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タビサとアーサー  作者: 奈良沢水城
第一章 新しい生活
5/13

人間への第一歩

 強い光と、ふんわりとした温かさに、眠りの底に沈んでいた意識が浮上してくる。頬に当たるさらさらとした感触が心地よく、花のような香りにかすかに混じったアーサーの匂いを感じてもうしばらくこうしていたいと思った。

 目を開こうかどうしようかと思っていると、足元の方からかたん、と音がして重たいはずの瞼がパッと開いた。静かに耳を澄ましていると、二人の女性が話しているのが聞こえてきた。距離が遠くて何を言っているのかまではわからなかったが、アンナが入ってきてエリザと話しているようだった。

 頬に当たる心地よい感触の正体がシルクのカバーをかけた枕だと気づいた。その心地よさを味わっていたくて頬ずりすると、またふわりと花の香りとアーサーの匂いが立ちのぼってきて幸せな気持ちになる。


(やっぱり私、アーサーのところに帰って来たのね)


 ふと窓の方を見ると、カーテンの隙間から朝の光が差し込んできていた。


(ま、まぶし・・・)


 窓からの光がずいぶんと強いように感じられたものの、しばらく目を瞬かせていると慣れてきたのか、最初に感じたような刺激を感じなくなってきた。

 そのままぼんやりしていると、控えめなノックの後に「アンナです。入りますよ」と声がかかり、ほんの少し間をおいてからアンナが入って来た。


「お目覚めでしたか。すぐにお湯をお持ちしますね」

そう言うと、アンナは隣の部屋に一度戻ると、身支度の道具を乗せたワゴンを押して入って来た。

「どうぞ」

そう言って床頭台に置かれた桶の湯と、ふわふわのタオルを使って顔を洗うとわずかに残っていた眠気もスッキリした。

 用意された簡素なドレスは、見た目はシンプルなものの肌触りはとてもよかった。肩に掛けられたショールもとても軽く柔らかかった。


「エリザからも聞いていると思いますが、今日は仕立屋が午後に参ります。フレイア様の普段着やドレスなどを作ることになっています」

アンナがはきはきと今日の予定を説明する。

「それと、隣のお部屋をご用意いたしましたので、本日よりそちらのお部屋でお休みくださいませ」

その言葉を聞いて、そういえばアーサーは昨日どこで寝たのだろう、と思い、枕元に置いていたノートを開きアーサーの名前を指さし、昨晩どうしたのかを尋ねた。

「アーサー様から口止めされていますので、内緒です」

アンナはにっこり笑うと、それ以上は教えてくれなかった。


(この人も相変わらずね。一度決めたことは覆さないから、訊いても教えてくれないわね・・・)


 自分がタビサと呼ばれる猫だったころから―と言っても、感覚としてはつい最近の話なのだが―アンナは一度決めたことは滅多なことでは覆さず、アーサーの身の回りでは侍従長だったピーター・ラインズと並ぶ数少ないアーサーに強くものを言える人間だった。


(まぁ、周りがそのくらいしっかりしてないとアーサーはアーサーでのらりくらりとした人だし、本人の意に反して敵は多いもの、生活が成り立たないわね)


 一人うんうんと納得していると、アンナが「朝食に参りましょう」と声をかけてきたので、自分が空腹なことに気づくと同時に、とてつもなく憂鬱になった。なにせ、昨晩初めて人間として食卓に着いて、何をどう扱って食事をすればいいのかわからなかったからである。

 

フレイアがタビサと呼ばれ、アーサーの飼い猫として生活していたころ、アーサーはまだ宮殿内の部屋で生活をしていた。ある事件をきっかけに、もともと別宅として使っていた「忘れられた宮殿」に居を移した。宮殿内で、「タビサ」は「第一王子の飼い猫」として、ある意味至れり尽くせりの生活をしていたが、食堂に入ることは許されなかった。中に入ろうとすれば必ず誰かが見つけ軽々と廊下に出されたし、何より王妃に見つかればとんでもなく汚いものを見たかのような視線を向けられ蹴られることすらあった。だから、自然と食堂からは足が遠のいた。忘れられた宮殿に移ったころにはすでに自分は老齢で―人間の視力を手に入れた今だからこそわかることだが―ただでさえぼやけていた視界はもっと悪くなっていた。


(だから、私としたことが人間の食事の仕方がよくわからなかったのよ・・・)


 しかし、そんなことを考えていても仕方がない。自分は今タビサという猫ではなく、フレイアという人間の娘なのだ。タビサがアーサーの良き飼い猫であったように、フレイアはアーサーの・・・今の立場はよくわからないが、とにかくアーサーに迷惑をかけないようにならなければならない、と決意する。


◇ ◇ ◇


 食堂に入ると、既にアーサーとディーンがいた。

「おはよう、フレイア」

「おはようございます、フレイア様」

フレイアもおはようの代わりに会釈をした。

「昨日はよく眠れたかい?」

アーサーの問いに大きく一つ頷く。

「そう、それはよかった」

アーサーも満足そうにうんと頷くと、カップを手に取り口を付ける。


「さ、フレイア様、どうぞこちらにおかけください」

アンナに促されて引かれた椅子に腰かける。恐る恐る目の前のテーブルを見ると、カトラリーの数が昨晩よりも少なかった。思わずほっと溜息を吐くと、アーサーがクスクスと笑っている。

「今のところはマナーなんて気にしなくていいから。家庭教師が来たら教えてもらうといい」

そういう言葉をかけられると、安心する一方でなんだか情けない気分になって来る。


(いい歳して食事一つ満足にできないなんて・・・私、一応おばあさんになって死んだのよね?)


 複雑な気分のまま、シルバーのスプーンを手に取り、オートミールと言われたものに手を付ける。口の中にミルクと穀物の甘い香りがふんわりと広がり、何とも言えないほっとした気持ちになった。その後に出されたサンドウィッチも、手づかみで食べていいということだったので、ここはもう遠慮なく手で取って食べた。サンドウィッチは今までに食べたことのない味がしてとても新鮮だった。

 ふと視線を感じてそちらを見やると、アーサーがにこにことこちらを見ていた。


(うーん・・・アーサーの目や髪って本当はこんな色だったのね)


明るい朝の陽射しの中で見ると、緩くウェーブのかかった髪はつややかなこげ茶色で、緑の瞳はきらきらと輝いて見える。薄い唇はほんのり赤みがさしている。


「もう食べないの?」

言われてから目の前を見ると、いつの間にか果物が乗せられた皿が置かれていた。ふるふると首を横に振ってからフォークを手にすると、甘い香りを放つ色とりどりの果物を口に入れていく。残念ながら名前がわからなかったけれど、今までに食べたことのない甘みや酸味を感じて本当に楽しかった。


◇ ◇ ◇


 朝食の後は、アーサーの執務室で現在屋敷にいて手の空いている人間がフレイアに引き合わされた。

「アーサー殿下の護衛をしております、近衛師団サドラー隊隊長のエリック・サドラー少佐です。フレイア様、お会いできて光栄です」

エリックは、昨夜のシガールームでの態度が嘘だったかのような完璧な態度と言葉づかいでがっしりとした手を差し出し、フレイアに握手を求めた。


(この人の態度の使い分けも相変わらずね。私のこと「おい、猫!」とか言ってたくせに。今更こんな畏まった態度で来られてもちゃんちゃらおかしいわ)


 とは言え、相手はそんなことは知らないのだ。こちらも笑顔で握手に応じた。


「正式なご挨拶はまだでしたね。アーサー殿下の補佐をしております、三等文官のディーン・マルサスです」

エリックほどではないが、文官らしからぬがっしりとした体躯のディーンは優雅にお辞儀をした。


(ええ、ええ、あなたのことも覚えていますよ。アーサーに初めてできたお友達ね。あなたは人に言えない話をよく私にしてたわね。もう新しいお母さまとは仲良くなれたのかしら?)


「へぇ、本当にタビサにそっくりな髪と目の色だねぇ」

親しげにかけられた声の方に顔を向けると、昨晩会ったエリカとそっくりな顔をした眼鏡をかけた男が立っていた。

「初めまして!ディーン殿と一緒にアーサー殿下の補佐をしています、三等文官のエフィー・バージャーです。エリカの双子の兄です。よろしくね?」

人懐っこい笑みを浮かべたエフィーに、「まぁ!あなた久しぶりね。ちゃんと大学を卒業して文官になれたのね!」とかつてのやんちゃ坊主の立派になった姿を目の前にして、嬉しくなった。


そして、最後にずいぶんと懐かしい顔を見て心が温かくなった。

「初めまして、フレイア様。二年前までアーサー殿下の侍従長をしておりました、ピーター・ラインズでございます。現在はこちらのお屋敷の家令のようなことをさせていただいております。どうぞ、お気軽に御用をお申し付けくださいませ」

覚えているよりも幾分老けたようにも見えたが、まだまだ元気そうな様子にホッとした。アーサーに拾われてから、アーサーが一人で猫だった自分の面倒が見られるようになるまでは、ピーターが主に世話をしてくれたのだ。


(久しぶりね、ピーター。また会えて本当に嬉しいわ)


「今はこちらにおりませんが息子のパトリックが侍従長を、孫が準侍従としてお勤めさせていただいております。もう一人、ダン・ジョンストンという侍従がおります。こちらの者どもにもどうぞ御用をお申し付けくださいませ」


 丁寧な元侍従と握手を交わすと、アーサーが声をかけてきた。


「フレイア、午後に仕立屋が来るまではアンナとピーターが君の相手をするから。午後のお茶は一緒に飲もう」

アーサーと一緒にいられないことを少し残念に思ったが、仕方がない。

「屋敷の中を探検してくるといいよ」

頭を撫でられながら言われれば、ついつい心地よくなってしまい、「あなたの言うとおりにするわ」という気持ちになった。


「また後でね」と手を振るアーサーに、タビサもにっこりと笑顔を浮かべて手を振り返した。


◇ ◇ ◇


 廊下に出ると最初にすぐ隣の部屋に案内された。扉を開けると、アーサーの部屋とは左右対称の造りの部屋が広がっていた。応接室、執務室、書斎、寝室と各部屋の扉を開け進むたびに私の空間になる造りだった。

「こちらがフレイア様にお使いいただくお部屋でございます。一通りの日用品は取り揃えておりますが、足りないものがございましたら遠慮なく仰ってください」

ピーターが丁寧な口調で扉を開けながら説明をしてくれる。

(足りないものって・・・普通の人間の娘さんが何を使うのかもよくわからないのだけど・・・)


 戸惑っていると、アンナが笑顔で

「アーサー様が私に一任してくださいましたから、まずは私が日用品を揃えさせていただきました」

と言う。「任せとけ!」という心の声が聞こえてきそうな様子に、フレイアも思わず笑顔になる。


(そうね、アンナに任せておけば間違いないわね)


導かれるままに寝室まで行くと、薄桃色の艶やかなリネンがかけられた大きなベッドと、クリスタルのシェードがかけられたランプが置かれていた。寝室にもう一つある扉を開けると、こちらもやはり薄桃色を基調としたバスルームだった。洗面台の棚、バスタブの側の棚それぞれに何やらいろいろな形の瓶が載っている。


(・・・また、ここでもみくちゃにされなくちゃいけないのかしら・・・)


 昔、風呂に入れられるのを嫌がるたびに、「こんなに気持ちいいのに」とアーサーに不思議がられた。

(私からすればその感覚の方が不思議だったけれど・・・)

人間として生活をしていればわかる日が来るのだろうか、と思うに留めた。



 自分のものとしてあてがわれた部屋は、どの窓からも裏庭が見えた。

(暖かくなったら、そこで日向ぼっこするのも悪くないわね)

見覚えのある庭を眺めながらまだまだ若い猫だったころのことを思い出す。猫の中でも特に大きくなる種類だった自分は、白と赤の美しく長い毛が自慢だった。ふさふさの尻尾をアーサーの顔に擦り付けることもあった。日向で本を読んでいるアーサーにすり寄っていくと、「おいで」と呼ばれ、膝の上に乗れば「重たくなったなぁ、お前」と苦笑いされる。それでもアーサーは本を読みながら、空いている方の手で頭や背中を撫でてくれた。


 人間の体ではそんな時間の過ごし方ができないことが、少し寂しいように思えた。そして、声を出せないことがひどくもどかしかった。


◇ ◇ ◇


 午前の間はお屋敷探検に費やしたが、回った部屋の数はそう多くは無かった。

 アーサーとフレイアの部屋は三階にあった。二階にはディーンやエリックをはじめとする軍人たちや側近、侍従、女官の部屋があった。説明されたところによると、サドラー隊に所属する兵士のうち、エリザとアブドゥル以外は兵舎や官舎からの通いのようだった。ただし、夜勤をする者たちのための詰め所(と呼ぶにはかなり立派な部屋)が一階にあった。一階にはパーティーができるホールに食堂、応接間、厨房などがあったが、フレイアに用がありそうなのは今のところ食堂だけだろう。


「お屋敷にいらっしゃる方々は基本的にアーサー様の執務関係の方々で、パーティーなどの催し物を開くこともありませんから、定期的に手入れはいたしますが、本当に使う部屋のみ日々の手入れをしている状態にございます」

ピーターが説明するのを聞きながら、「そういうものなのか」と思う。この屋敷の人間のどれだけが気づいていたかはわからないが、猫だったころは天井裏などを使って、この屋敷のそれこそありとあらゆる場所を探検していた。しかも、この屋敷には自分を汚い物扱いする人間もいなかったから、自由を謳歌していた。


「さぁ、昼食に参りましょう」

アンナの言葉でお屋敷探検を終え、食堂に向かうこととなった。ずっと自分たちの背後に付き従う兵士の気配が気になったが、そういえばアーサーが移動するときも必ずエリックかアブドゥル、そうでなければ誰かしら兵士が周りを固めていた。


(王族とか、その関係者っていうのは本当に面倒なものね)


 自分の中での王族の認識がどれほど正しいかは怪しかったが、「面倒なのは事実」と片づける。アーサーも―厳密には違ったが―自分と二人っきりの時に良く「なりたくて王子に生まれたわけじゃない」「王族でなければ・・・」などとぼやいていた。



 食事をするのはフレイア一人だけのようで、食堂に着くとがらんとしていた。午後に仕立屋が来るということで、軽めの食事が出された。

「その代わり、今日のおやつを期待してください」

とアンナに言われ、思わずうきうきとしてくる。楽しい気分になって心にゆとりができたせいか、出されたスープやサラダ、魚料理にパン、どのメニューもしっかりと味わうことができた。

 食後のお茶を飲みながら改めてゆっくりと食堂を見回してみる。何度か見たことのある宮殿の食堂に比べるとずっと小さいが、10人は座れるテーブルが真ん中に鎮座し、それを取り囲むように木製の椅子が並べられている。一見すると簡素なデザインの椅子だが、座面と背もたれには手触りの良い深紅のビロードが張られ、どちらも腰掛けると程よい反発があって座り心地が良い。先端部分がつるりと丸いひじ掛けも、人の体に馴染むように作られており、食後にゆったりとするのにも良かった。

 白いテーブルクロスの上には真鍮製の燭台と、フレイアの片手に乗るような小さなガラスの花器に色とりどりの可愛らしい花が活けられたものがいくつか載っていた。壁は黒に近い茶色の木材とベージュの壁紙で覆われていて、部屋全体に華やかさはないものの、だからこそとても居心地の良い空間になっていた。


(まだまだ人間の感じ方はよくわからないけれど、ここは本当に落ち着くわね)


 ティーカップを持ったまま明るい日差しの入って来る大きな窓をぼんやりと眺めていると、お茶を注ぎ足しながらアンナが声をかけた。

「落ち着くお部屋でしょう?」

うん、と頷く。

「この食堂は、アーサー様がお屋敷の中でも特に気に入っているお部屋の一つなのですよ」

(うん、わかる。とても居心地がいいもの)

フレイアがまた返事をすると、そのままアンナが説明を続けてくれた。

「アーサー様はこのお屋敷でお生まれになったんですよ。アーサー様のお母さま、レイチェル様もたびたびこちらのお屋敷にいらっしゃっていました。アーサー様が本格的にこちらに居を移されたのは、もう何年も前のことになりますね」

(ええ、覚えているわ・・・あの時は本当に肝が冷えたわ・・・)

自信もよく覚えている事件について思い出し、アーサーを取り巻く環境のおどろおどろしさまで一緒に甦って来た。

(でも、この屋敷に来てからのアーサーは宮殿にいた頃よりもずっと気楽な雰囲気になったわ・・・悪いことばかりではないわよね)


「さ、フレイア様。お部屋へ戻りましょうか。そろそろ仕立屋が来る時間です」

(今日一番の大仕事ね!)

表情を引き締め鼻息でも出そうなほど大きく頷くと、アンナが楽しそうに笑った。

「今日は普段着からお出かけ用、パーティー用のドレスまで一通り誂えることになっていますから、大仕事になるかもしれませんが、頑張りましょうね!アンナがついております」

(ええ!あなたがいるなら安心よ!)

もう一度大きく頷くと、新しく自分にあてがわれた部屋に向かった。


◇ ◇ ◇


 部屋に戻ると、エリカが仕立屋と共にフレイアとアンナが戻ってくるのを待っていた。仕立屋の採寸などは執務室で行うようだった。とはいえ、今のところ仕事をする予定も無いフレイアからすれば、応接室、執務室、書斎のどれでおこなおうが、あまり変わらなかったのだが、エリカとアンナ曰く、寝室と書斎に関してはプライベートな空間という位置づけらしく、世話をする者と親しい人間以外をそう簡単に入れてはいけないとのことだった。


「おかえりなさいませ、フレイア様。こちらの二人がフレイア様のお召し物を仕立てます」

手で示された方を見ると、灰色の髪を品よく結った年配の女性と、フレイアと同年代くらいの少女がいた。

 午前中にアンナに教わった通りに笑顔でお辞儀をすると、既に事情を聞いているらしい仕立屋の女性もこちらが声を出さないことを訝しがるでもなく、にっこりと挨拶をしてくれた。

「お初にお目にかかります。街で仕立屋をしております、ルイーザと申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします。こちらは私の店で見習いをしております、ミミです」

ルイーザに紹介されると、ミミも静かに腰を折った。

「では早速ですが採寸をいたしますので、こちらにいらしてください」

そう言われて近衛兵たちを応接室に残して執務室に入りふと周りを見回すと部屋がとんでもないことになっていることに気づいた。。


(こ、これ、誰が運び入れたの?!)


 部屋の中には所狭しと既製服がかけられ、ソファやテーブル、執務机には色とりどりの生地が積み上げられ、ある一角には様々な色形の靴が並べられていたり、何体かトルソーが立てられたりしていた。


「では楽に腕を下ろしておいてくださいませ」

そう言うと、ルイーザはどこから取り出したのかメジャーでフレイアの体のいたるところを測り、それを逐一ミミが記録していった。


(人間って、みんなこんなことしてるのかしら・・・く、くすぐったい・・・)


思わず身じろぎをすると、「動かないでくださいませ」と言われてしまう。「楽にしていていいんじゃないの?」とアンナとエリカの方を見れば「我慢してくださいませ」と異口同音に言われてしまう。仕方が無いので、ぐっとこらえていると採寸が終わったのか、今度はいくつかの既製服を体に当てられる。

「とりあえず、当座のお召し物にこちらのデザインはいかがでしょうか?比較的ボタンが少なく、きつく体を締め付けるような部分もありませんので、シンプルではありますが普段着として着やすいデザインですし、色違いもたくさんございますよ」

そう言われてとりあえず着替えてみると確かに体は楽で、しかも肌触りもふわふわととても心地よかった。とりあえず、淡い色のものを何着か選ぶと、またデザイン違いの服を出された。そうこうして、アンナが予定していた数の服を選び終えた。

 そして、誂える普段着のための布を選ばせてもらった。色も素材も様々で、本当に選べるかどうか不安だったが、素材は触れば気持ちいいかどうかで判断できたのと、色味に関してはアンナとエリカに訊けば良いかどうか答えてくれたので、意外とすんなり決めていくことができた。

 普段履くための靴も、パンプス、ヒールのある靴、冬用のブーツなど様々なものを選ぶことになった。こちらに関しては、アンナが必要と判断した種類の靴で、履きやすいものを選ぶことになった。

「残りの服は来週末に納品させていただきます」

ルイーザはフレイアと言うよりも、アンナに聞かせるように残りの普段着をいつ納品するのかを説明してきた。


(それにしても、服を着たり脱いだりしているだけなのに、随分疲れるものね・・・)


なんとなく疲れを感じてげっそりしていると、それを察したらしいエリカが「少し休憩いたしましょうか」と提案してくれたので、ぶんぶん首を振って「休憩にしてくれ!」と全身で訴えた。


 ソファに座りエリカがお茶を持ってくるのを待っている間、アンナも交えて外出用とパーティー用のドレスのデザインについて話し合った。こちらに関しては、着心地の優先順位は高く無いようで、デザインについてもいまいちよくわからなかったので、アンナとルイーザにほとんど任せることになった。

 そんなことを話し合っていると、エリカが執務室の扉をノックした。

「入ってもよろしいでしょうか」

「ええ、大丈夫よ」

アンナが応えると、エリカが入ってきて、扉を押さえている。すると「どう?素敵な服は見つかった?」とアーサーが入って来た。

 嬉しくて思わず立ち上がると、

「一緒にお茶をしようって言ってたからね」

アーサーが機嫌よさそうにそう言い、フレイアの隣に腰掛けた。エリカがお茶の準備を乗せたワゴンを押して近づいてくると、ふわっと花のような芳しい香りが広がった。

「今は何を選んでいたの?」

訊かれた言葉に、テーブルの側に立てたドレスを着せたトルソーを指さして答えた。

「ドレスを選んでいたの?」

(そうそう。デザインはアンナとルイーザ任せだけど)

「こういうデザインが好きなの?」

(うーん・・・デザインっていうより、この生地が気に入ったのよね)

ドレスの裾を撫でてそのことを主張してみる。

「ああ、その生地が気に入ったの?」

(そうなの。すべすべで気持ちよかったのよ)

「ねぇ、ルイーザ。南の街のシルクはある?もし色の選択肢があるなら、緑系の色を出して」

「ございますよ。少々お待ちくださいませ」

アーサーからの注文を聞いて、ルイーザが生地の山から何種類か生地を抜いて持ってきた。

「南の街のシルクは最近入って来たばかりで、まだ色の展開は大して無いのですが、緑の生地となるとこちらになりますね」

そう言いながら、ルイーザはいくつか持ってきた生地をソファに広げていく。

「うん、その深緑がいいね。フレイアの髪の色も映えると思うし。ああ、そっちの青みがかったのもいいね」

そんな調子で、フレイアがお茶を飲んでいるうちにアーサーが何種類か生地を選んでくれた。アーサーとお茶を飲んで休憩したあと、結局アーサーも交えてドレスの生地とデザインを選ぶことになった。


「アーサー様、執務室に戻らなくてよろしいのですか?」

腰を据えてフレイアのドレス選びに付き合う構えのアーサーにアンナが問うと、

「大丈夫、もともとお茶してる間に誰も呼びに来なかったら、ドレス選びを一緒にしようと思ってたんだ。それに、今日はもう僕がいなきゃいけない案件も無いしね」

とアーサーは返す。フレイアも、アーサーが問題ないというのなら異存は無かった。


「さっきの生地だけど、青みがかっている方は、光の加減でグラデーションのかかった生地に見えるね。こっちは、生地をたっぷり使いつつシンプルなデザインの方が素材を活かせそうだね」

アーサーの提案にルイーザが頷く。

「ええ。共布の髪飾りもお作りいたしましょうか?大きめのリボンに真珠とビーズをあしらったものなどいかがでしょう?」

「いいね・・・グローブにもワンポイントで真珠かビーズの飾りを付けるといいかもね」

その言葉を受けて、ルイーザがさらさらと描いたデザイン画をアーサーは満足げに見ている。

「どう?フレイア」

(どうって言われても、自分がこれを着てるイメージができないわ・・・)

うーん・・・?と首を傾げると、すかさずルイーザが基本的な形が似ているドレスをフレイアの体に当てた。

「上半身はこちらのドレスのように、デコルテをしっかりと見せる造りで、背中側はボタンでしっかりと留める形になります。今当てているドレスは、布の量が少なめで裾が真下に向けてすとんと下がっている形ですが、こちらのデザイン画のドレスでは生地をたっぷり使ってもっと膨らませるようになります」

(なるほど。足にまとわりつかないなら、動きやすそうでいいわね)

と、単純な思考で「良いと思う」と表情と仕草で伝える。


 こんな調子でアーサーとルイーザがああでもないこうでもないと議論を重ね、気づけば窓の外は暗くなっていた。

「それでは、日常用のドレスは来週末に、パーティー用のドレスなどは3週間後に納品させていただきます」

「ああ、よろしく頼む」

「受け取りの際は、私とエリカが立ち会います」

アンナがそう言うと、今度は応接室に待たせていた近衛兵たちに声をかけルイーザたちが帰るための手伝いをさせた。

(片付けって、近衛兵の仕事なのかしら・・・)

個々の人手不足もついにここまで来ているのね、とフレイアは複雑な気持ちになる。


◇ ◇ ◇


 夕食を済ませ、アンナに手伝ってもらいながら風呂に入り、今日ルイーザから買ったばかりの寝間着に袖を通すと、やっぱり肌触りがとても良かった。

「フレイア様、そちらの寝間着がお気に召したようですね」

(ええ!素晴らしい肌触りよ!)

「アーサー様が女性にドレスをプレゼントするのは初めてのことでしたから、私やエリカはもちろん、ルイーザもとても張り切ってしまいました」

(そうなの?)

と首を傾げれば、アンナは「ええ」と言う。

「そもそも、アーサー様がお母様以外の女性にプレゼントをすること自体初めてなのです」

(そう、なの・・・)

それは、喜んでもいいことなのだろうか?

「アーサー様はフレイア様のことをとても気に入っておいでのようです。こんな大盤振る舞いするところは初めて見ましたよ」

(そうね、アーサーの暮らしは昔から大人し目だものね)

昔見た宮殿内のアーサーの部屋と、王妃たちの部屋を思い返してみて、納得する。

「あんなに楽しそうなアーサー様は久しぶりに見ました。また、付き合って差し上げてください」

アンナのその言葉に「もちろんよ。アーサーが楽しいと思えるのなら、私もできる限り付き合うわ」と気持ちを込めて首肯した。


 やがて寝る時間となり、部屋の中に一人になると―隣の部屋にはアンナと近衛兵がいるはずだが―どっと疲れが出てきた。

(食事の方法、身支度の仕方、毎日の服の選び方・・・覚えなければならないことが山積みね・・・できるかしら?)

人間として暮らす以上は覚えなければならないわよね、と自問自答する。

(でも、まずは人間の生活を始めるのに必要なことがそろったのかしら?)

記憶の中のアーサーは食事の度にその方法に悩んでいる様子は無かったし、身支度だってある程度自分でしていた。服を選ぶのも、ピーターやアンナと相談しながら決めていた。

(私も、早く自分で自分の面倒を見られるようにならなきゃ・・・私、今は見た目が若い娘さんかもしれないけれど、中身はおばあちゃんだし・・・自分のことが自分でできないなんて情けないわ・・・)

食事や風呂が上げ膳据え膳だった猫時代のことはすっかりと棚に上げ、フレイアはこれからのことを考えていた。

(まずは家庭教師とやらと勉強を始めるまでに、この生活に慣れなきゃ・・・)

そこまで考えたところで、フレイアの思考は眠りの世界に落ちていった。


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