おかえり?Side A
どうして君は俺を置いて行ってしまったんだ?
俺たちはいつでも一緒だったじゃないか。
だから、お願いだ。
帰ってきてくれ。
君がいない毎日なんて、耐えたくもない。
◆ ◆ ◆
秋が深まり、あと一か月もすれば雪深い冬がやってこようとしていた。
アーサーは、王城の敷地のはずれにある森に来ていた。
山に囲まれた盆地にあるこの小さな国は、主要な街道が交差する地点に発展した国であり、交易を主な生業としている。この国の王城はかつての戦いの名残で、山を背にした場所に位置する。しかし、戦いの終焉から時間を追うごとに、王城の建物は外観の様子を変えてゆき、建築物自体も増えていった。現在の王城は、本質的には要塞でありながらも、そうとは感じさせにくい外観である。
本来ならば、この国の第一王子であるアーサーは宮殿内に居室を与えられているのだが、本人はそこに住まうことを嫌い、王城の敷地のはずれにある、「忘れられた宮殿」と揶揄される屋敷に住んでいた。もともと変わり者なうえに第一王子でありながらも微妙な立ち位置にいたアーサーだったが、ある出来事以降、以前にも増して公務で人前に出ることを避けるようになり、宮殿内では「精神病」のレッテルを貼られていた。
そんな一部の評価とは裏腹に、この第一王子に対する一般国民の評価は上々だった。それは、この国の第一王子は「公務」で人前に出ることは避けるが、仕事と責任はきっちりと果たす人物であり、その仕事はこの国の実情と、国民の感情に沿ったものであったからだ。
アーサーが森の屋敷に本格的に引きこもり始めてから3年が経とうとしていた。日々、屋敷の執務机で仕事をこなし、応接間で様々な人物との会談をおこなっていた。
だが、今日という一日は特別だった。屋敷中―といっても侍従と警護の人間、何人かの料理人とメイドだけだが―の人間が、アーサーとその片割れのために静かな一日を過ごしていた。また、アーサーの側近であるディーンもアーサーの仕事を調整して、この日を丸一日空けていた。
「ディーン、そろそろ行くぞ」
アーサーが一抱えもある白ユリの束を持ち、こちらを見ていた。その緑色の瞳は、大切なものを失った傷がまだ癒えていないことを物語っていた。
◆ ◆ ◆
20年前、アーサーが3歳だった年の夏に、タビサはやって来た。
アーサー付きの侍従と森を散歩していた時、その子猫はモミの樹の下、森の下生えにうもれるようにして鳴いていた。駆け寄ってみると、ふわふわと柔らかな赤毛と白い毛の金色の瞳が印象的な猫だった。
「じい、ねこ!」
すぐ後ろをついてきていた侍従を振り返ると、長身な体をかがめて、猫の状態を調べ始めた。
「かわいい・・・」
「そうですね。これは・・・スコグカッテルの子供ですね。まだ生まれたばかりの赤ちゃんですよ」
あまりの可愛さに夢中になり、侍従の話はほとんど聞いていなかった。
「ねこ、アーサーとかえる?」
「アーサー様、この猫は・・・」
「いっしょにかえるの!」
なぜ、侍従があの時渋ったのか、今ならわかる。俺が犬か猫を飼うこと自体は問題が無かった。だが、発見した時のタビサは生後間もなく母猫とはぐれた仔猫であり、随分と弱っていたらしく、そう長くは生き延びないだろうと侍従は思ったようだ。
そんな当時のタビサの状況は自分が成長するにつれて理解したが、それと同時にタビサの境遇が自分と似ているような気がしてならなかった。
親からはぐれても精一杯「助けて」と声を上げていたタビサは、助けを求めることを諦めた自分にはとても輝いて見えた。
猫を抱き上げると、宝物のようにしっかりと抱きしめた。
(もうずっと昔の子供の頃のことなのに、よく覚えてるもんだ)
屋敷の外に出ると、乾燥した風がさぁっと頬を撫でていった。色づいた葉が足元に層をなしていて、歩くたびにぱりぱりと小気味いい音がした。
(タビサが死んで、3年。俺はまだ君を思い出にできないでいる)
屋敷の執務机に向かっている時、居室でくつろいでいる時、夜中に何かの物音に目を覚ました時、ふとした瞬間、ちょっとした物音に、タビサの姿を探してしまう。そして、もう二度とその姿を見ることが無いのだということを思い出す。
期待と落胆。
何度こんなことを繰り返せばいいのだろうか。
ぼんやりと歩いているうちに、20年前よりも太く高くなったモミの樹が見えてきた。
「タビサ、来たよ」
3年前、タビサと出会った場所に、タビサを葬った。
そして、異変に気が付いた。
枯れ葉に半分埋もれていて、わかりづらかったが、真っ白な若い女の体が枯れ葉から見えた。そばにいたディーンも気づいたのか、ほぼ同じタイミングでその女に向かって駆けだしていた。
近づいてみると、タビサの墓の上に一人の若い女が、一糸まとわぬ姿でうつぶせに倒れていた。
「おい、おい!しっかりしろ!」
首に手を当てるとはっきりと脈が感じ取れ、彼女が生きていることを示していた。体を揺すると、彼女の瞼がピクリと動いた。
「おい、この娘を連れて帰るぞ!医者を呼んでおけ!」
傍にいたディーンに指示を出し先に屋敷に帰らせ、再び彼女を見ると、うっすらと目を開いていた。その瞳の色が驚くほどタビサにそっくりで、タビサが人間になって帰って来たのではないかという思いにとらわれて、一瞬時間が止まったような気がした。
(そんなこと、あるわけが・・・)
思い直してから、彼女に声をかけた。
「今、部屋に連れて行ってやるからな?」
彼女が困惑しているのがわかったが、とにかくこのままここに捨て置くわけにもいかないし、このままにしておけないと、何かがアーサーを突き動かした。
自分のコートを彼女の体に着せて、抱き上げてからもう一度目を見ると、何か言いたげにこちらを見ていたが、どうやら声が出せないようだった。
「心配するな。悪いようにはしない」
ぞんざいにできるはずがなかった。タビサとの思い出深い場所に倒れていた、タビサに似ている彼女。
(一緒に帰ろう)
顔や首元に吹き付ける風は冬の気配を乗せていて、冷たかった。
◆ ◆ ◆
屋敷に戻ると、使用人たちが慌ただしくしていた。先にディーンを走らせておいたおかげで、アーサーの寝室は診察ができるように調えられていた。この屋敷は、常に使っている部屋以外は定期的なメンテナンスがなされるだけで、日常生活において使用できる状態にはなっていない。
使用人たちに更に指示を出してから、取り急ぎ自分の服の中から厚手のシャツを選んで着せてやりながら、もう一度ざっと大きな外傷が無いことを確認する。
「入れ」
ノックの音に応えると、ディーンに先導されて、アーサーの主治医が入って来た。
「突然呼び出してすまないな、ドクター」
「いえいえ。大体の話はディーンから聞きました。診察を始めてもよろしいでしょうか」
「あぁ、頼む」
床に膝をついて、ソファに座らせた彼女と視線を合わせる。見れば見るほど、蜂蜜色の瞳はタビサにそっくりだった。
「これから、ドクターに診てもらう。痛いことはしないから、安心してくれ」
彼女がこくりと頷くのを見てから、自分はディーンと共に続き部屋である書斎のソファに腰掛けた。
「・・・驚いた。あの子の髪と目、タビサにそっくりだった・・・」
ソファーの背に頭を預けると、ディーンも相槌を打ってきた。
「そうだな・・・。なぁ、アーサー。お前、あの娘をどうするつもりだ?」
アーサーの数少ない家臣であり側近であるディーンは、心配そうにこちらを見てきた。
「どうするって・・・身元がはっきりするまでは、ここに置くつもりだ」
「身元、ねぇ・・・そんなものがわかるとはとても思えないが・・・」
それはそうだ。外れとはいえ、王宮が管轄する敷地に倒れていたのだ。この国に敵対する勢力が送り込んできた間者の可能性がある。すべてはぎとられて捨て置かれていたのだとすれば、その間者にどれほどの脅威があるのかは未知数である。そうでなかったにしろ、まっとうな家の出ではないだろう。もしくは、どこかから誘拐されたか・・・いずれにしろ、愉快な状況ではなかった。
「少なくとも、」
ソファにもたれかかり虚空を仰ぐと、ディーンが言葉の後を継いだ。
「すぐには脅威にならない、か?」
呆れたようなその声に、思わず苦笑が漏れた。
「アーサー・・・楽観視するのもどうかと思うぞ。間者にしては体が出来上がっていない、怪我の痕跡が極端に少ない、こんなものは間者じゃないことの根拠にならないぞ」
おそらくアーサーもチェックしているだろうが、ディーンが見た限りでは、娘の体は鍛えている様子も、日常的な怪我の痕なども見られなかった。
「まぁ、だろうね。ドクターの所見とメイドたちの話を聞くまでは、なんとも言えないさ」
「お前にしては珍しいな、身元の分からない人間に何かを施そうとするなんて」
「わからないから、だよ」
ぐっと勢いをつけて上体を戻し、ディーンの目をしっかりと見つめる。
「身元がはっきりしている人間が良い人間とは限らない、逆に身元がはっきりしないからといって悪い人間とも限らない。そうだろ?ディーン」
緑の瞳が茶化すようにきらりと光る。
きっとこういう屈折したところが本来彼を取り巻く環境の中では好まれないのだろうな、と思いつつ深いため息がディーンの口をついて出た。
「ディーン、そこでそんな深いため息つくなよ。仕事はするし、立場に付随する義務は果たすさ」
「そうじゃなきゃこの国の政治の何割かが止まるぞ」
「そんなことないさ!俺がいなくなっても、すぐにその穴は埋まるさ」
「・・・その人材は、誰が探すんだ?」
「んー・・・王立大学あたりに行けばいるだろ?」
この話題になると、アーサーはいつも投げやりだった。
「王立大学、ね。たしかに、“身分”という点はクリアできそうだな。それで、お前はどうするんだ?」
「そうだなぁ・・・どっか遠くに行きたいかなぁ・・・誰も俺のことを知らない場所。今は旅行もままならないし」
遠くを見つめる瞳を見て、ディーンはアーサーの置かれた状況を思うとまたため息が漏れた。
こんこんと寝室と執務室をつなぐ扉がノックされ、応えをするとメイドが姿を見せた。
「アーサー様、診察が終わりました」
「ん、そっちに行ってもいいか?」
「どうぞ」
促されて寝室に入ると、娘はソファに座っており、こちらに気づくと金色の瞳をきらりと輝かせた。女の隣に腰を下ろし、医師に向かいに腰掛けるようにすすめる。
「で、どうだ?」
先を促すと、医師は所見を述べた。
「基本的には問題なしです。右足に手術痕がありますが、随分古いもののようです。それ以外には外傷はもちろん、体内に怪我を負っているようでもありませんでした。声が出ないようですが、おそらく心因性のものですね。耳は聞こえているようです」
「心因性か・・・それでは、いつ声が出せるようになるのかわからないな」
「焦らないことですな」
「ん、わかった。他に何かあるか?」
「そうですね・・・彼女は字が書けないようです。単に教育を受けていないだけの可能性が高いですが、まだ何とも言えませんな」
「耳は聞こえているんだな?」
「ええ、こちらの話すことは理解できているようです」
「ならば、とりあえずはいいだろう。読み書きについてはゆっくり考えて行けばいい」
「そうですね。とりあえず、明日もう一度診察に参ります」
「ああ」
「では、私はこれで失礼します」
ドクターが出ていくのと入れ替わるように入ってきたメイドが風呂の準備ができたことを告げる。
「エルザ、話は聞いたかい?」
問うと、銀髪をまとめた長身のメイドは静かに頷く。
「ディーン様から聞きました。確認しておきます」
「話が早くていいね。よろしく頼むよ」
再び書斎に戻ると、ディーンが先ほどと同じ位置で待っていた。
「エリザは優秀だな。打てば響く」
ディーンが感心したように呟く。
「だろ?士官学校の“次席”卒業だよ」
ぼすっとソファに座ると、そばにあったクッションを抱え込む。
「次席、ね。彼女、一般家庭の出身だったか?」
「商家の娘だよ」
「ふーん、大方爵位持ちのボンボンが主席にでもなったか?」
「ご名答。ま、そのボンボンが能無しだとは言わないけどな」
クッションのタッセルを弄んでいると、いつの間にか糸が手に絡み、軋む感触がした。
「女ってだけで、王妃からはじかれたらしい。国門警備隊にいたのを引き抜いた」
「能力自体は認めるが、派閥には入れない。主流派がやりそうなことだな」
「ま、だからこそ俺があんな優秀な士官を手に入れられたんだけどな。士官学校の前は行儀見習いで王妃のところにいたんだ」
「とんでもないくらいの逸材だな」
「俺のところに来てからアンナの指導を受けてるし、アブドゥルやエリックと鍛錬を続けてるようだし、メイドもできる軍人なんて今のウチにはなかなかいないよな」
メイドに扮しながら、その実は確かな実力を有する軍人というのは、得難い護衛だった。
「で、ドクターはなんて?」
ディーンが警戒をにじませて問いかける。
「右足に古い手術痕。それ以外は怪我も無し。ただ、しゃべれないらしい」
「・・・舌を切られたか?」
「心因性らしい。こちらの言ってることはわかるそうだ。あとは、字も書けないらしい」
「・・・それ、どうやって会話を成立させるんだ?」
「根気よく話しかけて、声が出せるようになるのを待つしかないだろ。字は、まぁ教えればいい話だしな」
「誰が教えるんだ?」
「・・・ディーン?」
嫌な予感の流れに問えば、アーサーが小首を傾げながらこちらを見上げてくる。
「俺は今の仕事で手いっぱいだ」
残念ながら、受け持つ仕事に対して、アーサーの周囲は常に人材不足だ。
「そこをなんとかっ!」
拝んでくる主人を見ていると、いつものことながらこちらが折れるしかないという気持ちになる。実際、よく仕事をこなすこの王子は、その微妙な立場もあるが、ディーンの記憶する限り、わがままを言ったことなどほぼ無いのだ。
「・・・あの娘に付ける教師を探す。交換条件は、警備の増員だ」
教師を探すという仕事が増えたが、かねてから懸案事項だった警備の増員をする良い機会だと思いなおし、これを条件とした。
「増員・・・それは、兵を増やすのではなく、護衛にできるようなのを増やせ、ということだな?」
「そうだ。できれば二人は欲しい。一人はエリザみたいなのがいいな」
「・・・わかった。エリックに人選を頼んでおく」
エリザを基準に女性の軍人を探すのは難しいだろうが、この館に女性の「護衛対象」が増える以上は、エリザ一人ではどうにもならないこともある。ここは難しくとも、アーサーに条件を飲んでもらうしかない。アーサーは自分自身に対して驚くほど執着を持っていないが、ディーンを含む一定の人間にとってはそうではない。金で買える安全なら、買うのが鉄則だ。
「じゃあ、とりあえず俺はエリックと警備体制の相談をしてくる」
ディーンは言いながら立ち上がると、ポケットから取り出したものを差し出してきた。受け取ると、銀色に光る小さなホイッスルに首からかけられるように革紐がつけられていた。
「まだ、あの娘が完全に白と決まったわけじゃない。さすがに、今回はいつも以上に気を付けてくれ」
肌身離さず、それこそ寝る時ですら身に着けて、万が一に備えろと言うのだろう。あの娘にどれほどの脅威があるとも思えないが、ディーンの言うことももっともであり、彼の立場を思えば、正しい判断だろう。
「わかった。危ないことはしない」
「じゃあ、何かあったら呼んでくれ」
そう言うとディーンは書斎から出て行った。
素性のわからない娘を拾うなど、自分の本来の立場から言えば狂気の沙汰だろう。だが、タビサを思い出させる容姿は、自分の冷静さを奪うに十分だった。
「だいたい、あんな風に倒れてたらほっとけないじゃないか」
自分以外に誰もいない部屋に、呟きだけが響く。顔を上げると、暖炉の上に掛けられた自分の肖像画の中のタビサと目が合った。
「・・・とりあえず、なにか温かいものでも入れてやるか」
まだ、あの娘が黒と決まったわけではない。容姿に惑わされたと言えばそれまでだが、今は自分の心に素直に優しくしたっていいじゃないかと思いつつ、ココアを入れるために立ち上がった。




