお茶を揃えてもらわないとね」

〈そうだね。楽しみ〉

「お茶が?」

〈アーサーとお茶するのが〉

「そっか」


 そんなやり取りをしているうちに、お互いケーキを食べ終え、お茶のおかわりをする。どうやら甘いものが好きで、どこそこの何が美味しいとか、おススメだとか話すと、目を輝かせて「うんうん」と聞いている。

(甘いものだったら素直に受け取ってくれるか・・・?)

そう思ったアーサーは、密かにこれからフレイアに何をプレゼントしようかのリストを作った。

「あれ?フレイア、もしかして酔っぱらった?」

「?」

気づくと、フレイアの頬がぽっと色づいていて、金色の瞳が水面に映った月のようにとろりと揺れている。

「ああ、やっぱり。このケーキに使われてる酒はちょっと強めだからね」

フレイアの頬に手を当てると、少し体温が上がっているようだった。

「アンナ、水はある?」

アンナなら用意してるだろうと思ったら、準備の良い女官はピッチャーとガラスのコップを盆に載せて持ってきた。

「フレイア、水を飲んで少し落ち着いてから部屋に戻りな」

アンナから受け取ったコップを差し出すと、フレイアはゆっくりと飲み干した。

〈ふわふわする〉

「それが、酔っぱらってるっていうんだよ」

苦笑しながら教えると、⦅そっか⦆と言ってフレイアがぽふっとアーサーにもたれかかった。もたれかかられている方とは逆の手で頭を撫でてやると、フレイアはふにゃっと笑う。

「次からケーキを買うときは特注しないとダメかな?」

よしよしと撫でれば、フレイアの体から更に力が抜けた。

「あーあーあー・・・しょうがないなぁ・・・。アンナ、フレイアの部屋はもう寝られる状態?」

「ええ、準備は整っております」

「じゃあ、行きますか」

そう言うと、アーサーはフレイアの背中とひざの裏に腕を差し込んで抱き上げた。同じ部屋にいた近衛兵が慌てて「自分がお運びします!」と言って近づいてきた。

「良い。私が運ぶから問題ない」

「しかし・・・」

「聞こえなかったか?問題ないと言っているのだ。何度も言わせるな」

「はい・・・!」

冷ややかな視線を向けると、新人らしい近衛兵はすくみ上って返事をした。理不尽な不機嫌さを向けてしまったとちらりと思ったが、この際気にしないことにした。


 腕の中のフレイアは、アーサーの胸に頬ずりして鼻をひくひくと動かすと、またへにゃりとアーサーに笑いかけてきた。

(君にはいつも笑っていてほしいけど、これは反則だな)


フレイアを、寝室のベッドに乗せてやると、袖をちょんちょんと引っ張られた。

「なに?」

腰をかがめると、鼻先を柔らかいものがかすめた。驚いて行動の主を見やれば、満足げに笑いながら⦅おやすみ⦆と言っている。

(よかった、この部屋薄暗くて)

もしもこの部屋が明るかったなら、部屋を出ていくときにアーサーの元乳母に赤い顔を見られてしまっただろう。

「おやすみ、フレイア」

そう言うと、何事も無かったかのようにアーサーはフレイアの部屋を後にした。


 フレイアが猫だったころの習慣で、親愛の情を示すために鼻先を軽く舐めたのだということを、アーサーには知る由も無かった。


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